魅る
三題噺もどき―ひゃくさんじゅうろく。
お題:棒高跳び・コーラ・レモン
『頑張れー!』『ファイト!!』『ラストー!』『次!』『切り替えてこー!』『頑張れ!!』『頑張れ!!!!』
様々な声援が、口々に叫ばれている。そのほとんどは客席からのもの。その次にベンチからの応援という所だろうか。
「……」
痛いほどの日差しの中。それ以上に痛く刺さる視線の中。
彼らはこれまでの積み重ねを無駄にはしまい、と必死にもがく。
―陸上競技場の中は、彼らの熱意と、応援団の熱気で、体感以上に暑く感じた。
「…あつ…」
今私は、目の前で行われている競技に、目を向けてすらいない。
正直もう、暑すぎてそれどころではない。そもそも、用事がなければこんなところにも来ないし、もういっそ外にすら出ない。
ならば、なぜ、こんな、望みもしない、この場に居るのか。
「あ、次だよ、次!」
「ん…うん…」
見えにくいだろうと、ぐいと立ち上がるように促される。
ただでさえ、制服なんかを着ていて暑さが増しているのに…立ち上がったら影がなくなってしまう…。
そんなことを考えながらも、促されるまま、身体を起こし、重い腰を上げた。
「ほら、あそこ!!」
刺された先には、私の通う学校名が書かれたゼッケン。それを胸に掲げ、いざと、何やら準備をしている、一人の選手。そのほかにも、同じゼッケンを掲げている選手は点在している。
「……」
つまりは、まぁ、「三年生は、もう体育の授業もそこまで急いて進めるものもないし、丁度いいタイミングで、陸上部が大会出場したから、みんなで応援にいこう」という教師の計らいである。
体育は嫌いなので、授業がなくなること自体はありがたいが。それはそれで、座学でもいいだろう、という私である。
なぜこんな暑い中、外に出て、応援なんかをしないといけない…。しかも知らない、名前なんて聞いたことにないやつの。
「――かっこいいよねぇ!」
「んー、そうねー」
目的がもう既に違う友人のセリフに、適当に返事をする。すでに思考は回っていない。だいぶ前から。
友人の言う、その人は、聞くところによると、それなりの有名人らしい。特に同級生の女子の間では大人気だそうだ。名前を知らない人は居ないとか―私は寡聞にして知らなかったけど。クラスも違うし、部活も当然違う。まして、男子に興味がないし、色恋沙汰のあれこれをもう、不要と見限った。
「まだ走りはしないんだね」
「そうみたいだね」
ただ準備運動をしようとトラックに出ただけだろう。それだけでこの色めき。
全く、有名人というのは一挙手一投足が注目されて、息をつく間もなさそうだ。
「……」
とうに、そちらへの興味はなくした私。立ったついでに、トラック内に視線を走らせる。いくつかの競技はすでに始まっているようだ。
「……」
その一つに、目が止まった。
ひときわ目立つ、大きな高い二本の棒。その上には、一本の棒が横に置かれている。その下には見たこともない大きさの凹形のマットが置かれている。
少し先に視線を移せば、身長の倍以上もあるように見える長い棒を持っている人が立っていた。
「…ぼうたかとび……」
というのだったか。
助走をつけ、足のばねと、棒の反動で飛び、どこまで高く飛べるかを競うもの…だったか?あまり知識がないものだから、曖昧もいい所だ。
「……」
なぜか、そこに、目が縫い付けられた。
他がまだスタートしているようでしていないような雰囲気だったのもあるのか。
ひどく、視線が、惹かれたのだ。
―聳え立つ巨大な壁に、挑もうとする、1人の選手に。
「……」
プーという機械音と共に、その人は助走を始める。
踵から、一歩、また一歩と、地面を踏みつけ、スピードを上げていく。
手に持つ、その棒の先を、突き刺す。
踏み切る。
同時に、棒を押し、その反動に乗る。
高く、高く跳ね上がる。
美しい曲線を描き、ひらりと、あっという間に飛び越える。
マットに降り立ち、どこかまだ余裕の残ったような表情で、その場から離れる。
しかし、気は抜かず、張り詰めた空気はそのままに。真剣な表情で、冷静でいる。
ハタ―と流れる汗を、手の甲で拭い、ふっと一瞬息を吐く。
「……」
知らない人だ。
学校の生徒でもない。
―けれど、なぜか、目が離せなかった。
「……」
ほんの数秒前より、体温が上がったような気がした。顔も暑い。全身が発熱しているようだった。喉の奥に、甘いようなすっぱいような―まるでレモンを口に入れたときのような、不思議な感覚があった。
「……」
それ以上に、心臓の音が、酷くうるさかった。
「どうしたの?」
「――いや」
いぶかしんだ友人に声を掛けられるまで、その人から目が離れなかった。
「―ちょっと座る」
「うん、無理しないでね?」
「ん、大丈夫」
見えないように、影の中に入るように、座る。
自分を落ち着かせるように、お気に入りのコーラを口に含む。
「……」
暑さでぬるくて、炭酸もほとんどぬけていた。
ただその甘さだけが、喉に絡みついて、仕方なかった。