6.3_横浜大さん橋の告白
少し冷たい夜風の中にうっすらと潮のにおいがする。
主だったライトアップの明かりは消えてしまっているけど、客船の明かりやビルの明かりが水面に反射して何割増しかくらいに光の量が増えて見える。
「すごく綺麗。今日は色んな夜景を沢山見られてラッキーだね、私」
「この時間だと観覧車のライトアップも消えてますから、少し寂しい気もしますが」
手近なベンチに腰掛けた私に、湊さんは自販機で買った紅茶のペットボトルを差し出す。
ミルクティーとストレートティーだ。
私はミルクティーを手に取り、蓋を開けた。
湊さんは隣に座り、残ったストレートティーの蓋を開ける。
「夜中の買い食いは何年ぶりですか?」
くすくすと笑って懐かしそうに話す。
「もぅ、馬鹿にして。今はしてないわよ」
二人で乾杯の動作をして、一口飲んだ。
私はミルクティーのペットボトルを手の中で転がすと、暖かいミルクティーが夜風で冷えた両手を温めてくれる。
「でも本当に久しぶりだね、こんな風に湊さんとゆっくり話ができるなんて」
今の私の警護は湊さんどころか、杜山さんも滅多に入らない。
支部長になった黒崎さんに至っては今日久しぶりに会ったくらいだ。
「そうですね。私ではもう詩織様の護衛を引き受ける事ができなくなり、他に任せているのが現状です。お目にかかる機会も中々作れなくなりました」
少し残念そうに見えるのは、私の願望かもしれない。
ママを殺した犯人もいなくなり、私もパパも以前と比べると危険度がずっと低くなり、湊さんの警護レベルが合わないと言う。
社内の方針で危険の少ない低レベル案件は湊さんのようなベテランより、研修中や中途入社のような護衛経験の浅い人を優先するので、もう受けたくても受けられない状況だという。
たまに入れたのは、研修指導のパートナーを組んでいたからだと言っていた。
今回は指名があり、パパの方が湊さん達にスケジュールを合わせてお披露目を行ったという。
「じゃあ、湊さん。ママを殺した犯人を消すのは、高レベル案件なの?」
湊さんは驚いて穴が空くほど私を見て、ついと視線を逸らした。
「社内機密です、お答えできません。一体どこからそれをお聞きになったのですか?」
まるで知った事を咎めるような言い方で、すこし怒っているようだ。
「大学が始まってパパと東京で暮らし始めた頃、パパから聞いたの。これからはもう心配しなくてもいい、護衛も減らすって。でも突然だったしおかしいと思ったの。警察だって捕まえてくれなかったのに……」
本当に唐突だった。
前日までは神戸にいた時と同じように宅配もチームがチェックしていたし、キャンパスの護衛だって教室以外は離れなかった。
なのに突然、パパは護衛を減らすと言い出した。
何かあったと考えるのが自然だし、今の私には理由も想像がついた。
「そっか。やっぱりパパが依頼したんだね」
様子を伺っても、湊さんは肯定も否定もしない。
ただ無言。
私が確信するには十分だった。
「私だって少しは知ったのよ。湊さんの会社の事」
始めは湊さんを知りたい一心で調べ始めた。
だけど中々情報はなく、海外サイトの不特定多数が出入りする掲示板に噂話としてあった。
私が話題を振るとそれらしき話も聞けた。
グループの為に存在し、グループ企業からしか依頼を受けないHRF社。
受けた依頼のためなら何でもする、それが人殺しであっても行う、と。
ネット上の事なんてどこまで本当か分からないけど、今日の湊さんの反応だと、多分本当の事なんだろう。
パパはママを殺した犯人を殺すよう依頼したのだ。
「でもね、パパが依頼した気持ちも今なら分かるの。分かるからパパを責められない」
犯人達は図々しく生きていてるのに、被害者の私達は警察に犯人を捕まえて貰うことも出来ず、ずっとつけ狙われ、不自由な生活を強いられた。
そんな犯人をパパは許せなかった。
「湊さんの事も同じよ。HRFが命がけで引き受けてくれなければ、私達は今も犯人に怯えて暮らしていたかもしれない。だから一度ちゃんと言いたかったの。パパと私を助けてくれてありがとう」
「……そんな風に言ってくださる依頼人は初めてですよ」
湊さんはほんのりと笑った。
