だから怖い話に出していいアルファベットはCまでだって!!!
怖くない怖い話です。
奈良寺カスミが語る怖い話の登場人物がGさんまで出て来たところで、浅香ヒロコはいったんストップをかけた。
「ちょっと待とう? 状況を整理したい」
「なによヒロコちゃん、ここからが怖いところなのに」
ここは高校の放課後の教室。
数人の生徒たちが自習をしたり、友人との会話に華を咲かせたりと、各々が自由に時間を潰している。
教卓に一番近い席に二人並んで座る、カスミとヒロコもそのうちの一人だった。
生徒会の用事があるということで席を外している友人の帰りを待っている間、ひまつぶしとしてヒロコはカスミがどこからか仕入れてきたとっておきの怖い話に耳を傾けていたのだ。
「いや、ごめん……よく分からなくなってさ」
「ヒロコちゃんは読解能力がないよね」
「現国で五点とったアンタに言われたくないわよ!?」
カスミはやれやれと言った顔をすると、せき払いをしてから声を低くして語りだした。
「じゃあもう一度、今度はゆっくり話すからね?」
「おねがい」
「これは私の知り合いのAさんから聞いた話なんだけど」
「Aさんね」
「Aさんの彼氏のBさんがバイトしてた時に」
「Bさん登場、Aさんの彼氏ね」
「ちょっと、話の腰を折らないでよヒロコちゃん」
「あ、あぁごめん」
眉根を寄せるカスミに、ヒロコは軽く頭を下げると話の続きをうながした。
「まったく……で、そのBさんのバイト先の店長のCさんが」
「店長のCさんね」
「……Cさんが深夜まで働いてた時の話なの。そこは飲食店で、片付けとかすると深夜までかかるんだって」
「飲食店って大変ね」
「だからCさんはいつも車で家まで帰るんだけど、その夜はスマホに奥さんのDさんから着信があったの」
「Dさん」
「そう、Dさん。用がないと電話なんてしてこないし、そもそもDさんは寝てる時間のはずだから何かあったのかと思いながら電話に出たら、Dさんのお父さん、ここではEさんとするね」
「Eさんがお父さんね」
「Eさんの持病が悪化して救急車で運ばれたんだって。お爺さんだから心臓が悪いって言われてたんだけど、その日ついに発作が来ちゃったらしいの」
「……そういうのってあるよね」
「怖いよね。それで、Eさんの奥さんのFさんが取る物もとりあえず地元の病院まで一緒に救急車に乗っていったんだけど、そこで当直の先生、えっとGさんとするね?」
「…………はい」
「Gさんから容体が急変してるから、ご家族に連絡をとってくださいって言われたらしいの」
「………………うん」
「だからFさんは娘のDさんと息子のHさんとEさんの弟のIさん妹のJさんに」
「ちょっと待って! やっぱりちょっと待って!」
「むぅ~、ヒロコちゃーん」
ふくれるカスミを前に、ヒロコは手を突き出して彼女の話を止めると、小声で指を折りつつ先ほどの登場人物の名前をつぶやき始めた。
「か、確認するわね……Dさんは奥さんよね?」
「そうだよ」
「それで旦那さんが心臓発作で?」
「違うよ旦那さんは車を運転してるの」
「あぁそうか、じゃあ心臓発作になったのは?」
「それはEさん」
「お医者さんがGさんで、Jさんは誰?」
「JさんはCさんが車を運転しようとした時に電話をかけてきたDさんのお父さんのEさんが運ばれた病院でGさんから危篤だって告げられたFさんが電話した相手だよ」
「あああああああああ!!!!!!」
教室に絶叫が木霊する。
その場にいた全員の視線が集まる中、ヒロコは天井を見上げながら高らかに叫んだ。
「わっかりにくいんだよおおおおおおおおお!!!!!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよヒロコちゃん! みんな見てるって!」
