錬金術師と街の外
お店で昼食を取った後、街の外へ行く準備を軽く整える。
とはいえ必要な物は『ミネランベリー』を入れるための空きの袋と、いざという時に使う『元素石』以外特になく、それも常時ローブに括り付けてあるためほとんど確認だけで終わった。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん、行ってきます」
ロザリーの見送りでお店を出た私は、急ぎ足で森林を抜けて街へと向かう。
まだ太陽は頂に昇ったばかりだが、日が暮れて視界が悪くなる前には街に戻ってくる必要がある。
それに、夕暮れから起き出し夜の間活発に行動する夜行性の魔獣もおり、それらは昼に活動している魔獣よりも凶暴と聞いている。
先生と一緒に街の外へ行った時も昼間だったため会ったことがないが、もし遭遇してしまったらと考えただけでも背筋が凍る。
早くも慣れてきたお店から街への道のりを足早に歩き、朝よりも人で賑わう中央の広場を抜け、商業区へと入る。
街から外へ出るためには、街を囲う灰色の壁の東西南北にある門を通る必要がある。
ゆえに『妖精の贈り物』から一番近いのは東門なのだが、出発前にボダンさんに一声掛けておこうと思い、こうして大通りから一本南の通りを歩いている。
ちょうどお昼時だからだろうか、露店の多い大通りと比べると人通りの少ない道を、左右に並ぶお店をきょろきょろと見渡しながら歩く。
やがて緑色の軒だしテントにデフォルメされたウシの絵が大きく描かれたお店を見つけた。
「あの、こちらボダンさんのお店ですか?」
「はいはい、そうだよ。何だい、お嬢ちゃん、お使いかい?」
軒下に立っていた女性に話しかけてみると、ボダンさんのお店で間違いないようで、軽快な返事を貰う。
しかしその後、なぜか目元に微笑をたたえて「えらいねえ」と褒められてしまう。
確かに身長が平均よりも低めなのは自覚しているが、そこまで子どもに見えるのだろうか。
「えっと……。私、ボダンさん……じゃなくて、ダミアンさんからウシの餌について相談を受けている、錬金術師のレティシア・ライエです」
「ああ、あんたが噂の錬金術師さんかい! あたしはマチルド、旦那から話は聞いているよ。悪いね、小さいからてっきりどこかの家のお使いか何かだと思ったよ」
「あ、あはは……。よく言われます」
故郷サントスに住んでいた時も、市場に買い物へ行くとよくお使いと間違われていたことを思い出して、思わず目を逸らして乾いた笑いを漏らす。
気を取り直してダミアンさんの奥さんのマチルドさんに視線を戻すと、ここへ来た目的を告げる。
「お伝えしていた動物用の栄養食の『ミネランフィード』に関して、作り方が分かりました。今から素材を取りに行くので、お持ちするのは明日か明後日になると、ダミアンさんに伝えて頂けますか?」
「承知したよ。ところで、取りに行くってどういう意味だい?」
「あー、えっとですね。マイナーな素材なので売っているお店を探すのに時間が掛かるんです」
「ふうん、そうなのかい」
おそらくここで正直に「街の外へ取りに行く」と言うと、ロザリーの時のようにまた驚かれたり止められたりするだろうと思い、私は咄嗟に誤魔化す。
マチルドさんは疑うような視線を向けてくるが、しばらくすると表情を崩して納得したように頷いた。
「旦那の我が儘に付き合わせて悪いね。すまないけど、よろしく頼むよ。そうだ、お礼と言っちゃ何だけど、これ飲んでいきな」
「わあ、ありがとうございます!」
隣に積んであった木箱から牛乳のビンを一本取り出して手渡してきたので、ありがたく受け取っておく。
ビンの蓋にもダミアンさんのエプロンや軒だしと同じウシの絵が描かれており、私は思わず顔をほころばせる。
