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最後にして唯一の不安要素


 レノンの留学はそれはもうとても平和に、恙なく終了した。


 命の危険も、精神の摩耗も……まあ、違うものはあるにはあったが、あれは愛娘を持つ父親の行動として仕方のない範囲のものではあったし、行き過ぎればすぐさまレアリナかリリアが助けに入ってくれたのでそれはいい。そういう意味ではなく、不毛というか幼稚というか、それでいて絶妙にイラっとしたりぞっとしたりするような精神汚染を喰らうことはなかったので、実にのんびりと生活できた。


 リリアが多方面での研鑽や自分磨きに勤しむ傍ら、レノンとてただ平穏を享受していたわけではない。学院ではよき学びの場、よき交流の場という経験を積め……高位貴族やそれなりに情報に長ける家のものなら決してレノンに不必要な媚を売ったり、邪な感情を向けたりはしなかったのだが、いかんせんリリアとの婚約はまだ表立ってできるものではなかったので、ちょっと学院の方針をはき違えた何人かにふざけた接触をされることもあったが、それはしっかり学院に報告して対処してもらった。

 ゴルトン国王と側妃のはなしは有名だというのに、知らないのか。知らないならそれはそれで問題だが、知っているからこそ自分も……と思う人間もいたのは事実。そうした人物のほうが手痛い目にあったのだが、当然レノンは素知らぬ顔を通した。アライドフィード侯爵家が全面的に協力的だったので、なおのこと。


 ともかく、学院生活は概ねいい経験として過ごせ、その間もゴルトン王国とのやりとりは欠かさない。さらには国は違えど王として立つ存在としての勉強をすこしでも多く積めるようにと、レアリナが家庭教師も用意してくれた。ほかにも、自衛のためやリリアを守るために護身用の稽古をクレイブ主導で行ってもらったし、なによりわずかなりとも時間を取れればリリアと過ごし、親睦を一層深めることもできたのだ。


 充実していないわけがない。


 というわけで、どんどん成長を続けるリリアとともに、レノンもまた自身を高め続け、そうして学院卒業と同時にゴルトン王国へと戻ることになった。それが一年前。それから一年かけて、今度は母や祖父などからゴルトン王国のことを引き継いだ。そのころには()()はほぼ終えられていたので、もはや邪魔になるものなど国王たちくらいしかおらず、ずいぶんやりやすくなっていて助かった。

 あとは最後の片づけを、というところまでようやく辿りつくことができ、ここでやっとリリアとの婚約を表立って交わせたことに安堵する。掃除のおかげか、ゴルトンに戻っての一年、下手にレノンに近寄る不敬者はいなかったし、多くがきちんと察しているおかげでビスタリア側でのリリアに対する求婚者もいなかった。ただそれは結果論なので、いつなんどきリリアに懸想するものが現れないかとハラハラしてしまったのは否めない。たとえ現れたとて、当のリリア本人やアライドフィード侯爵家側が拒否をするだろうとはわかっていても、それでもやはり心配にはなってしまうものなのだ。


 ようやく名実ともにリリアの婚約者を名乗れることになって早々……なんならその前段階からすでに、国王らが余計な茶々を入れてきたようだが、それはもちろん想定済み。

 彼らの動向は逐一報告を受けているし、リリア本人との情報の共有も抜かりはない。

 リリアにはリリア個人の影がついているが、レノンはレノンでゴルトン王国の影をきちんと掌握済みである。リリア個人の影はそれはそれとして、ゴルトン側からも人員を回しているので国王らのことなどすべて筒抜けだ。


 だからずっとリリアに個人的に接触しようとしていることも、その目的もふたりとも把握できている。いや、わかるなというほうが難しいほど単純明快なのだが、それはともかく。わかっていても鬱陶しくて仕方がないということで、リリアが先日彼らの晩餐に呼ばれるふりをしてがっつり釘を刺してきたことも相談、報告済みだ。

 ビスタリア国王には手間をかけて申しわけないが、正式に苦情を受けたと母や宰相らを通してゴルトン国王らに警告をかけたため、彼らには現在リリアへの接触禁止が言い渡されている。もちろん、騎士団もすでにこちらで掌握済みなので、彼らになすすべなどない。


