2-3.
「お、お婆さんが並走してますよ!」
「はい!おそらく、その方が最近多発している事故を引き起こしている元凶のはずです!」
老婆は、見た目はいかにもステロタイプな見た目のかっぽう着のお婆さんといった感じだが、短距離走のトップ選手のような素晴らしい前傾姿勢のフォームで、腕を振り上げ、大きな歩幅で高速道路を疾走している。
実に見事だ。だからこそ奇妙で、だからこそ場違いなのだが。
「馬鹿な! こっちも八〇キロはでてますよ!」
「はい! 百メートル走の世界記録のトップスピードを時速に換算しても四五キロ程度だそうですから、人間ではないことは確かでしょう!」
そんなことを言っている間に、老婆はぐんぐんとスピードを上げ、もうずっと前のほうまで行ってしまった。
前方の車列が少し乱れている。老婆に驚いているのだろうか。このままではいつ事故が起こっても不思議ではないだろう。
「空子さん! どうするんですか!? 逃げられますよ!」
「逃がすわけにはいきませんね。私達はあいつを退治しに来たんですから」
空子がハンドルを切り、追い越し車線に車が移ると、更にアクセルを踏み込み速度を上げる。
空いた道は走る老婆もぐんぐんと速度を上げていく。離されんと空子もアクセルを踏みしめる。
「ちょ、ちょっとスピード出し過ぎじゃないですか!?」
周りの景色がビュンビュンと目まぐるしく過ぎてゆく。スピードメーターを見ればすでに一二〇km/hを優に超えている。
「まだまだ飛ばしますよ!」
「ひえ~」
空子はさらに速度を上げるが、老婆との距離は一向に縮まらない。
そんな人と車のカーチェイスを十分ほど続けた頃、駆人は異変に気付いた。
他の車が全然いない。更にまるで見憶えのない所に来ているのだ。
道の左右には急斜面と暗く深い木立が迫っている。
最初に乗ったインターチェンジからどちらへ走ってもこんな木々が生い茂る山の中には入らないはず。なにかがおかしい。
「どうなってるんですか? 近くにこんなところがあるとは思えませんが」
「これは……、奴の領域に誘われたようですね」
「奴の領域?」
「怪奇空間とでも言いましょうか。いわばさっきまでいた神社のようなものです。普通の人には視認できない、魔の領域」
神妙な顔でそう語る空子の横顔を、駆人は無言で見つめることしかできなかった。
「スピードが我々をここへ誘ったんでしょう」
まるで訳が分からない。単語も、理屈も、何もかも。
取り合えず駆人は……。
「そのようですね」
適当に相槌を打つことにした。
緩やかなコーナーの続く道が続き、車の速度はますます増す。
大した説明もなされないままによく分からない場所に連れまわされているが、駆人はあまり恐怖や不安を強くは憶えない。
昨晩の天子もそうだったが、その妹である空子もまた、言い表せない信頼感、安心感を放っている。化け狐だ、と言われると、本当に得体のしれない力なのかもと疑ってしまうが、それよりもこれは『年の功』? ……。あまり本人達には言わない方がいいだろう。
「駆人君。カーナビを確認してもらっていいですか」
「は、はい!」
半ば上の空で前方を眺めていた駆人は、急に名前を呼ばれて飛び跳ねる。ダッシュボードにはめ込まれたカーナビを見てみると、現在の位置とまるで違う所を指しているように見える。町の中の道路や建物を無視して走っているように映っている。
「あれ、全然違う所が映ってますね」
「怪奇空間と言うのは間違いなさそうですね。では、画面の『妖』と書いてあるボタンを押してください」
空子の指示通りにカーナビを操作すると、自身の現在位置が道に沿うように動く地図に切り替わった。周りに他の道はなく、自分達の走る一本の道のみが表示されている。
「あの、この道から出ることってできるんでしょうか」
「逃げ出すことはおそらく無理でしょう。この空間を出るのは奴を退治するしかないはずです。それまではここを走るしかないでしょう」
「ひえ~」
「それより、辺りが暗くなってきました。カーナビを見ながら道を指示してもらえますか?」
そう言われて気付いた。窓の外が暗くなっている。前方は道の両側の照明と、この車のヘッドライトで何とか照らされているくらいだ。昼過ぎに神社を出て一時間も走っていないはずなのに、夜のような暗さになっている。
「あの老婆のことですが」
更にしばらく走った後、駆人が口を開く。
「思い出しました。あれは都市伝説です。確か名前は『百キロババア』」
「百キロババア……。既に一五〇キロを超えてますけどね」
こちらがどれだけ速度を上げても、追いつく気配は一切ない。際限なく加速していく。