「知るかあああああ!!!!! 何がJさんだこの場にいる人数より登場人物が多いじゃねえかああああ!!!! もっと!! 人数を!! 減らせ!!!!」
ヒロコの悲痛な叫びもむなしく、カスミは首を横に振った。
「えぇ駄目だよヒロコちゃん。怖い話における登場人物は重要な要素でありつまりは必然的に話の根幹に関わるんだから。ここを減らしたらお話のプロットが崩れて全体のテーマ性がゆらいで別の話になっちゃうよ」
「えっとそれはどこかの映画評論家とかが言ってたやつ?」
「何言ってるの? マジメに聞いてよもう」
「ごめん……」
不満を口にしたカスミに、ヒロコは不承不承ではあるが謝罪をする。
確かに話の腰を折ったのはヒロコ自身であったし、カスミは大変分かりにくい内容の怖い話を長々と語ってはいたが、それが急に叫び声をあげてよい理由にはならないと、彼女も理解はしていたからだ。
ただ、少しまだ納得できていない部分がありはしたが。
「そうだ、ちょっと待ってカスミ」
カスミがまた語りだそうとした時、ヒロコは席から立ちあがると、教壇に上って黒板にチョークでAと記入した。
「登場人物を書いていくわ。これなら私にも理解できるはず」
「さすがヒロコちゃん、頭いいね」
「それほどでもないわ。さぁ話してちょうだい」
手を叩いて称賛してくれたカスミに自信に満ちた笑みを向けるヒロコ。
彼女は白チョークを手に黒板に向き直ると、カスミへ話を再開するようにお願いした。
「じゃあいくね。えっと、はじめからだと長いから少し省略するね。心臓発作で倒れた男が危篤状態だから親族が集まることになったの」
「最初からそう言いなさいよ!!!」
ヒロコは震える手でチョークをカスミに向ける。
「それならAさんだのBさんだのCさんだのここに書かなくていいでしょ! すっごい分かりやすい! ものすっごい分かりやすい!」
「えぇ今のだとディティールが違うじゃん。怖さのリアリティがわかないっていうかぁ」
「怖い部分に差し掛かってからでよくない!? そこオープニング部分なんでしょ!?」
「ヒロコちゃんは仕方ないなぁ。じゃあもうそれでいいよ。じゃあ怖い部分から話すね?」
「それでお願い」
ヒロコはチョークを離して席に戻ると、勢いよく椅子に座り直した。
「そんなに不機嫌にならないでよ」
「なってないわよ。っていうか、その怖い部分聞かせなさいよ。ここまできたら意地でも聞いてやるんだから」
「怖い話を意地でも聞きたがる人も珍しいよね」
「アンタがそうしたんでしょうが」
「ヒロコちゃんはワガママだなぁ……えっとね、心臓発作になった男の親族が病院に集まりました。男は自分が亡くなった後、彼らに配分する遺産について語りだしたの」
「まぁ、ありがちよね。亡くなったら絶対についてくる問題だし」
「そうだね。男の家には田舎の山や畑、古くなった家の他に由緒代々奉ってきた五つの宝があるの」
「宝?」
「そう、宝。これを仮にK、L、M、N、Oとするんだけど」
「はいストップ! レフェリーストップ!」
ここでレフェリーストップが入る。
怖い話レフェリーになったヒロコは手でカスミの言葉を制した。
「おっといきなりルールが出来ちゃった。なにかなレフェリー?」
「そのアルファベット使うのやめなさい! 何かあるでしょ名称!」
「怖い話にそういう固有の名称はないんだよヒロコちゃん。こういうのは誰が語ったのか誰に語り継がれるのか分からずインターネットの創作やコンビニ本、テレビ番組などから拾いあげられて再構築されてまた拡散されるという繰り返しが何年も続いた結果出来たある種のミームでありいわゆるお約束なんだから変に口を挟まないで?」
「おぉう……そ、そうなの……」
突然グイグイと解説しはじめたカスミに、ヒロコは何も言い返せなかった。
