エピローグ
『南北戦争』はライラック王国側の勝利で幕を下ろした。
自国の兵士の活躍あっての勝利ではあるが、野良として突如参戦してくれたカルアの存在がかなり大きかったという。
今度、カルアは王城に呼ばれて褒賞を与えられるらしい。
そして、巻き込まれてしまった教会の派閥問題であるが、その後教会は一つに纏まった。
聖女の暗殺を企てたことが明らかとなり、信徒からの反感が増え、均衡していた天秤が一気に崩れたのだ。
それ以上の情報は知らない。『裁定派』の大司教は責任を取られたのか? 何事もなかったかのように『保守派』が統治し始めたのか?
気にならないと言えば嘘になるのだが、これ以上首を突っ込みたくないフィルは聞かなかった。そもそも部外者だし、と。
聖女の来訪から始まった今回の一件。
無事に幕を下ろすことはできたのだが―――
「もしかしたら、さ……俺ってば馬鹿なのかもしれない」
フィル・サレマバートは涙を流していた。
いつもの執務室。ソファーで膝を抱え、フィルはズボンを濡らす。
カルアはそんな主人にため息を吐きながら、持って来た紅茶をテーブルの上に置いた。
「そんなの今に始まったことじゃないわよ。ほら、涙拭いちゃいなさい」
「メイドさんが冷たい……励まそうという労い精神をもっと極めてほしいけどありがとう」
カルアから渡された布巾で涙を拭うフィル。
それでも、悲しみから生まれる涙は止まってくれなかった。
無事に解決できた、ミリスも救うことができた。
よかったじゃないか。何も悲しむことはない。
でも、フィル・サレマバートは悲しみの泥に嵌まってしまっている。
……一体どうして?
そこで思い返してみてほしい、フィルがどんな格好をして戦場に現れたのかを―――
「素顔のまま戦場に行ってしまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
そう、普段着のまま戦場に行ってしまったのだ!
『影の英雄』の証である黒装束と無柄のお面をつけないまま!
フィルが『影の英雄』の魔術を使っていることは周囲に見られている。加えて、聖女と一緒に帰っているところも目撃されてしまっている。それも大勢に、だ。
そうなればあとは幼子でも容易に想像がつくだろう。
つまり―――
「もう言い逃れもできないわよね」
「ちくしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
人の口に戸は立てられない。
ただでさえ止められていない噂は、信憑性と証言だけ散りばめて広がっていく。
もう、どう足掻いてもフィルが『影の英雄』ではないと否定できないだろう。
だからこそどうするべきか。机の上に盛られる、『南北戦争』が終わってから止まらない会談予約と縁談、パーティーの招待状の山を。
『南北戦争』が終わって一週間───これは、その間に届いたもの達だ。
それを見て、フィルはさめざめと泣いた。
「こ、これはもう噂の広がっていない国外に家出するしか……ッ! マイライフを維持するには、お荷物纏めて感動の別れ演出が必須だ!!!」
「はいはい、馬鹿なことを言わないの。あなたがいなくなったら誰もこの領地を治められなくなっちゃうんだから」
「そこはほら、ザンっていう超優秀なマイブラザーが―――」
「優秀に見える?」
「……角度と瞳を入れ替えたら見えるんじゃないかなぁ? きっと、恐らく」
口ではあーだこーだ言っていても、結局は貴族として離れることなど不可能。
要するに、フィルはカルアの言う通り諦めてお縄について人から称えられることを容認しなくてはならないのだ。
「……まぁ、この件は後程じっくりと打開案を探ろうじゃないか」
「答えは出ないと思うけどね」
「それより―――」
チラリと、フィルは視線を横に向ける。
具体的に言えば、先程から腕の自由が利かない方向へと。
「フィルく~ん♪ えへへ、フィルく~ん♪」
「さしあたっては、この聖女をどうにかする方法を考えようじゃないか」
自由の利かない腕には、温かくも柔らかい感触ががっしりと伝わっている。
