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003


 彼女は水筒を鞄の中にしまうと、馬車の前の方に寄った。


「ねぇ、御者のおじさん」


「な、なんだい。お嬢ちゃん」


「そろそろ、第四の壁が見えるころだと思うけど、どんな感じなの?」


「そいつはたどり着いてからのお楽しみだ。と言っても、壁なんて俺は見たこともねぇな。何しろ、教会から壁があるとされる場所から周囲20ビーゾくらいは近寄っちゃいけないことになっているんだよ。なんか、そこから先は戦士じゃないと入っちゃいけねぇそうだ。まったく、よく分からんな」


「そう。ねぇ、あんたはどう思う?」


 彼女は突然、僕に話題を振ってきた。僕は少し考えてから答えた。


「壁が作られて、千年も経っているんだろう? きれいに残っている方が珍しいと思うんだけど」


「けれど、おかしいと思わない?」


「何が?」


「ほら、あの壁って魔獣から私たちを守るためにあるんでしょう?」


「それがどうしたんだよ?」


「じゃあ、今にも崩れそうな壁でどうやって魔獣の侵入を防ぐの?」


 言われてみればそうだ。本来、城壁は魔獣の侵入を防ぐために築かれたはずだ。なのに、千年経っても補修されていないという。いったい何のために築かれたんだろう? 


 ベンさんや先生も夢の中の誰かも色んなことを語っていたが、どれも正しいとは思えなかった。


「そいつは考えない方がいいぜ。嬢ちゃん」


 槍を磨いていた恰幅のいい男が彼女に話しかけてきた。すると、彼女は


「負け犬には喋る権利なんてないと思うけど」


「こりゃ、横暴な王女様(プリンセス)だな。それなら、そこの男はおめおめと嬢ちゃんとの戦いを逃げた臆病者じゃないか」


 すると、彼女は笑い出した。


「私は自分に逆らわない犬は好きだけど、噛みついてきていざ自分が痛めつけられたら、とっとと逃げ出して、安全な場所から遠吠えするような犬は嫌いなの」


「へぇ、そいつはひでぇ。見かけによらずとんでもねぇ嬢ちゃんだ」


 男は肩を竦める。


 突然、異様に痩せた男が彼女に近づいて彼女の手を握りしめた。


「私も気になりますねぇ。第四の壁にはこの国の中でも著名な大工による補修が行われていないようです。にもかかわらず、三域や四域には強力な魔物が入り込んでいない以上、何か仕掛けがあるのではないでしょうかね?」


「ちょっと、勝手に私の手を触らないでくれる?」


「それくらいいいじゃないですか。減るものではありませんし。それに、私は女性には逆らいませんよ。私以上に従順な男はいないと思いますがねぇ」


 彼女は突然、黙ったまま男の局部に蹴りを入れようとした。痩せた男はそれに気づいたのか。咄嗟に彼女から手を放して遠ざかった。


「おぉ、怖い怖い」


 背の低い男は痩せた男の肩に手を置いて、


「嬢ちゃんはまだ若いから分かんねぇんだよ。ここはもう四域。魔獣がほとんどいない内地ならいざ知らず、こんな危険な四域で女が一人でどうこうできるはずがないのになぁ。いつかきっと気づくはずさ。俺たちと一緒に行動すればよかったってね」


