木漏れ日
あなたは運命を感じる人に出会ってますか?
『男は身体で浮気をし、女は心で浮気する』
俺は彼女に抱かれて安心して目を閉じた。小さな窓から見える木から太陽の日差しが漏れる。その陽が緩やかに光のカーテンを作り揺れている。ギュッと抱きしめてもらっていたら、走馬灯のように俺は今までの事を思い返した。彼女との出会いは運命でしかない――。
会社の先輩の主催したカップリングパーティーで彼女に初めて会った。地下にあるクラブを貸し切ったもので、五十人程が集まった結構なパーティーだった。ほんの五分くらいしか一人一人と話せなかったけど、俺は彼女に一目惚れした。
明るめな茶髪でストレートの髪、優しそうな瞳。ポチャッとした鼻と笑った時に見せる笑い皺が可愛かった。俺は彼女の番号を書いて紙を自分の手で握り捨ててしまった。自信なんてなくて勇気も持ち合わせてなかった。
パーティーが終わり、その場で残って飲んだり踊ったりする人達がいた。彼女は一緒に来た男友達と女友達の三人で話していた。友達や先輩に自分の気持ちを声に出す。
「あの人が良いなぁ」
「なら声かけてみたら良いじゃん」
「さっき番号書いておけば良かったんじゃね? 今からでも遅くない。行ってこいよ」
気軽にそんな事を言われた。俺は声かけてナンパなんてした事なかったけど、何故か絶対に声をかけないと後悔すると思った。遠距離恋愛していた彼女と別れたばかりだったから、俺は温もりを探していたのかもしれない――。
勇気だ! 俺は立ち上がり彼女がいるテーブルへと足を進めた。彼女のいるテーブルに着くとすぐに声をかける。
「どうもー。今日はどうでした?」
彼らの最初の表情は突然声をかけられて驚いていた。そして、目当ての彼女ではなく、その女友達から一歩遅れて返事が来た。
「全然ですねぇ。みんな若いんだもん。君は確か二十歳だったよね? 若いなぁー。あたしらなんてもう二十七よ」
膨れた……失敬。大きな女友達がそう答えたので彼女も頷いた。
「うんうん。そうだねー。ウチらには若すぎるよー」
男性には目を向けないまま俺は空いていた彼女が正面になる椅子に座った。
「いやいや。皆さんそんな風に見えないですよ」
「またまたー。何もしてあげれないからねぇ」
あの……あなたではないんですけど……気を取り直して他愛もない話で会話を繋ぐ。
「皆さんは紙に相手の番号書かなかったんですか?」
三人共、紙を出して見せた。ここで初めて男性が会話に入る。
「オレら書いても出さなかったんだよね」
ぎこちない会話だったし、俺は何度も自分の声が震えているような気がした。俺は友達を見てみた。このパーティーで唯一カップルになり、人生初彼女をゲットした友人。二人で話している所を見て自分に負い目を感じた――。
何を話していたか覚えてるのは大体こんな感じだったと思う。話なんて耳に入ってはすり抜けていくだけだったからだ。覚えているのは彼女も俺を見ていた事くらい。視線を確かに感じた。正面の席に座っているのだから当たり前ではあるが、目が合う度に俺の胸の奥から光が溢れてくるようだった。
一時間くらい話しただろうか? 友達みんながここから出ると言ってきた。俺は急いで彼女の連絡先を聞こうとして三人全員の番号を聞いてしまった。周りに紙がなかったし、相手の方から貰うもの分が悪いと思ったのでクラブのマッチの箱に書いてもらった。
「成功したのか?」
友達が聞いてきたので結果をありのまま話した。
「番号は聞いたよ……全員の聞いちゃったけどね……」
「マジか!? でも、良かったじゃん。目当ての相手に電話すれば良いだけだな」
まぁそれはそうなのだが……腑に落ちない感じが否めない。それからみんなでカラオケに行ってアパートへ帰った。マッチの箱があるのが確かめる。そしてマッチの箱の彼女の番号を眺めた。ルームメイトの智久は案の定寝ていた。静かに服を脱いでTシャツに着替えて眠りに就いた。
朝目覚めると智久はすぐにパーティーの事を聞いてきた。
「昨日どうだったの?」
「普通に楽しかったよ」
