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錬金術師と先生

「あれ? 先生、出掛けるんですか?」


 それはいつものように午後の作業に取り掛かろうと部屋を出た時だった。

 黒いシャツの上から外行きのローブを羽織ろうとしていた先生が、私の呼び掛けに手を止めた。


「ええ、ちょっと国王から呼び出しが掛かりましてね。その準備のために町まで買い出しです。まったく彼は毎度厄介ばかり頼んできて……。気が滅入りますよ」

「国王様を厄介呼ばわりですか……。怒られますよ?」

「前にも話しましたが、今の国王とは幼い頃からの知り合いです。今さらお互いに遠慮なんてないですよ」


 先生は丸いメガネ越しに見える目を細め、口元をわずかにほころばせた。

 きっと私には分からない信頼関係が築かれているのだろうと思うと、なぜか少し寂しく感じる。

 私は頭を軽く振って気持ちを切り替え、その後ふと疑問に思ったことを口にした。


「では、また私は留守番ですね。いつ頃戻られるんですか?」

「おや、言っていませんでしたか? 今回は長期の依頼なので、少なくとも一年は戻らないですよ?」

「――え?」


 しかし私の想定していた返答とは異なり、先生はきょとんとした表情で、けれど耳を疑うような言葉を口にした。

 私が物心ついた頃から先生が国王様に呼ばれることはたびたびあったが、たいていは二、三日、長くても一週間で帰ってきていた。

 一年も家を空けるなんてことは初めてで、私は驚きのあまり言葉が紡げず、魚のように口をパクパクとさせてしまう。


「そういえば、長い間家を留守にするのは初めてですね。とはいえ……ふむ。レティ、手紙を書くので用意をお願いできますか?」

「は、はい!」


 名前を呼ばれたことで我に返った私は、慌ててバタバタと靴を鳴らして近くの棚まで駆け寄り、二段目の引き出しを開ける。

 あまり物覚えの良くない私だが、さすがにずっと暮らしてきた家の中くらいは把握している。

 特に先生は良く手紙を書くこともあり、半ば冷静さを欠いた状態でも迷わず手紙用の紙と万年筆を探し当てることができた。


 それらを手に取り後ろを振り返ると、先生は羽織りかけていたローブを再び玄関ドア近くのポールハンガーへ戻し、部屋の中央に置かれたテーブルにつくところだった。


「お待たせしました!」

「はい、ありがとうございます」


 柔らかな笑みを浮かべて手紙と万年筆を受け取った先生は、封筒から紙を取り出してテーブルの上に広げる。

 そして万年筆を手にするとすぐさま何かを書き始めた。


「王都へお手紙ですか?」


 先生の向かい側のイスを引いて腰掛けた私はつい手紙を覗き込むように身を乗り出してしまう。


「レティ。書き始めとはいえ人の手紙を覗き込むものではありませんよ?」

「――あ。ご、ごめんなさい」

「いえ、分かってくれればいいのですよ。この手紙は国王ではなく昔の知り合いへ向けてですね」


 先生は三十六歳とまだ若い方だが、国王様から――もちろん知り合いというのも大きいだろうけど――直々に手紙を頂くほど優秀な錬金術師だ。

 その腕の良さは王国内だけでなく周辺他国にも広がっており、家にこもって研究ばかりしている割に意外と顔が広い。

 今書いている手紙もそんな知り合いの一人に向けてだろうと私は納得する。


「それと先ほどの話の続きですが、今のうちに部屋の片付けと荷造りをしておいて下さい」

「荷造り、ですか?」

「ええ。私がいない間レティ一人にしておくのは心配ですので、知り合いに預かって貰えないか頼んでみます」


 先生は心配と言うが、私だってもう十五歳だ。

 確かに錬金術の腕はまだまだ未熟だけど、一通りの家事ならこなせるし、普段に暮らしていくだけの生活力はある。

 むしろ生活力という点では先生のほうが大丈夫かと心配したくなる。

 普段はしっかりしているが、こと研究となると食事も忘れ没頭してしまう癖があるからだ。

 ……私も王都へ同行するべきだろうか?


