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001


「シュン。どうして村の子どもたちを殴ったの?」


 長い黒髪の美しい妙齢の女性が男の子の頭を叩いた。


「だって、先生のことを鬼婆だって言うんだ。そんなの許せないよ」


 男の子は泣きながら、女性に反論した。


 男の子と先生は一域の第一の壁にほど近い小さな村のはずれにある小さな小屋で暮らしていた。


 二人に血の繋がりはない。しかし、それ以上に遥かに強い絆が二人の間にあった。


 女性は剣の才に優れていた。だが、彼女はその技術を受け継ぐに値する才能のある子供になかなか会えなかった。


 数年ほど前、彼女は孤児だった少年と出会った。彼に剣の才があると見込んだ彼女は「あなたに剣を教えてあげる」と言って、彼をスラムから自分の家に連れて行った。


 拾われて以来、少年は女性の弟子として住み込みで修行をつけられていた。毎日きつい修行をつけられながらも、身寄りのなかった彼は家族との団らんに楽しく暮らしていた。


 ある日、彼は村の子どもたちに先生の悪口を耳にしたのだ。

 

 ——あの森の中にある小屋には人を食べる鬼婆が暮らしている。

 

 ——嘘でしょ。そんなことあるはずないよ。

 

 ——俺、見たんだ。夜中に墓場を掘り起こす人影を。あれは絶対、あの家に暮らしている鬼婆しか考えられないよ。


 そのとき、彼はカッとなって先生の悪口を言った子どもの一人を殴り飛ばしたのだ。そして、喧嘩になって彼は子どもたちを叩きのめしたのであった。


 そのことが先生の耳に入り、こうして叱られているわけだ。


「いいの。私はどう言われてもいいの。けれど、あなたのやったことは許せません。たとえ、ほかの人が悪く言われても殴ってはいけません。だから友達ができないのよ」


「——僕はあんな奴らと友達になりたくない」


 すると、先生はまた、男の子の頭を叩いた。


「そんなこと言わないの」


「どうして……」


 目を潤ませる少年に、諭すように彼女は優しい声で語りかけた。


「人には好き嫌いはあるわ。私だってどうしても好きになれない人はいた。けれど、私たちは一人では生きられないの。だからたとえ嫌いだったとしても、その人のことを守ってあげなくちゃいけないの。それが私たちの仕事なの」


「そんなの無理だよ」


「それに、修行の成果は人を痛めつけるのに使ってはいけません。この力は人を救うために使わなくちゃいけないの」


「そんな日が来るの?」


「あるわよ。大人になったら、ここを出て田畑を荒らし、人を殺す魔獣や人を唆す悪い魔人を倒すの。そして、五つの壁を越えた先にいる悪魔と戦うの」


「——僕がそこまで強くなれるかな」


「なれるわよ。シュンならきっとできる」


「けれど、先生に酷いことを言う奴らやスラムにいた悪い奴らは助けたくないよ」


「どうして?」


「だって、あいつらは良い人じゃないもん。本当に良い人なら、悪いことは言わないし、悪いことは言わない。悪いことする奴はみんな悪魔だよ」


 すると、先生は男の子を優しく抱きしめた。そして、彼に優しく語りかけた。


「シュン。この世には悪魔は一匹しかいないの。仮にその人が悪魔に見えたのだとしても、それは心が弱いだけなの。そんなときは私たちがその人を守ってあげるの。私たちの力は人を守るために授けられたのよ」


 ******


 気づいたら、僕は硬いベッドの上で一人横たわっていた。


 僕は毎日、夢を見る。


 あるときは騎士として部下を引き連れ、勇猛果敢に魔獣と戦い、あるときは仮面を被った女性になっていて、屈強な男たち相手に美しい剣舞を披露する。また、あるときは自分が野盗になっていて、戦士と戦った末、負けて処刑されてしまう。自分が出てくる夢なんてほとんど見やしない。


