背中を預けられるのは
なにをしていいかわからない以上焦りもうまれるが、なにをしていいかわからない以上なにもできないのも事実。できないなら仕方ない。リリアはできることにこそ目を向け、必要な努力を続けるのみ。
こういうとき、幼少時に助けた人間が、とか、友人のように親しく接していた侍女が、とかなることもありがちだということはリリアの知るところではないし、リリアに手足となってくれる不遇な少年少女を拾ったこともなければ、生粋の貴族令嬢である以上、守るべき主従の一線も守っている。もちろん、主側であることには違いないので、横暴に振る舞ったり、理不尽な要求をつきつけたりなどしなかったし、できるだけ仕えてくれるものたちが働きやすい環境を維持できるよう配慮もした。まあ、それも主には母の仕事なので、リリアはその邪魔をせず、自分にできる範囲のこころがけをしたくらいなのだが。
友人、にはなれずとも、主従として親しくはできる。暗部云々は置いておいて、リリアにも相談ができたり愚痴をこぼしたりできる使用人はいた。というよりも、アライドフィード侯爵家の使用人はみな気のいいひとたちだらけなので、彼らが働きやすい環境を侯爵一家が築くようこころがけているように、彼らもまた侯爵一家が過ごしやすい環境をつくるようこころがけてくれているのだから、主従関係が悪くなりようなどなかったのだ。
「ねえ、リリア。影はともかく、あなたがゴルトン王国に赴く際、追従してくれる侍女と護衛を選ぼうと思うのだけれど、あなた本人が希望する人物はいるのかしら?」
リリアがゴルトンに向かうのは、レノンが学院を卒業して先にひとり戻り、そうして婚約を結べるだけの地盤が表面上でも調ったら。それを調えるための先行期間がレノンの留学中なのだが、それはともかく。正式に婚約を結んだら、リリアは婚姻までゴルトンで過ごすことになっていた。
表向きは、かの国に慣れるため。実際の大目的は、最後の大掃除を終えるため。その大掃除のための手札を揃えているのが現在である。
リリアがゴルトンに向かうのは正式に婚約をしてからとなるとはいえ、さすがに大人数の従者を連れてはいけない。影の存在の目途が立てば内密に連れていく人数は増えるが……レノンたちにはさすがに伝えるが、多くが知る存在にはならない。表立って連れていくのは侍女と護衛一名ずつくらいがいいだろう。
掃除対象の警戒心を無駄に高める必要も、ゴルトン国側に不要な不安を与える必要もない。必要な侍女や護衛はあちらの国からつけてもらえる人材で足らすべきだ。
「それはお母様の差配にお任せするべきではありませんの?」
侯爵家で要する人材と、国を跨いでまで、苦労を強いるだろうことも見えている場所にまでついてきてもいいと本人が望むか否かも関わる。リリアの個人的要望を通していい問題ではないだろう。
「ええ。わたくしのほうで調整が必要なのは事実です。けれどあなたの希望をまったく聞き入れない理由もありませんわ。あなたの身を守り、あなたとともに彼の地で戦う重要な人材です。よくよくお考えなさい」
「……わかりました。ではすこしお時間をくださいませ」
そうこたえて礼を残し母の前をあとにしたリリアは、母のことばを脳内で反芻する。
ともに、ゴルトンで戦う存在。
そう考えたときに真っ先に浮かぶのは当然レノンだ。レノンの隣で、レノンとともに戦うためにいまリリアが努力を積んでいるのだからあたりまえだろう。
けれど確かに。リリアが彼の地でレノンのちからになるためには、リリアだけの能力では賄いきれるはずがない。リリア個人の目や耳だけで拾えるものなど限られるし、伸ばせる腕の範囲だってまた然り。漏らすべきでないものを漏らしてしまってはレノンとともに戦うどころではない。足手纏いになってはならないし、彼の隣を歩めないようでは意味がないのだ。
気負うわけではない。自分の価値を狭めるわけでもなく、それはただ、リリアの矜持。レノンを愛する自分として、こうありたいと望む先。
だからそのために必要なものはきちんと揃えなければならない。レノンとともに戦うのは当然。けれどそのための同士は、レノンだけで足りるものではない。
多くの目、多くの耳。多くの手足。ひとつの国を相手取り戦い、その後治めていくのであれば、ふたりだけで事足りるはずがないのだ。足らせていいはずもない。
わかっていたはずで、その重要性も学んできたはずで、だというのにリリアの視界にはいつだってレノンしかいなかったのだと、母のことばにはっとした。そんな視野狭窄でどうするのだ。ひとひとりが成せる限界を想像もできずして、国を治める片割れになれようはずもないというのに。
思い上がりともいえる自身の認識の甘さに、リリアは内心で自分を叱咤する。母はきっと見抜いていたことだろうと思うと、自分のあまりの幼さにも羞恥した。……実際、まだ幼いのだからというのはリリアにとって言いわけにしかならない。そんな言いわけで足を止めるくらいなら、レノンへの想いなど早々に断ち切れていた。
