2.10_護衛開始と花火大会
今朝もいつも通り、靴を履いて玄関を開ける。
もう見慣れた背の高さと、
「おはようございます、詩織お嬢様」
と、柔らかい声音の出迎えだ。
私は
「おはよう、藍野さん」
と言って鞄を藍野さんに預けて、車寄せまでの短い距離を一緒に歩く。
今日の藍野さんは薄手の白いサマーニットに紺色のジャケットで、パンツとジャケットは少しロールアップでしてある。
私が私服でとリクエストしたからだけど、それにしてもみんなハズさないというか。私服でも硬めなんだよね。
もう少し気楽なのが好みなんだけどな。
「私服なんだから、もう少しカジュアルな服装でもいいと思うよ。藍野さん、ジーンズなんか裾上げしないで履けるでしょう?」
と言うと、藍野さんは涼しい顔でドアを開けて私の鞄を運転席の後ろに置き、
「TPOに応じた服装は警護の基本です。詩織お嬢様が学生の正装である制服をお召しになってるのですから、護衛が学校の行き帰りにTシャツにジーンズ、というわけにはいきません。さぁ、どうぞ」
と言って私を座席に座らせた。
護衛にも種類があって、一つは全員同じ制服でつくハイプロファイルと、私服でつくロープロファイルとの二種類があるんだそうだ。
私が初日に見かけた制服姿で警護されるハイプロは周囲からとても目立つけど、襲撃者は襲いにくく、私服で警護されるロープロだと目立たなくて襲われやすくなってしまうけど、襲撃者を捕まえたり、依頼人のプライベートを邪魔しない利点があるそうだ。
あまり目立ちたくないという私の希望を汲んでくれて、警護は私服のロープロ、学校の送迎はチームがそのまま引き継いでくれる事となった。
護衛は2人、これは会社の方針で絶対に2人以上で護衛する事が決められているそうだ。
片方に何かあった場合、もう片方が依頼人を守り、連絡や救助をする為だそうだ。
あと、学校の登下校以外で行きたいところは前もって相談しないといけない。
チームのみんなは私の生活がなるべく変わらないようにしてくれたけど、変わってしまった事もある。
まずは家に届くものには全て藍野さん達の事前チェックが入るようになった。
封書や通販、出入りの業者、誰かからの貰い物、家に届く全ての物を藍野さん達が先に開けちゃうのだ。
荷物や封書で爆発物や毒物が送りつけられる可能性があるからだそうだ。
いくら守秘義務があるからといっても、何でもかんでも先に知られてしまうのはすごく抵抗があった。
見られたくない下着なんかは外商へ出向いて買えるけど、何を買ったかは藍野さん達が把握している。
これが護衛生活の中で一番嫌な事だったけど、仕方ないと諦める他なかった。
次は夜間の外出。
これだけは相談しても基本的に許可してくれなくなった。
何故かって?
桐山さんが帰った後、夜、警備システムを止めてこっそりコンビニ行って買い食いしていた事が事前調査でとっくにバレていて、パパから今後は禁止するように言われてるそうだ。
パパのケチんぼめ。
「日中であれば買い食いはこっそりお付き合いしますので、夜間は諦めて下さい」
良家のお嬢様なんだから本当は買い食い自体を禁止したいのがパパの本音だって。
隠し切れない含み笑い顔で藍野さんは私に教えてくれた。
「……わかった。夜は外に出ない。日中は罰ゲームみたいでもっとイヤだからやめておく」
想像して欲しい。
昼下がりの公園で子供が遊んでいる中、私と護衛2人がベンチでアイス食べてるなんて。
どう見ても訳ありの怪しい大人と中学生だ。
違う意味で通報されてしまう。
そう言ったら藍野さんは横向いて吹き出していた。
「失礼しました。そういう時は私達が詩織お嬢様が見える範囲まで下がりますから、それ程怪しくは見えません。西園寺様と遊びに行かれた時と同じですよ」
咲良とカフェに行った時のことかな。
あの時はお客のフリして別の席に一人座って、もう一人は外で待機してた。
あんな感じなら、目立たないのかな。
そうそう。
みんなが来てからはパパも昼間なら遊びに行く事を許可してくれるようになった。
この前初めて咲良と一緒に放課後、カフェに行ってきた。