「……まぁでも、ヒロコちゃんが理解しづらいっていうなら今回は分かりやすさ重視で付けてあげるよ。えっと、それじゃあ男の家にある宝をそれぞれKさん、Lくん、M子、N男、Oちゃんとするね」
「いや待って待って待って……それって人間なの?」
「違うよ? あ、今のネタバレじゃーん。そういうの引き出すのやめてよヒロコちゃーん」
「違う! そうじゃなくて! なんで宝にまた勘違いしそうなちゃんとかくんとか付けるのよ! アンタ絶対にわざとでしょ!?」
「誤解だよひどいなぁ……じゃあわかった、宝は鏡、刀、巻物、皿、着物にするよ。これでいいんでしょ?」
最初からそうしろというツッコミを心の中に留めつつ、ヒロコはカスミに話を続けるように促した。
「それで? その五つの宝がどうなるの?」
「病室に集まった五人の親族に現金や土地の他に、その五つの宝を一つずつ渡すことにしたの。そうしたら、その宝はなんといわく付きだったらしくて、それから五人に奇妙なことが起こり始めたんだって」
「……なるほど、段々とホラーっぽくなってきたわね」
ヒロコは鞄から取り出した水筒のお茶で喉を湿らせた。
そこで一息つく雰囲気を感じたのだろう、カスミも机に置いていたペットボトルの蓋をあけて中身を飲み干していく。
「その奇妙なことって言うのが凄く奇妙で、まず鏡をもらった人がIさんなんだけど、Iさんは段々と自分の顔が識別できなくなっていったそうなの」
「何よそれ、どういう事?」
鏡の起こす奇妙な出来事に、ヒロコは身を乗り出した。
「だからね、鏡に映る顔って当然自分の顔じゃない? それが段々とIさんにはIさんに見えなくなってきて、ある日はJさんに見えたりまたある日はEさんに見えたり、ふとした瞬間にはそれがPさんになったりするの」
「ん?」
何かがおかしいと、ヒロコは首をかしげる。
「しかもその症状が遺産の鏡だけじゃなくて、洗面台やお風呂の鏡、ガラスとかとにかく顔が写るものだとなんでも、自分の顔がIさんじゃなくて、PさんやQさんやRさんやSさん、更にはそれらが混じって言うなれば(P+Q+R+S)÷4みたいな感じに」
「うんちょっとまって私も誰の顔なのか分からなくなってきた」
「だよね怖いよね。だって眉毛はSさんなのに目元はEさんで鼻はIさんだと思ったら全体をフッと見直したらJさんとPさんとEさんと足して犬で割ったみたいな顔になるんだよ? 怖くない?」
「そうね想像できない顔ねそれは」
「本当だよね。だからIさんは心を病んでその鏡を割っちゃったの! そうしたらどうなったと思う?」
「……Iさんには人の顔の区別がつかなくなったとか?」
「そうその通り! なんとIさんは誰の顔を見てもいろんな人の顔が混じった状態に見えるようになっちゃったの! 想像できるヒロコちゃん! この怖さ! 怖いでしょ!?」
「うんなんか私の頭の中でもそこら辺の顔が全部混じってるから怖さがよくわかるわウン……ってなるかああああ!!!!!」
「えっ!?」
「だから登場人物多すぎなんじゃあああ!!!!! 顔を足すな! 割るな! 混じらせるなああああ!!!!! 登場人物のビジュアル分からん状態でそれを話すことに少しは疑問を覚えなさいよ!!!!」
ヒロコの大声に教室中がシンと静まった。
カスミは自分たちに視線を向けている同級生に軽く手で謝る仕草をとると、ヒロコに向き直って口を尖らせた。
「ちょっと急に叫ばないでよヒロコちゃん! 怖いのはわかるけどそういうごまかし方は良くないと思う」
「そうじゃない。そうじゃないのよカスミ……どうして理解してくれないの」
「分かりました。ちょっと怖がらせすぎちゃったみたいだからもうすこしだけマイルドな表現にします。つまり、遺産の鏡をもらった男は顔の区別がつかずに狂ってしまい、鏡をたたき割ったんだけど結局は人の顔が全ておかしく見える呪いにかかったって話。これなら怖くないでしょ?」