それどころか仄かに香る柑橘系の香りが鼻腔を擽り、プラチナブロンドの髪と白に合わせた金銀の装飾が煌びやかに輝いて少し目が痛い。
プラスで、終始聞こえてくる甘え声。頬ずりも更にプラスだ。
フィルは大きなため息を吐いた。
どうしてこんなことになっているのか? と。
まぁ、単純な話ではある───あの一件でキラがフィルに懐いた。それだけだ。
「どうしよ、カルア。俺は大きな子猫を拾ってきたみたいだ。これは拾い主として三度の食事にお昼寝とおやつを進呈して面倒を見なきゃいけないのかな?」
「……知らない」
「どうしてそこでそっぽ向いちゃうのカルアさん? ねぇ、今回に限っては俺が悪いわけじゃないよね!?」
「私はフィルくんの子猫~!」
拗ねたようにそっぽを向いてしまうカルア。
俺は悪くない―――そう口にしていたが、カルアとしては「あなたが悪い」の一点だ。
すぐに変な女の子ばっかり助けてたらしこんで、と。恋する乙女に対しては最大級の禁忌を犯している。
「あのー……キラ様? いい加減、離れてくれないですかね」
「えー、嫌っ♪」
「ほら見ろ、俺にはどうすることもできないじゃないか」
「死ねばいいじゃない」
「おう、まさかの存在抹消で問題解決を図るとは思わなかったぞ。さては君、問題解決は数式を用いず答案用紙を見ちゃうタイプだな?」
カルアはどこまでいっても辛辣であった。
まぁ、当然かもしれない……想い人が先程から目の前でイチャイチャイチャイチャしているのだから。
「キラさんっ! 早く出発しないと巡礼が遅れてしまいますよっ!」
その時、勢いよく扉が開け放たれた。
そこから現れたのは、小柄な体躯と愛くるしい顔立ちが目立つミリスであった。
「ここにはフィル様にお別れのご挨拶をしに来ただけなんですから……って、だから離れてくださいキラさん!」
そして、ズカズカとキラの下まで近づくとそのままフィルから引き剥がそうとする。
しかし、非力な少女が魔術でアシストを受けているとはいえ大槌を振り回す少女を引き剥がせるわけもなく、まったくピクリとも動かなかった。
諦めたミリスは大きなため息を吐くと、そのままソファーを回って《《フィルの膝の上に腰を下ろした》》。
「フィル様すみません……うちのお姉ちゃんが」
「え、めちゃくちゃ普通に話しかけられてるけど、自分を棚に上げようとしてないこれ?」
ちゃっかりフィルとのスキンシップを図ってくるミリス。
自らの図々しさも華麗にスルー……これは中々できる所業じゃなかった。
「し、仕方ないんですっ! キラさんが離れようとしませんし、ずっと立っているわけにもいかなかったですし!」
「いや、横に座ればいいだけでは—――」
「それに、もうしばらく会えないですし……」
ミリスの滞在はあくまで身の危険が去るまでの一時的なものだ。
派閥争いというものがなくなってしまえば、フィルの屋敷にいる理由もなくなる。
だからこそ、ミリスは聖女としての役目に戻らなくてはならなかった。
本人の希望としては残りたいの一点ではあるが、寄り道が多くなってしまった分は取り戻さなくてはならない。
「というわけで、しばらくこうさせてくださいっ!」
「しばらくって、そろそろ行かなきゃいけないんじゃなかったんですか?」
「キラさんが離れるまでストップです! 私にはどうすることもできませんので!」
「カルアー! ちょっと引き剥がすの手伝ってくれないー? このままじゃ、巡礼各所に妬まれるビジョンが見えるんだけどー!」
「……ズルい」
「こっちが先に妬んでる!?」
腕から抱き着いて離れないキラ、膝の上に乗ってスキンシップを図るミリス、近くでアフターケアが必要になるぐらい拗ねているカルア。
中々カオスになっている現状に、フィルは天井を仰いだ。
「もう、色々とおかしい」
もし、フィルが『影の英雄』だと正体がバレなければ、きっとこのようなことにはならなかっただろう。
今頃、カルアと二人でのんびりとしたスローライフを満喫していたのかもしれない。
だが───
「どこに行ったの、俺の自由ちゃん……」
これはそういうお話。
人々を影ながら救ってきた英雄の正体がバレてからの、ちょっとした物語である。