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EOF_アメリカへ〜詩織20歳夏〜

 今日は緊張しているのか、アラームより少し早く目が覚めた。

 予定より30分程早いけど起きてしまおうと、布団をはねのけた。

 カーテンを開けるとキラキラと眩しい夏の日差しが差し込んでくる。

 今日も暑くなりそうだ。

 机の上にはまだ渡せていないお返しとチケットやパスポートの入ったバッグが乗っている。

 結局、私がシャーリーと会って以降、湊さんと会えなかった。

 今日も来ないかもしれないから、いよいよ誰かに預けるべきかもしれない。

 いつものように身支度を終え、ダイニングで桐山さんがミルクティーを淹れてくれる。


「おはようございます、お嬢様。いよいよ出発ですね」

「おはよう、桐山さん。レシピありがと。向こうで作らせるね」


 桐山さんは最後にと私や父さん、母さんの好きだった物のレシピをまとめたノートをくれた。

 生活が落ち着いたら、向こうでも作ってもらおうと思う。


「あんなに小さかったお嬢様がこんなに立派になられて……奥様が居られたらどれだけお喜びになったでしょうに」


 桐山さんは椅子に座る私を昔のように私の頭を撫でるけど、その手も身体も小さくなった気がする。


「私が好き嫌いなく育ったのは桐山さんのお陰だよ。今まで本当にありがとう、桐山さん」


 ミルクティーを飲み終え、椅子から立ち上がり桐山さんと抱き合った。

 神戸からついてきてくれた桐山さんとはここでしばらくお別れだ。

 生活と勉強の為、私自身がしばらく日本に戻らないと決めたから。

 桐山さんもこれからは東京に住む息子さん夫婦と一緒に暮らすという。

 今後はこの家の管理や父さんが東京出張した時に、息子さんのお家から時々通いで来てくれる事になっている。


「向こうに行かれましてもどうかお元気で。お勉強も大事ですが、風邪などひいてはいけませんよ」


 ああ、桐山さんが涙目だ。


「桐山さんも無理しないでね。何かあったら私や父さんの秘書に必ず連絡ちょうだい」


 最後まで笑って日本を出ると決めてたのに、釣られて私も泣いちゃいそうだ。

 唇を噛みしめて涙を引っ込めた。


「じゃあ、行ってきます。桐山さん!」

「行ってらっしゃいませ、お嬢様」


 最後はいつもの登校と変わらない挨拶で家を出た。


  ※ ※ ※


 玄関を開けると満面の笑みの紫藤さんが元気に出迎えてくれた。


「おはようございます、高坂様。お荷物お持ちします!」

「おはよう、紫藤さん。お願いね」


 あたりを見回すと、運転席の側に杜山さんいて、私に一礼した。

 杜山さんはしばらく前から、以前の紫藤さんくらいの位置にいる。


「もしかして、紫藤さんは今日卒業?」

「はい、この案件が終われば一人で案件持てるのですごく嬉しいです!」


 ニコニコと邪気のない本当に嬉しそうな姿に、私も釣られてつい笑ってしまう。

 でも、何かが良くなかったのか、ミラー越しの杜山さんの顔が一瞬険しくなった。

 そんな杜山さんに気がつかないまま、スーツケースをトランクに入れて、ドアを開けて私を案内する。


「高坂様、どうぞ!」

「ありがとう、紫藤さん」


 乗り込む時、ちらりと運転席を伺うと、私が気がついたことに杜山さんは苦笑していた。

 ドアを閉めて紫藤さんは助手席に乗り込むと、以前杜山さんがしていたように、GPSの位置確認や何かの指示を杜山さんにしていた。


「そうだ紫藤さん、これ返した方がいいかしら?」


 私は腕時計を指差して紫藤さんに尋ねた。

 GPS発信機入りのHRF特別製だ。

 大学入学の時、何本か湊さんが見繕って、どれがいいか私に選ばせてくれた。


「お持ちになるのでも、お返し頂くのでも、どちらでも構いません。GPSの電池が切れれば通常の時計と同じですから。気になるようでしたら、本社でGPSを外す手配も致します」


