錬金術師とオウカ草
窓から差し込む暖かな日差しで目を覚ますと、見慣れない天井がそこにあった。
ぼうっとする頭でここはどこだろうと何度か目をしばたたかせていると、徐々に意識がはっきりとしてくる。
同時に昨日の出来事――故郷サントスを離れて新しい街リガロへやってきたこと、『妖精の贈り物』という雑貨屋さんで妖精の女の子ロザリーと出会ったこと――を思い出す。
「……そっか。ここ、お店の二階か」
上体を起こし、うーんと伸びをする。
ベッドの隣にある窓から外を眺めると、朝日が木漏れ日となって森林の中を照らしており、まるで窓枠という額縁に収まった一枚の美しい絵画のようにも見える。
今日も一日良い天気になりそうだ。
次に首を回して左手側、つまり部屋の中へと目を向ける。
テーブルやイス、タンスなど一通りの家具は揃っており、その中の青色のソファを見ると、そこには毛布が無造作に置かれていた。
昨夜、寝る場所をどうしようかと困っていたら、ロザリーがベッドを譲ってくれたのだ。
というより元々あまり使っていなかったらしく、先生から手紙を貰って慌てて毛布を干したりシーツを洗濯したりしてくれたらしい。
そして当のロザリーはというと、普段はソファで毛布にくるまって寝ているようだ。
そのソファに毛布しかないということは、ロザリーは先に起きたのだろう。
「起こしてくれればいいのに……」
口を尖らせて言ってみたものの、それは贅沢な我が儘だということは承知しているし、気をつかってくれたのだろうと思うと少し嬉しい。
実際、初めての飛行船の旅で疲れが溜まっていたのだろう、昨日はロザリーと話をしながら軽く食事をした後、すぐに寝てしまったのだし。
ベッドから降りるとネグリジェを脱ぎ、いつもの白のシャツワンピースに着替える。
ブーツを履き、髪を整えながら、そういえばこの家お風呂なかったような……と昨日案内された時のことを思い出す。
数日くらいなら濡らしたタオルで拭くだけでも良いが、一年は滞在する以上、お風呂は欲しい。
もしかしたらお店の外にあるのかもしれないという淡い期待を抱きながら、後でロザリーに聞いてみようと心に留めておく。
「よしっ、今日から張り切っていくよ!」
「朝から元気だねー」
「――ひゃうっ!?」
胸の前で握りこぶしを作って気合いを入れていると、突然ロザリーの声がして飛び上がるように驚いてしまう。
早鐘のようにドキドキと打つ胸を押さえて声がした方へ顔を向けると、下に続く階段からひょこっと顔だけ出していたロザリーと目が合った。
「お、おはようございます、ロザリー。いつからそこに……?」
「うん、おはよう、レティ。起きた音がしたから今来たところだよ」
ロザリーは挨拶を返すと二つに束ねた金髪を揺らしながらふわっと飛んできて、部屋の中央に置かれたテーブルの上に着地する。
そしてにんまりと笑みを張り付けた顔を向けてきた。
「やる気があるのはアタシも良いことだと思うよー」
「えっと、ありがとうございます?」
「どーいたしまして。ということで、さっそくお願いがあるんだけど」
「お願い……? えっと、私にできることならいいけど、何かな?」
私は不穏な空気を感じつつもお願いとやらを聞いてみる。
ロザリーは笑みを保ったまま可愛く首を傾けると、
「『妖精の塗り薬』、作ってくれない?」
と告げた。
◇◇
軽く焼いた白パンを小さくちぎり、ジャムを塗って口に運ぶ。
何かのハーブを使ったジャムだろうか、甘い香りが口の中に広がる。
何度か咀嚼し飲み込み、木製のコップに注がれた牛乳を飲んだ後、私は口を開いた。
「それで、先生の代わりに私が『妖精の塗り薬』を作れば良いの?」
「うん。オレールの手紙にはそう書いてあったよ。王都に行く関係でしばらく納品できないからー、って」
「先生……そういうことは前もって言っておいて下さいよ……」
相変わらずどこか抜けている先生に対して愚痴を漏らし、ため息を吐く。
