3.5_杜山の今後と詩織の現在
――そろそろ潮時、かな。
事後の気怠い余韻のまま、脱いだシャツを引っ掛け、女を背にしてベッドサイドに置いたペットボトルの水を一口飲む。
普段から水分調整するせいで、オフの日でもちびちび飲むのがすっかり習慣になってしまった。
こういう時は今でも水よりタバコな気分だけど、もう吸えない。
匂いがついたまま彼らの側に立つことは決して許されないから。
入社後、完全にタバコはやめたし、匂いがつくと仕事に支障が出るので、そんな場所も女も避けるようになった。
「ねぇ朝陽。やっぱり私達付き合わない? あなたみたいな人、好きよ、私」
いつの間に起きたのか、女も同じように気怠い雰囲気にシーツをかき寄せて、僕に媚びるような視線を向ける。
困るんだよね。たった二回寝ただけで、僕の彼女ヅラって。
仕事と私、どっちが大事とか聞いてくる女なんて、今の僕には邪魔くさいだけ。
身体を貸してくれる女ならいくらでもいる。
やっぱり次、探そっと。
「悪い。僕、そういうの嫌いなんだ。付き合いたければ別な奴探して。じゃあね」
引っかけていたシャツのボタンを止め終えて立ち上がり、部屋を出た。
朝7時のロビーは静かなもので、客はあまりいなかった。
フロントで部屋代を清算してホテルを出ると、歩道は朝の通勤客で込み合い始めていた。
いったん部屋に帰って少し寝ようかな、と駐車場から出してもらった車に乗り込むと、スマホがメッセージを着信で震えた。
スマホを取り出して確認すると、メッセージの相手は一ノ瀬さんだった。
『なぁ杜山。今日一緒に晩メシどうや?』
一ノ瀬さん、そういえば今日の夕方から休暇だったな。
僕は少し考えて返信を入れる。
『いいですよ。いつものファミレスにいますので』
『ほなら、終わったら行くわ。じゃまた』
あと28時間とちょっとの休暇。ゆっくり楽しみますか。
僕はメッセージアプリを閉じ、今度こそハンドルを握って神戸市内にある会社借り上げのマンションへ向かった。
※ ※ ※
マンションに戻ってシャワーを浴び、色々な用事を済ませてひと眠りすると、日はだいぶ傾いていました。
結構寝ちゃってたなと思いつつ手早く着替えて、車の鍵を取り、いつものファミレスへ行きました。
「杜山、ここやで!!」
一ノ瀬さんがメニュー片手にボックス席から手を振っている。
僕は一ノ瀬さんの座ってる席の向かいへ座った。
「すみません。待たせてしまいましたか?」
「かまへん。そんなに待っとらんから気にすんなし!」
いかにも護衛っぽい、屈強そうな体躯とは正反対の人懐っこい笑顔でニカッと笑って言いました。
一ノ瀬さんは関西出身とかで、僕らと話す時は大抵関西弁で話すのでギャップが楽しい人です。
不思議な事に依頼人と話す時は、すごく綺麗な標準語や英語を話すのだけれど。
夢はお笑いの舞台らしく、養成所へ通っているとか、お笑い番組のオーディションを受けてるらしいと社内で噂があるけど、実際はごくごくたまに路上でネタをやり、今のところはそれで満足しているそうだ。
見た目どおり一ノ瀬さんも自衛隊出身で、辞めた時期も世代も違うけど、一緒の陸自同士。話も合い、よく相談に乗ってもらったりもしていました。
二人で飲みもしないドリンクバーだけを席料代わりに頼み、一ノ瀬さんは置かれたお冷を舐めるようにほんの少しだけ飲んで、話し始めました。
「あんなぁ。実は藍野に頼まれとってな。杜山のペナルティー期間終了後の希望聞いとけって。どや? このまま2課に残るんか? やっぱり1課か3課に異動するんか?」
一ノ瀬さんは僕の今後の事を聞いてきた。
僕は少し考えて、こう答えた。
「僕は1課に行きたいのですが、今のまま1課に行っても案件取れないと思うんです。だから強襲ライセンス取って単価上げてからにしようと考えてるんですが、その間、2課所属って可能ですか?」
僕がやりたいのは危険度や難易度の高いレベルの案件、できれば強襲もやりたいと希望はしていた。
強襲とは依頼人や本社の命令で実際の銃器を使い、殺しの発生する案件。
HRFは警護もやるけどPMCの側面もあり、僕達は本社やアメリカ軍の意向に従い、動く。
軍事だから当然、知らない誰かを殺すし、自分が殺されることも承知の上だ。
案件は少ないけど、これが一番単価も評価も上げやすい。