「分かりやすいわね! 最初からそう言って欲しかったわ!!」
「ヒロコちゃんが楽しんでくれてよかったよ。じゃあ次ね」
分かりやすい、というヒロコの言葉をカスミはポジティブに受け取ったのか、顔をほころばせて次の遺産について語りだした。
「次は刀の話をするね。刀をもらったのは女の人だったの。彼女はJさん。Jさんは刀なんて使ったことも使うこともないからって押し入れにしまってたみたい。遺産だし売るのはさすがに……って思ったんだろうね。ところがこの刀が夜ごとにうめき声をあげるの」
「うめき声?」
「そう、うめき声。なんて言うと思う? 斬りたい、斬りたいって。人を斬りたいってうめくんだって」
その様子を想像し、ヒロコは顔をしかめた。
「うわ、なにそれ、妖刀じゃない」
「そうそう、呪われた刀だよね。Jさんは刀をお祓いに出そうと決心したらしいの。その時、何かの役に立つかと思って刀のうめき声をメモしてたんだって。それによると、まず一日目には一人を斬りたい、二日目も一人、三日目には二人、四日目には三人、五日目には五人、六日目には八人、七日目にはなんと十三人も斬りたいって言いだしたんだよ」
「んん?」
何かがおかしいと、これまたヒロコは首をかしげる。
「あまりにも怖くなったJさんはとにもかくにもお祓いをしてもらいに刀をお寺に持ち込んだの。そうしたらお寺にいた寺生まれの」
「ちょっと待って、それ……Tさん?」
「えっ……よくわかったねヒロコちゃん! もしかしてエスパー?」
「いや、うん、なんか恥ずかしくなってきたから触れないで……続けて」
瞳をキラキラと輝かせるカスミに、ヒロコは少し顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「そう、その寺生まれのTさんにお祓いを頼んだの。Tさんが刀の入った箱を開けると、刀が震えながらまたうめき声をあげだしたの。斬りたい、人を斬りたいって」
「まぁそういう刀なんだしうめくでしょうね」
「でも刀は意外にもTさんと対面すると別の言葉を言い出したらしいよ」
「あれ、そうなの?」
「うん。刀はTさんに向けて、今宵ワレの獲物は何匹か? と聞いてきたんだって」
「……なによそれ。そんなのわかる訳ないじゃない」
「だよね。いきなりそんな事言われてもわかる訳ないよね。さすがのTさんも悩んだんだけど、その時活きてきたのがJさんのメモだったの! なんとそのメモを見たTさんはカレンダーを見た後、刀に向かって五十五! って言ったらしいよ」
「……それで?」
「刀はそれを聞くと悲鳴をあげて折れちゃったんだって……それでおしまい。幸いJさんは刀の呪いから逃げられたみたいだけど、怖いよねぇ」
「いやちょっと、なんで五十五? いきなり出てきたわねそれ」
「怖い話ってそういうものだと思うよ?」
カスミの言葉に、ヒロコはちょっと急すぎないかと疑問を持ったものの、仕方ないのでそれを飲み下した。
所詮は作り話、細かいところまで理由を求めすぎるのも子供っぽいと感じたのだ。
「あれ、なにか納得できない? あぁもしかしてまた怖すぎちゃった?」
「いや、いいよゴメン。私が変なところに引っかかっただけだから気にしないで」
「ヒロコちゃんそういう所あるよね。仕方ないからこれも少しだけマイルドバージョンで話すよまったく。怖すぎる話っていうのも考えものだね」
「う、うん」
「つまりは女の人は夜な夜なフィボナッチ数列で犠牲者の数を語る刀を寺生まれのTさんのところに持って行ってハァ!ってしてもらってこと。これなら怖くないでしょ?」
「分かりやすいわね! それも最初からそう言って欲しかったわ!!」
「ヒロコちゃんが楽しんでくれてよかったよ。じゃあ次ね」
