最後の掃除の最後の仕上げ
「正しきを、正しきに。本来ならかくあるべきであった流れに戻るだけです。心配はいりませんよ。レノンはとても誠実に、真摯に、国や民を見据えています。親の欲目だけではなく、確かに率いて導くだけの能力もありますよ。あなたの、お兄様のように」
「あ……ああああああっ!」
頭を掻きむしり、獣のように上げる咆哮。ずっと劣等感に苛まれていた存在に、結局はこうしてなにもかも奪われる。そんなこころの声が聞こえてきそうな叫びに、けれどオーフィリナもゴーシュも揃って冷めた視線を向けることしかできはしない。
ゴーシュの父は、確かに天才だった。だけどそれに胡坐をかく人物ではなく、惜しみない……それこそ血を吐くような努力さえ重ねる人物だったと聞く。
それは確かに王の器たりえ、だからこそ立太子する以前より彼の地位は盤石といわれていた。ただ、だからといって弟王子が蔑ろにされていたわけではない。兄になにかあった場合にと教育はしっかり受けていたし、順当にものごとが運んでも、生活に困ることもなく、兄をしっかりと支えられる地位も用意されていた。
その教育を、わからないからと調べることもせず投げ出し、できないことをやらせようとするものを咎め、一切の努力を放棄し、できる範囲にしか手を伸ばさなかったのは弟王子当人。それなのに優秀な兄と比べられる自分はかわいそうだと悲観し、なんでも持っているように見える兄を妬み、その地位を奪おうとまで画策し、行動してしまった。
彼が国を治めていた期間は、確かに目に見えるほどの衰退もなかったけれど、兄王子であったならば目覚ましい発展を遂げていただろうと思われていたことから思えば決してよしとは言えない。そんな彼のあとを継いだ息子などアレなのだから、言うにさえ及ばないだろう。
国を思えない彼に、王たる器などないのだと、身のほどを弁えて生きたらよかったのにと思わずにはいられない。
「……ああ、それと。ゴーシュのお母様ですけれど。ブレンサ、の家名でおわかりですよね?」
「…………まさか……」
ゴーシュの血筋はレノンの血筋でもある。平民の血筋が流れているのではと思って、要らぬ横やりを入れられても面倒だ。死なばもろともではないが、レノンも道連れにとでも思われたらたまらない。
オーフィリナのことばに、夫妻揃って示す先を知っただろうが、その顔色はそれぞれ違う。いまさらそのくらいどうでもいいと顔色を改めて変える様子もない夫人に対し、夫のほうには明らかな憎悪がちらついた。
「当時のブレンサ公爵家のご令嬢、あなたのお兄様のご婚約者様でいらしたのですから、なんの不思議もありませんよね?」
政略的な意味も含もうとも、ふたりの仲はとてもよく、だからこそ兄王子が一命をとりとめたと知ったあとはすぐに彼女も彼のもとへ向かった。そこから献身的に彼を支え、そうして産まれたのがゴーシュである。
「ふざけるなっ! あの女! 兄上へ祈りを捧げるために修道院に入ると言っていたクセに!」
「あら、愛するかたのため、身分もお捨てになり、いち村人として生きる道を選ばれたのですよ? どこかの薄っぺらい真実の愛とやらに、爪の垢でも煎じて飲ませて差し上げたらよろしかったくらいでしょう?」
そのどこかの薄っぺらい真実の愛とやらは、そのために王子の身分を捨てることは大層拒んだ。お相手も同様で、無理矢理にでも市井に放り出せば、どれほどもったことかと笑えるほど。
それはともかく。
頬に手をあて、空々しく告げたオーフィリナは、その口角をにんまりと笑みに刻みなおした。
「もっとも……。兄王子の訃報を聞き、これ幸いとすぐさま自分と婚約を結び直すよう迫ったあなたには、許しがたいことなのでしょうけれど」
なんのことはない。兄の婚約者に横恋慕までしていただけのこと。
兄のそばで美しくほほえむその美貌に。兄の弟である自分のことを気にかけ、よく声をかけてくれたやさしさに。ずっと焦がれ続けていたからこそ、あの暴挙に踏み出す後押しにもなっていたのだろう。