そのため息に反応したのか、向かいにあるイスの背もたれの上に座っていたロザリーが上目づかいに見上げてくる。
「もしかして、作れない?」
「――あ、ごめんなさい。作ったことはあるから大丈夫。ただ、素材を持ってきていないから……」
「なんだ、そんなことかー。作れないと言われたらどうしようかと思ったよ」
安心したように胸を撫で下ろすロザリー。
今言った通り『妖精の塗り薬』を作るのは私でもできる。
ただ、問題は素材が足りないことではなく、その素材が採取できる場所にある。
「で、何が必要なの? 買い出しに行くならありそうなお店を教えるよ?」
「えっと、『妖精の塗り薬』には『オウカ草』という薬草が必要なんだ」
「……あー、そういうことね」
『オウカ草』は優秀な薬草である半面、森の中にしか生育していない植物で、市場にも出回ることも少ない。
サントスの街にいた頃は先生が知り合いからいつも仕入れていたため家の中には必ず備蓄があったのだけど、今『オウカ草』を入手するには街の外へ採取に出る必要があるのだ。
そして、街の外には魔獣と呼ばれる凶暴な動物が生息している。
魔獣は人や動物を見境なしに襲う。
わざわざ街の外へ出るのは、魔獣のお肉や毛皮などを目的とした狩猟師か、あるいは『オウカ草』のように街の外にしか存在しない植物や鉱物を採取したい人くらいのものだろう。
ロザリーは腕を組んでうーんと唸った後、何かを思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「『オウカ草』なら確か採れるよ!」
「採れるって、一体どこで?」
「んふふっ! それは見てからのお楽しみ! 朝ご飯食べて出掛ける準備できたら、声掛けてね!」
「え、ちょっと、ロザリー……!?」
いたずらな笑みを浮かべたロザリーはそんな言葉を残し、制止する私を置いてふわふわと飛んで階段から下りていってしまう。
「――もうっ!」
訳の分からないまま取り残された私は、頬を膨らませると手に持ったままのパンを粗雑にちぎる。
やがて食事を終えると食器を片付け、イスに掛けてあったローブを羽織ってから一階に続く階段を下りた。
一階――つまりお店のスペースでは、ロザリーが棚から棚へと飛び回っていた。
物を運んでいる訳ではないので売り物のチェックでもしているのだろうか。
声を掛けて良いのか迷っていると、階段の方へ飛んでくる途中で気付かれる。
「ん、早かったね。ちょっとだけ待ってて」
「うん、分かった。……品物の確認?」
「まー、そんなところ。生物は置いてないんだけど、それでもダメになっちゃう物はあるからね」
そう答えながらも手は止めず、いくつか棚を確認するとカウンターテーブルに置かれた紙に何かを記載する、という作業を続ける。
数分ほどその姿を目で追っていると、一段落付いたのか私の近くへ飛んできた。
急いでくれたのか「ふう」と息を吐き、手の甲で額の汗を拭う動きをする。
ちなみに汗をかいている様子はない。
「お待たせー、レティ」
「もう良いの?」
「うん、今日の作業は終わりだよ。後は誰か来たら対応するだけ。まー、一日に一人来るか来ないかだけどねー」
「え……それでこのお店、大丈夫なの?」
「アハハ、大丈夫な訳ないじゃん。ここ最近はずっと赤字だよ」
ふわりと近付いてきた後、何が可笑しいのか私の肩を小さな手でぺちぺちと叩きながら笑う。
笑いごとじゃないような、と心の中で突っ込みを入れるが口には出さない。
「だからレティには期待してるんだよ」
「……私、お店の経営なんてしたことないよ?」
「そっちじゃなくて、錬金術の方ね」
いやいや、と顔の前で手を横に振るロザリー。
それを見て勘違いをしたと気付き、顔がかあっと熱くなる。
『穴があったら入りたい』とは良く言ったものだと思う。
「そ、そうだよね! 錬金術だよね! 何言ってるんだろう私……うう、恥ずかしい……」
「まあまあ。経営もやってくれて良いんだよ?」
「もう、ロザリー!」