分かりやすい、というヒロコの言葉をカスミはポジティブに受け取ったのか、顔をほころばせて次の遺産について語りだした。
「次は巻物の話をするね。この巻物、中は白紙で何も書いてなかったんだって。受け取ったHさんは奇妙に思いながらもそれを自室の箪笥に箱に入れたままでしまっていたらしいの。ところがこの巻物が家に来た途端、恐ろしいことが起こり始めたのよ」
「な、なによ恐ろしいことって……」
「巻物に人が描いてあるの。全部で三人、HさんとUさんとVさん」
また人が増えたな、という顔をしたヒロコの様子を目ざとく察知したカスミは、大丈夫大丈夫と口にした。
「この話ではこれ以上増えないよ。それで、この巻物の持ち主のHさんなんだけど、UさんVさんとは昔は仲が良かったのに今はどういう訳か縁を切ってしまうくらい仲が悪くなっていたの」
「人間そういう時もあるわよ」
「まぁそうよね。そのHさんなんだけど、ある日の夜に巻物から呼ばれた気がしたんですって。それでふと巻物を開いてみると、そこには取っ組み合いをするHさんUさんVさんの絵が描いてあったの。そしてその隣に、この絵を傷付ければその傷が相手に返るって書いてあったんだって」
「なにそれ、まさに呪いの巻物じゃない」
「そうなの、怖いよね。Hさんは自分が描かれている事を不気味に思ったんだけど、大嫌いなUさんVさんがいる事に魔がさしちゃったのかな、ハサミでその巻物を切ったそうよ」
「……そうしたら?」
「UさんVさんの絵から血が出てきたんだって!UさんVさんの手から血!カットしたUさんVさんの手から!」
「んんん?」
何かひっかかるなと、またまたヒロコは首をかしげる。
「UさんVさんがカットされたの! UさんVさんが! カット! まさにUVカッ」
「ちょっと待ってね……念のために聞くけど、紫外線対策コスメの話じゃないわよね?」
ヒロコの問いかけにカスミは不服そうに反論する。
「ちがうよぉー! 怖い話してたでしょ!? なんでいきなりコスメの話するのよ!」
「そ、そうよね私の効き間違いね、ごめんなさい」
「いいよ? それで、手首を切ら、おっと、カットされた」
「ちょっと待ってなんでカットって言うの?」
「なにが?」
「いやなにがじゃなくて。切られたでいいでしょ、そこ」
「ダメだよヒロコちゃん、こういうのは言い方ひとつで話のイメージがガラッと変わっちゃうんだから。というわけでUVカットされた手首を見たHさんは」
「言っちゃったよUVカットって! そのイメージでいいのそれ!? 怖い話だよね!?」
「手首切れてるんだよ? 怖くないの?」
「そこはカットって言わんのかい!!!!」
ヒロコのツッコミにカスミはどこか満足気に口元を緩ませると、やれやれといった風に肩をすくめた。
「仕方ないなぁヒロコちゃんは。じゃあ切られたでいいよもう。それで、手首が切られたUさんとVさんの絵を見たHさんはどこか壊れちゃったみたいに二人の絵を細切れにしていったの。それはもう念入りに念入りに。ところが99%UVカットしたところで、おっと、全身のいたるところを切り刻んだところで、なんとHさんは間違えて自分の絵の首を切り離しちゃったんだって。すると、どうなったと思う?」
「ど、どうなったって……」
嫌な想像がヒロコの脳裏をよぎる。それは、いきなり人間の首がごとりと切り落とされる瞬間だった。
「もちろん、Hさんの首は胴体から切り離されたよ。それこそもうカットぶ勢いでスポーンと」
「なんて?」
「だからカットぶ」
「まって?」
「何よもうヒロコちゃん。今一番いい所なんだからしっかり聞いて?」
「ご、ごめん」
「ちなみに今のはカットとカットぶ勢いをかけたちょっとしたダジャレだから気にしないでいいよ。どう? 怖かった?」
「……分かりやすいわね! あとそのダジャレはここぞという時に使ったほうがいいと思うわ!!!」
