錬金術師とエーテル欠乏症
「――エーテル欠乏症、ですね」
突然倒れたロザリーを抱えて駆け込んだ街の診療所。
そこでお医者さんから告げられた病名を理解するのに、私はしばらくの時間を要した。
知らない病名という訳ではない。
むしろとても有名な、そして私自身もつい最近その名を目にしたばかりの病。
「それって……」
「ああ、あなたは確か錬金術師でしたね。ならご存知でしょう? エーテル欠乏症を治す手段は、現状一つだけ」
「……『エリクシール』」
「そう。かの霊薬だけです」
何代か前の王太子が患っていた不治の病。
それこそがエーテル欠乏症である。
エーテルとは生き物が体内に持つエネルギーのこと。
それが不足すると頭や身体が疲れたように重くなる。
通常であれば不足したエーテルは自然と回復するのだが、エーテル欠乏症の人はそれがない。
日を追うごとに体内のエーテル量が減って症状は悪化していき、立って歩けなくなり、寝たきりになり、食事もままならなくなり……。
そして最後には――死に至る。
「どうして、そんな急に……」
「分かりません。エーテル欠乏症は未だほとんどが謎に包まれた病気なのです」
ただ、救いもある。
エーテル欠乏症は、不治の病とかつて恐れられていた病気であるということ。
原因不明でも『エリクシール』という治療薬だけは存在する。
「分かりました。しばらくロザリーをお願いします」
「どうするつもりでしょうか?」
「……『エリクシール』を作ります」
自分自身に言い聞かせるよう、はっきりとそう言い切る。
それしかロザリーが助かる方法はないのだ。
実力不足だの素材が足りないだの、四の五の言っていられない。
「ロザリー。少しだけ待っててね。すぐに薬を作って持ってくるから」
「んう、ん……」
綺麗な金色の髪に指を通すと、ロザリーの口からうめき声が微かに漏れる。
力なく絞り出されたようなその声に、思わずぎゅっと唇を噛む。
そして、再度優しく髪を撫でた後、私は診療所を出た。
◇◇
『エリクシール』を作るのに必要な素材は全部で四種類。
素材の一つである『クーレ溶液』は既に手元にある。
そのため、私が集めるべき素材は残り三種類――『サラマンダーの鱗』、『星屑の貝殻』、そして『氷晶花』である。
どれも希少な素材であり、普通に市場に出回っているような代物ではない。
となると、自分で探すか、それを持っていそうな人から譲って貰うしか方法はない。
一度『妖精の贈り物』へ戻った私は先生に貰った本でそれだけ調べると、手提げカバンに必要な物を詰めて再びお店を出た。
そして一時間後、北の大通りから少し西に外れた一角。
他とは比べものにならないほど高い塀で囲まれたお屋敷――このリガロの街の領主モルガン・イース・リガロ様の住むお屋敷の門前で……。
私は兵士に追い払われて途方に暮れていた。
当たり前と言えば当たり前である。
普通、領主様に会うためには何日も前から手紙をやり取りした上で面会の約束を取り付ける必要があるのだ。
領主様と知り合いでもなければ面会の約束をした訳でもない私。
しかも今は早朝、袖にされるのは当然と言える。
ちなみに、先生は普通に国王様と手紙を送り合っていたが、あれは先生が特別なだけだ。
「うう……どうしよう。今から面会の約束をしようとしたら、何日後になるんだろう……」
先生に手紙を送れば素材も入手できるとは思うが、残念ながら先生は今王都にいる。
手紙を送ってから素材が届くまでにはかなりの日数が必要だろう。
それと領主様に会えるのはどちらが早いだろうか――そんなこと計算をしていた、その時だった。
「――あら? もしかして、レティシアお姉様ではなくて?」
聞き覚えのある特徴的な喋り声が耳に届き、私は勢い良く振り返った。
そこにいたのは、鮮やかな金色の巻き毛の少女。
数か月前、立ち往生していた旅商人の馬車で出会った女の子――シルヴィーちゃんだ。
以前より落ち着いたドレスを身に纏っているが、その楚々とした雰囲気は変わっていない。
予想外の出来事で呆気に取られつつも、私はなんとか声を絞り出す。
「え、なんでシルヴィーちゃんがここに?」
「それはこちらの台詞ですわ。どうしてレティシアお姉様がわたくしの家の前にいらっしゃいますの?」
「シルヴィーちゃんの、家の前?」
首を捻りながら周囲を見渡してみるが、この辺りの家は領主様のお屋敷しか存在しない。
私はおそるおそるお屋敷を指差し尋ねてみることに。
「えっと、ここ?」
「ええ、その通りですわ。そういえば、レティシアお姉様にはきちんと自己紹介しておりませんでしたわね。――改めて挨拶させて下さいませ」
シルヴィーちゃんはスカートの裾を摘むと、美しく貴族の礼をする。
「わたくしはモルガン・イース・リガロが一人娘、シルヴィー・イース・リガロと申します。今後ともよろしくお願いいたしますわ、レティシアお姉様」
そしてにこやかに微笑んだ。
私は驚愕のあまり言葉を紡げず口をパクパクと無為に開け閉めしてしまう。
そんな私に助け舟を出してくれたのは、いつの間にかシルヴィーちゃんの後ろに控えていたメイドさんだった。
「シルヴィーお嬢様。立ち話も何ですので、お屋敷の中にご案内されてはいかがでしょうか?」
「それもそうですわね。レティシアお姉様、お時間よろしくて?」
「え? う、うん」
よろしいどころか願ってもない申し出である。