照れ隠しで手を伸ばすが、ロザリーはするりと避けて離れると、そのままお店のドアまで飛んで行ってしまう。
「ほら、『オウカ草』採りに行くよー」
「あ、待ってー!」
器用にドアを引いて外に出ていくロザリーを追いかけ、私もお店の外へと駆けて行った。
◇◇
「そういえば、この花はロザリーが育てているの?」
お店の外に出てロザリーに案内されるようにお店の裏手に回った私は、そこにも咲いている花たちを見てふと疑問に思ったことを尋ねてみる。
東側は見ていないが、おそらくこのお店を囲うように鉢に植えられた植物が育てられているのだろう。
「んー、そうとも言えるかな」
ただ、珍しく歯切れの悪い返事が戻ってくる。
首を傾げつつ、どういうことかと聞く前に、ロザリーが言葉を続ける。
「それはまた後で話すよ。とりあえず今は着いてきて」
それだけ言うと、森林の奥へふわふわと飛んでいってしまう。
有無を言わせない様子に、気になるけど聞けないもどかしさを感じながらも、はぐれないようにと小さな後ろ姿を追う。
そして木々の間を抜けるように歩くこと数分。
ロザリーが「あった!」という声とともに停止し、とある木の根本を指差しながら私の方を振り返った。
「ほら、あれが『オウカ草』でしょ?」
「……本当だ。でも、どうしてこんなところに?」
近付いて屈み込み、本物だと確認したところで疑問が口をついて出る。
ここが森林の中で周囲に自然が多いとはいえ、その程度で育つ植物ならとうの昔に栽培されているだろう。
なら、この場所にしかない条件があるはずだと辺りを見渡し、やがてロザリーと目が合った。
「もしかして、ロザリーが何かしたの?」
「アハハ……、バレちゃったか。まー、別に何かした訳じゃないんだけどね」
後ろ手を組んだロザリーはどこか力のない笑みを浮かべる。
そしてすうっと近くまで移動してきた後、おもむろに片手を木に添えて、青々と茂った葉を見上げた。
「アタシたち妖精族ってね、恵みの種族なんだ」
「恵み……?」
「うん、恵み。妖精族が住む場所は自然豊かになるって噂、聞いたことない? あれ、ホントの話でねー。アタシがこの街に来てお店を開いた時、こんな森林なかったんだ」
「え? でも、こんなに自然豊かな……あっ……」
「そ。アタシがここに住み出してからこの森林はできたんだ。まー、もともと放置されてた場所だから草は生え放題だったけどね」
そこでふと、お店の周囲に咲いていた花のことを思い出す。
鉢に植えられていたからロザリーが育てているのは間違いないと思うが、あれはむしろ育っていると言った方が正しいのか。
だから私が質問した時、あんなはっきりとしない返答だったんだと思い至る。
「そうだったんだ……。ごめんなさい、変なこと聞いちゃったみたいで」
「あっ! 別にイヤとかじゃないんだよ! お陰で花も種を植えておけば勝手に育ってくれるし、こうして珍しい植物も手に入るし! むしろラッキー、みたいな!?」
「ふふっ、何それ」
焦ったように両手を大きく振った後、ガッツポーズを決めたロザリーに、つい口元がほころぶ。
もちろんそれが本心ではないことくらい、語っている時の憂いを帯びた表情で分かる。
それでも、私のために気丈に振る舞ってくれることが嬉しく、そして同時に悲しくもある。
だから私も、今は知らない振りをしておくことにする。
「ささ、早く採取して戻ろう! お客が来たら大変だからね!」
「……お客、来るの?」
「ぐっ……! こ、来ないと思うけど……」
「あはは、冗談です」
「は、謀ったなっ!」
話している間に質の良さそうな物をいくつか採取し、ローブにぶら下がった布の袋へ入れた私は、立ち上がるとすぐさまお店へと向かって駆け出す。
後ろを「待てー!」と言いながら飛んで追いかけてくるロザリーのこぼれるような笑顔を見て、私も温かい気持ちになるのだった。
ちなみに、飛んでいるロザリーから逃げ切れる訳もなく、すぐに追い付かれてしまったのは言うまでもない。