歪んでいた自分は
「フィル様!? フィル様っ!」
ミリスは目の前で起こった光景に焦燥が隠し切れなかった。
何せ、庇おうと立ち塞がったはずなのに自分が庇われ、そしてフィルの腕が大槌によって吹き飛ばされてしまったのだから。
目の前に立つフィルは腕から大量の血を蛇口を捻ったぐらいに流している。
止血するような素振りを見せないのは、押さえた程度で止まらないと分かっているからか。
とにかく、ミリスは慌てて治癒の力をフィルに施した。
「お、おぉ……これが噂の聖女の癒し。いくらお布施を払えばやってもらえるんだろうね。末代まで自慢できるぞーい」
「お布施なんかなくてもいくらでもしてあげますっ! そ、それより腕を……ッ!」
やはり聖女というべきか。
どういった原理でどういった方法を使えば、血を垂れ流している腕の傷が塞がっていくのか?
更には、徐々に肩口から腕らしきものがゆっくり伸びて……いや、生えてくる。
結構絵面が酷いなと、フィルは苦笑いを浮かべるのであった。
一方で───
「あ、ぁ……」
キラ・ルラミルは大槌を落とした。
激しい後悔に苛まれているのか、口元を押さえて遠くで転がっている腕を見てわなわなと震えている。
───キラが今まで人を殺しても何も思わなかったのは、単に殺してきた相手が明確な悪だったからだ。
憎悪に似た正義の前では、躊躇も同情も湧かない。
遮る感情など生まれるわけもないし、殺したところで後悔に苛まれることなどなかった。
しかし、今回ばかりは違う。
正義を維持するために人を殺そうとした。
初めはよかったのだ……これこそが正しいのだと、悪人を殺すために必要なのだと、頑固たる目的にに後付けの理由を付け足せたのだから。そうして自分を正当化できたからミリスを殺そうと、フィルを悪人だと認知できた。
だが、最後の光景が両親の死に様と重なってしまったため、激しい感情が濁流のように襲いかかってきてしまったのだ。
───これは違う、と。
こうなってしまえば、キラはどうしようもない。
初めて自分で自分の目的を否定してしまったのだから。
故に、キラは呆然としたまま戦場に膝をついた。
血と砂で汚れた修道服を更に汚すかのように、尻をつけて膝を抱える。
「私はダメだよ……」
もう揺らぐ行動指針を掲げて正義を振りかざすことなどできやしない。
妹のように可愛がってきたミリスを殺そうとした事実がある以上、どう足掻いても元には戻れないから。
「……キラさん」
膝を抱えてしまったキラに、ミリスが声をかける。
そして、キラと同じ視線まで合わせるように己も膝をついた。
「……無理だったよぉ。私は無理だった、フィルくんの言葉を否定できない」
否定してしまえば、命懸けで守ってくれた親を否定してしまうような気がして。
ここでフィル達を殺せば、きっと歪んだ自分の唯一の芯が崩れるような気がして。
「間違っちゃいけないのに、間違ったら誰も救えないのに……ここで『裁定派』がなくなっちゃったら、もう悪人を殺す大義がなくなっちゃうって分かってるのに、もう私は大槌を握れないよ……」
キラの瞳から涙が零れる。
激しい後悔と、ブレてしまった自分と、目の前にいる少女に対する罪悪感が、体に現れた。
「私はもう、《《聖女じゃない》》……ッ!」
戦場だからこそ響く嗚咽。
様々なことが起こるからの戦場であれば、誰かが涙を流すことなどよくある話だ。
それでも、相手が少女でなければ。
歪んでいても一人の女の子でなければ、戦場という景色に紛れたかもしれない。
そんな似合わない光景を見せたキラを、ミリスはそっと優しく抱き締めた。
「大丈夫ですよ……はい、キラさんは大丈夫です」
そのまま、ゆっくりとプラチナブロンドの髪を撫でる。
「少し道を間違えちゃっただけなんです。誰かを確実に助けたいって思ってたから、間違えないよう分かりやすさを選んできただけなんですよね」
話し合うより、殺してしまえばいい。
それで不幸が晴れるなら、そっちの道を選んでいこう。
全ての根源は「他者を想う心」に他ならないのだ。
ただ、分かりやすい選択を知ってしまったからというだけ。
「キラさんが優しい人だって知ってます。私よりも誰かの幸せを願っているのだって知っています。同じ聖女ですもん、それだけは知ってます」
「でも、私は……」
「私を傷つけようとしたことですか? 怒っていないと言われれば否定します。怒っています、でもそれ以上に───キラさんが《《戻って来てくれて》》よかったです。今回は、それでいいじゃないですか。もちろん、フィル様には謝ってくださいね? 迷惑をおかけしたら、謝るのは当然ですっ」
「ッ!?」
何に対して「よかった」と言ったのか? 誰かが聞いていれば首を傾げていたのかもしれない。
でもきっと恐らく……ちゃんとキラには伝わったのだろう。
その証拠に、キラの嗚咽は徐々に強くなっていったのだから。
「誰かを救いたいって気持ちは大層なものだと思うよ。勝手に自由に生きている俺だからこそ、他人慮る気持ちを持つキラはすげぇって素直に尊敬する」
フィルがゆっくりとキラに近づく。
肩口からは、失っていたはずの綺麗な白い肌が露出していた。
流石にちぎれた服までは元には戻せなかったのだろう。だがそれでも凄い治癒だ。
「けど、別に「正義」なんてあやふやなものに惑わされなくてもいいと思う。確実に救えるからって自分が手を汚さなくてもいいはずだ……そういう派閥にすがらなくても、絶対に大丈夫だよ」
「でも、それだと救えな───」
「だから、お前が手を汚す必要なんてないんだ。そういうのは、清くもなんにもない男の役目だ。男って基本的にどこに行っても汚れて帰るだろ? 泥遊びするのは大抵男だけだ。女の子は「仕方ないな」って言って玄関先で迎えてくれればそれでいいんだ」
だから、と。
フィルは顔を上げたキラの顔を覗き込んだ。
そして───
「全部俺に任せとけ」
「ッ!?」
「救いたい人がいるなら俺を呼べ。幸せにするために悪人を倒さなきゃいけないんだったら、俺が拳を握ってやる。もう、汚れて正義を振りかざすのはやめちまえ。善人を殺そうとした派閥なんて、見限ってしまえ。そうすれば、お前は救われる」
キラの目的を、背負うと口にした。
胸の内に込み上げてくるものを感じた。
否定されたわけでもなく、肯定され継いでくれる。
これ以上の重荷を、堂々と口篭ることなく口にしてくれた。
だからこそ思う。
「どう、して……? そこまでしてくれるの?」
「は? そんなん、決まってるだろ?」
思っていたが、フィルはそれを笑って一蹴した。
「それが《《自由》》ってやつだ。目の前にいる女の子が正義なんてあやふやなものに縛られずに生きてほしい───かっこつけたい男の、単なるお節介だよ」
あぁ、ダメだ。
これはもう……抑えられない。
キラはフィルの笑みを見て、更に涙を流した。
ミリスの温もりを感じながら、歪んでいた自分を吐き出すように。
これも戦場に似合わないものだろう。
「う……ぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
少女の泣き声が、響き渡る。
戦場にいる誰もが、その泣き声を止めようとはしなかった。
「ほら、結局誰も殺さず話し合いで終わったじゃないか」
そして、フィル・サレマバートもまた───優しげな瞳で、泣いている少女を止めなかった。