3.2_詩織お嬢様の誘拐事件〜藍野27歳初夏〜
開け放たれた窓から気持ちいい風が入ってくる。
神戸はいい季節がそろそろ終わり、護衛達には少々ツラい夏がもうすぐやってくる。
でもまぁ、今年も私服だから制服よりマシだろうと思わないと。
俺は各所から上げられた報告書をめくり、『Minato Aino』とタッチペンで確認のサインを入れていく。
「すっかりサラリーマンみたいな生活になりましたね。僕達」
ペットボトルの水を一口飲み、キャップを閉めると、またノートPCのキーボードを叩き始める。
「だなぁ。朝はここに出社して書類仕事、夕方には詩織お嬢様と戻ってそのまま立哨。サラリーマンにしちゃ拘束時間がえげつない事になってるけどな」
はははと笑い、チームの勤務時間状況を見る。
24時間勤務、48時間勤務は当たり前のこの業界だが、詩織お嬢様も協力的だし、公安が働いているせいか神戸勤務は楽な部類だ。
そんな俺はこのHRF社、日本支部の2課所属で警護員をしている。
普段は社のある横浜の社宅に住んでいるけど、今は神戸に単身赴任中。
でもこっちの南京町も旨いし、スイーツ文化のせいか、いいお茶が手に入りやすいから、特に不便はないかな。
本当はさ、俺、商社志望だったんだよ。
父親が商社マンで、仕事で世界中いろんな国に行って、帰ってくるたびくれるお土産や各地の話が志望のきっかけだ。
1年間イギリス留学もしたけど、黒崎先輩の紹介でHRFのインターンで入って、結局そのまま入社した。
今は警護員。
4号警備、いわゆる要人警護ってやつだ。
まぁ、外資で英語は使えてるし、デカくて昔から跳んだり跳ねたりは自信があったから商社より向いていたのかもしれない。
と、詩織お嬢様に出会う前までは思ってたよ……。
だって初っ端から詩織お嬢様を叱って謹慎処分!
高坂社長の取り成しで謹慎処分は取り消して貰えたから履歴には残ってないけど、あれは猛省しました、はい……。
もう少し詩織お嬢様を推し量っていればこんなミスはしなかったのに。
この失点は今後の護衛の方で取り戻そうと思います。
詩織お嬢様もきちんと話せばお分り頂ける素直なお嬢様です。
この前裏ワザとして護身術の技を教えたら、大の男をひっくり返せるのが楽しいのか、面白がって俺達相手に掛けまくっていました。
おかげで杜山達からは俺に苦情が来たけどね。
さて、その詩織お嬢様を学校に送ると、俺たちには下校時まで余裕がある。
ここしばらくの間は落ち着いていて、俺達は世間のサラリーマンと同じような気分を味わえていた。
俺を含め護衛チームは、大体この時間を利用して報告書を作成したり、各自についている5課メンバーと連絡を取ったり、イントラから次の案件の情報収集をしたりと各々活動をしている。
待機所は依頼人近辺のワンルームマンションの一室、なんて時もあるから、庭付き一軒家のここはとても居心地がいい。
まぁ、日本家屋なんで身長190センチオーバーの俺にはどこも頭上が引っかかってしまうのが難点だったが。
「ホント、平和だなぁ〜」
俺は報告書を一つ仕上げて、庭を眺めつつお茶をすすった。
今日は南京町で見かけた新作の工芸茶。
お湯をいれると花が咲く奴な。
気のいいおっちゃん中国人に売りつけられたけど、これが結構綺麗で、女の子は好きそうな感じだ。
ジャスミン茶ベースでいい香りがする。
5課は女性が多いから、差し入れにいいかもしれない。
今度持って行くことにしよう。
「しかし待機中にお茶とは随分余裕ですね、藍野先輩」
杜山がじろりと俺を見る。
コイツは俺と違って仕事は真面目過ぎるほど、真面目。
プライベートは……まぁやんちゃな奴だ。
俺は関知しないが。
そして、俺よりちょっとだけ顔がいい。
俺がサブについていた時、詩織様とセットでスカウトされてたくらいだ。
俺より2つも年上な癖に、何が『素敵なお兄様ですねー』だ。
待機所の柱に足の小指でもぶつけて苦しむがいい!
