002
馬車の入り口から見える景色をぼんやりと眺めていると、視線を感じた。
振り向いてみたが、誰もこちらの方を見てはいなかった。武器を磨いていたり、金貨を数えていたり、干し肉に齧りついたりしていた。
馬車の中には、そこには屈強そうな男と、細身な男、小柄で少し恰幅のいい男、そして、赤髪の少女が乗っていた。
女性の戦士は珍しい。
いろんな事情があって、女性に戦士の力を継承することが躊躇われるらしい。
けれど、これまで僕が会ってきた女性は弱くはなかった。むしろ、強かったと思う。
実のところ、僕は女性の戦士は苦手だ。これまで六人の女性の戦士と会ったことがあるけど、先生を除けば、あまりいい思い出はない。
「ねぇ、女の戦士を見て何にも思わないんだ」
気づいたら、彼女はすぐ目の前にいた。
彼女の顔をよく見てみると、美しかった。肌は雪のように白く、唇は薄桃色をして、猫のような愛らしい目をしている。彼女に一瞬、目を奪われたが、彼女からの鋭い視線に気づき、僕は答えた。
「珍しいなって思っただけだよ。それに、僕の先生は女性だった」
「だから、そんなにひ弱そうな顔をしてるの?」
——失礼なことを言うなぁ……と思いながらも、あまり相手にはしたくなかった僕はそっけない態度で、
「別に、僕の顔と先生は関係ないだろ」
「それもそうね」
彼女はつまらなさそうな顔をして、僕の方から顔を逸らした。
どうやら、彼女のお眼鏡には敵わなかったようだ。それはそれでありがたい。
僕は小さく溜息を吐いた。
すると、大柄で屈強そうな男が笑みを浮かべながら、話しかけた。
「おいおい、嬢ちゃん。そこのぼんやりした男よりも俺たちと話そうぜ。ついでにあの壁を超えたら一緒に行かねぇか? 俺たちの方が楽しくなると思うぜ?」
すると、彼女は嫌そうな顔をした。
「はぁ? 弱いくせに偉そうな態度取るなよ。クズ」
僕は彼女の言葉遣いに少し驚いた。
「俺が弱い? そんなわけねぇだろ?」
「なら、腕相撲する? もし、あんたが勝ったら、何でも言うことを聞くよ」
彼女に挑発された男は、笑みを浮かべた。
「おいおい。それでいいのか? 俺の腕は嬢ちゃんより三倍くらい太いぜ? 勝負になるのか?」
三倍、とは言いすぎだが、それくらい屈強な腕をしていた。
「やってみないと分からないでしょ。——いや、分かり切っているんだけどね」
「じゃあ、俺が審判をしてやるよ」
小柄で恰幅のいい男がそう提案すると、彼女はその提案を突っぱねた。
「あんた、そいつとグルでしょ。却下」
「おい、じゃあ、誰が見るんだ? そこの優男か?」
「まぁ、それしかないね。やってくれる?」
どうやら、巻き込まれてしまったようだ。僕は外の方に目を遣った。
「おい! お客さん、あんまり揺らさないでくれよ」
御者の人からそう言われると、彼女は答えた。
「それくらい分かっているよ。おじさん。——それで、審判、引き受けてくれる?」
「本当に大丈夫なのか? どう考えても、分が悪い気がするんだけど」
僕がそう言うと、彼女は笑った。
「それは見た目でしょ? あと、心からそう思っていない癖にそんなこと言わないで」
「はいはい」
僕はただ心配してそう言ったんだけどな……。
「じゃあ、サクっと終わらせようか」
「負けても知らねぇぜ。まぁ、その時は精一杯楽しませてやるさ。朝までじっくりとな」
僕はいやいやながら、二人の手に手を置いた。
「用意、はじめ!」
決着は一瞬にしてついた。
「いってぇぇ」
屈強そうな男が右手を抑えながら、涙目で叫んだ。
彼女が自信ありげに勝負を持ちかけたものだから何か秘策でもあるのかと思えば、まさか、力技でこうもあっけなく決着がつくとは思わなかった。僕は目を丸くして彼女の顔を見た。
「見かけによらず、軟弱ね。ほんと、弱いくせに調子乗らないでくれる?」
「いかさまだ! 絶対、いかさましてやがる! おい、お前、このアマ、いかさましていただろ!」
「いや、していないけど。アンタも見たでしょ?」
彼女からそう問いかけられた僕はこう答えた。
「ちゃんと僕の合図の後に手を動かしてたよ」
「くっそ! 腕相撲なんかじゃなくて殺し合いで決めようぜ」