 ……とまあ、ここまできていれば、あとは彼らに引導を渡すだけ、というのが本来なのだが……。



「うーん……やはりなにも出てこないな……」



 影から受け取った報告書を手に、ひとつひとつしっかりとその字を読み込んでなお不審な点がないことに、レノンは首を傾げる。テーブルを挟んで正面に座るリリアもまた、小首を傾げた。



「わたくしの影からの報告にも怪しい点はございませんわ」



 リリアの影は、リリアがこちらに来るまでに主として認められることを条件につけられることになっていたらしい。彼女はそれを見事勝ち取り、こうして影をつれてゴルトン入りを果たした。

 そのひとりがリリアの専属侍女であるササメであることは、レノンも紹介を受けている。けれどそれ以外はひとりとして知り得ない。リリアのために存在し、リリアの不利益になることはしないという存在なのだから、それで構わないとレノンは思う。

 ちなみに、リリアが連れている専属護衛はレノンにとってはおなじ師を仰ぐ兄弟弟子にもなるのだが、彼は影ではない。むしろ彼にはそういったことは不向きだろうと察していた。

 ゴルトン王国の影からも、そしてリリアの影からもなんら不審点のあがらない存在。それが現国王らに引導を渡すうえで最後のネックとなっている存在である。



「……長年ベルン公爵閣下やお義母様が調べ続けてもなにも出ないのですから、もはや白なのではありませんの?」


「うーん、そう思いたくはあるんだけれど……」



 ふたりがいま顔をつきあわせて報告書のチェックをしているのは、ゴルトン王国に属する公爵家、グエンベル家にまつわるものだ。

 グエンベルはゴルトンにある四大公爵家のひとつ。特段現国王のしでかしになんの意も表明していないが、それは彼らの行いを肯定するわけでも、それに追随するわけでもなく、現公爵にしろ次期公爵にしろ、粛々と職務をこなす()に忠実な真面目な存在である。……というのが、周囲の認識であり、かつレノンらの手元にある調査結果。事実、()()の対象とするだけの決定打もなかったために、いまもなお宮中で働いてくれていたりもする。仕事ぶりはなかなかに優秀だとも追記されていた。


 そんなグエンベル家をレノンが気にかける理由はただひとつ。それは彼の家のただひとりの娘にあった。


 ネオーナ・グエンベル。十七歳の、才媛。あまり自己主張はしないおとなしい性格と報告のある彼女は……。


 ゲイル・ゴルトンの婚約者である。



「ですが、ネオーナ様のご婚約は王命でございましょう? グエンベル家の意とは違うのでは?」



 多くの貴族から反感と顰蹙を買った国王と側妃の婚姻。であれば当然、そんなふたりのこどもと婚姻を前提とした婚約なんぞ結びたい家はあるまい。そもそもふたりの子に王位の継承権などないことは前国王との誓約済み。理解していないのか、理解していて足掻いているのか現国王と側妃、そしてその子である当人はあれこれ動いているようだが、それに意味などありはしない。

 良識ある貴族たちはそれをきちんと理解していて近づかないし、そうでないものたちならいまはもう掃除済みだ。ただ当時はまだそうでないものたちもいたし、現在もグエンベル家のように現国王と側妃に関して特段言及をしないものたちもいる。現国王らは、自身らに叛意を抱かないものの中からいちばん地位の高いものを、よりにもよって王命まで使って側妃との子の婚約者に決めてしまったのだ。



「それなのだけれど、こんな大事なことに王命を使うなどと、当時かなり苦言を呈されてもいたんだよ。それでも引き下がらなかったあたり、さすがとしか言いようがないけれど……とにかく、内々にこの婚約はいずれ解消すること、その際グエンベル家の瑕疵には一切ならないよう配慮すること、そしてご令嬢の新たな婚姻も王家のほうで手を尽くすという誓約をするつもりだったんだ」