「ヒロコちゃんが楽しんでくれてよかったよ。じゃあ次ね」
分かりやすい、というヒロコの言葉をカスミはポジティブに受け取ったのか、顔をほころばせて次の遺産について語りだした。
「次はお皿の話をするね。ヒロコちゃん、お皿といえば思いつく怪談なにかない?」
「え、お皿? それならあのお皿を割った人が」
「そう答えはあの有名な皿屋敷のお話だよ。これはあのお話にちょっと近いんだけど、まずお皿を受け取ったのはEさん。Eさんはお皿を床の間に飾っていたらしいの。そうしたら、そのお皿から夜な夜なすすり泣く声が聞こえてきたんだって」
「定番中の定番だけどやっぱり怖いわね……」
「そうだよね、私も話してるのに怖くなってくるよ。そのお皿からはすすり泣きと共に女性の声が聞こえてくるの。声の主がなんて言ってるのか気になったEさんは、勇気を出して草木も眠る丑三つ時にお皿の飾ってある床の間に近づいたらいしんだ。そうしたら、女性の声が……呼んでるんだって……」
「呼んでる……」
「そう……皿1、皿2、皿3、皿4、って、お皿の名前を呼んでたらしいよ……」
「んんんん?」
やっぱり何かひっかかるなと、たびたびヒロコは首をかしげる。
というか何かどころではなかった。
急に頭の中から吹っ飛んでしまった怖いイメージに、ヒロコは思わずカスミの話を止めてしまった。
「まって」
「ヒロコちゃんどうしたの?」
「なによ皿1って」
「ほら私ってお皿の種類とか詳しくないでしょ? 多分、あのイマリ? とかクタニ? とかそういうのだと思うんだけど、不確かな情報で話すと詳しい人からすると引っかかっちゃって怖さが半減しちゃうじゃない? だからいっその事番号呼びで行こうかなと思って」
「皿1とか皿2とか言われる方が怖さ半減よ!! 半減どころかゼロよゼロ!! もうその仮置きならなんでもいいじゃない! 皿じゃなくても竹馬でもどんぐりでも!」
「じゃあヒロコちゃんの好きなゴリラの種類にする?」
「別に好きじゃないわよ! いや嫌いってわけじゃないけど私の中の好きなものランキングで特に意識してないゾーンの存在よゴリラは!」
「遠慮しないでいいよ。それじゃあやり直すね」
カスミは小さく咳払いをすると、まるで枯れるような頼りない声でゴリラの種族名を呼び出した。
「ニシローランド……クロスリバー……マウンテン……ヒガシローランド……」
「ストップストップストップストーップ!! やめなさい! イメージが壊れる!!!!」
休息に床の間に湧き出したゴリラと、それの中心に鎮座する皿のイメージに頭を抱えるヒロコ。
カスミはそんな彼女の様子に、ゴリラの種族名を声に出すのをやめた。
「あぁ良かった。実は私ってゴリラの種族名さっきの4種類しかしらなかったの。もう少ししたらゴリラ5、とかになっていたところだよ」
「見切り発車もいいところね! というかそうじゃない!! ゴリラやめなさいよ!!! 本筋がまったく追えないわよ皿どうしたのよ皿ぁ!! イメージの中でゴリラが暴れまわってて皿どころじゃないわよ!!」
「もうワガママだよヒロコちゃん。じゃあこの話も要約しまーす。えっと、夜な夜なすすり泣く皿をもらったEさんは家の皿を全部割っていくんだけどすすり泣きが止まらず、最後にはそのお皿ごと抱えて飛び降り自殺しちゃったって話です。どう? これならゴリラ出てこないからわかる?」
「……メッチャ分かりやすいわね! 最初からそうして話してくれたらすごい助かったんだけどな!! すっごく!!!」
「ヒロコちゃんが楽しんでくれてよかったよ。じゃあ次ね」
分かりやすい、というヒロコの言葉をカスミはポジティブに受け取ったのか、顔をほころばせて次の遺産について語りだした。