兄さえいなければ、彼女も自分が手に入れられる。だって彼女は王妃教育を受けているのだ。いずれ王となるならば、その傍らには彼女がいなければおかしいではないか。
そんなふうに考える彼の頭には、その当時の自分の婚約者であり共犯者、そしていまかたわらに座る夫人の存在など微塵もなかったことだろう。……まあ、そう思えば彼の息子は正しく彼の血を引いたということにもなるのだろうが。
「……どういう、こと……? ねえ、ちょっとあなた! いまのはなしはなに⁉」
「あ……い、いや、これは違う! 誤解なんだ!」
さすがにこのはなしは初耳だったのか、怒りの形相で夫に詰め寄る夫人に、なにを言い逃れすることもできないだろうに、誤解だと必死に弁明を繰り返す。
夫を想い、尽くし、あげく王族の暗殺にまで手を貸した結果がこれだ。もしも万が一一歩間違えるようなことが起きていたら、そこまでしたのに捨てられていたかもしれないと思えば、夫人の怒りはどんどんヒートアップしていく。
「白熱されているところ申しわけないのですけれど、続きは外でお願いできますか?」
「はあ?」
頭に血がのぼっているせいか、仮にももと貴族、もと王妃だった人間とは思えない柄の悪さで睨みつけてくる夫人に、当然オーフィリナが怯むことなどない。にっこりとほほえみをうかべたまま、最後のはなしをくちにする。
「あなたがたの資産はすべて差し押さえられておりますので。この家と土地……は、王家のものですから、こちらで回収するとして、私物であったものはお金になりそうなものはすべて換金して回収させていただきます。値がつけられないようなものはお持ちになって構いませんけれど、あなたがたにはもうこの家に住めるだけの資産もありませんので、即刻、退去願います」
「なにを言ってるのよ! ここはわたくしたちが与えられた、わたくしたちの家よ! それに資産がないなんて、そんな馬鹿なこと……」
「文句がおありなら、あなたたちのご子息に言われたらいかがです? 彼のかたが、最後の王命をもって、あなたがたの資産のすべてをご自身の負債の返済にあてるとお決めになられたのですから」
「……え」
まあ、それでも足りないから、強制労働施設入りなのだけれど。彼の場合、リリアとビスタリアへの慰謝料が重くのしかかっているから、全額返済など親の金をあてたところでずいぶん先になることだろう。
なにしろ、彼の両親とて、国への貢献など微々たるものだったのだから。
平民としてあまり贅沢もせずにひっそり暮らしていけるだけの金額など、リリアとビスタリアへの慰謝料の足しにはほとんどならない。それでも両親のなけなしの金さえ奪ってしまおうと考えるのだから、ふたりの教育の成果といえるだろう。
もちろん、彼に与えられた教師陣に非はない。……自分のときを思い返し、甘くしていいと当時の国王である彼の父から言われていたのだから。
「ああ、そういえば、今日はなぜかメイドたちが来ないと言っていましたね。当然でしょう。あなたがたに彼女らへ払えるだけの賃金などありはしないのですから。ですが、ええ、心配は不要です。こちらから派遣させていただいておりましたから、彼女たちが路頭に迷うことなどありません。むしろやっと王城勤めに戻ることができると嬉々としておりましたよ」
「そん、な……」
「ご自身たちで出て行くことが困難であれば、騎士がお手伝いいたしましょうか?」
夫に向けていた怒りもどこへやら。ソファに沈み込む夫人に、夫のほうも同様で意気消沈している。
当然だろう。必死にその地位を守ってやり……それどころか幼少期からとてもかわいがり、甘やかして育ててきた実の息子がこの仕打ちだ。立ち直れないのも理解できる。
けれど、理解はしても容赦はしないオーフィリナ。
「どうやら立ち上がることもできないようですね。ゴーシュ、お願いできて?」
「ああ」