だけど今のまま1課に行っても、経験がほかのメンバーに見劣りする僕は、参画どころか他の人に案件取られたり、入れても経験不足でメンバーから外されてしまう可能性だってある。
せめて強襲ライセンスくらいは取って、個人でも強襲案件参画できる程度になっておきたかった。
「2課としては歓迎や。ただなぁ……。2課だと杜山の希望する強襲案件、多分少ないで。ええんか?」
申し訳なさと心配そうな表情で一ノ瀬さんは言った。
「そこは2課より藍野先輩が受けてくれそうなので、そちらに期待しようと思います。僕の強襲ライセンスもまだ取れてませんし」
苦笑いで僕は答えた。一ノ瀬さんの心配はよくわかる。
今後次第で僕は単価を上げるどころか、下がる可能性だってある。
2課は新卒や中途入社の教育がメインの課。
パートナーは新卒や中途の教育途中が多いので、受けられる案件は軽めのものが多くなりがちで、そればかり受けているとすぐにランクが下がってしまう。
藍野先輩が2課に所属しながら上位を維持できるのは、黒崎課長のパートナーとして受ける分や、個人で指名を受けてる警護や強襲のレベルが高いからに他ならない。
2課の長い一ノ瀬さんも同じように、個人受けや1課のパートナーと一緒に案件を担当していたりするから単価も下がらない。
半面、僕には藍野先輩しかいない。その上藍野先輩は黒崎課長のパートナーだから、自分より黒崎課長の案件を優先するだろう。
だけど多少減っても藍野先輩個人受け分があるから、僕がパートナーをやれるチャンスがある。
それに期待しての2課残留だった。
「せやな。藍野の個人受けもあるさかい、そのパートナーとして入るんも手やろうな。ならしばらくは2課でこき使ってやるから覚悟しいや!!」
一ノ瀬さんは僕の考えに同意してくれ、僕は2課残留を決定した。
「はい! よろしくお願いします!!」
一ノ瀬さんは早速会社スマホを出して、僕の返答を藍野先輩に送り、僕に向き直った。
「杜山がウチにきて来てもう2年か。早かったか?」
「もう全然。長かったです。ようやく名前の赤文字が消えるんだと思うと嬉しくって」
僕らの単価も経歴もすべてデータベースで管理され、そこには懲罰履歴も残ってしまう。
そこに履歴が残っていると名前は赤く表示される、通称、赤文字。
依頼人はこのデータベースをいつでも見ることができ、実際それを見て指名したり、チームから外すこともできます。
あれがあることで僕は何度現場を外されたことか。
「杜山はずいぶん赤文字の辛酸なめとったもんなぁ。あとひと月で自由の身やで。よう頑張ったな。杜山が1課行きたいんは、やっぱ黒崎課長か?」
赤文字の原因を知っている一ノ瀬さんは、僕に尋ねた。
「はは。まあそうですね。僕が入社しようと思った理由の人ですから」
赤文字になる騒ぎを起こしておいてなんだけど、あの時のことがあったから、今度は『杜山朝陽』として警護員という仕事に向き合いたいと思ったし、何となく流されて選ぶ事を避けてきた僕も、黒崎課長を見ていたら選んでみたくなった。
――警護員として生きる道を。
「知っとるか? あん人。今、日本支部長の最有力候補やで」
「聞きました。入社2年目で主任、5年目で課長、6年目で部長なら最速最年少じゃないかって」
HRFは各国に支部を置いて、その運営は支部長に一任され、支部長は一般的な社長と同義になるのです。
もちろん他にも候補者はいますが、日本支部の場合、大抵1課長がそのまま支部長になることが多いので、1課長の黒崎課長が今一番支部長職に近い方です。
あと1つ2つ強襲案件でもやれば、黒崎課長は確実に支部長に昇進なさいます。
本当に凄い。尊敬できる人です。
「まぁな。墨田部長は本社異動が決まってるし、パートナーの海堂2課長も一緒に本社やろ。2課長が空席になるから、次は黒崎課長で確定やろなぁ」
一ノ瀬さんは腕組みして社内人事を思い出しています。
「藍野先輩はどうするんでしょうか? 黒崎課長とのパートナーを解消すると思いますか?」
「せやなぁ。だけど藍野は一応、黒崎課長の“生え抜き”候補やし、そう簡単にパートナー解消はせえへんやろ」
そうかぁ。黒崎課長がパートナー解消するなら僕もチャンスあるかも、と期待したけど、やっぱ無理かぁ。
