2.8_背中越しの藍野さん
護衛付きの登下校はすっかり慣れた頃には、中間テストも終わり、制服が夏服に変わっていた。
それでも時折考えるのは、パパの話してくれた真実。
学校帰りの車内でぼんやりと外を見ながら考えていた。
あの時はショックで、途中から聞くのを拒否してしまったから、あまり内容を覚えてはいない。
パパはもう東京に行ってしまったし、話が聞けそうなのは目の前にいる藍野さんくらい。
聞いたら答えてくれるだろうか。
考えこんでいたら、いつの間にか車は家の車寄せに止められていて、杜山さんがドアを開けていた。
じっと座ったままの私に、杜山さんは声をかける。
「詩織お嬢様、着きましたよ?」
なおも動こうとしない私に、助手席から降りようとしていた藍野さんは、
「杜山、車は俺が戻しておくから、閉めて」
と言って座り直し、杜山さんを下がらせた。
軽い音を立ててドアが閉められると、車内に藍野さんと2人だけになった。
私は藍野さんの背中越しに話し始めた。
「ねぇ……藍野さんは、ママが亡くなった理由と犯人の事を知ってるんでしょ?」
「詩織お嬢様が高坂社長からお聞きになっている程度にですが。いかがしましたか?」
「やっぱり……私達はママを殺した犯人を捕まえることを諦めなきゃいけないの?」
ママが死んでしまったのに、誰一人私達にもママにも謝らず、そんな事は無かったかのように扱われるのは、あまりにも悔しくて悲しかった。
「現時点で犯人逮捕を諦めるなと言えるほど、状況は良くありません」
藍野さんもパパと同じ事を言った。
「本当に……パパのせいでママは死んじゃったの?」
「いいえ。奥様が亡くなられたのは、絶対に高坂社長のせいではありません。犯人のせいですよ。犯人さえいなければ奥様も亡くなることはなかったのですから」
それに高坂社長は奥様をとても愛しておられました。
どうか信じてあげて下さい、と藍野さんは言った。
「……どうして警察は犯人を捕まえられないの? 犯人を捕まえると国際問題になるってどういう事なの?」
パパに聞いた時から疑問だった。
人を殺しても捕まらず、捕まえれば逆に国際問題になるなど訳がわからない。
「犯人を捕まえると国際問題になるのは、少し事情があります」
藍野さんが私にもわかるよう話してくれる。
犯人は石油を売る中東国家の人間。
石油に代わるエネルギーを研究して作ろうとしているパパの会社が発展することは、石油を売ることをメインにした中東にはとても都合が悪いのだそう。
「石油は使えば二酸化炭素が出るし、地球環境に良くないって学校で習ったよ」
「それですよ。彼らは高坂社長の会社に発展してほしくありません。発展すれば石油が売れなくなってしまいますから」
「そんな……。そんな事のためにママは殺されたの!?」
「そんな事ではありません。それだけ高坂社長のなさろうとしている事は彼らにとって脅威なのです。非公式ながら『政府が高坂社長の会社を守るようなら敵対行為とみなし、石油輸出を止める』とまで言っていたようです」
「えっ? 石油って確か火力発電で使ってるって……」
ううん、それだけじゃない。いろいろなものが石油から作られてる。
それを止めたら、私たちの生活はとても困ったことになる。
バックミラー越しの藍野さんは少し笑った。
「よくお勉強なされてますね。想像どおりです。石油を中東以外から買えばよいかもしれませんが、それでも他から買うにはとても多い量なのです。日本は中東を切り離すことはできません。そのため国内で警察による犯人逮捕はしないでしょう。これが現時点の調査結果です」
そう言って藍野さんはそっと目を伏せた。
「じゃあママを殺した犯人は……」
捕まえられない。私達には諦めろって平気な顔で言うの?
大切な人を殺された苦しさも知らない人達が!?
私達は一人で自由に街も歩けないのに?
「……他の人のために私達はそこまで我慢しなくちゃならないの!? ずるいよ!!」
だけど藍野さんは首を横に振って言った。
「これは長期戦です、詩織お嬢様。その日はきっと来ます。高坂社長も諦めていませんよ。今すぐは無理でも、いつかきっと状況が変わり、全て良い方向に向かいますよ」
だからあまり気を落とさないでください、藍野さんは言った。
「高坂社長が今一番恐れている事は、詩織お嬢様が次の標的として害されることです。そうはいっても、このまま怯えて学校と家との往復ではあまりに不憫だとも申されておりました。そのため護衛として私達をつけ、詩織お嬢様はなるべく自由に生活させてやってくれと希望しておりますよ」
そっか。パパは私の事も少しは考えていてくれたのか。
なのに私、ひどい事を言ったままでパパは東京に帰ってしまった。
謝りたいけど、次はいつ帰ってくるかはわからない。
そうだ!! と、私は身を乗り出した。
「詩織お嬢様?」と藍野さんは不思議そうな顔をしているけど、私は助手席に座ったままの藍野さんの左の耳元に話しかけた。
「パパ、ひどい事言ってごめんなさい」
藍野さん達の無線は常に録音されていて、その録音データはパパも私も自由に見られる。
こうすればパパも聞けるはずだ。
直接電話は秘書が側にいそうで、なんとなく嫌だった。
「ねぇ、藍野さん。私が謝ってたって報告書に書いておいて」
「承知致しました。必ずお伝え致します」
今度は藍野さんがドアを開けてくれようとしたけど、自分でドアを開けて、自分の足で歩いて家に入った。
ほんのちょっぴり、心は軽くなった。