オーフィリナに顔を向けられちいさく頷いたゴーシュが、部屋の扉のもとへ向かう。その先の廊下には騎士が数名控えていて、うち三人が中に踏み入り夫妻を強引に立ち上がらせた。
「お、おい、やめろ!」
「ちょ、ちょっと、痛いじゃない! やめて、離して!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ夫妻を気にもせず、騎士たちはオーフィリナにどちらまでと指示を仰ぐ。
「敷地の外でいいでしょう。再び入ってきたりしないよう、しばらく監視も頼みます」
「はっ」
「荷物のほうは査定が済んでいそうなら不要なものは渡して差し上げて」
不要なものとはもちろん、値が付かないようなものを指す。オーフィリナたちが屋内に入ってから、鑑定士を招くよう指示をしてあったのだ。
オーフィリナの指示を受け、騎士たちが夫妻を外へと連れ出していく。お金もない、息子にも裏切られた、夫の不義も知ってしまったし、王家の血筋に自分たちの血など流れることもなくなったとも知った夫妻は、今後どう生きていくのか。
彼らを憎む要素こそ多々あれど、憐れむ要素などまったく見当たらないオーフィリナは、決して明るくなどないだろう彼らの未来に、思うことはなにもなかった。
……ちなみに、夫人の実家はとっくに掃除済みである。
ふたりを追い出し、オーフィリナはすこしだけ深くソファに身を沈め直すと、ちいさく息を吐く。その肩に、やさしく手が置かれた。
「……すこしは溜飲が下がったか?」
気遣わしそうなまなざしでこちらを見下ろしてくる最愛のひとに、その手のぬくもりに、オーフィリナも自身の手をそっと重ねる。
「……どうかしら。行き着くべきところに行きついただけという感じかも」
分不相応な願いが、ただ身の破滅を招いただけ。その過程で踏み躙った人々の想いや人生の代償とするならば、彼らの行き着いた場所はいっそ軽かったのではないかとさえ思える。
婚約者である自分に見向きもしない息子を咎めることもないどころか肩を持ち、その息子が本来背負うべき責務をすべてオーフィリナに背負わせようとしたあの夫妻は、それでいてどうしてオーフィリナが彼らを救うと思ったのか。とうに見限られていることなど当然だろうに、オーフィリナへの警戒心など微塵も抱いていなかった危機感のなさにはいっそ笑えてしまう。
あんなふたりに殺されかけた王子も、志半ばで王位を譲らねばならなくなってしまった当時の国王も、そしてなにより、あんなふたりを頂に掲げなければならなかったこの国の国民が、哀れで仕方がない。
「……あなたは? すこしは気が晴れた?」
「うーん。俺はあんまり実感なかったくらいだしなあ……。オフィが解放されたことがいちばんうれしい」
「ふふ、ありがとう。……お義父様は、よろこんでくださるかしら?」
「どうだろうな。母さんのおかげで親父は笑って生きていられたけど……たぶん、恨んではいたと思う。聞いたことはないけど」
「そうね。……国民想いの、責任感の強いかただったとお聞きしているもの」
一度目を伏せて、故人を偲ぶように一拍置いたオーフィリナは、再びゴーシュを振り仰ぐとやわらかにほほえんだ。
「落ち着いたら、お墓参りと、お義母様へのご挨拶に伺いましょう? ぜんぶちゃんとご報告しなくてはね」
「そうだな。うん、レノンが落ち着いたら、ふたりで」
「ええ、ふふ。楽しみね」
そっと降ってくるやわらかなくちづけを受け入れ、オーフィリナは思う。これからはこの関係も、レノンの本当の血筋も隠さずにいられるだろう、と。
そのためにうまい根回しは進んでいる。そもそも国民から人気の高かったゴーシュの父だ。そこに悲劇性が加味され、かつ明確な悪者と立ちあげられる存在は、国民からの支持も薄い。レノンのことはむしろ歓迎すら受けることだろう。
長く長く続いた不遇が、ようやく表立って報われそうだ。この手のぬくもりがこの先ずっとそばに在り続けることを願いながら、オーフィリナは静かにすこしだけ肩の荷を下ろしたのだった。




