逃避鉄道
セントラルステーション、中央西二改札横窓口。
息も絶え絶えに駆け込んで、空いている窓口に半ばぶつかるように辿り着く。
「ここ、現物支払も出来るんですよね!?」
「ええ」
受付の駅員が頷くが早いか、わし掴んだ後ろ髪をナイフでバッサリ断ち切ってカウンターに置いた。
「フリーパス、これで買えるだけの日数を」
「かしこまりました」
駅員の男性は驚きひとつ見せずにザンバラ髪の残骸を拾い上げ、査定台に乗せた。
「ふむ……428日分ですね。よろしいですか?」
「お願いします」
「使用は今から?」
「はい」
「承りました。では、ようこそ、お客さま」
そのひと言に、思わず安堵の息が漏れた。
これでわたしは、乗客だ。
わたしの緊張がゆるんだのを感じ取ったか、駅員も少し空気を和らげる。
「フリーパスですので、渡し守を付けられますが、いかがなさいますか?」
「値段が上がるなら、」
「いいえ。一体までなら追加料金はありません。代わりに使える客車が、一等客車までではなく二等客車までになりますが」
客車の種類は、特等、一等、二等、三等、四等、五等までで、三等より上は鍵の掛かる個室のはずだ。二等で十分、なんの問題もない。
「それなら、カロンを付けて貰えますか。それから、セントラル発、オスタル行きの電車の二等客室を、終点まで」
「かしこまりました。次の発車は45分後ですが」
「手続きが間に合うならそれでお願いします」
「カロンの種類はお任せ頂いても?」
「お任せします。……ただ、出来れば屈強なものを」
「承知致しました」
ひとまずこれをと差し出されたのは、首から提げられるタイプのパスケース。
待つ間に登録をと、言われた言葉に従って、渡された端末に目を走らせる。
パスケースはさっさと首に掛けた。
これが私の、生命線だ。
ё ё ё ё ё ё
この世界には、国家権力だろうが世界的な宗教だろうが闇組織だろうが手出し出来ない、絶対不可侵なものが三つある。病院と大学、それから鉄道だ。
患者に、学生に、あるいは乗客になれば、たとえいかなる凶悪犯罪者であろうと、外部から一切の手出しは出来なくなる。もちろん、その場所の規則なりなんなりに抵触して、内部から追い出されればその限りではないが。
医療と学問に加えて鉄道が不可侵とされているのは、この世界において鉄道路線が、ほぼ唯一の長距離移動手段だからだ。鉄道がなければ、騎獣に乗るなり自分で歩くなりして、危険のなか時間をかけて移動するしかなくなる。
だから鉄道が医療と学問に並んで、不可侵なものにされたのだ。
わたしは428日分のフリーパスを手に入れた。すなわち428日間は鉄道の乗客で、428日間は誰もわたしを捕まえられないのだ。
ザンバラ髪を揺らして、真新しいパスケースをなでる。
生まれてこの方、こんなにも自由なのは初めてだ。
ё ё ё ё ё ё
連れて来られたカロンは、わたしより拳二つ分ほど大きい男性の姿をしていた。ちょうど青年と少年の境目のような、年若い見た目だ。
わたしと同じように、真新しいパスケースを首から提げている。
「カロン、イオです」
「ありがとうございます。イオ、名前ですか?」
「ええ」
「ほかになにかわたしが、やらなくてはいけない手続きは?」
「いえ。カロンに必要な情報は登録済ですし、今後の手続きはカロンが代行出来ます。お客さまの登録も、きちんと終えて頂いたようですし。ただ」
カロンを渡すためかカウンターの外側に来ていた駅員が、わたしを見下ろして首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「少年型のカロンで、問題ありませんか?」
ああこれは少年だったのかと思いつつ、頷いた。
屈強なものをと注文を付けたは良いが、牛や馬やドラゴンが来たら困ると思っていたのだ。
少年ならば客室を圧迫することも、街中で無駄に目立つこともないだろう。
「ええ。人型の方がなにかと便利ですから」
「大人型の方が良いとは?」
駅員がなにを疑問にしているのかわからず、首をひねる。
「プロが選んでくれた最適に、素人がなにを言うのですか?わたしにはこのカロン、イオが良いと言うことでしょう」
「そう、ですか。ご信頼頂き光栄です」
小さく微笑んだ駅員が、カロン、イオの背を押してわたしへ押し出す。
「それでは、手続きは以上です。良い旅を」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします、イオ、さん?」
「イオで結構です。よろしくお願い致します、お嬢さま」
「お嬢さまはやめて貰えますか。……エメ、と」
年若い見た目に反して堅苦しい話し方のイオに、せめて呼び名はと要求する。
「かしこまりました、エメ」
「はい。では、行きましょうか」
「はい。客室までご案内致します」
エスコートか、迷子防止か、イオがわたしへ手を差し出す。
「ありがとうございます」
その手を取って、わたしは歩き出した。
人生最初で最後の、自由な旅へと。
短く拙いお話をお読み頂きありがとうございます
こんな感じで始まる旅のお話を、書きたいなぁって