それから二週間くらいは仕事にも集中していたが、俺はマッチに書かれた番号に何度も入力してはやめるを繰り返した。智久はその間に八年も付き合った彼女と別れた。
智久の事を簡単に話すと俺と同期で会社に入った二十八歳で年上だ。俺達は中途採用だった。歳に関係なく俺達は一番仲の良い友達になった。一緒に住み始めてもうすぐ一年と三か月が経とうとしていた。彼女の浮気が原因で別れたのだが、泣きながらベッドで彼女との思い出を語る智久を見るのは辛かった――。
俺はマッチに書かれた番号に電話しようと意を決した。智久を気分転換に遊びに連れて行こうとしたのだ。それはある意味自分で作った口実のようなものだった。
もちろん番号は一目惚れした彼女だ。名前は五十嵐美羽。忘れたくても忘れちゃいけない名前。俺の事を覚えているだろうかという不安。彼氏ができていたらと最悪のパターンも考えた。
緊張しながら呼び出し音を聞いていたが出ないので諦めて切った。すると、すぐに美羽は掛け直してくれた。喜びと不安をかみしめながら携帯を耳に当てる。
「もしもし? 俺の事覚えてますか?」
「その声はパーティーで会った子だよね? 覚えてるよ。どうしたの?」
電話で日付の予定と場所を決めて智久を含めた三人でカラオケへ行った。智久は美羽の事をこう言ってた。
「良い子だね」
そして、二回目に遊ぶ時に連れてきてくれた美羽の友達の圭子ちゃんに智久は惹かれた。四人でドライブ、カラオケ、飲みに行ったりして楽しかった。智久は圭子ちゃんと二人っきりでデートしたりと着実に前に進んでいた。
俺はといえば美羽と友達的位置を守り続ける事くらいしかできていなかった。二人で智久と圭子ちゃんを見守る。そんな日々が三か月続いた。でも、突然ある日美羽からの連絡がなくなった。その間に圭子ちゃんと智久は付き合い始めた。また負い目を感じた。
俺は美羽に連絡して直球で聞いてみる事にした。
【彼氏でもできたのかな? なら、気を使わないで良いから言ってね】
直球と言っても結局は自分を傷つけてたくない当たり障りのない感じの短い文だ。バカだな俺って。俺は諦めがちに送ったわけなのだが返事がすぐに届く。
【今まで黙っててごめんなさい。ウチね……実は……結婚してるんだ。子供も一人いるの……】
背筋にとても冷たいものを感じた。俺は無い頭で返す言葉を必死で探した。
【俺で良かったら、いつでも相談に乗るから、気にしないで。俺は友達だよ】
自分の心に嘘をついた時に言った言葉ほど辛いものはないと思った。でも、美羽が悪いわけじゃない。俺が勝手に惚れてただけの事。結婚と子供がいる事も俺に言ってなかっただけで、友達だから遊んでただけ。勝手に惚れてる俺の気持ちが悪いんだ。そう自分に言い聞かせた――。
数日経って美羽と連絡していてカラオケに行く事になった。初めて二人っきりで遊ぶ。俺は智久にその事を話してみた。
「俺の考えだとお前に気があると思うよ。おかしいじじゃん。カップリングパーティーに行ったりして番号まで交換してさ。今までだって普通にしてたじゃないか? 圭子も美羽ちゃんに口止めされてて、結婚してる事はお前に隠してたみたい。だから、良く考えろ。相手にその気がないと二人でなんて遊ばないさ」
カラオケに行く当日が来て、普通にいつもと変わらず雑談を交わし数曲歌った。それから美羽に俺は思い切って聞いてみた。おかしいけど、俺はすでに彼女に心を奪われていた――。
「あのさ。どうして俺と会ったり遊んだりしてくれるの?」
美羽は不意をつかれた質問に驚いていたが俺の目を見て答えてくれた。
「え!? 正直に言うとね……初めて会った時……何か運命っていうか……良いなぁって思ったの」
俺はその言葉に衝動的な行動で答えた。そう、自分がその時一番望んだ事をした。あんなに胸がドキドキしたキスはした事がなかった。長いキスの後、お互いの目の奥を見つめ合ってからまたキスした。
バカな事をしたのか? いや、俺は人を愛し始めただけだ。ここから二人の秘密が始まった。そして、俺といる時間だけ美羽は俺の彼女だった。それはずっと続く事はない恋――。
