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005


 あれから僕はベンさんに言われるがまま、魔獣の群れの中に入り、その中で戦った。


 本当に死にかけるまではベンさんは何もしてくれなかった。だが、戦いが終わるたびに彼は助言をしてくれた。


 実際は、「これは慣れだから。繰り返し。繰り返し」という助言とは到底言い難いものではあったが……。


 それを繰り返していくうちに、僕は一人で多くの魔物と戦えるようになった。


「さて、今日で最後だ。ついてきなさい」


「どこに行くんですか?」


 僕がそう尋ねると、ベンさんはこれまた、意地悪そうな顔をした。


「あぁ、これから向かう先に俺が一か月ほど前に生け捕りにした魔獣がいるんだよ。君にはそいつを倒してもらえないかなって。本当はじっくりことこと弱らせてから殺そうかなぁって思っていたんだけど、ちょうどいいから君に戦ってもらおうじゃないかって」


 僕は疑わしく思って、こう尋ねた。


「そいつは一匹だけですか?」


「あぁ、一匹だけだよ」


「——本当ですか?」


「本当さ。君、信じてないの?」


「手当たり次第、人を魔獣の巣に放り込んでおいてそれでも自分はまともだって言えるんですか?」


「良かれと思ってやっていたんだけどなぁ……。俺の経験上、戦いの中で学ぶことだからね。だから、俺は人に教えるのは向いていないのかもしれないね」


「それ、自分で言いますか?」


「なら、こうして俺のことを食べてくれそうないい子を探しやしないよ」


 ベンさんは笑いながら、そう答えた。


「ねぇ、どこまで歩くんですか?」


 森を散々、歩き回された僕は溜息交じりにそう訊いた。


「あと山を二つくらい越えるかな?」


「どうしてそんな遠くに……」


「決まっているじゃないか。魔素払いの()()()を掛けたんだ。そのルーンを誰かに落書きだと勘違いして消されてしまったら、そいつが自由になってしまうじゃないか。だから、誰も居ない山の奥深くに隠しておいたのさ」


 ルーンってまじないのことか……。実際に使っている人は初めて見た。——いやいや、そんなことよりも……


「それなら、さっさと殺せばいいじゃないですか。どうして、わざわざルーンなんてかけたんですか?」


「俺は危ない橋は渡らないのさ。ここら辺の魔獣にも用心するのが強い戦士だぜ? 少年」


 ベンさんは親指を立てながら、そう答える。


 僕は黙ってベンさんについていくことにした。


 山を二つどころか、四つほど越えてから、ベンさんは立ち止まった。


 そして、ベンさんは一見、チョークで書いた落書きのように見える変な模様を掻き消した。すると、今まで見たこともない化け物が現れた。紫色に染まっただけの獣ではなく、正真正銘の化け物がそこにいた。


「君に倒してほしいのはそこにいる大蛇だよ」


「——これって蛇ですか?」


 そこにいたのは、蛇というより金属でできた蛇の骸骨のようなものだった。普通、骨だけになっていたら、死んでいるはずだが、動いている。これは本当に蛇なのか?


「君はどんな魔獣が強いと思う?」


 ベルさんは突然、僕にそう問いかけた。


「それは当然、紫色でしょ? 魔素が濃ければ紫色になるってきいたことがあるんですけど」


「それは三域までのお話。ここは四域だよ。それも五域のすぐ近くさ」


「それじゃ、この蛇は……」


「本来、魔素はこの辺りではかなり少なくなっているはずなんだけど、ごく稀に風に乗って魔素が大量に入り込んでくることがあるんだ。こいつはまさにその魔素を吸って本来の蛇としてあるべき姿から逸脱して生き物を殺すためだけに作られた器械になってしまったのさ」


「どうしてそこまでして魔獣は生き物を殺したいんですか?」


「君はどうして魔獣が生き物を食べないか知っているかい?」


 ——また質問か……。


「生き物が美味しくないからじゃないですか? だから、殺しても見逃すんじゃないでしょうか?」


「それもあるかもしれないね。けれど、不正解」


 ベンさんは両の人差し指で小さくバツ印を作ってからこう続けた。


「これは()()()の受け売りだけど、悪魔は生ける魂を好んで食べるそうだ。遥か昔に大地の三分の二と海の七割を食べつくしたのはより多くの魂を求めた結果なんだよね。しかし、悪魔は千年ほど前に神さまのせいで自由に動けなくなってしまった。そこまでは聞いているよね?」