「そっか。じゃこれ貰っていくね。ありがとう紫藤さん」


 腕時計は思わぬ形で私の手に残す事ができた。

 向こうでも護衛はつくから、このまま使えるように頼んでみよう。


「高坂様、本日は羽田空港までお送りして、案件終了と致しますが、何か変更などございますか?」


 紫藤さんはひとり立ちが余程楽しみなのか、言葉の端々に嬉しさがにじみ出ている。

 その度に杜山さんが憮然としていくので私はハラハラした。


「特にないわ。本日もよろしくお願いします」


 もう空港まで紫藤さんと話さない方がいいかも知れない。

 卒業をあんなに楽しみにしてるのに、私のせいで卒業できなくなったら申し訳ない。

 着くまでスマホで資料でも読んでるフリをした。


  ※ ※ ※


 出発ロビーに私を下ろし、スーツケースを預けると、いよいよ私の護衛の終了と紫藤さんの卒業が決まる。

 けれど、今の杜山さんなら平然と不合格って言っちゃいそうで、こんなにドキドキする卒業は初めてだ。


「こちらで当案件終了致します。HRF社一同、高坂様のご健勝をお祈りしています。どうかお元気で」


 差し出されたタブレットには案件名とサイン欄があった。

 私は父さんの代わりにタッチペンでサインを入れた。


「短い間だったけど、今日までありがとう。紫藤さんも身体に気をつけて頑張ってね」


 私はタブレットを返しながら、お礼を言った。


「紫藤、先に戻ってていいよ。僕は後で戻るから」


 杜山さんはいくつか紫藤さんに指示を出して、紫藤さんを先に帰した。

 どうかな?