「最後は着物の話をするね。着物を受け取ったのはDさんだったわ。Dさんはその着物を大切にタンスにしまっておいたの」
「まぁ着物を普段から着る人は少ないし、私もそうするわね」
「だよね。で、その着物なんだけど、これがまた奇妙なことを起こす着物で、なんとDさんを死に誘う着物だったの!」
「ありがちだけどまっとうに怖いやつじゃない」
「そうでしょそうでしょ? Dさんが眠りにつくたび、夢の中でもらった着物を身に着けた女性、WさんXさんYさんZさん達がこちらに来いこちらに来いと誘うらしいの」
「また人が増えたな」
「もう増えないから大丈夫だよ。それで、Dさんは自分が夢の中にいて、この人たちが自分が幼い頃に亡くなったお祖母ちゃんやひいお祖母ちゃんだって気付いたんだって。そして彼女たちの誘いに乗るともう戻ってこれないことも理解できてたみたい」
「夢ってそういうものよね」
「そうだね。それで、Dさんはまだ死にたくないから抵抗するんだけど、XさんもYさんもしきりについて来なさいついて来なさいと誘うの。そこでDさんはちょっと考えて、比較的乗り気じゃなさそうなWさんに向けて、Wさんの旦那さんがWさんの亡くなった後に実家の梨農園を一部売り払って駐車場にした話をしてみたんだって」
「んんんんん!?」
どう考えても何かひっかかるなと、しきりにヒロコは首をかしげる。
急に主婦が知恵をひねって非常識なやつを相手に上手く立ち回った自慢話のような展開が始まったことに、ヒロコは困惑を隠せずにいた。
「そうしたらWさんが急に方言丸出しで怒りはじめて、Dさんの夢からいなくなったんだって」
「ちょっと、それここから怖くなるの?」
「え、なるよ? もう寝たきりの旦那さんの夢枕に立ったWさんが土地の権利書を出せって悪夢を見せたせいで旦那さんが飛び起きたってエピソードが……やっぱり土地関係は怖いよね。ヒロコちゃんもこれはさすがに怖いでしょ?」
「……なにが怖いかに関しては分かりやすいわね! でもその怖い話は着物の件とは別で話してくれてもよかったかな!!!」
「何を言ってるのヒロコちゃん。怖い話っていうのはこういうものだよ」
ヒロコの提案を切って捨てたカスミは、ちらりと部屋の時計を確認した。
「それにしても遅いね。生徒会の用事って、プリントを受け取るだけって言ってたのに何やってるんだろうね」
「え、えぇ……言われてみればそうね。何やってるのかしら」
二人は顔を見合わせて改めて時計を見た。
時刻は午後四時四十五分。
日が傾き、教室に広がる影が徐々に伸び始めている。
気付けば他のクラスメイトは皆おらず、教室にはヒロコとカスミしか残っていなかった。
どことなく不気味な雰囲気がするのは、さきほどまで怖い話をしていたからだろうか。
ヒロコがカスミに声をかけようと視線を向けると、すでにカスミが彼女を見つめていたようで、至近距離で二人の視線が交わった。
「……最後に、短くて、一番怖い話をしてあげるね」
「……なによ」
その時、ヒロコの心の中に小さな疑問が浮かんだ。
目の前にいる奈良寺カスミは、こんなにも。
―――こんなにも、無表情であっただろうか。
「ネェヒロコチャン……」
「…………ッ!!!!! あ……あぁ……あああああああああ!!!!!!!」
二人きりの教室に。
オトメノ ヒメイガ ヒビキワタル。
「おまたせー。ごめんね、ちょっとプリント受け取ったときに先輩と長話しちゃって…………二人とも、なにしてるの?」
「英語! 課題!! 今日締め切り!!!」
「いやー、すっかり忘れてたよ。助けてぇー」
鞄から筆記具を引っ張り出し、クシャクシャに丸められていたプリントに英文を殴り書きする二人。
課題の提出期限は原則として締め切り日の午後五時まで。
二人は今この世で最も怖い五時の鐘に怯えながら、必死に課題を片付けるのだった。
【終】
怖くない怖い話でした。