彼女は仕事に家庭に秘密に忙しくしていた。仕事では頼りにされる同僚。家庭では妻と母。俺との時間は恋人。でも、彼女は俺といる時が幸せだと言ってくれた。何もかも忘れる事ができる美しい時間だと――。
俺は初めて包まれる愛を知った。愛なのか疑問だけど、でも偽りではない。出会った時からお互いに何かを感じていたのは事実だった。一緒にいて触れ合っている時間は、とても温かい気持ちになれる。
でも、この恋に未来なんて無い。秘密はいつか現実になる。いつかは必ず終わりを迎えなきゃいけない。悲しい結末かもしれないし、嬉しい結末……なんてものはないか……。
結末は分かりきっているけど、それを考えてしまうと俺は怖くなる。彼女が傍にいなくなってしまうという恐怖の重みに耐えられる自信がない。出会った事に意味があるのなら、俺はこのままでいたいと祈るだけだ。
旦那さんには悪いと思う。本当だ。俺が勝手にしている事だ。俺は最低な男だ。美羽は悪くない。
「ウチが一番悪いよ。二人に申し訳ない……ウチがどっちかって言われたら旦那を選ぶよ。今の生活を失いたくない。けど、ウチはずっと二人に一緒にいて欲しいんだ……最低だよね」
愛が人の心に必要な食事なのだとしたら、満たされることはあるのだろうか?
この秘密が一年続いた――。
二人の思い出――。
二人の足跡――。
二人だけの旅行――。
そして……彼女は妊娠した――。
俺にも旦那さんにも言わずに――。
一人で悩み苦しんだ答え――。
美羽は子供を堕ろした――。
降り止まない梅雨のような涙――。
一つの命が消えた――。
雨が降り止んだ昼下がり。俺は彼女の告白に涙していた。あまりにも辛かった。自分がした罪の重さに冷たいものが身体中を駆け巡った。美羽は言葉を選んで答える。
「ウチがこんな事してるからバチが当たったんだよ……ウチだけが悪いの……一番辛いのもウチ……何もかもウチ。ウチが悪いから気にしないで良いよ。ウチが全部責任持つから……ごめんね……」
俺はそれに口を挟む。
「何で? 自分一人だけで背負って大丈夫な訳ないじゃん! 俺が悪いんだよ……美羽は何も悪くない。でも、どうして何も言ってくれなかったの?」
「今のウチじゃ……今のままじゃ育てる事ができない……そう思ったの……どっちかってのは分かってるつもり……でも、実際は分かんないから……」
美羽の涙がまた溢れた――。
「じゃあ俺と出会わなきゃ良かった? 俺があの時マッチに……マッチに書いてもらった美羽の番号に電話しなかったら良かった? 俺がキスしなかったら……俺達……出会わなきゃ良かったの?」
俺は自分でも気付かなかったが、また涙を流している。
「俺は美羽に何もできない。いつも美羽に何もできないまま……俺はいつも美羽がくれる気持ちで満足してた。俺は美羽にあげられる物がなかった。だから、どうしようもなかったのなら俺に相談して欲しかった。俺は美羽からしたら子供だろうけど、俺は美羽が……美羽を愛してる男なんだ!」
美羽は震えた声で答える。
「子供になんて何もできないよ……ウチは自分一人で何もできない子供じゃない……ウチの事はもう良いから……幸せになって……ウチはずっとある物をもらってたよ……ウチはいつも一緒にいた時にくれる温もりが大切な贈り物だったよ」
俺は……残酷な言葉を口にする。
「ねぇ……ここにいても良いんだよ……美羽が望むならこのままで良いんだよ……俺の幸せは二人でいる時間なんだから……」
俺は彼女の隣に寄り添った。彼女の顔に手を当てる。一瞬、美羽は強張ったが、彼女はゆっくりと俺を抱きしめてくれた。俺は彼女から流れてる涙を拭いてキスをした――。
これで良くはないだろうし、何度同じ過ちがあるか分からない――。
けど、俺はこの温もりを手放したくなかった――。
だから彼女も俺もここにいる――。
俺は彼女に抱かれて安心して目を閉じた――。
小さな窓から見える木から太陽の日差しが漏れる――。
その陽が緩やかに光のカーテンを作り揺れている――。
木漏れ日が二人を包む――。