1-3.
三度の鬼ごっこ。少年の体力もそろそろきつい。
「少年! さっきの話の続きじゃ」
走りながら話を続ける気だ。彼女も息が切れ気味だが。
「まだ続けるんですか? もう追いつかれちゃいますよ!」
「だからこそじゃ! あの話には続きがあるじゃろう!」
「続き?」
「そうじゃ! 出会ってしまった時の対処法とか、弱点とか!」
少年は考えた。そうだ、ああいった噂話には、ただ怖いとか、語り手が死んで終わりとかではなく、実際に現れるので気をつけろ、対処しろ、と言う話がつきものだ。
つまり彼女はあの化け物、口裂け女の弱点・対処法を教えろと言っているのだ。
口裂け女の弱点……。
少年はこういった話に興味がある方ではあるのだが、如何せんその話が流行ったのは昔の話、少年が生まれているかいないかくらい。
その話も本などに書いてあるのを娯楽として読んだだけ。そんな話を走りながら思い出すのは些か難しい話であった。
考えている間に、追ってくる口裂け女は距離を詰めてきた。その手の大鎌を二人に向けて振り下ろす。
その一撃は何とか左右に避けて交わしたが、もう長くはもたない。
「早く、早く思い出すんじゃ!」
「分かってますよ! 分かってますけど……」
そんなことを言い合っている間に、口裂け女は二撃目を繰り出そうと再び大鎌を持ち上げた。
「くっ……。狐火ーム!」
彼女は振り向き倒れながら手のひらからの光線を放ち、大鎌に照射した。光線は大鎌を押し返す。さながら光線と大鎌の鍔迫り合いだ。
「長くはもたんぞ! 何とか思い出してくれ!」
彼女が叫ぶ。光線で抑えられている大鎌の切っ先は、抑えていなければ今にも彼女の胸に突き刺さらん勢い。
少年は足を止めて、なんとか冷静に努めて考えた。
確かに口裂け女の話は本で読んだはずだ。対処法についても書いてあった。なにか、そう、確か『合言葉』があったはずだ。それを言えば逃げられるとか、やっつけられる、みたいな話だ。
問題はその『合言葉』だ。食べ物の名前? 違う。薬の名前? 違う。シャンプー、化粧品……。何か近づいているような気がする。話が古ければ『合言葉』も古いものだったはずだ。
「確か、髪につけるもの……。そうだ。髪につける」
「なんじゃ! リボンとかか!?」
「違います! ヘアワックス……、じゃなくて、いや、それの聞きなれない名前だったような」
一方、口裂け女の鎌を抑える、彼女が放つ光線は少し勢いが弱くなってきたように見える。
「ぐぐぐ……。そろそろキツイぞ! 何かヒントはないのか!」
逼迫する彼女の声に、少年は頭をフル回転させる。
「確か、そう、古いものだった。僕は知らなくて、でもおじいちゃんの家で見て、これかってなった記憶が……」
「ヘアワックス、古い……。もしかして『ポマード』か!?」
「そう! 『ポマード』!」
少年が叫んだ瞬間、口裂け女の体がビクリと跳ねた。それと同時に大鎌にかかる力も弱くなったようだ。
「おお、効いているようじゃ!」
「ぽ、ポマード! ポマード! ポマード!」
少年が『合言葉』を放つ度に口裂け女の体から力が抜けていく。何度も続けるうちに、ついには手に持った大鎌を取り落とし、恐ろしい口も力なく閉じていく。
「よくやった! 少年よ。後はわしに任せろ!」
彼女は勢いよく立ち上がると、今度こそという風に姿勢を正し、広げた手のひらを腕を伸ばし奴に突きつけた。
「狐火ーム!!!」
やはり技の名前を叫びつつ、彼女は手のひらから光線を放った。
光線が直撃した口裂け女は悲鳴を上げ、少しづつ姿が薄れていく。そして、その体はみるみる内に跡形もなく消え去った。
「き、消えた? やったんですか?」
「そのようじゃ。我々の勝利! 危機は去った、ってところかの」
