007
夜。火の番をしていると、突然、黒髪の長い美しい女性に顔を覗き込まれた。
「どうしたの? お腹でも空いたの?」
僕は溜息を吐いてから答えた。
「それは、貴女も同じでしょ? ここには戦士しかいない。なのに、五域には人っ子一人もいないから人の肉は常に不足している。そのせいで戦士による生存競争が起こっている」
「まぁ、神さまもあの壁を作ったときはそう思わなかったのでしょうね。まさか人間があの白い壁で濾した魔素ですら耐え切れなくなるなんて」
——それもそうだ。
そう思った僕は女性の言葉に頷く。
「そういえば、どうして貴女はここにいるんですか?」
「ここって五域のこと?」
僕は短く頷いた。
「どうしてって言われても困るなぁ……」
「貴女は女性だ」
すると、彼女は真剣な表情をした。
「そうだね。それがどうかしたの?」
「勿論、貴女が僕よりずっと強いことは知っている。けれど、僕は出来れば貴女のような女性は内地で幸せな家庭を築いてほしかった」
すると、女性は苦笑した。
「ベン、戦士になった時点でそれは無理だよ」
彼女は悲しげな顔をした。「それと、」と彼女は言葉を続ける。
「あなたも女性の戦士が内地で生きる方法が限られていることを知っているでしょう?」
そういえば、そうだった。この世界はそんなに優しくできていなかったんだ。僕は悔しくて唇を嚙みしめながら、頷く。
「その点、この五域はいいよね。だって、力さえあれば、たとえ女であってもみんな認めてくれる。内地じゃそんなことはありえないよ」
「でも、僕は貴女が魔獣に殺されるところなんて見たくない。それこそ悪魔に喰われるところだって……」
「ベン。それは我儘じゃないかしら? その生き方さえすればあなたは幸せになれるとか言って他人に生き方を押し付けるなんて良いことなんて無いよ。——それに、いつからあなたはそんなに偉くなったの?」
「貴女は僕のことをベン、ベンって呼んでいるけど、僕、本当は偉い人なんですよ。僕はあのベスエトリアンヌ家の戦士なんですよ」
「それくらい知ってるよ。もう、長い付き合いじゃない。それと、残念だけど、この五域じゃその名前は通用しない。貴族のお坊ちゃまよりも実力の方が優先される。そうそう。たしかあともう少しで魔獣に殺されるところだったわね。それも二域の薄紫色の小さなかわいらしいリスさんに」
「それは昔の話でしょ」
僕は不満げな顔をする。
「昔と言っても、ほんの五、六年前じゃない。それで昔とかよく言えるわね」
「僕にとっては昔のことなんですよ。もう、大人になったんです」
すると、彼女は「立って」と言った。立ち上がると、彼女も立った。
「そうね。あなたもこんなに大きくなっちゃって。私も年を取ったなぁ」
彼女は物憂げな顔で溜息をつく。僕は一瞬、彼女の顔に見惚れてしまったが、咄嗟に眼を逸らした。
「だからこそ、弟子を見つけて自分の技術を引き継ぐべきなんですよ。貴女のこれまでの功績なら、きっとその時間くらい生きていられるほどの俸禄はもらえるはずです」
「まぁ、それはこの戦いが終わってからにしない? それから考えるよ、ベン」
******
気づいたら、彼女は俺の隣にはおらず、俺は大きな木の枝の上で一人寝ていた。欠伸をしてから、俺は溜息をついた。
「いやぁ、最近、変な夢を見るものだね。まさか、あのときの夢を見るとは」
「そういえば、彼、かなりいい匂いがしたんだよな。まるで、あの人と同じ匂いだったなぁ。あと、二年若かったら食べてしまっていたかもしれないな」
俺はいつの間にか垂れていた涎を拭った。
すると、突然、頭を小鳥に突かれた。見ると、小鳥の脚には手紙が括りつけられていた。手紙を解いてやると、小鳥はちょこんと俺の肩に止まった。どうやら、送り主の下に戻るつもりは今のところないらしい。
手紙を広げると、見覚えのある紋章が目に入った。途端に、真面目そうな男が苛立っている様子がありありと目に浮かぶ。
「おっと、また、催促の手紙か。ほんと、戦士たる者、少しくらい自由に動いた方がいいと思うんだけどね」
そうぼやきながら、俺は手紙を読む。
「ほう。これから色々、動きそうだ。これから随分と面白くなりますね。なぁ、アーリャさん」