 ちゃんと合格してるといいけど。

 でも、こうしてるとなんだか昔の湊さんを見てる気分になる。


「懐かしいなぁ、昔は杜山さんが指導されてたのに、今じゃ杜山さんが指導してるんだもんね。どう、紫藤さんは合格?」

「再訓練、と言いたい所ですが合格にしましたよ」

「よかったぁ。不合格で出発じゃ寝覚めが悪いもの!」

「全く、敵いませんね。詩織様には」

「そういえば、みんな少し前まで詩織お嬢様って呼んでたのに、高坂や詩織って呼ぶのね。これもお披露目のせいなの?」

「そうですよ。我々がお嬢様とお呼びできるのは、お披露目までと決まっておりますので」


 へぇ、グループのお披露目がそんな所にも影響するなんて。

 また一つ新しいルールを知り、感心した。


「杜山さんも長いことお世話になりました。本当にありがとう。元気でね」


「ありがとうございます、詩織様もどうかお元気で」


「さて、ここからは僕もプライベートです。藍野先輩、プライベートで見送りに来てるそうですよ」


 さっき羽田に着いたと連絡がありましたと、杜山さんはすぽっと耳からイヤホンを外して、ポケットにしまった。


「本当?」


 お返しは手渡しできそうな雰囲気だ。

 受け取って貰えるか、ちょっとドキドキするけど。


「最後なので一つ聞きたいのですが、宜しいですか?」


「何かしら」


「詩織様が先輩の指名を取り下げた理由、お聞きしても良いですか?」


「賭け、かな。負けちゃったけど」


 指名を取り下げてもなお、会いに来てくれるならと期待した。

 私の護衛に中々入れなくとも、入る方法はあるのだから、一度でも会いに来てくれたのなら、私への気持ちも少しはあるのだと思いたかった。

 結局、一度も会えなかったから、私の負けだ。


「そうですか。では、側で見てて歯がゆい二人に僕からひとつアドバイスです」


「藍野先輩は逃げ道塞ぐくらいがちょうどいいですよ。前回よりもっと強引にやっちゃって下さい」


「それ前回大失敗して、逃げられちゃったんだけど?」


「大丈夫ですよ。先輩は詩織さんのおねだりに弱いし、相手が貴女なら拒んだりしないですよ。先輩も少し困ればいいんです」


「それに詩織さんだって『思い出』くらい貰ってもバチは当たりませんよ」


 杜山さんは意味ありげに笑った。


  ※ ※ ※


「詩織様!」


 私は聞き慣れた声に振り向いた。

 今日は初めて会ったときの黒のスーツの制服姿だった。

 本当に社内から直接来てくれたみたいだ。


「もう会ってくれないのかと思ってた」

「すみません、色々と身動きが取れなくて……」

「ううん。最後に会えてよかった。これ手帳のお返し」

「開けてみても?」


 こくりと頷き、湊さんはリボンを解いて蓋を開けた。

 私のネックレスとお揃いのダイヤのダイヤの入った腕時計。

 シンプルなデザインに小さなダイヤを文字盤に一石入れてある。

 同じ原石から今着けているネックレスと腕時計用の2つ作りたいと言ったため、少し手配に時間がかかってしまったけど、元は同じ原石の双子のお揃いだ。

 裏には一文と助けてくれたあの日の日付を入れた。

 湊さんは腕時計を手に取って裏返した。


「ああこれ、何て刻んであ……」


 あわあわして私は湊さんの手を握りこんでブロックした。


「照れ臭いからから後でみて! 杜山さんにどんなの使ってるのかちゃんと聞いて選んだの。お仕事に使って」


 身体に触れる物を贈れるのは、親族か恋人だけ。

 恋人ではないし、お披露目じゃないけれど、これからはグループの高坂詩織として、湊さんの助けになると宣言したかった。


「ありがとうございます、大事に使わせてもらいます」


 ごそごそと湊さんが腕時計をしまい直していると、私が乗る飛行機の最終案内が聞こえ始めた。

 さすがにもう出国ゲートをを抜けないと間に合わない。

 私は椅子から立ち上がった。


「そろそろ行くね、会えて嬉しかった」

「どうかお元気で、詩織様」

「うん、湊さんも、ね」


 私は手招きして湊さんに少し屈んでもらう。

 初めて出会った頃に教わった、録音されない内緒話の裏ワザだ。

 今はプライベートだから無線はないけれど。


『私ね、本当に湊さんの事、大好きだったんだよ』


 怒ると氷点下の冷たい声に変わるところも

 報告書に私の言った事は書かないでくれたところも

 くしゃって笑う顔も

 安心してくださいって言ってくれる声も

 立哨で涼しい顔して立ってる姿も

 困り顔しながら私に付き合ってくれるのも

 サマータイム歌ってくれた事も


「だからね、最後に思い出くらいちょうだい!」


 きょとんとして全然分かってない顔だ。

 これはいけるかも?


 私はネクタイを掴んでこちらを向かせ、背伸びして強引にキスした。

 ふにょっとしたのと、アップルティーの味がした。


「な、……な、な!」


 何なさるんですか、ね。

 わかります。


「湊さん、アップルティー好きなのね、覚えとく」


 固まっているうちに抱きしめた。

 やっぱり大きくて、あったかくて、安心する。

 この人に7年間も守られていたんだ。

 父さんは不自由させたって言ってるけど、私にとってはむしろ幸運で幸せな時間だったと思う。


「全く……最後までとんでもないお嬢様ですね。詩織さんは」


 最後の最後で様は外れ、固まっていた両手は、躊躇いながら私の背中に回し、おでこにキスをしてくれた。


「あまりご自分を安売りなさらないで下さい。その辺の男にはこれくらいで十分ですよ」

「こんな事、湊さんにしかしないよ。それとも未来の彼氏に妬いたの?」


 湊さんはピクリと反応して「まぁ、一発ぶん殴りたい程度には妬けますね」と耳元で囁いた。


 ああ、離れたくないなぁ、ずっとこのままでいたかったな。

 名残惜しいけど、そっと湊さんを押し返した。


「私、向こうで頑張るから。うんと頑張って大学卒業する。そしてHRFの役員になって『詩織様、どうか助けてください』ってあなたに言わせてみせるんだから。覚悟しておいて」