軽く深呼吸をして、気持ちを切り替える。時間は有限。無駄にはできない。
リリアは手近にいたメイドに目的の人物に自室へ来るよう伝える指示を出し、部屋に戻った。
そうしてさほど待つこともなく、呼び出した人物はリリアの部屋へと訪れる。
そう、彼女はいつだって、リリアを待たせるようなことはしないのだ。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ええ、あなたに個人的なおはなしがあって呼びましたの」
肩のあたりで切り揃えられた栗色の髪。すこしばかり切れ長気味のはちみつ色の双眸。身につけた制服からもわかるように、アライドフィード侯爵家の侍女のひとりである彼女は、名をササメという。高位貴族家としては珍しく、アライドフィード侯爵家には出自不明の平民の使用人が割と多く、彼女もそのひとりだった。以前母に尋ねたところ、能力を重視しているのだそうだ。
実際、呼び出したササメの働きぶりも素晴らしいもので、それも彼女を呼び出した一因である。
「お茶のご用意をいたしますか?」
「いいえ、あなたとおはなしをしたら次へ向かうので、いまは不要よ」
「かしこまりました」
きっちりとした角度で礼をするササメは、あまり表情を動かさない。けれどいつも無表情というわけではないことも、リリアは知っている。
「さきほど、お母様から専属の侍女と護衛についてのおはなしがありました。どちらも一名ずつ。いずれわたくしがゴルトンへと向かう際にもついてきてもらうことになるでしょう。その後は、いつこの国へ帰ることができるともしれません。……わたくしは、ササメ、あなたにその侍女を担ってほしいと思っていますの」
母国を離れ、慣れぬ土地でもしかしたら一生涯を過ごすことになるかもしれない。むしろリリアの専属ということはその可能性こそ高いだろう。つまり実質、その生涯を捧げろと言っているにほかならない。
リリアはいい。自分の想いと覚悟をもって決めたのだから。けれど彼女に従わねばならない人間はどうか。リリアの一存で、自分の人生を変えられてしまって本当にいいのか。
断られても仕方のない案件。けれどリリアは自分とともに、自分の両手や耳や目を補ってともに戦ってくれる存在として真っ先に思い浮かんだのはこのササメだった。
確か、いまの彼女の年は十四。リリアが産まれたころにこの侯爵家に拾われた孤児だったと聞いた。孤児ゆえに本当の年齢も誕生日もわからないということで、年齢は推定、誕生日はリリアの母であるレアリナが決めたそうだ。
年の近い使用人も何人かいるし、リリアとのつきあいが長い使用人もササメ以外にもいる。けれどリリアは、自分の傍らに控えてくれるのは彼女がいいと思った。
「……僭越ながら、理由をお聞かせ願えますか?」
「ゴルトン王国についてはあなたも知るところでしょう。わたくしが、レノン様が、そこでなにを成さねばならないかも。そこで母に訊かれたのです。ともに戦うのなら、だれがよいのかと」
はちみつ色の双眸が、ただまっすぐに見つめてくる。従者としてそれは正しいとは言えないけれど、リリアに咎める気などさらさらない。
見定める権利は、彼女にこそあるのだから。
あなたの人生をください。過言ではなくそう告げる以上、リリアは真摯にササメと向きあう。それが主として酷ともいえる願いをくちにする誠意だと思った。
「正直、母にそう問われるまで、わたくしはともに戦う存在としてレノン様しか認識しておりませんでしたわ。レノン様との未来のために、ふたりで戦うのだと。……ふたりきりでなにができるというのか、考え至りもしない未熟者でしたの」
そもそもすでに多くの手を借りているというのに、傲慢も甚だしかったといまになって思う。努力は確かにリリア自身の手によるものだが、その努力ができる環境を用意してくれたのはだれだ。手を貸し、導いてくれたのはだれなのか。
理解していないわけではなかったはずなのに、認識していなかったことを思い知り、リリアは自身の愚かさに気づいた。
それを包み隠さずササメに伝え、それでも侯爵家の娘として、毅然と胸を張り続ける。
「自身の至らなさに気づき、それから思い浮かべましたの。わたくしの背を預けるに足る存在を。わたくしの道をともに歩んでくれる存在を。……すぐに思いましたわ。それは、あなたがいいと」
幼いころからそばにいて、リリアのことをよく知ってくれているから。それもある。
仕事ぶりがしっかりとしていて、真面目で誠実だから。それもある。
リリアの相談に乗ってくれ、ときにアドバイスを、ときに慰めをくれ、親身になってくれたから。それだってある。
それは侍女としてとても優秀である理由にはなるだろう。けれどそれだけなら、ほかにあてはまる侍女はこの侯爵家にほかにもいる。
侍女としてだけではなく、ともに戦う存在として。そう考えたときにササメでなければと思ったその理由は。