「杜山くーん、今日はこーんなに天気もいいし、風も気持ちいいし、もう少し肩の力を抜いてリラックスしてもいいんだよ」
「呑気に季節感楽しめる先輩に、僕は危機感しかありませんよ。あと無線!先輩はこんな下らない会話も5課の方に聞かせてるんですか?」
頭を抱えて、はぁと特大のため息をつきやがった。
幸せが逃げるぞ、杜山よ。
季節感に危機感、上手いこと韻を踏んでるな、と突っ込んだら余計怒りそうだから止めておこう。
「無線は規則だし、5課も慣れてるから気にしてないよ」
無線は相互の存在確認と連絡もあるが、もう一つ、各自に付けられた5課員が、サーバーに保存された録音データを元に報告書を起こしてくれる為だ。
俺達は必要な部分を追加修正して、確認後サインするくらい。
誠にありがたい。
その噂の無線に繋いだスピーカーから耳慣れない音が聞こえる。
詩織お嬢様の教室に仕掛けてある盗聴器からだ。
「教室の無線から非常ベルの音……今日避難訓練も法定検査もありませんよね?」
女子校ですからいたずらなんてなさそうだし、と不思議そうに杜山は言った。
俺は腕時計の時間と時間割の授業開始時間を突き合わせて見た。
「次の授業の1分前か……」
なら、生徒達は席に着くなり、移動済みだし、先生は教室に入るか、既に職員室に戻った後だ。
俺はハッとした。
廊下の人目が一気に減る時間帯だ。
(まさか、詩織お嬢様が押した?)
俺たちは学校内には立ち入れない。
もし近くに俺たちがいなくて困った時は使えばいい裏ワザと称して、いくつか対処法を彼女に教えてあった。
非常ベルを押したのが詩織お嬢様なら、緊急事態であるのは間違いない。
「杜山、GPSマップ出せ!!」
杜山は常時立ち上がっているノートPCに飛び付き、マップを表示させる。
「先輩……まずいですこれ。詩織お嬢様のGPS移動速度、どんどん上がってます」
詩織お嬢様に持たせているGPSとマップ用PCの距離を示す色が赤から白に変わり、更に青に変化する。
既にここから500メートル以上は離されている目算だ。
「車だな、強襲用装備に変更、見失わない内に追うよ!」
「了解、装備変更して追います」
俺と杜山はホルスターに入れてある銃を身に付け、車で追跡を開始した。
運転は杜山にさせ、俺は無線チャンネルを切り替えて黒崎主任に一報を入れる。
「黒崎主任、藍野です。詩織お嬢様が校内から連れ去られました。現在、杜山と追跡中です」
「どこへ向かってるか、わかるか?」
「この方角だと、神戸市の高台にある住宅地方面に向かっていると思われます」
「藍野が指揮、全力で取り戻せ。高坂社長には私から報告しておく」
「了解、通信終わり」
連絡を終えるころ、マップのGPSと我々の車両が近い事を示す赤に変わっていた。
杜山は俺の指示なしで勝手に捕捉して追いついていた。
何だかんだで優秀な奴だから、俺はする事がないよ。
グローブボックスから俺は小型の双眼鏡を取り出して、前方車両とナンバーをチェックする。
「先輩、そろそろ距離50です」
見通しの良いバイパスの3車線で俺たちより前方50メートル以内の車。
加えて加速が良かったから外車かスポーツカーか。
国産の改造車だったら面倒だな、と思いながらGPSの表示を詳細モードに切り替えて、双眼鏡で追っていく。
「ああ、あれだな。白のスポーツカー」
早めに追いつけたようだ。
しかもまだGPSが生きている。
素人で捨て忘れたのか、こちらを案内したいのか。
まぁ、行ってみればわかるか。
ナンバーの写真を撮り、5課へ所有者情報を問い合わせておく。
「みたいですね。ナンバー確認できましたから、距離開けますか?」
「そうだな。距離100まで開けて追跡」
