2.7_仲直り〜詩織13歳春〜
思っていたより早く藍野さんが出てきた。
さっき部屋から木戸を見たら一回り大きい男の人がいたから、あれが藍野さんだと思う。
今日は暖かいというより、暑くなりそうな日差しなのに、涼しい顔して藍野さんは立っていた。
なんと言って声をかけようか。
何度も裏口と木戸を往復して、ようやく声をかける決心をした。
深呼吸をして握りこぶしを作って気合いを入れると、木戸に手を掛けて思いっきり引いて開けた。
「あ、あの……藍野さん!!」
何だかびっくりしてる顔の気がするけど、この際無視する。
「どうしましたか?詩織お嬢様」
この前みたいな怒鳴り声じゃない。
よかった。
うん、ちょっと勇気が出てきた。
「この前はひどい事言ってごめんなさい。謹慎処分も私のせいです。本当にごめんなさい!」
私は物凄い早口で言って、膝小僧が見えるくらい、ガバッと頭を下げた。
「ああ、もしかして私の報告書をご覧になりましたか?」
藍野さんは私の目線まで屈みこんで、言った。
「うん。パパが見せてくれた。私のせいだって書けばよかったのに、何で書かなかったの?」
そうすれば謹慎処分なんてされなかったのに。
藍野さんはちょっとばつが悪そうに言った。
「あの夜はちょっと無線機の調子が悪かったようで、一部が録音できてませんでした。証拠がなければ書けませんからね」
そう言って自分の耳を指差した。
よく見ればちょっと大きいイヤホンみたいなのが差してある。
「この無線機、高性能のマイクがついていて常時録音されてるんです」
マイクは人の声に反応して、周りの雑音をなるべく抑えて録れる優れもので、録音した音声と報告書がセットで記録として残され、パパにも同じものが提出されるそうだ。
「録音……じゃあ、この会話も?」
さぁーっと血の気が引く音がした。
つい、自分の口を手で塞いでしまう。
おとといは本当に無線の調子が悪くてよかった。
「当然、今も録音されてます。本当、困りますよね。では詩織お嬢様に聞かれたくない話をする裏ワザを一つ教えましょう」
わざとらしく困り顔を見せてから、藍野さんは友達と内緒話をするみたいに、私の耳の側で話した。
『このくらいの声と距離ならマイクも拾えません。こうやって手を添えてマイクを遮るとより効果的です』
ひらひらと左手を振り、にこり、と笑って藍野さんは私に耳打ちし、立ち上がった。
今度は録音されちゃう方の話し方だ。
「あの後、私は黒崎に叱られました。事情をよく知りもせず、まだ中学生の詩織お嬢様に対して大人気ない事だったと大変反省しております。私の方こそ申し訳ありませんでした」
私より長くて深い綺麗なお辞儀で、子供の私にちゃんと謝罪をしてくれた。
藍野さんはまたしゃがんで私と同じ目線まで降りて話す。
「ですから、これで仲直りしましょう。そうですね……これからは私達を同士と思ってください」
「チーム?」
「はい、これからは詩織お嬢様もチームの一員ですよ」
藍野さんは人好きのする笑顔で笑う。
「護衛って協力と信頼がとても重要なんです。詩織お嬢様の協力があればもっと強いチームになって強力に守れるし、私達を守る事にも繋がるんですよ」
私が協力すれば、みんなを守れると藍野さんは真摯に言う。
「だから私達を信じて何でも話してください。困った事でも要望でも、嬉しい事も、悲しい事も。その為に私達はいるのですから」
「それが藍野さんにとってのいい環境?」
「そうですね、それが私にとっての良い環境です」
ついぽろっと言ってしまったが、藍野さんは昨日の話を知っていた。
あの場にいたのは私とパパと黒崎さんだけ。
藍野さんは黒崎さんの無線を聞いていたのかもしれない。
だから、おととい無線の調子が悪かったなんて嘘で、わざと報告書には書かなかったんだろう。
あんな書き方ををすればパパだって怪しむだろうに。
「優しいんだね、藍野さんは」
「はい? 何の事でしょう?」
そらとぼけてるのか、本気で何の事かわからないのか、どちらなのかまだ私には見分けがつかない。
いつかわかるようになるかなぁ。
「ううん、わからなければいいの。気にしないで」
藍野さんは再び立ち上がった。
「そういえばご挨拶がまだでしたね。私が神戸護衛チームリーダーの藍野です。何なりとお申し付け下さい」
さっきの謝罪より角度は浅めだけど、やっぱり綺麗なお辞儀だ。
あわてて私も頭を下げた。
「よろしくお願いします。じゃあ早速……」
ごそごそとポケットから腕時計を藍野さんに差し出した。
「これ……壁にぶつけたら壊れて動かなくなっちゃった。パパが藍野さんに相談しなさいって」
藍野さんは受け取って少しいじり、無線でどこかと話してから、私に言った。
「GPS反応は消えてませんので影響はありませんが、時計の方が壊れていますね。至急代品を手配します。ご不便でしょうが、代わりが来るまでそのままポケットにでも入れておいてください」
私は返された腕時計を受け取った。
「ねぇ、藍野さん。代品って同じ物じゃないとダメなの?」
私は腕時計を指差しながら、言った。
「いいえ。違うものもお作りできますよ。変更致しましょうか?」
「絶対変更する! 次はこんな黒いのじゃなく、もっと可愛いのがいいの」
勢い込んで変更したいと私は言った。
ウチの学校は腕時計に校則の指定はないから、みんな好きなのをつけている。
この腕時計、パパが選んだのかおじさん臭くて好きじゃなかったんだ。
「かしこまりました。可愛いいものですね。でも詩織お嬢様の好みはまだ存じませんので、一緒に選んで頂けますか?」
くすりと笑って、藍野さんは私を連れて離れへ行き、どこからかタブレットを持ってきて、私にショッピングサイトを見せて、どんなのがいいか聞いてくれた。
パパから特別製だって聞いてたけど、元は普通の腕時計で藍野さんの会社で加工するから、メーカーやブランドも好きなのを選べるとの事だった。
好きなブランドをいくつか言うと、藍野さんは加工のしやすいサイズをいくつか選んで、その中から私が決めた。
次は私の希望通りの腕時計になって満足した。