「つもりだった? では、実際にはされておりませんの?」


「そう。ほかでもない、グエンベル家側から丁重に断られた」


「……それは……」



 確かに、怪しい。

 ゲイルと婚姻を結ぶことにデメリットは多々あれど、メリットなどひとつもないだろうに。



「もしや、ネオーナ様は公爵家で、その……虐げられていたりなど……」


「いや、それはない。むしろグエンベル公爵も、次期公爵である彼女の兄も、彼女のことをとても大切にしているよ。表向きだけかもしれない懸念もあったから、そのあたりも影にきっちり調べさせたけれど、なにも問題はなかった。もちろん、母親との仲も良好だ」


「えーと……では、まさか第一王子様に懸想されていらっしゃる、とか……」



 一応可能性としてくちにはしたけれど、あれはないなと数すくない接触した場面を思い返しリリアは内心げんなりする。親が親なら子も子だろうの顕著ないい例だろう。さして会話らしい会話はしていないが、あれをあたりまえとその場にいるあたり、もはや手遅れでしかないと思えた。



「ふたりは顔あわせ以来まともに会ったこともないらしく、定例のお茶会は第一王子側のわがままで催されることもなく、夜会などはグエンベル公爵令嬢を伴わなければ出席さえできないためにエスコートはするけれど、入場したらさっさと別のご令嬢たちのもとへ向かってしまう。そんな相手に、リリアだったら懸想をするかい?」


「ないですわね」



 はっきりきっぱり。想像以上のドクズだったとリリアの目に軽蔑が浮かぶ。

 王命をもって無理矢理結ばれた婚約だというのに、なんていう蔑ろにしすぎな態度。ネオーナは見目も麗しいまるで人形のような女性なのだが、容姿も中身も完璧すぎて劣等感に苛まれるのだろうというのがレノンの見立てのようだ。たぶん、間違っていない。


 ちなみに、国王はともかく、側妃とその息子に公的行事はもちろん、貴族を招く夜会などの参加権は一切ない。国外の賓客を招く場には彼ら三人がいたら迷惑極まりないので、国王もろともそうした場には参加()()()()処置を毎回とり、国内だけのものならまあ事情を知るものたちばかりなので多少は参加が許されている。

 着飾ることがだいすきな側妃の鬱憤を溜め過ぎないための処置ともいえるが、側妃はもちろん国王がいるからこそその権利を得、その息子はネオーナ公爵令嬢の婚約者であるから権利を得ているに過ぎない。本人たちは気づいていないようだが、それでも第一王子が夜会などに参加する条件はネオーナのエスコートにあることを議会からも厳命されているからそこだけは守っていた。


 守らないならそれはそれで入場拒否されるだけだったので、何度か繰り返して諦めたというのが正しいかもしれないけれど。


 ともかく。そんな第一王子に想いを寄せるなど、天地がひっくり返ってもありえないだろう。リリアとしても可能性のひとつとしてあげただけだが、可能性としてもあり得なさすぎて二度とくちにはすまいと内心で誓う。



「だとするとあとは……神に仕える気でいらっしゃる、とか……」


「そうだね、その可能性はなくはないかとも思うんだけど……。でも、特段熱心な宗教信者というわけでもなければ、のちのちのために寄付をより多く行っているということもないんだ」



 グエンベル公爵家は奉仕活動を行うほかの貴族たち相応の活動を行ってはいる。それを行っているというだけでも評判はいいが、だからといって飛び抜けて評価を受けるほどではない。修道女を目指しているようには思えなかった。

 特に現国王に沿う意思や言動を見せるわけでもないが、だからといって彼らに叛意があるわけでもなさそうなグエンベル公爵家の意図はどこにあるのか。読めないからこそのちのち背後を突かれるようなことにならないよう最大限の警戒をしているのだ。



「……とにかく、もうすこし調査を続けてみるよ。リリアも、念のためグエンベル公爵家の関係者には気をつけてくれ」


「かしこまりました」



 気にしすぎではないかとも思えなくはないが、それだけグエンベル公爵家の権力は強いという証左でもある。現国王らはもはや脅威にすらなり得ないが、うしろにグエンベル公爵家がついてしまっていては問題だ。

 最後の掃除を恙なく終了させるためにも、念には念を入れておきたいレノンの考えを、リリアが否定することはない。

 もうすこしあれこれと別のことも含めはなしあいをしたあとは、しばし婚約者同士のゆったりとした時間を過ごし、リリアは部屋をあとにするのだった。




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