「助かった……」
今度こそ安息を手に入れた少年は地面に座り込む。その傍らで彼女は勝利を讃えるようにその肩を叩くのであった。
しばらく後、ようやく落ち着いた少年は立ち上がり、彼女に礼を言う。
「本当に助かりました。あのままだったらとてもじゃないけど逃げきれてませんでしたから」
「礼を言うのはこちらもじゃ。わし一人ではあやつを倒すことはできんかった。お主が対処法を思い出してくれたから勝つことができたのじゃ」
少年は表情を緩め、照れたように頭をかいた。
「おお、そうじゃ少年よ。こんな夜中に出歩くのは何か用事があったんじゃなかろうか?」
「ああ、そうだ。コーラを買いに行こうと外に出たんでした」
「そうか。どれ、今回の礼じゃ。わしが買ってやろう」
二人は並んで自動販売機を目指して歩き出す。口裂け女との追いかけっこで、最初の自動販売機からは大分離れてしまったが、少年の自宅までの帰り道になるので都合は良かった。
そこまでたどり着くには少々時間がある。間を持たせるために、少年は今回のことについて質問することにした。
「あいつ……、口裂け女には、何故最初には光線が効かなかったんですか? 化け物には効く、って言ってましたよね」
「ああ、あやつは普通の化け物とは違って……、普通の化け物ってなんかおかしな表現じゃが。お主がやったように対処法や弱点を突いてやらねば倒すことができないのじゃ」
「なるほど。でも化け物に効くような光線を撃てて、口裂け女については知らなかったんですか?」
「んむむ。痛いところを突くのう。じゃが、わしらがああいった手合いにはうといのは確かじゃし。おそらく、お主がやらねばあやつへの効き目はなかったはずじゃ。」
「僕が? というか、あなたは何者なんですか?あんな光線が撃てる時点で、タダモノじゃないのはわかりますけど」
「ん?わしか?わしは……、おっと、この自販機じゃな」
そんな話をしているうちに、最初に口裂け女と出くわした場所の自動販売機にたどり着いた。彼女が取り出し口に何かあるのに気づき、手を伸ばすと、少年が買ったコーラがまだそこにあった。
「む、コーラがあるぞ」
「ああ、そうでした。買ったところで奴と出くわしたんでした」
「そうか。これはもうぬるくなっとるし、新しいのを買ってやろう……」
彼女は新しいコーラを購入し、すでにあった物と合わせて少年に手渡した。
「ほれ。ぬるくなったのは持って帰って冷やしてから飲めばいいじゃろ」
「ありがとうございます」
「わしも何か飲むか」
彼女は続けてアイスコーヒーを購入すると、グイと缶を傾けて一気に飲み干した。
「ふう。さっきの質問の続きはまた会うことがあれば答えることにしよう。出会わなければ、忘れることじゃな。今日のことも、わしのことも」
「え、あ、あの……」
「さらばじゃ。少年よ。あまり遅い時間に外を出歩くでないぞ。特にこんな……」
「『オカルトアワー』にはな……」
そう言いながら、彼女は持っていた缶を自動販売機の隣に設置してあるゴミ箱に投げる。缶はすっぽりと投入口に入った。
缶の行方に気を取られていた少年が、女性の方に目線を戻した時、その姿はいずこかへと消え去っていた。
少年は、どこか釈然としない気持ちのまま、とにかく帰宅の路についた。
出た時と同じように音をたてないように静かに家に入り、寝間着に着替えて、冷えたコーラに一口口をつける。
ぼんやりと時計を眺めると時計は午前二時半を指していた。長々と走り回っていた気がするが、実際には一時間もかかっていなかったのか。
「オカルトアワー、か」
彼女が最後に言った言葉を思い出しつつ、布団に潜り込んだ。疲れと眠気と非現実感でフワフワとした気分のまま、眠りに落ちるまでに時間はそうかからなかった。