「昔から貴女が口にする目標は、どれだけ高くても大抵達成してしまうから、俺は今から将来が心配ですよ」


 私は湊さんに背を向け、出国ゲートへ向かった。

 入る前振り返ったら、湊さんはこちらを見ていて、目があった。


「詩織さん、行ってらっしゃい!!」


 周りの人が引くくらい大声だった。


「アメリカ来たら会いに来て!! 行ってきます!!」


 私も叫び返して、大きく手を振った。


  ※ ※ ※


 出国手続きを終え、ゲートに向かうと父さんがいた。

 珍しくラウンジで待たなかったらしく、待合の椅子にいた。


「話はできた?」

「うん……」

「そうか。じゃ、行こうか」


 父さんは私の背中をそっと押されて、ボーディングブリッジを歩く。

 この時ばかりはファーストクラスに感謝した。

 扉を閉めれば誰にも見られずに泣く事ができるから。

 チケットを通し、私達は飛行機に乗り込んだ。


  ※ ※ ※


 詩織さんを見送り、一旦社に戻ろうと駐車していた車の側に杜山がいた。

 同乗して一緒に帰るつもりらしい。

 鍵を開けてやると助手席に乗り込んできた。


「あー杜山君」


 コホン、と一つ咳払いをして「君は詩織さんに何か吹き込んだかね?」と聞いたら、


「ああ、先輩はヘタレで根性なしだから、逃げ道塞げって言いました」


 合ってるでしょ、とニヤニヤして答えやがった。


「おまっ…お前は!」


 言い募ろうとする俺を杜山は制した。


「だって先輩に『思い出に抱きしめてキスして見送れ』って言ったって絶対実行しないでしょ?女の子にあんな告白させて、しかも振っといて!本当に何もなしで別れるなんて、先輩は詩織さん可哀想だと思わないんですか?」


 俺はこめかみをピクピクさせながらも、あれ、なんでそんな事、杜山が知ってるんだ?と思った。

 ダミーとはいえ盗聴器からは離れてたし、ホテル出てからは無線のマイクは切っていたはず。

 他に音声の拾えそうな物……思い至って、血の気が引いた。


「ねぇ……それって俺のスマホか無線、リモートで操作したって事?」


「あ、やっと気がつきました? 盗聴器の本命は先輩のスマホですよ。黒崎部長の命令で僕が4課に依頼しました」


「あの時、スマホは俺の私物なんだけど……」


 社用スマホならともかくと言いかけて、あっと思い出しなんとも言えない顔になった。


「私物でも社内に何かしらアクセスした事あるでしょ? 先輩のスマホは()()()()なんですよ」


 壊滅作戦に使った、水谷特製中東グループ追跡ウィルス。

 同じように社内でも仕掛けてあったのか。

 あれなら本人に気付かれずにリモートで入り込んで通話機能なり録音データを回収するなり出来るだろうな。


「それって俺達のプライバシー侵害じゃない。コンプライアンス的にどうなのさ」


 不平を鳴らして文句を言う俺に杜山は言った。


「これ使うために社内規定は一部改正されたそうですよ。依頼人の為に必要であれば、部長の許可で僕等の私物もコントロールできるそうです。プライバシーの問題で一応この手のデータは部長の管理下に置かれて誰も見られないし、関係者は箝口令で話せませんから、安心して下さいよ、先輩」


 関係者であろう杜山はそっぽを向いて肩を震わせて笑っている。

 て、事は関係者と黒崎先輩には、詩織さんとのあれやこれやが全て筒抜けなワケ?


「うあーーーっ!! 恥ずかしくて死ねる!!」


 俺は初めて私生活の何もかもを知られる詩織様の気持ちを知り、絶叫した。


「まあまあ。ところで、先輩は依頼人から物貰う意味ってちゃんと知ってますか?」

「一応は。コレだと詩織さん、ひいては高坂社長の保護だろ?」


 俺は腕時計の入った箱を指差す。

 グループ内でしか使えない紹介状みたいなもんで、俺がHRFをクビになっても、高坂社長に泣きつけば仕事貰えたり、どっか別の就職口紹介してくれて将来食うに困らないって、なんで杜山は頭を抱えてるのかな?


「先輩、それお披露目前の場合で、今回はお披露目後の詩織さんから貰ったでしょ。正しくは今後、先輩に手を出したら詩織さん、つまり詩織さんの庇護者の高坂社長が報復するぞって意味ですよ。先輩がグループを裏切った場合も報復されますけど」


「ぅえ! ちょっと待て!!……じゃあ俺の幸せ(結婚)、どうなんの?」

「詩織さんか、グループ外から見つけるしかないんじゃないですか? 逆に何故詩織さんじゃダメなんですか?」


 若いし美人だしベタ惚れで先輩には勿体ないくらいの女性(ひと)じゃないですか、と恐ろしいことを平気で言う。


「あのな……出会った時は13歳で未成年。住む世界の違う依頼人の娘が恋愛対象とかないだろ普通。大体そこに俺の気持ちの考慮はないのかよ」


 それに俺は高坂社長を『お義父さん』などと、怖くて呼びたくはない。


「今は20歳でグループへお披露目が済んだ方ですよ。先輩の気持ちなんて丸めてゴミ箱行きで結構です。大体、毎度あんな距離感のおかしいロープロで何とも思ってない、なんて僕は言わせませんからね!」