「でもね、時々考えるの。本当に正しかったのかなって……」
いくら犯人を警察が捕まえようとしなくても、法治国家の日本では裁判にもかけられていない犯人達を勝手に殺す権利なんて私達にないのに。
言ってみればこれは私怨で、殺人と言われて責められてもおかしくない事だ。
そのために湊さんを始め、沢山の人を巻き込んで殺人の片棒を担がせた責任はあると思う。
「そんな考えは今すぐ捨てて下さい。お二人はどれだけ沢山のものを奪われたとお思いです。奴らはその報いを受けただけです。引き受けると決めた時点でリスクも罪も責任も私達の物、貴女が負うべき責任は何一つありません」
湊さんは私の考えを即座に否定した。
犯人達が奪ったのはママだけじゃない、ママの未来や私がママやパパと穏やかに暮らせる時間を奪っていったのだから当然の事だと言う。
「そうやって、パパも湊さんも私を子供扱いして一緒に考える事すらさせてくれない。そういう所は全然変わらないね」
グループの事、HRF社の事、パパの仕事の事。
湊さんを知れば知るほど、私はいつだって庇われるばかりの無力な子供で、蚊帳の外なのだと痛感する。
「私、グループにお披露目されたから、もう大人と同じなんでしょ。湊さん、お願いだから本当の事を教えてよ!」
本当の事をこの人の口から直接聞きたい。
私は湊さんを見つめて、ジャケットの袖口を握りしめた。
「申し訳ありませんが、この件についてお話しする事はできかねます。もう止しましょう、この話題は。そういえば大学はいかがですか?」
湊さんは逃げるように視線を背け、握っていた袖口の指を解きながら、違う話を振ってきた。
授業はどうかとか、サークルはどうしたのかそんな話ばかりを聞きたがる。
「……ねぇ、私を見てよ。湊さん」
「詩織様?」
湊さんの瞳は訝し気に私を見返す。
「私はもう小さな詩織じゃない! いつになったら大人として見てくれるの?」
私は湊さんの胸に抱きついた。
少し冷えた頬に、体温が暖かさを伝え、規則正しい心臓の鼓動が聞こえる。
もしかしたら湊さんは、私の知らないところで死んで“次”はないかもしれない。
私はそのまま見上げ、言った。
「私、湊さんが好きなの。貴方が何者でも、何をしようと、何を負っていても構わない。ずっとあなたの側にいたいの」
ほんの少し近づいてくれれば、唇まで届きそうな距離なのに、触れようとしない。
代わりに湊さんの手を取って、私は目を閉じて、そっと頬をすり寄せた。
「お願いですから、もう少し冷静になってください」
少し上ずった声で、私の頬から湊さんの手が離れた。
ひんやりとした夜の空気が冷たくて、寂しい。
「それは一時の感情です。詩織様はずっと女子校でしたし、周りの男性は私達や高坂社長の秘書くらいですから、他を知らないだけです。もう少し大学で色々な方とお会いになれば……」
「気持ちも変わる?」
「変わりますよ。貴女はようやく自由にどこでも行けるようになったんです。その目で見て、聞いて、経験して、貴女が本当に愛する人をこれから探せば良いではないですか」
「他の誰かと会って変わるくらいなら、杜山さんだって良かったのに、どうして湊さんしか好きになれないのよ。私は貴方じゃないとダメなのよ!」
私の気持ちを否定されて口調がつい強くなり、釣られるように湊さんも駄々っ子を叱るように言った。
「全てご存知なら、私達の努力まで無駄にしないでください! 貴女や高坂社長の自由に私達がどれだけの代償を払ったのか想像できない訳ではないでしょう!!」
びくりとした私の姿にはっとして、湊さんはいつもの口調に戻った。
「私にとって貴女は依頼人の娘で護衛対象者、それ以上は考えた事もありませんし、この先も考えられません。ですから、貴女の気持ちには応えられません」
そして、ぽつりと躊躇いがちに零した。
「……大体私と貴女では立場が違い過ぎます、その、こういった事はとても困ります……」
そう言うと、その目を伏せた。
「送りますので、もう戻りましょう。ここは冷えます」
湊さんはこちらを向き、ベンチから立ち上がって、私にも立つよう促した。
私も無言でのろのろと立ち上がり、湊さんの後ろをついて行った。
そこからはずっと無言だった。