西園寺 咲良、私の友達だ。
咲良は幼稚舎からずっとこの学校で、中等部から入った私とは同じクラスの隣同士で友達になった。
旧家のお嬢様で、その昔は伯爵のお家柄。
成り上がりのウチとは違う、由緒正しいお嬢様だ。
中身はアイドル好きの普通の女の子で、もう結婚する男性も決められている。
自由にできるのは大学卒業までだから、心置きなく遊ぶのだと宣言している。
「でね詩織、花火大会行こ。総一さんと一緒に」
花火かぁ。
行ってみたいけど、きっとダメだろうな。
人も多いし警護しにくいだろうからと諦め半分、帰りの車内で聞いてみた。
「と言う訳で藍野さん。私、花火大会行ってもいいかな?」
咲良の許婚の総一さんのお家が花火大会のスポンサーをしているらしく、席を持っているからそこへ来ないかというお誘いだった。
「西園寺様の許嫁と言いますと、西九条総一様ですね。高坂社長に確認してみます。許可が取れれば行っても宜しいですよ」
本日中に確認しますと藍野さんは請け負ってくれた。
「本当?行ってもいいの!」
「高坂社長の許可が取れたら、ですよ」
藍野さんは苦笑しながら、先走りそうな私を制して許可が出た場合の約束事項をいくつか言っていた。
ほとんど聞いてなかったけど。
「でもパパ、許してくれるかな……」
高坂社長、の一言でぷしゅんと楽しい気分が抜けてしまった。
「おや、許可を頂ける自信がないのですか?」
藍野さんは私を焚き付ける。
花火大会は夏休みだから、パパは絶対期末テストの成績を条件にするはず。
浴衣もつけるならそれ以上は必要だ。
ちょっと考えて高めの目標を設定した。
「取引条件は期末テスト10番以内だろうから、5番以内目指す。新しい浴衣欲しいもん」
パパは子供の頃から物を買う時にお金を払うように、欲しいものがあるなら、適正な対価を払いなさいって言う。
私は学生でお金も稼げないから、学校の成績が対価になっていた。
これならパパはきっと文句は言わないはず。
「中間より上を目指すとは素晴らしいですね。今日の報告書にも記載しておきましょう」
藍野さんが言った事であっと思い、両手で口を塞いだが遅かった。
無線で録音されていたのをすっかり忘れてた。
もう少し低めにすれば良かったと、私は盛大に後悔した。
※ ※ ※
パパとの交渉の結果、花火大会に行くには期末テストは10番以内、浴衣追加なら8番以内との条件を出された。
予想よりちょっとだけ楽にはなったけど、どうしても新しい浴衣が欲しいので手は抜かなかった。
結果、期末テストはギリギリの5番目を取った。
宣言通り咲良と一緒に新しい浴衣を買い、今日はやっと花火大会!
桐山さんに着付けをしてもらい、髪をアップにした。
今日の藍野さんと杜山さんも普段のジャケット姿より、ちょっとだけカジュアル寄りな格好だ。
花火大会をちゃんと意識してくれてるらしい。
陽も落ち、少しだけ涼しく感じる時間帯、会場までの賑やかな通りを藍野さんと一緒に歩く。
綿菓子の甘い匂いと焼き鳥の焦げる匂いがない交ぜで鼻をくすぐり、お祭りの雰囲気満点だ。
「ねぇ、藍野さん」
「何でしょうか」
「杜山さん、さっきから困ってるみたいだけど、ほっといても平気なの?」
咲良と待ち合わせの招待席前まで藍野さんと出店を覗きながら尋ねる。
少し後ろには杜山さんもいたけど、数メートル歩くたびに女の人から声をかけられて、迷惑そうな顔で追い払っていた。
「杜山にはいつもの事ですから、慣れています。お気になさらず」
下駄履きの私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれている藍野さんは事もなげに答えた。
気にするなと言われても、ちょっと気になる。
振り向けば、やっぱりナンパされていた。
「藍野さん、私、杜山さんを連れてくる!」
くるりと振り向いて、小走りで駆け寄ると甘えるような声音を作って杜山さんのシャツの袖を引っ張った。
「もう、お兄ちゃん遅ーい! 詩織にフルーツ飴買ってくれるんでしょ!」
どうだろう?
おねだりする妹に見えてるかな?
