錬金術師と初めてのお仕事
木々の向こうにお店の特徴的な赤い屋根が見えたところで、私は「そういえば」と呟いてから隣を飛ぶロザリーへ顔を向けた。
「うん? どうかした?」
「聞いておきたかったんだけど、ここってお風呂とかある?」
「あー、ないね。アタシ、お風呂入らないし」
「……え」
想定の斜め上の発言に思わす足を止めてロザリーをまじまじと見つめてしまう。
お風呂入らないってまさか……いやでも面倒臭がりそうなロザリーならあり得るか……。
「何考えているかよーく分かるけど、違うからね。アタシのサイズで人が入るような大きさのお風呂があったって仕方がないでしょ?」
「確かに……。あれ、でも、お店の二階にあった家具とかは全て普通の大きさだった気がするんだけど」
「あー、あれは人が来た時用にあえて普通にしてあるんだよ」
「なるほど」
訪問時に通された部屋のイスやテーブルが全て妖精サイズだったらと想像して納得する。
……ミニチュアのイスにちょこんと座ったロザリーを思い浮かべて、ちょっと可愛いかも、と思ったのは内緒だ。
「だから普段は裏の井戸で水浴びしてるの」
「……それ、冬場は寒くない?」
「うん、とっても寒いよ。だからお風呂は欲しいなー、って毎年冬になるたびに思うんだけど、次の春になるとすっかり忘れちゃうんだよね」
苦笑いを浮かべるロザリーだが、その気持ちはとても良く分かる。
分かるのだけれど、そのうち風邪でもひきそうと心配になってしまう。
私は気合いを入れるように両手を胸の前へ持っていき握りこぶしを作る。
「今年は私も使いたいから、絶対に作ろうね!」
「うん。でもまずは赤字をなんとかしないとね」
「……が、頑張ります!」
先は長そうだな、と思いつつ、ひとまず目の前のお仕事をしっかりこなそうと切り替える。
再びお店へ向かい始めたロザリーの隣に並んで歩きながら、頭の中で『妖精の塗り薬』について考える。
『妖精の塗り薬』を作るのに必要な素材は三つ。
一つは『オウカ草』で、それは今採取してきた。
二つ目は水だけど、これはどこででも手に入るから問題ない。
最後に『活性粉』と呼ばれる植物を挽いた粉で、動物の餌や畑の肥料などに良く使われ、どこにでも売っている。
確かロザリーのお店の棚にも見かけた気がする。
「ロザリー。お店に『活性粉』ってあったよね?」
「うん、あるよ? 一度も売れたことないけど」
街中の色々なお店で買えるんだし、わざわざ雑貨屋さんで買うような物ではない。
でもそれを聞いて安心した。
お店のドアの前まで到着したところで足を止め、ローブの左側に括り付けられた袋を持ち上げる。
中にはさっき採取した『オウカ草』が入っている。
「『妖精の塗り薬』の素材として必要だから用意してもらっても良い? 私はこれの土や汚れを軽く落としてくるから」
「りょーかい。井戸はあっちにあるからね」
「分かった、ありがとう」
お礼を言ってからロザリーが指差したお店の東側へと、並んだ鉢の花を眺めながら進む。
先ほどのロザリーとの会話や少し悲しそうな表情を思い出すが、こんなに綺麗な花を咲かせることができるなら素敵な力だと、少なくとも私は思う。
やがて見えてきた石造りの井戸へ近付き、さっそく蓋の上へ袋から出した『オウカ草』を並べる。
昔ながらの手押しポンプを押すと、軽い手応えとキイッという音とともに水がこぼれた。
井戸の上に伏せてあった桶を水口へ置き、何度かポンプを押して水を貯め、そこで『オウカ草』についた土を落としていく。
しばらくその作業を繰り返した後、最後に桶をすすいで元にあった場所へ戻す。
軽く伸びをしながら空を見上げ、故郷サントスと変わらず照らす太陽に目を細める。
だいぶ日が高くなってきたし、もうすぐ正午だろうか。
「……さて、戻ろうかな。お昼前には片付けておきたいな」
誰ともなしに呟くと、軽く振って水気を落とした『オウカ草』を手にお店へと戻った。
◇◇
お店のドアを開けると、いつものロザリーの飛び回る姿や元気な声がなく、私は首を傾げる。