 杜山は、じとっとした目で俺を見る。


「いやだって……。距離感は詩織様の指示だし……そう! ほ、ほら。アレだよ、アレ。妹みたいなもんだよ。妹は恋愛対象外だろ、お前だって」


 一連の行動を振り返って、どもりながら答える。

 確かに他の依頼人の時より確かに近かったような気もするが。

 いやいや。距離感は詩織様の指定だし、長く付き合ってきたから多少の気安さはあったかもしれないが……。


「……まぁ、他の依頼人より離れがたかったのは認めるよ」


 ぼそりと呟いた。

 低レベル案件に変わって直接入れなくなっても、指導役として時折入った。

 そうすれば、会うことができたから。


「でもそれは家族愛の延長だよ。恋じゃない」

「ふぅーん。ぶん殴るのが家族愛ねぇ……」


 杜山はじろじろと俺を眺め回す。

 別に悪い事をしてる訳ではないのに、視線が物凄く痛い。

 つか、コイツ俺の口元読んでやがった。

 先輩のプライベート暴くような子に育てた覚えはないぞ、杜山君よぉ……。


「ま、これに懲りたら、次はもう少しロープロの距離感は考えて下さいよ、藍野先輩」


 言われなくてもそうするよ。

 と、反論できないのが悔しいです。


「ああ、ひとつだけ褒めてあげますよ。抱きしめ返したのは正解です。ヘタレな先輩のことだからまた頭撫でてごまかすかと思ってましたから」


 あれくらいが精一杯なんでしょうが、女性扱いはもう少し頑張りましょうね、と落第点をくれた。

 解せぬ。


  ※ ※ ※


 社の自席に戻り、俺は何かあるらしい腕時計を手に取った。

 杜山に聞いて選んだと言っていたから、俺の要望は見事にクリアしている。

 金属ベルトはひんやりして苦手だと以前杜山に零していた事からベルト部分も革製だし、文字盤は夜間でも見やすく分単位が分かる秒針付き。

 後で見てほしいと言っていた文字盤を裏返すと英文でメッセージが刻まれていた。


 Thank you for protecting me until the morning comes Shiori 6.22

 《6.22 朝が来るまで守ってくれたあなたに感謝を込めて 詩織》


 6月22日、この日、何があったっけ?

 手元のPCで報告書を検索し、思い出した。

 誘拐事件のあった日か。


 使っていた腕時計を外してケースにしまい、真新しい腕時計を身につける。

 びたりと腕に添い、なかなか悪くない。

 身体に触れる物を贈れるのは親族か恋人だけ。

 恋人ねぇ……。

 あの夜の詩織様を思い出し、俺の知らない(ヤツ)にあんな顔見せるのかと思うと、どす黒い感情が湧いてきて、内心で悶絶する。

 いやいやいや。

 俺は家族枠だよ、家族家族……。


 しかし腕時計か。

 新しい腕時計をためつすがめつ眺める。


(黒崎先輩はまだ碧月さんの腕時計、使ってるんだよなぁ……)


 今の先輩なら腕時計なんて、どんなブランドだろうが一点物だろうが選べるのに、手入れしながらずっと碧月さんの物を使い続けている。

 まるでそうする事が義務のように。


(碧月さんは、狡い……)


 あんな風に碧月さんが死ねば、先輩は応えざるを得ない。

 死んでも続く呪いのようなものだ。

 俺はあの二人のようにはなりたくない。


 これ以上はあまり楽しくはない想像で、早々に頭から追い出した。

 仕事に戻るかとPCの画面を見ると、チャットアプリにメッセージが届いた事を知らせる表示がふわりと現れる。

 相手は水谷だ。


『藍野主任、例の件、今から4課で打ち合わせできませんか?』


 俺は返信を入れ、送信した。


『OK、今からそっち行くよ』


 今の俺に余計な事を考えるヒマはない。

 今度の案件は気難しい方で、どうにか対象者を説得して、護衛を受け入れて頂く事から始めないといけないのだから。

 俺はPCの電源コードをひっこ抜き、PCだけを持って4課のあるフロアに向かった。


 案件No.135490 高坂沙織殺害調査案件 close

 案件No.135720 高坂家護衛案件 close

 案件No.135721 中東グループ抹消案件、全事項消去済み close

最終回のコソコソ話

EOF

End Of File

ファイルの終わり、物語の終わり。

ご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 完結お疲れ様でした。 初めは尖っていた詩織が湊に助けられたのをきっかけに心を開いていく。フィクションの物語でありながら変化していく心理描写がリアルな感じで読んでいて楽しかったです。組織壊滅…
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