2.5_謹慎処分〜藍野25歳春〜
社内との打ち合わせを終えて、無線の電源を入れて神戸警護チームのチャンネルに合わせれば、飛び込んできたのは詩織お嬢様の声と、おろおろしているような三人の声だった。
「藍野先輩っっ!! 相手は子供、しかも女の子ですよ! 怒っちゃダメです!!」
「せやせや。言葉なら死なへん! ほっときや。スルー力やで藍野はん!!」
「いーや。子供でも言っていいこと、悪いことくらい教えてやらないと。将来あの子が困るだろ!!」
前後の状況はわからないが、何か藍野を怒らせるようなことを詩織お嬢様は言ったのだろう。
止める間もなく、あの実直馬鹿は詩織お嬢様を怒鳴りつけた。
(あの馬鹿は何をしている!!)
ありえない、全くもってあり得ない。
警護初日だというのに依頼人の娘を怒鳴りつけるとは頭が痛い事だ。
「……藍野は待機所へ戻れ!」
私は藍野を呼び出し、リビングの隣の空き部屋で仮眠中だった朝見を起こした。
「すまないが、交代で少しだけ入ってくれ。こっちが終わったら私が入る」
「ああはい。わかりました。黒崎主任」
朝見がのっそりと起き上がるのを確認して、ふすまを閉めた。
※ ※ ※
高坂社長のリクエストで娘には年の近い、腕の立つものをと希望されていたから藍野をリーダーにしたのに、近かったのは実年齢ではなく精神年齢だったらしい
今までだって子供相手の警護だってうまくやれていたのに、あんな子供の戯れ言に反応して、挑発に乗るなんてらしくないものだ。
「どうしたんだ一体。あんな言い方するなんて」
相手は依頼人の娘、たとえ子供といえど我々が失礼な口の利き方をしていい訳ではない。
知らぬ訳ではなかろうに。
「黒崎主任、申し訳、ありません……」
少しは頭が冷えたのか、先程の怒りに任せた姿はなりを潜め、すっかりしょぼくれて正に尻尾の垂れ下がった犬の姿のような藍野に一つため意をついて、私は言った。
「なぁ、藍野は高坂家の調査書と現況報告書は読んだな、どう思った?」
「どうと言われましても……ウチの依頼人ならよくある家庭環境かと。3年前に奥様が亡くなられて以降、桐山さんや秘書の方が面倒見られていた位ですが……」
あまりピンときていない様子に、少しヒントを出してやる。
「違う。お嬢様があんな行動に出たのはちゃんと理由がある。気づかないか?何故、高坂社長はウチに護衛依頼をした?」
「確か、奥様を殺害した中東グループの一部が入国したと……まさか今まで奥様の件をお嬢様はご存じなかったんですか?」
「そうだ。高坂社長のご意向で詩織お嬢様には事実を伏せていたが、訳も分からず護衛をつけられるより、事情を知った上でついた方が納得するだろうと高坂社長が話された。これらから推察出来ることは何だ?」
護衛がつけば、どうしても行動に制限がつくのを避けられない。
今まで行けた場所に警護の観点からお止めすることもある。
まして護衛されるのが初めてであれば、四六時中他人がつき従い、爆発物の危険を排除するために、持ち込まれる物を私達が先に開封してチェックする事に、いつも見られていてプライバシーすらないと感じて、護衛自体がストレスになる方もいらっしゃるくらいだ。
だから我々は初期のコミュニケーションを大事にしているし、藍野は初手に悪手を打った事に責任を持たなくてはならないのだ。
「詩織お嬢様は奥様の事実にショックを受けてあんな行動に出た……ああ、そうか……すみません、本当に。もっと早く気づけていたら違う対応ができたと思います」
藍野はくしゃりと髪を握り込み、はぁ、とため息をついた。
「わかればいい。普段のお前ならわからない訳はないんだが、飼い犬と呼ばれた事はそんなに腹に据えかねたか?」
「あんな言われ方、いくら子供でも私は認めません。何より依頼人があの様子ではいざという時、我々の誰かが死ぬ事になるのは明白です。神戸チームを私が引き受けている以上、メンバーに犠牲を出す事は容認できるものではありません」
そこだけは頑として譲らぬ藍野の態度に、私は昔パートナーを組んでいた碧月先輩を思い起こして苦笑しながらも私は内心でため息をついた。
あの頃も先輩と私ではよく意見が合わなかったものだ。
私と違ってコイツは碧月先輩と一緒で犠牲を出すことを極端に嫌う。
見解の相違だな。
こちらの事情は依頼人には全く関係ない。
私にとっては依頼が遺漏なく遂行される事が重要だ。
何より碧月先輩と違うのは、高坂家護衛の総指揮は私が執っているという所だ。
全ての決定権は私が持っている。
このまま業務につかせるより、お互いに冷却期間が必要かもしれない。
手元のタブレットからイントラにアクセスして人事用の懲罰フォームを開き、必要事項を埋め、タッチペンでサインを入れた。
「お前の気持ちはわからなくもないが、詩織お嬢様は混乱していたし、我々の事をまだ知らなかったんだ。本来ならお前が引いて受け止めてやるべきだった、それは分かるな?」
タブレットを持ち、私は立ち上がった。
「はい……本当にご迷惑をおかけしました」
私が席を立ち、姿勢を正す姿に藍野の背筋が伸びた。
私は口頭で懲罰を伝え、タブレットを藍野に渡す。
「藍野湊、本日より3日間の謹慎処分を命ずる」
「謹んでお受け致します」
「本案件リーダーとして、依頼人への立場をわきまえぬ藍野の不敬な言動と態度は看過できない。先輩のお前が後輩に範を示すべき所を、一時の感情でチームの和を乱すな、もう少し感情制御を覚えなさい、私からは以上だ」
「肝に命じます」
藍野はその場で受諾にサインし、タブレットを私に返し、失礼しますと敬礼をした。
私も返礼をして、さっさと追い出す。
提出された今日の報告書には、詩織お嬢様の暴言は全てカットして提出してきた。
これが心情を分かってやれなかった詫びのつもりなんだろう。
まぁ、良かろうと私は報告書に承認のサインした。
だが、これでは高坂社長が事情を知りたがるに違いない。
あの方も報告書は目を通しているのだから。
はてさて。
似た者同士だから反発しあうのか、単に相性が悪いのか。
マイナスからスタートするこの護衛チームは上手くいくのだろうかと先行きを案じた。