2.4_家出の夜
いつの間にか、机に突っ伏して眠りこんでしまったみたい。
ギシギシする身体を起こして、机の上の時計を見れば、 夜の11時を少し過ぎていた。
眠ったはずなのに、全く頭はスッキリせず、ぐるぐるとパパの言った事を考えるばかり。
きっとあの腕時計が視界に入るから、余計な事を考えるんだ。
私は忌々しげに腕時計をゴミ箱に捨てて、コンビニでも行きながら散歩でもしようと、そっと部屋を抜け出して、キッチンに向かった。
今は夜で警備が入ってるけど、スイッチを切れば裏口から外に出られるはず。
私はキッチンの片隅にある警備スイッチをいくつか切った。
(これで警備会社に連絡は行かないはず……)
辺りを見回しながら、裏口まで移動し、最後の木戸を開けた。
「どちらへお出かけですか、詩織お嬢様」
上から降ってきた声にとても驚き、私は見上げた。
黒のスーツと黒のネクタイで、すごく背の高い男の人。
まるでママのドラマに出てたSPみたいだ、と思った。
「あなたに関係ないでしょ。ほっといてよ!」
私はずんずんと歩いていくが、男はぴったりとくっついてくる。
「このような夜遅くに出歩いていい訳はありません。お戻りください」
「嫌だって言ってるでしょ。ついてこないでよ!!」
「高坂社長も心配します。どうかお戻りを、詩織お嬢様」
高坂社長、その言い方にカチンと来た私はぴたりと足を止めて、振り向いて叫んだ。
「キャンキャンうるさい! あんたの飼い主は誰よ? どうせパパなんでしょ!! 犬なら大人しく飼い主の言うこと聞け、このバカ犬!!」
男は少し表情を変え、私を睨んだ。
眉間には見事な三本皺。
ふーんだ。睨まれたって全然怖くないもんね。
ご主人様のいう事聞かないそっちの方が悪いんじゃない。
「……いいですか、これが最後の警告です。屋敷へお戻りください、詩織お嬢様」
冷んやりとした空気を感じる、ワントーン下がった声だ。
怒ってるっぽいけど、私には関係ないし。
「絶対に帰らない!!」
私は男に背を向けて、コンビニへ向かって歩き出したら、足が地面じゃなく、空中を蹴った。
「きゃっ!! 何!!」
「失礼します」
甲高い間抜けな声をあげたかと思うと、あっという間に私の目の前の風景は上下逆さまになった。
ホントに失礼なこの男は、荷物みたいに私を肩に担ぎ上げた。
視界には男の背中しか見えない。
「ちょっと離してよ!バカ犬!!」
無駄だと知りながら背中を拳で叩き、ジタバタと足で蹴りつけた。
全然効かなかったけど。
道すがらもっと言った。
変態、ロリコン、人さらい、自分がわかる限りの悪口を言ってやった。
通りがかりの人に助けを求める大声も出した。
みんな怪訝そうな顔で見るだけで、誰も助けてくれない。
どんな事をしても男は私を離してくれなかった。
私が抜け出た裏口へ連れてきて私を下ろすと、
男は私を裏口から一歩も出さないよう、腕組みして仁王立ちで私の前に立ち塞がった。
「あなたは名も知らない、見ず知らずの他人をバカ犬呼ばわりしてどうして平気な顔でいられるんですか!! 自分の気分がよくない事を理由に、誰かを傷つけていい道理はない。反省なさい!!」
男は怒ってるのが丸わかりの大きな声で私を怒鳴りつけた。
パパだって学校の先生だって、こんな言い方しない。
あまりにムカついて言い返した。
「何よ、反省するのはそっちでしょ! 私に対して生意気じゃない! あんたなんかパパに頼んでクビよクビ。とっとと消えなさい!!」
顔も見たくなかったから、私はふぃっと横を向いた。
男は私の右手首をつかみ、強引に視線を自分に向けさせた。
「我儘もいい加減にしなさい! 今、どれだけ危険な立場にいるのか何故わかろうとしないんです!! あなたがこんな状態では守るどころか我々まで殺しかねない!」
殺す、という言葉に私はびくりと身をすくませた。
この人をわたしが殺す?
ママみたいにいなくなるの?
死ぬのも誰かがいなくなるのも嫌なのに!
じわっと涙が滲んできたけど、この人に泣いてると思われたくなかった。
きゅっと唇を噛み締めて涙を引っ込めると、絞り出すような声で言った。
「……嫌だ、あなた嫌い。大っ嫌い!」
精一杯の強がりで顔は見ないまま言い捨てて、私は部屋に逃げ込んだ。