メイドさんとシルヴィーちゃんに案内されるがまま門を潜り敷地の中へ。
門を通る際に兵士が訝しげな目を向けてきたが、今度は特に何も言われず素通りできた。
さすがに兵士さんに申し訳なく思いつつ、とはいえ言葉に出すのも変なので、心の中だけで謝っておく。
綺麗に整備された庭を横切り、お屋敷の中へ入る。
ずんずんと歩いて行くシルヴィーちゃんを追い掛け、豪華な廊下を進むこと数分。
やがて案内されたのは客室ではなくシルヴィーちゃんの自室だった。
部屋の中には可愛らしい装飾が施された家具がいくつも置かれている。
シルヴィーちゃんはそんな家具を避けて奥へ進んでいく。
そして大人が手足を広げても十分に余るくらい大きなベッドの縁に腰掛けると、私を手招きした。
「こちらにいらして下さいませ、レティシアお姉様」
「あ、うん」
部屋の入口近くにテーブルとソファ、窓際にもティーテーブルがあるのに、なぜベッドを選んだのだろうか。
ちらりと横を見ると、ドアの隣にひっそりと佇んでいるメイドさんがまるで「どうぞ」と言うように頷いた。
考えても仕方がない、というより驚きすぎてちゃんと頭が回らない。
私は観念してシルヴィーちゃんがポスポスと叩いているベッドに腰を下ろした。
「それで、レティシアお姉様はどうして家の前にいらっしゃったのかしら?」
「えっと、ちょっと長くなるんだけど……」
「構いませんわ」
シルヴィーちゃんに促されるよう、私はロザリーのこと、エーテル欠乏症のこと、そして『エリクシール』を作るための素材のことを順に説明していく。
やがて全てを話し終えると、シルヴィーちゃんは腑に落ちたように頷いた。
「事情は分かりましたわ。それでは、わたくしの権限でお父様との面会の場を設けましょう」
「……え? い、いいの?」
「もちろん。わたくし、レティシアお姉様のためでしたら助力は惜しみませんわ!」
鼻息を荒くしながら胸を叩くシルヴィーちゃん。
そう言って貰えるのはとてもありがたいのだが、どうしてここまで親身になってくれるのだろうか。
正直、私はシルヴィーちゃんに対して何かをした覚えはない。
馬車の一件も個人の話ではないし、それ以外で彼女に会ったことはないはずだ。
そもそも、シルヴィーちゃんは出会った時からやけに親しげに接してきていた気がする。
あの時は錬金術が珍しいのだと思って気にしていなかったのだが、今になってみると不思議である。
「ねえ。シルヴィーちゃんは、どうして私にここまで協力してくれるの?」
「まあ、もう隠す必要はありませんわね。実はわたくし、以前からお姉様のことは存じ上げておりましたの。正しくは、王都でオレール様からお姉様のお話を伺った時から、ですわね」
「え……先生?」
静かに告げられたシルヴィーちゃんの言葉。
まさかシルヴィーちゃんの口から先生の名前が出てくるとは思わず、私は目を丸くしてしまう。
聞くところによると、シルヴィーちゃんは以前からちょっとした持病があって王都に滞在していたらしい。
治療は難しいとされていたその病気。
しかし、王都にひょっこり現れた先生がその完全な治療薬を作ってしまった、という話だ。
いかにも先生らしい話である。
「その際にレティシアお姉様のお話を伺って、ぜひともお会いしたいと願っておりましたの」
まさかあんな運命的な出会いをするとは思ってもみませんでしたわ、と頬に手を当てるシルヴィーちゃん。
私は苦笑いを浮かべつつも、いろいろなことに辻褄が合って納得する。
その後、興奮冷めやらぬままのシルヴィーちゃんから、先生から聞いたという私の話を十数分に渡って聞かされ。
恥ずかしさのあまり、あわや顔から煙が出そうになったところで、またしてもメイドさんが助け船を出してくれた。
「お嬢様。午前中であれば旦那様のご都合も良いそうなので、折を見て来て欲しいとのことです」
知らないうちに領主様の予定を確認してくれていたらしいメイドさん。
というより、一体いつの間に部屋を出て帰ってきたのだろうか。
「分かりましたわ、ありがとう。それではお姉様、さっそくお父様のところへ参りましょうか」
「うん、分かった。メイドさんもありがとうございます」
「いえ、これが仕事ですので」
そっけない返事をするメイドさんだが、しかしその唇の端が微かに上がったのが見えた。
シルヴィーちゃんの部屋を出て、メイドさんの案内で再び長く続くカーペットを歩く。
やがて連れて来られたのは位置的に屋敷の中心にある一室だった。
メイドさんが木調のドアをコンコンとノックすると、部屋の中から「入りたまえ」という声が聞こえた。
「失礼いたします。旦那様、シルヴィーお嬢様とそのお客様をお連れいたしました」
「ああ、ありがとう」
おそらく領主様の執務室なのだろう。
手前にテーブルを挟んでソファが二脚、あとは本や書類などが詰まった本棚が壁際に並んでいるだけの質素な部屋だった。
そして部屋の最奥、執務机の向こう側に、その男性は座っていた。
見た目はまだ三十代前半といったところだろうか、シルヴィーちゃんの年齢を考えると思ったよりも若い。
執務机で上半身しか見えないが、すらっとした体格に豪華過ぎないけれど程よく洒落た服装。
そして、少し濃い目ではあるがシルヴィーちゃんとよく似た金色の髪は、適度に切り揃えてある。
彼がこの街の領主、モルガン・イース・リガロ様で間違いないだろう。