生え抜きはいわゆる幹部候補で、生え抜きだった人が母校の後輩や伝手で個別に声をかけてインターンで受け入れ、選別という名のテストを受けさせられます。
本人達には事情を知らせず、すべて伏せたまま研修やテストを受けさせて選出します。
選出後、さらに教育や特別研修を受け、更に絞られてようやく“生え抜き”と呼ばれ、本人にも伝えられます。
そんな風に藍野先輩は黒崎課長の紹介でインターンで入り、黒崎課長の“生え抜き”となりました。
正確には藍野先輩が了承してないから、まだ“候補”のままだそうですが。
僕たちにはもしもの時もあるので、基本複数の“生え抜き”候補がいるけど、黒崎課長は藍野先輩ひとりだけしかいない。
「ランク的に藍野先輩、そろそろ主任どころか課長になってもおかしくないのに」
確か藍野先輩、今期のランクは5位だったし、単価だけなら3位くらいだった気がする。
はっきり言って何で役職ついてないのかわからないレベルだ。
「ははは。藍野は元々そういうのにこだわってないし、今は高坂家のことで頭いっぱいいっぱいやろな」
「詩織お嬢様、最近は藍野先輩を必ず同席させてますからね。聞きましたか? あの無線」
詩織お嬢様はまだお披露目前。僕達は詩織様と呼べないのですが、あの二人は「詩織様」「湊さん」と呼び合っているのです。
僕達はグループルールの1つで“お披露目前のご子息・ご息女は名前だけで呼んではいけない”というのがあります。
お披露目はご両親の方針にもよりますが、早い人で16歳くらい、遅くても20歳前後でグループへ紹介されます。
いわゆる政略結婚の対象だ。もちろんご両親の意向や企業状況にもよりますが。
お披露目以降はどんな年齢でも成人扱いとなり、僕達も呼び方を改め、初めて名前で呼ぶ事が許されます。
「聞いたで。二人だけが名前で呼び合ってカフェも同席って、ありぁあ詩織お嬢様、完全に恋愛モードやろなぁ。アホで色恋事に鈍い藍野のどこがええんや?」
本気でわからないと一ノ瀬さんは首をかしげている。
「僕に聞かないでください。詩織お嬢様がグループルール知らないのなら、藍野先輩が教えて差し上げればいいのに」
僕は不満を顔に出して、氷の溶けたお冷をぐびりと飲んだ。
あ。それとも先輩は知ってて黙ってるのかな。
若い子に絡まれるなんて絶対なさそうだし。
「顔面偏差値で勝ってる杜山的には悔しいやろ?」
一ノ瀬さんは僕のお冷の減りを見て、ニヤニヤしてる。
「別に。連れて歩くなら絶対僕の方が見栄えするのに、とは思いますけど」
僕と一緒に歩けば大抵の女の子は振り返るから、連れて歩けばいいアクセサリーになります。
でも詩織お嬢様自身がとてもお綺麗な方ですから、そういう事は必要としてないのかもしれません。
「お前はダメ。連れて歩くには目立ち過ぎるんや。依頼人より目立つとかありえへん!」
「そんなこといったって……。あ、でも僕を意図的に連れてく事はありますよ」
「知っとるわ。下着屋とか化粧品売り場なんかやろ。ワイも行かされたで!」
この2か所だけは、絶対に藍野先輩を連れて行きません。
見られたくないものを買う時は、絶対に先輩のいない時を見計らって行くようになりました。
護衛を始めた頃は下着類のネットショッピングも結構使われていたのに、今では先輩のチェックを嫌がってるのか、僕らを連れて直接買いに出向くようになりました。
「詩織お嬢様は、僕らが健康な男子ってお分かりになってるんでしょうか……」
「健康な男子認識は藍野だけ。詩織お嬢様にとって俺達は歩く危険物探査機なんやろ。ははは!!」
一ノ瀬さんは豪快に笑いとばした。
そうですか。僕達は危険物探査機ですか。
だけどその場で回りの視線を集めながら、下着をチェックさせられる身にもなって欲しいものです。
あれは結構、視線が痛いんですよね。
「僕、次の西園寺家の婚約披露パーティーの護衛、詩織お嬢様担当なんですよ。ものすごくがっかりされるのが目に浮かびます」
危険物探査機よりは健康男子の先輩をつけてあげたいのはやまやまですが、護衛総指揮は藍野先輩で、先輩が決めた事です。
決定には従わないといけません。
「そりゃあ災難やな。せやなぁ……。藍野とお嬢様、パーティーでツーショの写真でも撮ってやれば機嫌も直るやろ!」
「あははは……。それ採用!」