もしかしてまた驚かすつもりかなと思い慎重に店の奥へと進むと、テーブルの上に口が紐で縛られた茶色の麻袋が二袋置いてあり、その横でロザリーが足を投げ出して座っていた。
どうやらうたた寝してしまっているようで、麻袋に寄り掛かって目を閉じ、すうすうという寝息を立てている。
まだお昼前なのにと苦笑しつつ起こそうとそっと近付き――手を伸ばしたところで立ち止まってしまう。
会った時から飛んだり笑ったりしていることが多かったため気付き難かったけど、こうしてじっとしている姿を見てみると、まるでお人形さんのようだ。
可愛い黄色のノースリーブドレスと、胸元や腰にはアクセントの赤いリボン。
艶やかな金色の髪が流れる肌も白く陶器のように綺麗で、思わず見惚れてしまう。
「……起きている時とは別人みたい」
「う……ん。……ん、あれー、れてぃ?」
私の呟きが聞こえたのか、それとも気配を感じ取ったのか。
ゆっくり目を開けたロザリーは、とろんと焦点の合わない目をこちらに向けて名前を呼ぶ。
寝ている姿も可愛いしもう少し見ていたかったなと残念に思いつつ、私は返事をする。
「おはよう、ロザリー。もうお昼だけどね」
「……んーっ! ごめん、寝ちゃってた」
「ううん。こっちこそ待たせちゃったみたいでごめんなさい」
「アハハ、全然問題ないよ!」
器用に片手の人差し指で目をこすりながらもう片方の手を上げて伸びをすると、今度こそ目が覚めたようで、その場に立ち上がる。
そしてさっきまで寄り掛かっていた麻袋をポンポンと片手で叩いた。
「あとこれ『活性粉』、用意できてるよ。ちょっと古いから確認して使ってね」
「ありがとうございます。えっと、お代は……」
「いーよいーよ、どうせ売れないんだし。『妖精の塗り薬』の方が需要あるし。その分、良い物を作ってよ」
「あはは、責任重大だ。頑張ってみるよ!」
微かな緊張感を胸に、私は『活性粉』を『オウカ草』とは別の手に持つ。
私の手ほどの大きさながらずっしりとした重みに、二つは持てないなと考えていると、もう一つをロザリーが抱えて飛び上がった。
「ありがとうございます」
「どーいたしまして。その代わり、作っているところ見ても良い?」
「もちろん」
そんな会話をしながら階段を上がり、二階の中央のテーブルに持っていた素材を置く。
ロザリーもそこへ『活性粉』を置くと、朝と同じようにイスの背もたれの部分へふわりと座るように着地した。
続いて私はベッドの隣に置いたままのボストンバッグから紐で縛られた巻物を取り出す。
紐をほどいて広げて確認してみるが、破れたり痛んだりしている箇所はなく、問題なく使えそうだ。
スクロールをテーブルの上へ広げて置き、そこに描かれた丸や三角が組合わさったような図形――隙間にはびっしりと文字が書き込まれている――が全て見えるように物で押さえる。
「ふーん。レティもオレールと同じでスクロールなんだね」
「うん、私はこれが一番使いやすいかな。持ち運びもできるし、こうしてテーブルの上でも使えるから、意外と便利なんだよ?」
錬金術を行う際に必須となるこの図形は、素材に間接的に触れられる場所であればどこに描いてあっても問題はない。
私は先生に影響されてスクロールに描いており、それが持ち運びの面も含めて一番使いやすいと思っているが、人によっては釜や容器の底へ刻み込んだり、杖の先や手袋の甲に描いたりしている。
もちろんそれぞれに利点があり、大きな釜であれば容量を気にしなくても良いので大量生産に向いているし、手袋であれば街の外など危険な場所でも即座に錬金術を使うことができる。
スクロールはロザリーに言った通り、両方の利点をある程度あわせ持った万能型と言える。
「なるほどねー。それにしても、何度見てもこの図形は意味不明だね」
「実は私もしっかりとは理解できてないんだ。この外側の大きな円が『世界』で、中の上下左右の小さな円がそれぞれ『四元素』を表しているみたい」
「あ、それ、オレールにも聞かされたことあるよ! 中央の円がエーテルだって!」