「それはあたしが描いたんだよ。なかなか良い出来だろう?」
「はい、とっても可愛いです!」
「そうかいそうかい、嬉しいこと言ってくれるね! 牛乳が欲しかったらまた来な! 安くしとくよ!」
「あはは、ありがとうございます」
私が力強く頷くとマチルドさんは嬉しそうな顔をする。
牛乳を頂いて空になったビンを返した後、私はマチルドさんに別れを告げて街の西側にある門へと向かい再び歩き始める。
意外と話し込んでしまっていたのか、大通りに戻るとお昼時の混雑は少しだけ解消されおり、さらに門へと近付くごとに人の数は減っていく。
やがて街を囲う五メートル以上ある灰色の壁を見上げるまでに近付いた頃には、周囲には誰もいなくなっていた。
いや、正確には街の外へと繋がる門の下で、鎧を身に付け長い槍を手にした二人の門番さんが、向こうにいるらしき誰かと言い争っていた。
流れる冷ややかな空気に思わず引き返しそうになるが、今から他の門へ向かうのも時間が勿体ない。
自分のタイミングの悪さに嘆息すると、胸の前で握りこぶしを作って「よしっ!」と気合を入れ、私は門へと向かう。
「――だから本当に紛失してしまったのだ」
「分かった分かった、何度も聞いたよ」
「何度言っても信じてくれないではないか……む?」
「うん? どうした?」
門番さんが私に気付いたようでこちらを振り返り、位置がずれたお陰か門の外にいる男性の姿も視界に入る。
狩猟師だろうか、腰に大きな剣を携えたその男性は、私を見た途端に怪訝な顔付きになった。
それは門番さんたちも同様で、二人で顔を見合わせた後、そのうちの一人がガチャガチャと鎧のすれ合う音を立てながら近寄ってきた。
「お嬢ちゃん、こんなところでどうしたんだい? 迷子かい? ここには見ての通り街の外への門しかないよ?」
「いえ、ちょっと街の外に用事があるので来たんです」
「あー。えっと、知っていると思うが、この壁の向こう側には魔獣という危険な生き物がいてね。基本的に許可のない人を通すわけにはいかないんだ」
「もちろん知っていますよ。はい、これ」
私はあらかじめローブの内ポケットから取り出しておいた鈍い色をした金属製のカード――街の外へ出るための許可証――を門番さんへと手渡す。
門番さんはきょとんとした顔で受け取るとそれを覗き込み、すぐに目を大きく見開いた。
そして目を疑うように私とカードで視線を何度も往復させる。
言いたいことは分かるが、そこまでびっくりしなくても良いのにと思ってしまう。
私は少し頬を膨らませながらも、驚きで言葉が継げないのか口をパクパクとさせている門番さんへ声を掛ける。
「あの、どうしました?」
「――はっ! す、すまない……。確かに、本物の許可証のようだ」
「そうでしたか、それなら良かったです」
我に返ったようにカードを返してくれた門番さんににっこりと微笑みかけて受け取ると、ローブの内ポケットへとしまう。
そして念のため門を指差すと「通っていいですよね?」と聞いておく。
「ああ、もちろんだ。おい、このお嬢ちゃんを通してやれ」
「おいおい、嘘だろう?」
「嘘を言ってどうする。このお嬢ちゃんは錬金術師で、許可証を見る限り既に何度も街の外へ行ったことがあるようだ」
「……マジか」
「マジだ」
許可証を確認した門番さんから話を通されたもう一人の門番さんは、先ほどまで口論していた狩猟師らしき男性の肩を掴んで門の端へ下がらせる。
私は頭を軽く下げてお礼を言うと、門番さんと男性の隣を通り過ぎるように門を抜けた。
その際、男性の視線が私のローブの右側に括り付けられた袋へと向いていたような気がして振り返るが、男性は再び門番さんと言い争いを始めていたところだった。
「気のせいかな……?」