 仮に見たとしても、先生に叱られている夢ばかり見る。


 ほかにも先生との思い出ならいくらでもあるはずなのに、なぜかその手の夢しか見ない。


 別に先生にトラウマがあるわけじゃない。


 にもかかわらず、夢では先生に叱られてばかりだ。


 ひょっとすると、先生が僕に注意しようとそんな夢しか見せてくれないのかもしれない。


 けれど、そんなことはありえない。仮にそうだとしても、あの人がそんな意地悪なことをするはずがない。


 僕は欠伸をしてから部屋を出た。


 それから、いつものように井戸の水をくみ上げて顔を洗って口を濯ぐ。


 すると、宿屋の娘さんが僕に気づいて近づいてきた。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「おはよう。よく眠れたよ」


「お客さんっていつも元気のない顔だから心配なんですよね。本当に眠れているのかなって」


 彼女にじっと見つめられて、僕は少し動揺する。


「いや、ちゃんと眠れているって。まぁ、ちょっとベッドが硬いのは少し難点だけどね」


「それはすみません。四域にはお姫様が眠るようなふかふかなベッドはないんですよ」


「お姫様が眠るようなって……。僕はそこまでの物は欲しくないんだけどね。せめてもう少し柔らかいとありがたいんだけどね」


「生憎、そんないい家具を作ってくれる人が四域の壁にほど近い場所にいないんですよね。まぁ、お客さんがチップを払ってくれたら考えないこともないんですけどね」


 彼女は片目をつぶって唇に人差し指を当てて、僕の方を見た。


「考えるだけなんだ」


「当然ですよ。そもそも、羽毛布団の原料なんて四域じゃなかなか手に入りませんからね。四域は広い割に人がいないんですよね。だから、何も手に入らないんですよ。ただ、お金と戦士様の一筆があれば、どこからでも持ってきてもらえますよ」


「そうだったね」


 僕がそう返すと、彼女は突然、何かを思い出したような顔をした。


「あぁ、そうそう。朝ごはんできてますよ。早く来ないと冷めてしまいますよ」


「あぁ、分かったよ。すぐに行くよ」


 微笑む彼女に僕はぎこちない笑顔を返した。


 装備を整えて食堂の方に行くと、娘さんが僕を手招きした。彼女に促され、椅子に座って料理が来るのを待っていると、娘さんが朝食を持って現れた。


「今日は黒パンとお父さん特製のひよこ豆のスープです」


 彼女は胸を張って朝食について説明した。


「いつもお父さん特製って言っているけど、君は作らないの?」


「私も料理できるんですよ。けれど、お父さんがなかなか厨房に入れてくれないんですよ」


「そうなんだ。じゃあ、いただきます」


「どうぞ、召し上がれ」


 僕はスープをスプーンで掬って口に運んだ。


「どうですか? 美味しいですか?」


「——うん。美味しいよ」


 すると、彼女は安堵の表情を浮かべた。


「良かったぁ。こういう料理ってなかなか食べてくれる人がいないからそんな感想あまり聞く機会がなくて少し緊張していたんですよ」


「どうして?」


「ほら、ここって戦士のお客さんが多いじゃないですか。みんな魔獣を倒すのに忙しいのに、いつも教会からもらう小さな干し肉ばかり食べて料理なんてまともに食べてくれないんですよ。だから、自慢の料理を食べてもらえてうれしいなって」


「そうなんだ」


「そういうものですよ」


 彼女の屈託のない笑みに僕は急に後ろめたい気分になった。


「どうかしましたか?」


「——いや、なんでもない」


 僕は彼女の訝しげに僕を見てくるのを無視して、スープをかきこんで、黒パンを口の中に放り込んだ。そして、軽く手を合わせてから立ち上がった。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


「なんだか不味いものを食べたような顔をしたのがどうも気になりますが、そのことについては訊いてあげないことにしましょう」


「いや、どれも美味しかったよ。お父さんにそう伝えておいてください。では、行ってくるよ」


「行ってらっしゃい。お仕事頑張ってくださいね!」


 彼女に手を振られて、僕は宿を出た。


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