ちらりと女の人を伺うと、興奮して私に話しかけててきた。
「うわぁ、この子あなたの妹さん? 美男美女の兄妹ねぇ。どう? あなたモデルとか興味ない?」
スナップ1枚でいいから撮らせてほしいとか、もう事務所入ってるかな?、とか聞いて来る。
ナンパじゃなくてスカウトか。だから迷惑そうだったのか。
どうやって逃げようかと考えていたら、藍野さんが女の人と私の目の前に割って入った。
「ウチの兄妹達に何かご用でしょうか?」
久しぶりの氷点下声に、私と杜山さんは顔を見合わせてしまったという顔をした。
これはものすごく怒ってる声だ。
女の人にも伝わったのか、そそくさと退散していった。
そのまま私達の方を向くと、藍野さんの眉間に三本のシワがある。
私も杜山さんもあの女の人のように退散しちゃいたい気分だ。
「詩織お嬢様、勝手な行動をしないとのお約束でしょう」
幾分温度は上がった藍野さんの声だが、まだお怒りは解けないようだ。
「だってほんの数メートルだし、杜山さんが……」
上目遣いでちらりと杜山さんを見ながら言い訳するとコクコクと頷いている。
「そうですよ先輩。僕を助けてくれようと……」
杜山さんは私を庇ってくれようとしたけど、藍野さんはバッサリ切って捨てた。
「黙れ杜山、お前は後で説教と始末書だ。定位置に戻れ」
杜山さんは返事をするとさっきと同じくらいにまで下がっていった。
「一瞬の隙さえあれば簡単に人を拐えるのですよ。こんな人混みなら尚更です。護衛を始めた時、片方に何かあっても捨て置けと申しましたがお忘れですか?」
たとえ片方が死にかけていても、無事な片方と絶対に一緒に逃げると一番初めに約束させられた。
私ともう一人が無事に逃げられたなら、もう一人は別な人間が助ければいいのだそうだ。
グズグズとその場に留まって捕まり、私を殺すと脅されれば護衛には何もできないばかりか、逆に始末されてしまう最悪の事態になってしまう、それだけは絶対に避けなければならないと口が酸っぱくなるほど言われた事だ。
「ごめんなさい。花火大会で浮かれてました……」
どこをどう見ても、今回は全面的に私が悪い。
がっくりと肩を落とし、私は素直に謝った。
「では、詩織お嬢様には罰として『幼児扱いの刑』を受けて頂きましょう」
藍野さんはニッコリと笑って手を差し出してきた。
「幼児扱いの刑?」
おうむ返しでポカンと立ち尽くす私の左手を藍野さんは取り、繋いだ。
「私どもの言うことを理解出来ず、護衛の目を盗んで抜け出す小さな子供の為の罰ですよ」
この年齢の方に使うとは思いませんでしたと、肩を震わせてクスクスと笑いながらゆっくりと歩いてくれる。
周りを見回すと手を繋がれてるのなんて、小さな子供の親子くらいだ。
確かにこれはちょっと恥ずかしい。
クラスメイトや知り合いに見られたくない。
下駄がアスファルトとぶつかってカツコツと音を鳴らしながら、藍野さんに手を繋がれて待ち合わせの招待席前まで送ってもらう。
遠くに見える待ち合わせ場所には咲良がもういるみたいだ。
「この辺でもう大丈夫でしょ、藍野さん」
咲良がだいぶ大きく見える位置でようやく解放されて、私は離れようとしたが藍野さんは私を呼び止めた。
「西園寺様や西九条様のお付きもいらっしゃいますし、滅多なことにはならないと思いますが、私どもは周辺に必ずおりますので、何かありましたら必ずお呼び下さい」
「わかった、何かあったらちゃんと呼ぶよ。じゃ、行ってくるね!」
二人に手を振り、咲良と合流して二人で総一さんのお家の席へ行った。
2人は近くにいると言っていたけど、どこにいるのかと探してみたら、スポンサー席のお隣の有料席に座っていた。
もちろん何事もなく花火大会を楽しみ、帰り道は『幼児扱いの刑』の罰を受けることなく帰ってこられた。
後でこっそり杜山さんにあの後どうなったか聞いたら、杜山さんも「叱られて始末書を出す羽目になりました、詩織お嬢様とお揃いですね」と笑っていた。
本当にごめんなさい。
杜山さん!!