「別に良いけど、そのとき、あんたは私のお腹の中に入るけどいいのかしら?」
彼女は自分の下腹部をさすりながら、男を挑発する。
「ちっ!」
男は舌打ちしてから、座り込んだ。
つまらなさそうな顔をした彼女はまた、僕に話しかけてきた。
「ねぇ、あんたもやってみる? あんたとなら、いい勝負できそうだけど」
——どうして僕のことをそう買いかぶるんだ? 僕はそう思いながらも、こう言った。
「そういう勝負はしないことにしている。それに、馬車を揺らしちゃダメでしょ?」
「つまんねぇの」
彼女は唇を尖らせてそっぽを向いた。
******
「ねぇ、どうしてあんたは五域に行くの?」
さっきから赤髪の少女が話しかけてくる。
ついさっきまで彼女に話しかけていた三人の男は彼女が怖いのか、それとも、彼女の短気な一面を知り、彼女に対する興味が失せたのか、すっかり彼女に話しかけるのをやめていた。各々、自分の武器の手入れをしたり、外の景色をぼんやりと眺めていた。
彼女が僕に話しかけてくるのか分からない。正直、鬱陶しい。——とは言え、いつまでも黙っていると、彼女がどう反応するのか分かったものではないので、極力答えるようにしている。
「悪魔を倒しに行くんだよ。ここに乗っている人は大体そんな目的、願望を持ってきているでしょ?」
「それくらい分かってる。動機は何なの? どうして悪魔を倒したいの?」
「別にそんなこと言わなくたっていいだろ? そもそも、君はどうして悪魔を倒したいんだよ」
「そんなの決まっているでしょ? 悪魔を殺したいからよ」
彼女は笑みを浮かべてそう言った。
「まぁ、私の場合はよくある英雄志望じゃない。ただ、私の人生を滅茶苦茶にした悪魔をぶち殺してあげたいの。よくある話でしょ?」
——いや、英雄志望とあまり変わらないんじゃないかな。
「ねぇ、あんたも教えてよ。私だけ話すのも癪だわ」
彼女に見つめられた僕は渋々答えた。
「僕の場合は先生との約束だよ。俺が必ず悪魔を殺すって」
「そういえば、あんたの先生って女だったよね」
「それがどうしたんだ?」
僕が首を傾げると、彼女は突然、笑い出した。
「何言ってんの。とっても、面白いんだけど。ひょっとして、あんた、先生が初恋の人とかなんかなの?」
「別にそんなのじゃないよ」
僕はすぐに否定した。
「ただ憧れていただけだよ」
「ねぇ、その大好きな先生の味はどうだったの? その人がアンタの先代の戦士なんでしょ?」
「そこまで教える必要はないだろ?」
すると、彼女は語り出した。
「私は胸糞が悪くなるほど不味かったなぁ。別に、私の先生が男だったからとか、加齢臭がひどいとかそんなわけじゃないんだけど、本当に美味しくなかった。——ねぇ、教えてくれない?」
「教えない。どうして勝手に自分のことを話して、相手にも喋らせようとするんだよ」
僕が彼女の問いかけを断ると、彼女は僕の顔を見て、微笑んだ。
「その答えで十分わかった。面白いね、あんた。そうだ、これでも飲む?」
彼女は水筒を僕に差し出す。
「何、それ」
「飲んでからのお楽しみ。それと、別に口つけても良いわよ。そんなこと、私は気にしないから」
僕は彼女にじーっと見つめられながら、渋々、口に含んだ。
——あれ? どうして、味がするんだ? ほろ苦くも、濃厚な甘い果実のような味がする。これほどまで美味しいものを僕は飲んだことが無い。——いや、ある。これって、まさか……。
僕は途端に、飲んでいたものを、吐き出した。床には唾と共に赤い液体が数滴落ちていた。——血だ。
口の中を切ったわけではないので、たぶん、水筒の中に入っていたのだろう。僕は彼女を訝しげに見つめた。
すると、彼女は渋い顔をした。
「血を吐くなんて勿体ないじゃない。まぁ、数滴ほどだから許してあげるけど……。けれど、どうしてそんなに飲まなかったの? まさか、毒でも盛ったとでも思っていたの?」
「いや、別にそんなこと思っていやいないさ。怪しいと思っただけ」
「そう。まぁ、面白い顔が見ることができたからいっか」
僕が舌打ちすると、彼女はうれしそうに微笑した。
彼女は水筒を受け取って、一口飲んで顔を顰めた。
「やっぱり、不味い」




