南北戦争②
ライラック王国国境、後方に位置する要塞のような砦の中、壮年の男性は一人唸っていた。
「状況から判断しても優勢……じゃが、攻め手にかけるのぉ」
会議室のような一室にて、周りに多くの部下が鎮座する。
壮年の男性はどこか貫禄を感じるが、楽観したような緊張感に欠ける声音によってあまり威厳は感じられない。
それでも、周りの部下は下に見るようなことはしなかった───一言一句、壮年の男の言葉に耳を傾けている。
「なにぶん、向こうも魔術師を出してきています。それだけ本気ということでしょうが、それでも優勢に変わりありません───時間の問題かと」
「そう言って、結構な日数が経っとるがのぉ? わしが何日熱々のお風呂に入っておらんと思っておる? まぁ、それに関しては些事じゃがな」
「些事と仰っている割にはかなりの頻度で愚痴が飛んでおりますが……まぁ、その話は置いておきましょう。陛下の言う通り、時間の問題から何も進んでいないのは確かですし」
纏めましょう、と。
男の傍にいる一人の部下が壁に貼り付けた紙を指さす。
「現在、戦場は大きく分けて三箇所。国境西方面、中央方面、東方面───第一王女殿下率いる兵は東側を担当しており、損耗は二割、対して向こうは六割を超えている見積もりです。先程、二人の魔術師を撃破したと報告が上がってきております」
「流石はリゼじゃのぉ、魔術師を倒しよったか。まぁ、どれほどの強さかは分からんが、武に長けた奴じゃ」
「第一王女殿下も魔術師の筆頭ではありますからね───そして中央方面、王国騎士団を中心とした兵の損耗は三割、敵は恐らく五割。聖女様が兵を治してくださったことがこうを成していますね。魔術師がいないにかかわらず善戦しております」
「となれば、問題は───」
西方面。
会議室で、どこかの誰かがそう口にした。
「敵兵が少ないからといって薄くしすぎたかのぉ? 西側は魔術師もおらんし、精鋭が集まっているわけでもない」
「とはいえ、損耗は四割に留めております。順調に押しているらしく、こちらもまた奮闘してくれているのでしょう。しかし、懸念は現状確認できている魔術師です。西方面に一人……まだ動きこそありませんが、動いてしまえば西方面は瓦解してしまう恐れがあります」
「増援を送るとなれば、西方面か? しかし、増援といっても……」
「どこから送ってもらう? 一番近いのはギーゼル子爵だろうが、そこまで騎士を抱えているわけではないだろう。他に頼むとしても、今からでは遅すぎる」
戦況は優勢。
にもかかわらず苦悩しているのは、一重に攻め手に欠けるからに他ならない。
時間の問題からかなりの時間が経っている───それでも落とし切れないのは、向こうの粘りが強いからか。
何か一つでも崩せれば、敵は総崩れとなるだろう。しかし、せっかく優勢でバランスが取れている現状で、別の方面から援軍を出せば逆に一点を攻めかれない。
皆もそれが分かっている。
だからこそ、現状の理解という名目での先延ばしをするしかなかった。
その時である───
「失礼します!」
会議室に、一人の兵士が現れた。
「何事だ? 今は軍議中だぞ?」
「急ぎ、ご報告することがあります!」
軍議に割り込むほど重要なことなのか?
皆の顔に緊張が走る───もしかして、悪い方面に話が進んでいるのではないか? と。
そして───
「西方面、戦況が覆りました! 現在、敵陣地へと大量の自兵が総攻撃を始めたもよう!」
「なんじゃと!? それは闇雲の突貫というわけじゃなかろうな!?」
「いえ、以前優勢は変わりありません! 西方面総隊長が好機と判断したとのことです!」
会議室がざわつく。
一番苦しい場所が好機の状況に移った。
今までこうはならなかったはずなのに、一体何があったのか?
それが不思議でならなかったが、次の兵士の言葉が更に疑問を膨らませる。
「我が軍に加入した少女が、戦場を混乱させたとのことです!」
「少女……? それは味方か?」
「恐らく間違いないかと。隊長の話によると、その少女は自国の民───カルア・スカーレットだそうです!」
「「「ッ!?」」」
その言葉は部下の面々を驚かせるには充分だった。
公爵家の令嬢の名前を知らない者はいない───更に、最近社交界から姿を消し、一人の男に仕えたという話は話題性含めよく耳にした。
そんな少女がどうして戦場に? そもそも、戦場を荒らすほどの力を持っていたのか?
疑問は更に高まるばかりだ。
しかし、壮年の男だけは静かに息を吐く。
「ふぅ……カルア嬢が現れただけで変わるとなると、彼女は魔術師だったということじゃろうな。どうしてこの場に現れたか分からんが、カルア嬢が敵とは考えにくい。プラスに考えてもよいのぉ」
「はっ! 現在、カルア・スカーレットは一人の魔術師と交戦中とのことです!」
「なるほど……崩れたタイミング、そして警戒していた魔術師が他所で戦ってくれるなら攻められる。そう考えての判断ですか」
「娘が戦場に現れたと知れば、わしはレイスにドヤされるかもしれんのぉ。戻ったら特注の甲冑でも用意した方がよさそうじゃ」
それでも連れ戻せとは言えない。
戦場という場所で、有益な駒が活躍しているのであれば引き下がらせるという愚策は使えない。
貴族であろうが、多くの命が天秤にかけられている以上、戦ってもらわないと損害になり得る。
今現在、好機と判断し攻め込んでいるのであればなおさらだ。
そして───
「……となると不思議じゃな。カルア嬢がこの場にいるということがおかしいのぉ? 目的はなんじゃ? もしや……主人も、この場に来ておるということか?」
カルア・スカーレットが仕えた主人。
それはサレマバート伯爵家の嫡男である少年だ。
その人間が戦場に赴いているとなれば、メイドがついてくるのも道理が立つ。
「もしや、噂は本当なのでは? 『影の英雄』が戦場に来たことは何度も。自国の兵を助けるために足を運んだという可能性も……」
「あるじゃろうな。『影の英雄』は必ず《《人助け》》をするために現れる。そう考えるのが自然ではあるのぉ」
そう納得した最中。
会議室にもう一人の兵士が入り込んだ。
「ご報告しますっ!」
「今度はなんじゃ?」
「西方面にフィル・サレマバートが現れました! そして───」
焦ったように、現れた兵士は語る。
「支援を受けていた教会の聖女、キラ・ルラミルと交戦中! 西方面の戦場を荒らしております!!!」
「なんじゃと!?」
それはカルアが『南北戦争』に現れた時よりも衝撃的で。
会議室にいる誰もが驚きを隠せなかった。
教会の好意によって参加してくれた聖女。
教会でも高位の立場におり、国全体としても無視ができない存在を相手にしている。
普通であれば、まず聖女に手を出そうなんて考える人間はいない。それは極限まで登った馬鹿のすることだ。
それでもフィル・サレマバートは交戦している。
『影の英雄』が現れる時は、必ず人助けをすると決まっているのに、だ。
何が起こっているのか? そもそも、聖女は『影の英雄』と呼ばれる魔術師と交戦できるほどの力を持っていたのか?
いや、そんなことより───
「おい、『影の英雄』───《《今度は一体誰を助けようとしておる》》!?」
その答えが分かるのは、それから三十分後。
ミリスが会議室に姿を現した時だった。