キラ・ルラミルという聖女
───というわけで、話は戻る。
「んで、そろそろ本題を話してはくれませんかね……? どうせ横に侍らせるための従順な愛玩動物をゲットしに来たわけじゃないでしょう?」
プラチナブロンドの髪を猫じゃらしのように揺らしながら、変わらず頭を撫で続ける少女に目を向ける。
柔和でおっとりとした雰囲気を醸し出す少女だが、ふとどこか得体の知れない何かがあるように思える。
それは瞳に映る薄らとした陰りだろうか? フィルはそれを掴めずにいた。
「ん〜、お姉ちゃんに養われちゃう?」
「魅力的なご提案ですけど、生憎と人を待たせているもんで。首輪をつけた状態で戻ると、二人共腰を抜かしてしまいますよ」
「うーん、残念♪」
笑みを浮かべながらフィルの頭から手を離すと、修道服を着た少女は改めて座り直した。
「というわけで、さっそくクイズで〜す♪ お姉ちゃんは誰でしょう〜!」
「まさか尋ねる前から問答が始まるとは思ってなかったよ……何、ドッキリ企画?」
「正解は、キラ・ルラミルでした〜!」
「初めましてで名前だけ出されても困るんですが!?」
初対面の相手に名前だけ言われても、付随した情報がなければ分からない。
どこの誰で、なんの要件があったのか───それがなければ「は? 誰こいつ?」状態になってしまう。
今のフィルは、まさにその状況であった。
しかし───
「けど、その修道服……一般的な信徒とは別口だな。ミリス様と同じに見える。つまり……」
「ぴんぽんぽんぽ〜ん♪ ミリスちゃんと同じ、教会の聖女やってま〜す! お名刺はないので、今日で頑張って脳裏に刻み込んでねっ☆」
うぜぇ、という言葉をグッと堪えたフィルは偉いと褒めてあげるべきだろう。
「んで、その聖女様は一体どのようなご要件で? ミリス様に会いたいんなら、案内役として立候補しますが?」
「初めに言ったでしょ〜? 私は『影の英雄』くんに会いに来たんだよ〜」
豊満な胸部をテーブルに乗せ、真っ直ぐにフィルを見つめる。
本来であれば、お姉ちゃん気質の彼女は娼館で働く人間よりも魅力的。フィルの下心満載の瞳がテーブルに乗ったたわわに行くはず。
しかし、上に立つ者───それこそ、陛下や宰相と同じように謎めいた圧に、フィルは視線を逸らせずにいた。
(これはあれだな……聖女っていう一括りで判断しちゃいけねぇな。ミリス様とは毛色が違いすぎる)
フィルは逸らせずにいた視線を一度逸らし、再び気持ちを切り替えてキラに視線を合わせた。
「仲良くしに来た……もっと本心を話しちゃえば、フィル・サレマバートにはこっちの派閥に協力してもらいたいの」
「……っていうことは、ミリス様とは別派閥か。大方、ミリス様が先んじて俺に手を出したから慌てて抑えに来たってところですか?」
「話が早いね〜! 察しのいい男の子は嫌いじゃないぞ♪」
「はいはい、それはどーも」
聖女という単語を聞いて、大体のことを察したフィル。
その顔には驚いた様子もなかった。
故に───
「俺は極力面倒事は避けたいんですけどね……派閥争いに噛むとか、どろっどろの未来の幕開けじゃないですか。やだねー、人気者は辛い」
「ふっふっふ〜! それだけのことを君はしてきたんだよ? 胸を張ってもいいよ〜! っていうか、お願いするのは名前を貸してくれるだけでいいんだけど? 面倒事は何もなっしんぐ!」
「それだけじゃ収まらないでしょうに。真偽を強めるために公の場に立たせるとか、イベントに参加しろとか、うちに押し寄せてくるギャラリーが増えるとか、いっぱいあとで出てくるでしょ。だから、俺の答えは『ノー』ですよ」
それに、と。
フィルは柔和な瞳に向けて、鋭い眼光を放った。
今までの雰囲気を、ガラリと変えて。
「ミリス様を襲ったあんたらの派閥に加わるわけねぇだろうが。頭でも湧いてんのか、そっちの派閥は?」
殺伐とした空気が二人の間に広がった。
それだけじゃない、テラス全体を覆いそうな空気は次第に同じ空間にいる客を威圧させる。
英雄の放った空気───それを感じた客は、団欒としていた会話をやめて口を閉じてしまう。
しかし、対面にいるキラだけは違った。
「なんの話かなぁ〜?」
「しらばっくれるのは構わねぇが、その時点で俺の首はもう縦には振らねぇぞ?」
「あはっ! そこまで言い切られちゃったら、これ以上は仲良くできないねぇ〜! せっかく───」
立ち上がり、フィルの瞳に向けてテーブルに乗ったフォークを突き刺そうとする。
「───穏便に済ませようと思ったのに♪」
「あ? 舐めてんのか?」
しかしテーブルから現れた黒い影が、その手をキツく縛り上げる。
ここに至るまで、僅か数秒程度。
流れるようにフォークを突き付けるキラの身体能力にも驚かされるが、それに対応して魔術を発動したフィルも大概であった。
───明らかに場馴れしている二人。
フィルも飄々とした態度で椅子に腰掛け、キラも防がれたことに驚く様子もなく笑みを浮かべるだけ。
「殺る気ないだろ? 殺るんだったら、そもそも正面から殺る必要がねぇもんな? なんなら、首根っこ掴んでお散歩する前に背後から刺せばそれでお終いなんだから」
「あなたが本当に『影の英雄』くんだったら、どうせダメだって分かってたからね〜。それに、私が大司教様にお願いされたのはあくまで『話し合い』だったから。私は、今の派閥がなくなってもらうと困るんだよぉ〜」
これはあくまで独断専行だ、と。
キラはフィルに念を押す。
フォークを地面に落とし、フィルの拘束が消えると、キラはそのままテーブルに背を向けて歩き出した。
「今日はここまでかな〜! じゃあ、また会おうね〜♪」
「それは殺人予告と受け取っても?」
「あははっ! 違う違う───私もパーティーに参加するから、どのみち会うってことだよ〜!」
「……なら、次お会いする時はドレス姿でダンスのお誘いですかね」
「そういうのは、男の人からお誘いするものだよ〜! 私、こう見えてもモテモテなので! だけど───」
最後に、キラは満面の笑みを浮かべたままフィルを一瞥した。
「フィルくんのエスコートは、期待してるね♪」
そう言い残すと、キラはテラスから出て行ってしまう。
先程眼前にフォークを突き付けられたというのに、別れは呆気ないものであった。
そして、その場に一人取り残されてしまったフィルは大きなため息を吐く。
「俺としては、美人なお姉ちゃんが殺人鬼なんて考えたくないんだけど……教会も、聞いてた話と随分違うなぁ」
どうやら、教会の派閥争いは一筋縄ではいかないらしい。
明らかに面倒事がたくさん詰まっている宝箱の中に放り込まれてしまったと、フィルは苦笑いを浮かべるのであった。