「弱いくせに話しかけてこないでくれる?」


「へいへい」


「ったく、ここら辺の女は物騒なやつしかいねぇのかよ。こりゃ、五域の女も期待できそうにねぇな。血気盛んな戦士しかいないんだろうな」


「ちげぇねぇな」


 男たちはゲラゲラと笑っていた。


 馬車の中が騒がしいと思ったのか、御者の男が振り向いて、


「お客さん。ちょっと静かにしてくれな……」


 しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。彼の首が突然、視界から姿を消したのだ。


「——おい、どういうことなんだ……? 今、首が吹っ飛んだよな?」


 すると、馬車に槍が何本も貫かれた。咄嗟に避けると、男のうめき声が聞こえた。


「あれ? どうして、俺の腹に槍が刺さっているんだ?」


 恰幅のいい男は自分の腹を抑えながら、自分に起きたことを理解できずにいた。


 痩せた男の方を見ると、身体中に槍が刺さっていて、動いていなかった。


「おい! トム。しっかりしろ!」


 背の低い男は咄嗟に恰幅のいい男の方に駆け寄ったが、彼の頭を槍が貫いた。


 すると、馬車の中に一人の男が乗り込んできた。


「思ったよりも弱いな。こいつら、これで五域に行こうとしているのか? って、おいおい! この馬車、女が乗っているぜ。こりゃ、上玉だ。楽しみだぜ」


 坊主頭の男はそう言って、舌なめずりをした。


「あっという間に二人になったね」


 彼女は一人涼しい顔をして、僕に話しかけてきた。


「それよりもこいつらを何とかしないといけないだろ?」


「まぁ、そうだね」


「おいおい、二人は恋人同士なのかなぁ? それなら、男の方は生け捕りにして、彼女と俺たちが仲良くやっているところを見てもらおうぜ」


「そりゃいいな」


 男たちはゲラゲラと笑いだす。


「戦士の責務からも逃げた負け犬風情が何言ってんの?」


「あぁん? 嬢ちゃん、ここでは強い方がルールなんだよ。それくらい分かれよ。当然、俺たちが強くて、お前た……」


 彼女は男を屋根の方に殴り飛ばした。そして、腰につけていた剣を抜いて、馬車の屋根ごと男の首をはねた。


 そして、彼女は馬車を出て男たちに襲いかかった。あっという間に野盗たちは首を刎ねられていく。


「嘘だろ? この女、いったい何者なんだ?」


「男の方をやれ! 男の方は弱いはずだ」


 まったく。こういう戦いになるとは思わなかった。ただ、負けるつもりはない。負けたら、悪魔を殺せないからな。


 僕は腰につけていた二本のダガーを取り出して、四方から来る槍を受け止め、男たちの首を斬り撥ねた。


「ただ、首を斬っただけじゃない?」


「野郎共、取り囲んで殺せ!」


「ひぃーっ! 男の方もできるぞ! そんな顔してどうして強いんだ?!」


「顔のこと笑われているよ」


 彼女は屈託のない笑みを浮かべて、こちらの方を向いた。


「油断してもらえるほうがありがたいよ」


「おい、たった二人相手に何やってんだよ!」


 盗賊の首領と思しき男が部下を怒鳴る。


「頭! こいつら、今まで戦ってきたやつと格がちげぇよ! それこそ、魔人と相手してい」


 しかし、彼女は無情にも男たちの首を刎ねていく。


「どうしてこうなっちまったんだ? 俺たちはただ生きてぇだけなのに」


 近づく彼女に首領は尻もちついてしまう。そして、彼女から逃げるように後ずさる。


「それは神さまに言ってよ。もっと、僕たちを甘やかしてくれる世界に生まれ変わらせてくださいって。まぁ、これから私の腹の中に入るんだから、そんなこと言えないか」


 だが、後ろで倒れていた男が突然、彼女を押さえつけた。


「おい、そこのガキ! 女を人質に取ったぜ。さぁ、武器を降ろせ」


「——どうして捕まっているんだよ?」


 僕が溜息をついていると、彼女は短くこう答えた。


「油断した」


「女の首を斬られたくなかったら、さっさと武器を降ろせ!」


 すると、彼女は首領の方に顔を向けて


「ねぇ、あんた、私を人質に取れると思ったの?」


「てめぇ、勝手に喋るんじゃねぇよ! 殺すぞ」


「殺すって言葉は言ったらダメじゃない。さっさと殺さないとあんたが死んじゃうよ?」


「はぁ? 何を言って……?」


 僕は隙をついて彼女を掴んでいた男の首を刎ねた。


「な、なんで、俺の首が落ちているんだ?」


「決まっているじゃない。あなたが弱いから。あなたが負け犬だからよ。それともう、——何もしゃべらないで」


「畜生!」


 泣き叫ぶ男にとどめを刺すように彼女は男の首をすぐそばに落ちていた盾で押しつぶした。


ビーゾ:

距離の単位のこと。だいたい1.4キロメートルほど。


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