よし。これは内緒にしておいて当日に詩織お嬢様へ提案しましょう。
これで少しは浮上してくれると良いのですが。
いい雰囲気のまま一通りの話題が切れ、これなら聞けるかもしれないと、僕は前からずっと聞きたかった事を思い切って聞くことにした。
僕には閲覧制限がかかって見られない報告書の事だ。
「ねぇ、一ノ瀬さん。僕、ダメ元で聞きたい事があるんです……」
「んー。何や?」
「3年ほど前に黒崎課長と碧月 伊織さんが担当した司家護衛案件です」
一ノ瀬さんは朗らかな表情から一転して厳しい顔に変えた。
「あれか……。すまんがワイには話せへん。ワイも緘口令の対象者なんや」
一ノ瀬さんも話せないと言って、口を閉ざした。
他に聞いても事情は知らないか、録音データにアクセスできる5課の沢渡さんも話せないって言ってたし。
「そうですか……」
あとは僕が主任になって制限解除されるか、現パートナーの藍野先輩なら全容を聞くくらい……。
だけど藍野先輩は話してくれないだろうな。
「じゃあ、碧月さんってやっぱり……」
「せや……。杜山の想像どおりや」
一ノ瀬さんはそう言って目を伏せた。
碧月さん……。フルネームは碧月 伊織さん。
確か黒崎課長がパートナーで2課長だった。
あちこちの報告書に二人の名前が残っていて、どれも評判は良かった人だ。
だけど司家護衛案件を境に報告書から一切名前が出てこなくなった。
本社に異動でもしたかと思ったが、本社どころか他の支社にも名前はない。
恐らく……。いや司家護衛案件で碧月さんは殉職したんだと思う。
それもただの殉職じゃない。情報制限が必要な何かがあるんだ。
「碧月さんはな、いい兄貴分って感じで面倒見のええ人やったで。ワイが入社した時、碧月さんは2課主任で、よう世話になったんや。もう3年もたったんか……」
一ノ瀬さんは懐かしそうに思い出し、碧月さんの話をしてくれた。
熱血漢で曲がった事は嫌いで、誰より仲間思いの人、だったそうだ。
「碧月さんはな、黒崎課長をほんま大事に育てておったんやで」
生え抜き達のパートナーは、僕らのように案件ごとで変わったりしない。
一緒に案件を共にし、時には別々にチームを持ち、他の支社や本社を行き来しながら、長い時間をかけて信頼関係を作り、命さえ預けるパートナーになっていく。
それほどに、この信頼できるパートナーの存在がとても大きいのだそう。
そんな人を亡くしても、黒崎課長はまだ警護員続けてらっしゃる理由は何なのでしょうか。
「ねぇ一ノ瀬さん。黒崎課長が社内で親しく話す人って藍野先輩くらいですが、同期の方とかはいなかったんですか?」
「同期はおらんかったけど、碧月さんはそんな感じやったな。なんや大学時代からの付き合いらしいで」
ここでも碧月さんか。藍野先輩も黒崎課長と同じ大学だって言ってたし。
あれ? じゃあ3人は同じ大学って事か。
「他にもな、本社の社長一家とはそれなりに親しいはずやで。一時期副社長の妹と付き合うてたんやから」
「え? 副社長の妹さんて確か今、グループCOOで来日した際、藍野先輩と黒崎課長が護衛に入る、あのシャーロット・スタンリー様ですか?」
元々碧月さんが社長一家と親しかったそうで、そのパートナーとして一緒に出入りをしていたそうです。
だけど自社の社長の娘と付き合う事になるとか、一体どうしてそうなったのでしょうか。
「せや。黒崎課長がインターンの時からだから、付き合い自体は結構長いんやで」
一ノ瀬さんはコップのお冷を少し舐め、真面目な顔をして言った。
「杜山。こん話はもう止めようや。懐かしくてつい話してもうたけど、これ以上はホンマにアカン。うっかり余計な事まで話してしまいそうや」
一ノ瀬さんは、もう聞いてくれるなとギブアップした。
僕が聞きたかったところや肝心なところはぼかされて、ちょっと悔しいけど仕方ない。
「そうですね。碧月さんの情報貰っただけでも僕には収穫でしたよ。そろそろ夕飯行きましょうか。夕飯は情報料の代わりに奢りますよ!」
僕はくすりと笑って、テーブルの会計伝票を手に取って席を立った。
「ええな。ほな遠慮なく行かせてもらうわ!」
一ノ瀬さんも席を立ち、僕達は連れ立って夕飯を食べに向かった。
――一ノ瀬さんからも肝心な情報引き出せないなんて、やっぱり僕はまだまだ、なんだよなぁ。。。




