いつから王妃を越える立場になったんです?
ひとまず、場を改めてはなしあいをした結果、リリアとレノンの婚約は正式に結ばれることとなった。
当然だ。ゴルトン王国としては利しかないそれをどうしたって結ばない選択肢などないわけで、お飾りでしかない国王と、なんの権限もない側妃や第一王子だけのわがままを通してやるほど、さすがにこの国も甘くはない。
国王とその側妃の婚姻が認められるにあたり、当時王家が失ったものは多い。それはそのまま、王妃という人柱となることを受け入れたオーフィリナの得たものと置き換えてもいい。
中でも、前国王夫妻の全権限を剥奪し、国政に対し関わることや発言を認めなくし、その地位を退かせて追い出したことがもっとも大きなものだったと言える。オーフィリナ個人や、彼女の実家であるベルン公爵家が慰謝料を望まない代わりに望み、議会から承認を得た案件だ。そうしてでも当時の王太子であり現国王の地位と愛を守ってやりたかったという親としての愛は涙ぐましいものがあるやもしれないが、言うまでもなく為政者としてはありえない。
自身の退位に伴い譲位される息子に政治的能力やカリスマ性など皆無であることを知るだけまだよかったのか、仕事を引き受ける代わりに国王同等の権限を王妃となるオーフィリナに与えることを認めただけは、まだ国民を思う心が残っていた証左かもしれない。それでも唯一の国のトップであるという矜持は息子に持たせてやりたいと訴え続けていたので、ほかでごねられるよりはとそれは認められた。ゆえに、オーフィリナは王妃殿下なのだ。
まあそれも名ばかりなのは前国王にも認めさせている。息子夫婦……もちろん、側妃となる令嬢のほうを指してだ。彼らに不自由のない生活をさせる代わりに、政治などには一切くちを出させないようにも取り決めた。本人たちなど仕事を押しつけて自分たちは豪遊できると嬉々としていたもので、そんな様子を見ればさすがに国を任せることはできないと理解したのだろう。前国王はあくまで自身の息子がしあわせに暮らせさえすればよいとした。
そのこどもについては、オーフィリナの子こそ次期国王となることは、さすがに前国王も同意している。側妃となる娘が下位貴族出身だから、というのは当然理由のひとつにはなるけれど、それ以前にその側妃の人間性の問題が大きい。息子の不出来もわかってはいるのだから、そんな夫婦の子に期待など一切していなかったのだろう。
オーフィリナが息子と子さえなしてくれたなら。それならば、血筋は確かで、オーフィリナに似てくれるかもしれないから。そんなことを力なくくちにしていたという。
オーフィリナはあくまで国民を想い、国民のために自らに犠牲を強いたのだ。ベルン公爵家としては当時の王家を見限る気ですらあったが、それを宥めたのもまたオーフィリナだった。いずれ自身の子が、正しきを正しきに直せるように。そのための礎さえ敷ければ、自身はすべて吞み込もう、と。
そんなオーフィリナの決意に、前国王がなにを言うこともできるはずがない。粛々と引っ込んでいった彼らは、細々と生きていけるだけの支援くらいなら受けられることになった。不満はあってもなにもできないようにはされている。
そして当の問題を起こした本人たちはのんきなもので。権利や権限などどれほどのものが残されているのかきちんと説明をしたにも関わらず、その理解は自分たちに都合のいい方向ばかり。贅沢は極めようとするわ、横暴も極めようとするわ、ありもしない権威を振り翳そうとするわで、身も蓋もなく言ってしまえばお荷物極まりない。
前国王がかたく言い聞かせていたからオーフィリナとの間に子をもうけるために夜の渡りこそあったが、それも側妃の子が第一子でなければとありえない妄言を強行されて、結果レノンは第二子となってしまった。だからレノンの継承権が揺らぐかといえばそうではないので、いくら側妃との子を王太子にと声高に叫んだところでだれにも認められることなどない。まあ、名ばかりとはいえ国王陛下たる人物がレノンの立太子も阻むものだから、レノンもまた王太子には至っていないのだが……。
というのは、あくまで表向き。レノンの立太子を遅らせていたのは、偏にリリアの成長を待っていたからにほかならない。すべての膿を出しきるために、そしてその先でリリアとレノンがふたりしあわせに結ばれるために、レノンはもちろん、リリアもまた持つべき手札を揃えていたのだ。