首を捻ってそう独りごちると前へ向き直り、広がる草原へと足を踏み出した。
◇◇
一口に魔獣と言ってもその生態はさまざまだ。
平原や森に生息するものもいるし、水中に生息するものもいる。
そんな魔獣だが、平原に生息する個体はたいてい小型で危険度が低く、森や山、洞窟といった辺境の地に生息する個体は平原とは比べ物にならないほど凶暴という特徴がある。
先生に連れられて何度も山や森へ行ったことがあるが、そういう魔獣は遠くから一目見ただけで、絶対に遭遇してはならない存在だと分かる。
どうしてもそこにしかない素材が必要な場合は、腕利きの狩猟師でも雇うしかないだろう。
とはいえ今回の目的の素材である『ミネランベリー』は幸い平原に生えている植物らしく、平原に生息する魔獣であれば私でもなんとかなる。
「……なる、と良いなあ」
そう小さく呟いて背にした岩からそっと顔を出して覗くと、体長三十センチくらいの魔獣が三匹、地面に生えた草を食べていた。
長く伸びた耳が特徴的なウサギに似たその魔獣は、名前もアッシュラビットとそのままだが、異様に発達した後ろ足と口から覗く牙、そして赤く染まった鋭い眼が、ウサギとは別の生物だと物語っている。
街から出てしばらく経った頃だっただろうか。
岩の近くに生えているという『ミネランベリー』を探している最中、このアッシュラビットと遭遇した。
幸いにも岩から岩へと移動していたためすぐに隠れることができたのだが、それが仇となった。
私が隠れた岩の十メートルほど手前までやってきたアッシュラビットたちは、ああして草を食べたり毛づくろいをしたりして居座り始めてしまったのだ。
すぐにどこかへ行くだろうと思って様子を見ていた私は逃げる機会を失くし、そして今に至る。
右手は『元素石』の入った袋へと伸びており、いざとなれば戦う覚悟もあるが、できれば避けたい。
私が戦いはあまり得意でないというのもあるが、三匹を一度に相手にするのはかなり危険だし、何より魔獣の声や『元素石』の光や音などで別の魔獣を呼び寄せてしまう可能性があるからだ。
早くどこかに行ってくれないかなと期待を持ったまま様子を見ていると、アッシュラビットたちが突然耳をピンと立てて辺りを見渡すように顔を動かし始めたため、私は慌てて顔を引っ込める。
もしかして気付かれたかと右手で袋の中の石を一つ掴んで取り出し、痛いほどに早鐘を打つ胸を左手でギュッと押える。
息を殺して聞き耳を立てていると、草をかき分ける足音は遠ざかっていくように聞こえる。
数秒経ったのか、それとも数十秒経ったのか。
自分の心臓の音以外に何も聞こえなくなった頃、私は意を決して岩陰から顔を出した。
「……はあー」
何もいない平原を見て、私は思い出したかのように息を吐き、岩へ背中を預ける。
どうやら気付かれずにやり過ごせたようだ。
しっかりと握り込んでしまっていた右手をゆっくりと解いて、『元素石』を袋の中へ戻す。
そのまましばらく息を整えた後、少し震える足に喝を入れて立ち上がる。
念のため周囲を見渡しておくが、一面の緑にところどころに灰色の岩があるだけで、他の魔獣が近くに現れた様子はない。
なぜ唐突にアッシュラビットたちが移動したのかは分からないが、ともかく戦いにならずに済んだのは幸いだ。
「もっと気を付けていかないと……」
前までは先生が一緒にいたため、いざとなれば助けてくれただろうが、今は一人だ。
緊張からか少し集中力が欠けていたらしい。
私は「よしっ!」と軽く両頬を叩くと、前まで以上に周囲を警戒しながら再び岩陰を探して回る。
そして、アッシュラビットに遭遇してから三十分ほど後。
街を囲う灰色の壁が視界に収まりそうなくらい街から離れた場所の岩陰に、ようやく目的の素材『ミネランベリー』を見つけたのだった。