 そんな私の心配をよそに、手紙を書き終えたらしい先生は丁寧に三つ折りにして封筒へしまう。

 そしておもむろにイスから立ち上がるとテーブルを迂回して私の右隣へ立ち、私の頭の上へ手を置いた。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。少し変わり者ですが根は良い人です。それに雑貨屋を経営していますから、錬金術の練習にもちょうど良い環境だと思いますよ」


 私が心配しているのはそこじゃないと声を大にして言いたい。

 けれど優しく頭を撫でられていると、そんなことも些細なことと思えてしまうのが不思議だ。

 お父さんがいたらこんな感じなのだろうか、と弛緩した頭でつい考えてしまう。


「さて。それでは買い出しに行くついでに手紙を出してきます。レティは荷造りの準備、お願いしますね」


 最後にポンポンと軽く頭を叩くと、先生はにこやかな笑みを浮かべながら今度こそローブに腕を通して部屋から出ていった。


「……もう」


 私は文句を呟きながら少し乱れた髪を手櫛で直しつつも、頭に先生のぬくもりを感じ、頬を緩めてしまうのだった。


 ◇◇


 街から街への移動には、二種類の方法がある。

 一つは徒歩や馬車で移動する方法。

 ただし街の外は危険なうえ距離もあるので、これらの方法では時間が掛かってしまう。


 そこで長い年月を掛けて考案されたのがもう一つの方法、今私と先生の目の前にある物――飛行船による移動だ。

 全長百メートルにも及ぶ巨大な横長のガス嚢と、その下に二回りほど小さいゴンドラが取り付けられているシンプルな形の飛行船である。

 小さい頃、この飛行船に先生の錬金術で作られた道具が使われていると聞いて、私は自分事のように嬉しくなったものだ。


「レティ、忘れ物はないですか? ハンカチは持ちましたか? 飛行船は揺れますが、酔い止めの薬はありますか? それと――」

「もう、先生! 私、子どもじゃないんですから、大丈夫ですよ!」


 停泊場内の人たちが微笑ましいものを見るような目を向けてくるのを感じ、私は見送りに着いてきた先生の言葉を遮った。

 恥ずかしさで頬が熱くなっているのが分かる。


「……そうですね。すみません。柄にもなくあれこれ言ってしまいました」

「い、いえ。私こそ心配してくれたのにごめんなさい」

「ふふ。ではこれだけ渡しておくことにします」


 先生はローブの内ポケットから一枚の折り畳まれた紙と一冊の本を取り出し手渡してきた。

 私は両手で持っていたボストンバッグを地面に置いてからお礼を言って受け取り、まずは紙の方を開いてみる。

 そこには街の簡単な地図が描かれており、街のはずれに丸印が付けられていた。

 目的地らしきその場所には『妖精の贈り物』の文字が書き込まれている。


「……先生、この『妖精の贈り物』って何ですか?」

「ああ、それは前に言っていた雑貨屋の名前です」

「へえ、変わった名前のお店なんですね」


 そう言った私になぜか先生は軽く笑みを浮かべる。


「あれ、私、変なこと言いました?」

「いえ、すみません。僕も以前、その店名で良いのか聞いたことがあったのですが、頑なに変えようとしなかったのを思い出しまして。ともかく、そこに私の知り合いが住んでいますので、街へ着いたらまずはその店を訪ねてみて下さい」

