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001

遅れましたが、三章を始めます。


今のところ、四話か五話の予定です。


 翌朝。ベンさんはいなかった。


 どうやら、あれで別れの挨拶をしたつもりのようだ。


 別れの挨拶にしてはかなり少ないものだったが、あの人らしいなぁ……と思った。


 たった二週間ほどの付き合いにも関わらず、なんとなくそう思ってしまった。


 理由が分からなくて、少し悩んだが、考えても意味ないと思い直し、これ以上考えることをやめた。


 ベンさんが旅立ってから、僕はこれまで受けて来なかった魔獣退治の依頼にも積極的に取り組んだ。


 修行をつけてもらったためか、どんなに多くの魔獣に囲まれても、難なく心臓を斬り裂けるようになった。


 自分に手に負えなさそうな数だと早々に逃げきることもできた。


 日に日に魔獣との戦いが楽になるにつれて、僕は五域に行きたいという思いが強くなっていた。


 自分なら悪魔を倒せるとか、英雄になれるとか、そんなおこがましいことなんて思いやしない。だが、このままここに居たとしても、せいぜい弱い魔獣を倒すことしかない。


 勿論、宿屋の主人と娘さんとの食事は楽しい。二人との日々は先生と過ごしていたときと同じくらい安らぎを感じていた。


 およそ十五年の短い命の中で二番目に平穏な日々であったと思う。


 けれど、自分が本当にここにいていいのかと思ってしまう。


 僕は何のために先生からこの身に余る力を受け継ぎ、何のために四域の、それも五域の近くにまで来たのだろうか。


 ここで魔獣を殺したり、近くにある迷宮を確認するだけの平和な日々を過ごすべきだろうか。


 仮にここに居たのだとしても、彼らを食べてしまわないことが無いだろうか。


 そう遠くない未来に、唐突に眠ったように死んでしまうだろう。その姿を二人に見せてもいいのだろうか。


 気づいたら、宿代を支払う期限が来てしまった。


 僕は何度も決断を見送った。何度も悩んだ。何度も知らない誰かを夢の中で見た。


 夢の中で彼らは少なくとも自らの意思で何かを決めていた。


 まるで、僕に早く覚悟を決めろ。早く答えを出せ。そう急かすように何度もそんな夢を見た。


 そして、ある日、朝、いつものように知らない誰かを夢で見た。その夢で嫌な気分になって目が覚めた。


 顔を洗って、いつものように娘さんに声をかけられた。その際に、唐突に娘さんに今日、ここを出ることを伝えた。


 彼女は悲しそうな顔をした。だが、彼女は気丈にふるまって、「一緒に朝ご飯を食べよう」って言ってくれた。


 味はしないが、温かい食事だった。ひょっとすると、二度と食べられないのかもしれないと思うと、胸が苦しくなる。だが、僕は決めたのだ。悪魔を倒しに行くのだと。


 ******


「もう、行くんですか?」


 彼女は寂しそうな顔をした。


 ——そうか、もう半年近くもここに居たんだよな。さみしい顔をされても当然か。まぁ、僕も少し寂しい気持ちはある。ここはちゃんと言おうか。


「四域で魔獣を倒していても、悪魔を倒さないことには魔獣は消えないからね」


「あの人に言われたんですか? そろそろ五域に行けって」


 ——あの人って……。あぁ、ベンさんのことか。


「別にそうじゃないよ。本当は戦士になってからすぐにでも五域に行きたかった。けれど、なかなか決心がつかなかった。戦士であることの覚悟がまったくできていなかったんだ」


「そうですか。けれど、急ですよ。森から帰ってきてすぐ出ていくって言うなんて……。もっと、私はあなたと一緒に……」


 彼女の声が小さくてよく聞こえなかった。すると、宿屋の主人が現れて彼女の肩に手を置いた。


「ソフィア。坊主は本来、ここで道草食っていい存在じゃないんだ。坊主は俺たちのために戦っているんだ。だから、あんまり坊主を困らせるな」


「でも……」


 暗い顔をする彼女に僕はこう言った。


「約束しよう。いつか悪魔を倒せたら、また会いに来るよ」


「それって、いつになりますか? 千年経っても誰も悪魔を倒せていないのに」


「僕がやるよ。必ず悪魔を殺して、君にもう一度会いに来るよ」


「本当ですか」


 今にも泣きそうな顔をしている彼女に僕はこう答えた。


「嘘はつかないさ」


 僕は主人から「持っていけ」とバスケットを受け取ると、背を向けて歩き出した。すると、後ろから彼女の声が聞こえてきた。


「絶対ですよ! 絶対に生きて帰ってくださいねー!」


 僕は小さく手を挙げて、手を振った。


 ******


 宿を出た後、僕は主人に言われた通り古い街道を歩いた。


 途中でバスケットの中に入っていたパンを食べたり、近くにいた魔獣を退治した。


 しばらくすると、この辺りではそれなりに大きな町が見えた。町の側には馬車がいくつか集まっていた。


 僕はそこで煙草を蒸かしていた馬車の御者の人たちに話しかけた。


「すみません。どの馬車に乗ったら、五域に行けますか?」


 すると、一人の痩身の男が立ち上がった。


「俺の馬車なら、第四の壁まで行くよ。ほら、俺たちってあの壁を越えると死んじまうらしいからな。まぁ、教会がそう言っているんだ。そうなんだろうよ」 


 第四の壁なら、問題ない。壁を越えたら五域だ。別に五域まで送ってもらわなくても問題ない。


「そうですか。じゃあ、乗ります。運賃は?」


「いや、それは教会の方から出してくれるんだよ。戦士を乗せた馬車には恩賞を与えるってことで。それを持ち回りで受け持っているわけ。あぁ、くれぐれも馬車の中をぼろいだのなんだの言わないでくれよ。大体の戦士が文句を言うからな」


 僕は苦笑しながら、


「そんな贅沢なことは言いませんよ」


「まぁ、先客が四人ほどいるけどな。それでもいいか?」


「別に良いですよ」


「じゃあ、案内する。ついてこい」


 男は煙草の始末をすると、歩き出した。僕は彼の後をついていった。


「しっかし、運がいいな。この辺りじゃ月に一回しか馬車を出していないんだぞ」


「それは良かったです」


 もし、一か月も待たなくちゃいけなくなったら、また、あの宿に厄介になるところだった。あんな別れをしたのに、すぐ戻ってきたら恥ずかしくなる。


「まぁ、頑張って悪魔を倒して来てくれよな」


 彼はケタケタと笑いながら、そう言った。馬車を二、三台ほど通り過ぎると、塗装の剝げた馬車の前に止まった。


「この馬車だ。まぁ、ぼろくて乗り心地があんまり良くないけど事故は起こさねえよ」


「いえ、問題ありません。タダで乗せてもらうのに文句なんて言えませんよ」


「そりゃ、嬉しいな。中には『一人だけにしろ』と、文句を言う戦士様もいるからな。さぁ、乗りな」


 彼は笑顔で僕の荷物を取って、屋形の上に載せた。


 僕は後ろから屋形の中に入った。


 そこには三人組の槍を持った男と一人の少女がいた。


 僕は彼らに一瞥すると、入り口の側に座った。


 しばらくすると、「出発するよ」と御者の声が聞こえた。


 それと共に馬車は動き出した。僕は遠くに見える町をいつまでも見ていた。


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