「うん、その通り。他の線や文字も色々と意味があるそうだけど、私には何が何やら……」
「まー、全部分かるのなんて学者か、オレールみたいな変わり者だけだよ」
先生が変わり者というロザリーの言葉に思い当たる節が多くて苦笑する。
実際、先生はこの図形の意味を全部とは言わないがほぼ理解しているらしい。
でも、錬金術を使うだけなら図形の意味を理解する必要はない。
錬金術に必要なのは、素材の持つ効力や特徴、宿った四元素を把握すること、そして図形へ注ぎ込むエーテルの量やタイミングを調整する技術の二つだけだ。
……もちろんこれは先生の受け売りであって、駆け出しの私はまだ素材の把握すら怪しいのだけれど。
ただ、今から作る『妖精の塗り薬』に関しては、先生に教わりながら何度も作った経験がある。
必要な素材も揃っているし、その把握もしっかりできている。
そもそも『妖精の塗り薬』は、『オウカ草』が持つ薬としての効力を水の元素で高め、『活性粉』で固めてクリーム状にするだけの簡単な物だ。
注ぎ込むエーテルさえミスしなければ大丈夫なはず。
「じゃあ、さっそく作ってみるね」
「うん、お願い」
ボストンバッグから一緒に取り出しておいた金属製の器をスクロールの上に置き、『オウカ草』と『活性粉』を確認しながら乗せていく。
さらにロザリーに断りを入れてからコップを手に取り、水道で水を汲んできて注ぎ込む。
何度か素材の量を確認した後、「よし!」と気合いを入れてからスクロールへ手を伸ばす。
慎重な面持ちで素材の入った器を見つめるロザリーをちらりと一瞥してから素材へ視線を戻し、身体の中を巡るエーテルに意識を向ける。
エーテルとは生き物が体内に持つエネルギーのことで、錬金術とはそのエーテルを触媒にして素材同士を繋げる術である。
エーテルが腕を通り、ゆっくりとスクロールへと流れていく。
そのまま目を凝らしてスクロールを見つめ、適量のエーテルを注ぎ込んだところで止めた――次の瞬間。
スクロールに描かれた図形が白色とも黄色ともつかない淡い色に光り出した。
やがてその光は素材までをも覆っていき、数秒ほどで収まった。
私はスクロールから手を離すと器を持ち上げ、恐る恐る中を覗く。
「で、できたの?」
私の緊張が伝わったのか、ロザリーもごくりとつばを飲み込み、緊張の混じった声で問い掛けてくる。
「……うん、成功だよ!」
器の中に入ったクリーム状のもの――紛れもなく『妖精の塗り薬』――をロザリーへ見せ、私は歓喜の声を上げた。
先生がいない場所で初めての錬金術だったけど成功した。
そのことが嬉しくて震える手でなんとか器をテーブルに置いた途端、ロザリーがイスから飛び上がって私の周囲を回り始めた。
「やったね! おめでとう、レティ!」
「ありがとう……! ロザリーが素材集めとか協力してくれたお陰だよ!」
私も小さくガッツポーズを決めつつ、感謝の意を伝える。
『オウカ草』があったのはロザリーのお陰だし、『活性粉』もお店の物を使わせてもらった。
ロザリーがいなければ成功どころか成立さえしなかった錬金術だ。
しばらく回っていたロザリーは再びイスの上へ着地すると、屈託のない笑顔を向けてきた。
「んふふ、そう言ってくれるとアタシも嬉しいよ。じゃ、まだまだ素材はあるし、今日はどんどん作っちゃってね!」
「うん! ……へ?」
勢い良く頷いた後、しかし何か妙なことを言われた気がして、思わず気の抜けたような声を上げてしまう。
「えっと……これで完成じゃないの?」
「いやいや、それだけじゃ一個分にしかならないよ? せめて五、六個は欲しいかな」
器に入ったクリームを再度覗くが、確かにいつもの缶一個分の量しかなさそうだ。
がっくりと肩を落としてうなだれた後、両手で頬を軽く叩いて気合いを入れ直すとまた顔を上げる。
「――よし、分かった! 今日は素材があるだけ作っちゃうよ!」
「さすがレティ、その意気だよ!」
ロザリーに応援されながら、私は胸の前で握りこぶしを作るのだった。