「了解、距離100まで開けて追跡します」
杜山はゆっくりとスピードを落としながら左車線に移り、一般車に紛れた。
犯人達を捕捉してから30分程でGPSも動かなくなった。
こちらの予想通り高台の住宅地に入ったようだ。
普通の一戸建てやマンションが立ち並ぶ、ごく普通の住宅街で、公園やコンビニ、少し離れた所にスーパーなどがあった。
思ったより人目が多くて、動きにくそうだ。
俺と杜山はジャケットを作業着に変えて、電気工事会社の人間に見えるように多少の偽装工作をする。
見つかる予定はないが、駐車場に忍び込み、念のため奴らの乗っていた車のタイヤをパンクさせておいた。
GPS反応から犯人達は高台の少し奥まった場所にあるマンションの角部屋の10階にいるようだ。
角部屋でラッキーだと思いながら、ハーネスをつけて懸垂下降で詩織様が監禁されていそうな部屋を覗く。
詩織お嬢様の姿は確認できたが、まだ目を覚ましていないらしく、犯人の様子と詩織様の状況を見て作戦決行とする。
犯人達はリビングに2人、目視で確認済み。
呑気に二人ともスマホいじってたよ。
幸い詩織お嬢様の監禁されている部屋とは繋がってないから、ベランダから侵入すれば気づかれないだろう。
玄関に民間の警備シールがあって、警報システムも入っているようだが、これは4課に依頼して住所と部屋番号から警備システムを割り出して一時的に止めてしまえば問題はない。
決行前に俺は杜山と簡単な打ち合わせだ。
「あの部屋、民間の警備会社入ってたけど4課に依頼は?」
「完了しました。先輩の合図から5秒後に15分間、警報システムに割り込みかけて停止させます。その間に詩織お嬢様連れて降りてください」
「迎えの車の手配は?」
「交代要員の一ノ瀬に持って来るよう伝えました、あと5分程で到着します」
「OK、救出後の機材回収と撤収は杜山、頼むよ」
「了解です」
俺は詩織お嬢様用のハーネスをチェックした。
俺達用なんで細めの彼女に腰回りは余るだろうが、どうせ抱えて降りるので問題はないだろう。
「に、してもだ!」
俺はマンションを見上げ、苛立ちを込めながら毒づいた。
「アジトの立地にしては目立ちすぎ、監禁にするには向かない間取り、わかりやすいスポーツカーでの移動、随分と我々を舐めたマネしてくれるねぇ!」
もし、こんな所をアジトに選ぶような奴が俺と組むなら、小一時間ほど正座させて懇々と説教して、案件統括に俺を殺す気かと本社での再訓練を訴えてやる所だ。
パートナーを危険に晒すなどあり得ない。
いや、あいつらは死にたいのだろうか?
何だかくさくさする。
「変なことは考えないで下さいよ、藍野先輩。気づかれずに取り戻せるならそれで十分じゃないですか。まぁ素人臭い手口を装った罠かも知れないんで、一応気をつけて下さい」
不穏な考えが杜山に伝わったのか、先に釘を刺された。
勘のいい奴め。
「人聞きが悪いなぁ、杜山君は。こんなレベルなら銃なんていらなかったかな、って考えただけだよ。じゃ行ってくる」
俺は非常階段に侵入し、再度屋上から降下して詩織お嬢様のいる部屋のベランダへそっと降りた。
藍野湊のコソコソ話
お茶派になったのはイギリス留学時代のホストマザーの影響です。
出されたミルクティーがあまりに美味くて感動したから。
なので紅茶はやたらと詳しく、最近は中国茶や日本茶なんかにも手を広げてます。
でも、実家はコーヒーが美味いとご近所では評判の喫茶店でした。
警護員の水分摂取はトイレの問題があるので、藍野は1日1杯だけ好きなのを飲み、他は水と一応決めてるようです。
杜山君はきっちり最低限の量を小分けで摂取するタイプです。