「分かりました。それでこっちは……?」


 地図を閉じてローブのポケットにしまい、本を開こうとした時。

 先生が不意に私の背後を指差した。


「レティ、それは飛行船の中や向こうに着いた後にでも読んで下さい。それより、そろそろ出発しそうですよ?」

「――え、あっ!? ま、待って下さい! 乗ります乗りまーす!」


 船員が乗船の呼び掛けをしているのを見て、私は慌てて本をローブの内ポケットに突っ込むと、地面に置いたボストンバッグを持ち上げ、大きな声を出しながら駆け寄る。


「乗船券を拝見します……はい、ありがとうございます。良い船旅を」

「ありがとうございます」


 最後の乗客だったらしく、私が乗り込んだ後、船員がゴンドラに掛かった橋を上げた。

 私はゴンドラの縁を移動し、見送りに来ている人たちの中から先生の姿を見つけると、手すりから身を乗り出しがちに大きく手を振る。


「先生ー! 行ってきまーす!」


 先生はゆったりとした笑みを湛えながら手を振り返し、何かを口にした。

 周りの声で聞こえないが、きっと「行ってらっしゃい」と言ったのだろう。


 やがて飛行船に取り付けられたいくつものプロペラが回転し始め、ゆっくりと上昇を開始する。

 元々高い位置に造られていた停泊場が徐々に小さくなっていき、しばらく経つと前進し始め、やがて先生の姿も見えなくなったところで私は手を降ろした。


「さて、ちょっと船内を探検してみようっと」


 気持ちを切り替えるように独りごちると、初めての飛行船内を見て回ることにする。

 とは言っても、今いるデッキが船首まで続いているのと、中央にある雨風をしのいだり就寝時に使ったりする大部屋くらいしか立ち入ることができる場所はないが。


 ひとまず近くのドアから大部屋に入ると、備え付けのロッカーが目に入り、私は一目散にボストンバッグを押し込めた。

 ある程度の日用品などは向こうで買い揃えるとしても、服など最低限の物だけでもかなりの重さがある。

 持ち運ぶのは辛いが放置しておく訳にもいかないので、ロッカーがあるのはとても助かった。


 今はまだみんなデッキにいるらしく、大部屋にほとんど人影はない。

 大部屋を見渡してロッカー以外特にめぼしい物はないことを確認した私は再びデッキへと戻った。


 さっきまでより速度が上がったらしく、外へ出た途端、吹き抜ける風が肌を撫でていく。

 視界の端でなびく赤い髪の毛を手で押さえると、船首へと足を向ける。

 ちょうど他の乗客が大部屋へ戻るタイミングだったようで、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶しながら入れ替わるように私は船首にある広めのデッキへと出た。


「わあっ――!」


 そして前方に広がる風景に私は目を奪われた。


 透き通るような雲一つない青空と、大地を埋め尽くす緑が、まるで絵画から飛び出してきたように視界いっぱいに広がる。

 燦々と大地を照らす太陽は、けれど飛行船の気球部のお陰で直射にはならず、眩しすぎることはない。


 しばらくその場に立ち尽くしたまま景色を堪能した後、ゴンドラの端へと移動する。

 手すりから見下ろしたところにある森や山は、たまに先生と一緒に錬金術用の素材の採取へ行った場所だろうか。

 初めて素材の採取へ行った時の記憶が甦り、私は笑みを溢した。


「あ、そういえば……」


 そこでふと、先生から本を貰っていたんだったと思い出す。

 しかし風が強い中で読書という訳にもいかず、景色を楽しんだこともあり私は大部屋へ戻ることにする。


 大部屋の中には既に乗客が集まっていたが、王都から離れる便であることも幸いしたのか人も少なかったため、なんとか壁際に座ることができた。

 ローブを脱いで本を取り出すと、壁に寄りかかり、脱いだローブを膝掛け代わりにする。

 そして改めて本をじっくり見ると、一般に市販されている本とは装丁が異なることに気付いた。

 もしかして、と思いながらも私は本を開く。


「やっぱり。これ、先生の字だ……」


 中は錬金術に関することがまとめられており、素材の名前や見た目、その特性などから始まり、後半には簡単な錬金術のレシピもいくつか書かれていた。

 最近、遅くまで部屋の明かりが付いていると思ったら、これを書いていてくれたのか。

 私は本を閉じると、胸の奥から込み上げてくる感情をいとおしむようにそっと本を胸に抱く。


「先生、ありがとうございます。私、いっぱい練習して、一人前の錬金術師になってみせます……!」


 周りに聞こえないよう小声で、けれど固く決意を言葉にしたのだった。

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