「魂を好むという点を除けば、御伽噺として寝る前に先生によく聞かされていました」


「さーて、お腹の空いた悪魔はどのようにして生ける魂を食べるのかな?」


「まさか、それがこの魔獣なんですか?」


「そうさ。魔獣に殺された魂は穢れる。穢れた魂は神さまの下には還れなくなる。そんな迷える魂を回収するために魔獣は作られたのさ。まぁ、ほんとかどうか知らないけど」


 ベンさんは両手を広げてこう続けた。


「さて、五域からはそんな化け物がうじゃうじゃいる世界だ。こいつが倒せなくちゃ君は生きていけない。間違いなく途中で魔獣に殺されて悪魔様のお腹の中で永遠に可愛がられる。それでも君はこの壁の向こうに行きたいのかな?」


 僕はすぐに答えた。


「倒します。ここでこいつを倒さなくちゃ誰かがこいつに殺されるんでしょう?」


「じゃあ、今からルーンを解くね」


「えっ? どういうことですか?」


「こいつの身体にルーンを刻んでいたのさ。動けないようにね。今、解き放ってあげる」


「それなら、自分で倒してくださいよ」


「言ったじゃん。君に代わりに退治をしてもらうって。これまでの成果を見せてもらうよ」


 おいおい。動かさないようにするまじないまでかけるほど強いやつを戦わせようとするんですか? いくらなんでも、無理があるんじゃないでしょうか?


「さぁ、少年。これが君の英雄譚の第一歩だ!」


「——僕はそんな器じゃありませんよ」


「おーい。ちんたらしていると襲われるよ」


 その声が聞こえた途端、蛇の尻尾が襲いかかってきた。僕は咄嗟に二つのダガーを取り出して受け止めた。こういうときはあっさり切り裂けるのだけど……。


「ダガーが通らない?」


「そうそう、こいつの外皮はおろし金のようになっているから金属はてんで通りやしないよ。だから、直接、心臓を狙った方がいいよ」


「それ、先に言ってくださいよ!」


 ——いや、骨だけの魔獣に心臓なんてあるのか? 


 まぁ、そんなこと考えたって意味ないか。魔獣に常識なんか通じない。ベンさんがそう言うなら、心臓があるのだろう。


 どこだ? どこに心臓がある? 


 探せ。目を凝らせ。きっとどこかに心臓はある。


 すると、蛇と目が合ったような気がした。そして、大きな口を開けて僕の方に向かってきた。


 ——危ない。


 そう思って避けると、蛇は代わりに岩を飲み込んだ。そして、砂を体中から吐き出した。


「——嘘だろ? 岩をすり潰して外に出している?」


 あれは本当に生き物なのか? こんなの誰かが作った器械にしか見えないんだけど!


「まさか、これあなたが作ったんじゃないでしょうね!」


「そんな趣味の悪いもの、俺が作るわけないじゃないか。第一、人間にこんなものは作れやしないよ。作った奴がいたら手放しで褒めてやりたいよ」


「そうですか! クッ!」


 埒が明かない。外はおろし金で刃は通らない。中に潜ろうにも、岩を砂にするほどすり潰す。第一、心臓が見えない以上、どうしたらいいんだ。


 ——いや、そんなこと考えるな。これまで自分は何をしてきた? そうだ! ずっと魔獣の群れと戦ってきた。そのとき、僕はどうやって心臓を探した? いちいち探してなんかなかっただろう? 感じろ。あいつの動力源を探せ。そこに心臓があるんじゃないか?


 それに、倒せない魔獣なら、あの人が僕に殺させるわけがない。それに、あの魔獣の動きは思いの外鈍い。僕に躱せないほどじゃない。これなら、まだ木の上でリスの群れと戦っているときのほうが辛かった!


 そのとき、骨の隙間から見える紫色の球体が目に入った。


「見えた! そこだ!」


 僕は蛇の攻撃を掻い潜って、骨の隙間にわずかに見える球体をダガーで叩いた。


 だが、壊れない。


「もう一回!」


 僕はまた、ダガーで叩いた。すると、球体に小さなひびが入った。——まだ足りないのか。


「おっと」


 大蛇の尻尾が来たので、咄嗟に避けた。よく見たら、あの尻尾、岩を切り裂いたぞ。もう何でもありかよ。こんなのもう二度と戦いたくねぇ!


「いっけー!」


 三度、僕は球体にダガーを当てた。


 すると、ひびは大きくなり、ガラス玉のように割れた。すると、魔獣は姿を消した。


 ——やっと、倒れてくれたか。もう限界だ。

 

 安堵した僕は疲労のためか、倒れ込みそうになったが、ベンさんは倒れそうになった僕の身体を支えてくれた。


「合格だ。少年」


 彼は僕に優しく微笑みかけた。


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