それまではリリアとの関係の一切を隠していた。必死にレノンを貶めようと画策し、いろいろと手をうっていたゴルトン国王や側妃などは、今回の婚約の申し込みは寝耳に水だったことだろう。側妃などとんでもなく荒れたと聞く。
そんな些事はいいとして。無事婚約も調い、婚約式も恙なく終えたあとは、リリアは嫁ぎ先となるゴルトン王国で過ごすことになる。まだ十四のリリアは学院に通うこともできたが、そちらには通わず、王妃主導のもと王城にて多くを学ぶ手はずとなっていた。
まあもちろん、それを簡単に受け入れるはずもないものたちがいるわけで。
「……本日は晩餐の場へのお招き、ありがとうございます。ですが、わたくしはレノン殿下の婚約者。なぜこの場に殿下と、そのお母君たる王妃殿下がご不在なのでしょうか?」
あの手この手で側妃たちがリリアに接触してこようとしていたのは知っている。そうすることは想定内だったし、レノンやオーフィリナもわかっていた。羽虫にたかられているようで鬱陶しくはあったが、所詮なんの権限もないものたち。あしらうにも容易かったのだが、リリアはいま、あえてその招待のひとつに乗っていた。
それでも素知らぬ顔で小首を傾げれば、やっと招待に応じたリリアにこれでもかと側妃の笑みが輝く。
「まあ! まあまあまあ! そんなにかたくしないで! いずれ家族になるのだもの! もっと気楽にいきましょう、ね?」
「……お心遣い、感謝申し上げますわ。それで、レノン殿下と王妃殿下はどちらにいらっしゃるのでしょう?」
「いやねえ。あんなふたりがいては食事がおいしくなくなるでしょう? 今日はわたしたちと仲よくなるための場なの。だから、ね、あんなふたりのことなんて忘れて、楽しく食事をしましょう?」
「ああ、そのとおりだ、リリア嬢。堅苦しいあのふたりに挟まれて息苦しい思いをしているだろうと思ってな。こころ優しいミアがこうしてそなたの気持ちを解そうと気を遣ったのだ」
予想どおりの突っ込みどころしかない、成立させる気があるのかさえ疑わしい会話。リリアが予想していたとおり、彼らはどこまでも堕ちていきたいようだ。
この調子なら、完膚なきまでに叩きのめせそうだと、リリアは内心で薄くわらう。
「左様にございますか。側妃様のお心遣いには感謝の念が絶えませんが、それでもわたくしはレノン殿下の婚約者にございます。レノン殿下が王宮にてご不在でもありませんのに、婚約者と引き離すのはこの国の新しいマナーでございますか?」
「なっ! ミアのやさしさを踏みにじるつもりか!」
「いいえ、陛下。いまだ至らぬ身ゆえ、学んだ教育に誤りがあれば正したいと、そう思ったまでにございます。いずれ王家に名を連ねさせていただくからには、それに恥じない身とあらねばなりません。そのために日夜学びの場を設けていただいているのです」
だから正しいマナーや認識を教えろ。王族なのだからできなくてどうする。たかが十四の小娘が学び、反映していくと言っているのだ。嫁いできて二十年以上も経つ人間がその気すらないなどと言うなよ。と、無言の圧と嘲笑を含んで、貼り付けた笑みに隠す。
権利を主張するならば、相応しい義務を果たすべき。それなくして贅だけを貪るものに与えられるものなどなにひとつあってはならないし、そうして享受してきたものは然るべき場所に返さねばならないのだ。
幸いにしてリリアは学ぶべき場に恵まれていた。実家は侯爵家で、母はもと王女。母の兄弟とも折り合いはよく、その弟に嫁いできたのはオーフィリナの実妹。オーフィリナも折をみては来訪してくれていたし、教授してくれる相手には事欠かなかった。
そんなリリアの所作やことばに隙はなく、だからこそ顔を真っ赤にしながらも言い返せない国王はともかく、側妃はやはりはなしの通じない相手だった。
「かわいそうに……。ここではそんなに厳しく考えなくてもいいのよ? わたしたちはあなたの味方だもの。慣れない国で大変でしょう? わたしを本当の母親だと思って頼ってくれていいのよ」
実母はともかく、レノンの母であり正当なリリアの義母となるオーフィリナを差し置いて自らを母と思えとは。あまりの厚顔っぷりにうっかり笑い出してしまいそうになる。