3話 概念干渉と俺達の出生……か
ソラヒメの腹を背もたれにしながら、テーラに持って来てもらった昼飯を頬張る。
テーラもカレンもすぐ横で一緒に昼飯を食っていて、なおかつ今はソラヒメの方を向くことを許されていた。
どうもソラヒメの人に見られたくない基準は「鱗を抜かれる瞬間」らしく……つまりその瞬間はどういうことなんだよく分からん、というのが正直なところだ。
だから勝手に「鱗を抜かれる瞬間=人間でいう服を脱がされる瞬間」ということにして納得することにしていた。
こう考えれば確かに鱗を抜かれる瞬間を見られるのは恥ずかしいなと、一応納得できる。
「……ふう。
美味かった。
ありがとな、テーラ。
お陰で昼飯を抜かずにすんだぜ」
「それなら良かったわ。
シムルはこれからソラヒメ様の……お腹の鱗を抜くと思うから。
私達はお盆を片付けてくるわ」
テーラは俺から食器の乗ったお盆を回収して、カレンと共にいそいそと食堂へと向かっていた。
──また腹の鱗の話か。
手元にあったソラヒメの鱗と、腹に生えている古い鱗をちらりと見比べてみる。
……鱗そのものの差は、やっぱりぱっとみただけじゃあ分からねぇな……まぁいいか。
「それじゃあソラヒメ、腹の鱗を抜くぞ。
今回は古い鱗が結構そのまま残ってそうな感じだから、時間がかかるかもな」
俺は手に取っていた鱗を、後でじっくり眺めて見るかとズボンに突っ込みながら、ソラヒメの腹を触っていく。
滑らかな触感の中に、かなりの数のざらつきを感じる。
こりゃあ……長丁場になりそうだ。
『し、シムル。
できれば手早く終わらせてくれるとありがたいのですが……』
「分かってるっての……ほいっと」
『きゃうっ!?』
くすんだ色の鱗を抜いたら、ソラヒメが高い声を出した。
……またその声か。
くすぐったいのか痛がっているのか判別できない上……どうしたのかと聞いても、いつもはぐらかされちまうんだよな。
とはいえソラヒメ本人が早く終わらせろって言っているし、とっととやっちまうか。
テンポよく鱗を抜いていくのと同時に、ソラヒメから声が漏れる。
『うっ……くぅっ!!』
とある拍子にソラヒメが唐突に光って、人間の姿になった。
「オイオイ、そっちの姿になられると鱗が抜けないんだけどよ……」
毛でも抜かせる気かお前、と冗談めかして言おうとしたが、それは憚られた。
よく見たらその顔は妙に赤くて……何かフラフラしてたからだ。
「お前……大丈夫かよ?」
『え……ええ。大丈夫です。
ただ、少し肩を貸してもらえるとありがたいのですが……』
ソラヒメはそんなことを言いながら、俺へ向かってどさりと倒れこんで来た。
慌ててその体を抱えると、やっぱり体が熱くなっていた。
「……調子が悪いのか?」
今までこんなことはなかったから、心配になってくる。
『すいません、これからお腹の鱗取りはテーラに任せようと思います。
……貴方の前で、このような無様は……』
はぁはぁと浅い吐息を漏らしながら、ソラヒメはそんなことを言い出した。
「今更何を言ってるんだよ?
俺達の仲じゃねーか。変な遠慮するなって……」
「はいシムル!
もう何も言わずに少し離れなさいっ!!」
気がつけば、いつの間にか顔を赤くしているテーラが戻って来ていた。
──ど、どうしたどうした!?
「カレンちゃん!」
「う、うん!!」
カレンは俺の手を引いて、ぐいぐいと腕を引いて行く。
「おにーちゃんは、これ以上はダメだよー!
離れるよー!!」
「どういうこった!?」
こうして、俺は強引にソラヒメから引き剥がされて……その場から遠ざけられたのだった。
***
カレンと一緒に遊ぶなり昼寝をするなりして、夏の長い陽が落ちかかったあたり。
竜舎から大分離れた木陰で、俺は気に背を預けながら、ゆっくりとカレンの頭を撫でていた。
カレンの方は俺の膝に頭を乗せながら横になっていて、すうすうと静かな寝息を立てている。
本を読んでやってたら、気がついたら寝ちまっていたという訳だ。
「……そういえば、あっちの二人は……今頃まだまだやってるんだろうな」
ソラヒメの鱗取りは、あぁ見えて意外と小難しかったりするんだよな。
力加減以外に、鱗を引く抜く角度とか諸々。
「もしかしたら、今日中には終わらねーかもしれねぇなぁ」
「……あら、こんなところにいらっしゃるのですね」
独り言を言っている最中に声を掛けられて、ぎょっとしながらも声の主人へと首を向ける。
どっかで聞いたような声だな……って。
「お前、メルニウスのところの……メイドか」
「ご明察です」
またいつの間にか現れていたメルニウスのメイドが、俺の右斜め後ろに立っていて、振り向いた俺ににこりと微笑む。
……また気配に気づかなかったな。
こいつ、姿や気配を消す魔法でも使えるんだろうか。
「……何しに来やがった?」
一応、いつでもカレンを抱えて飛び出せるようにしておく。
昨日、一目見た時に感じた……どこかやばそうなあの感覚は、今も健在だったからだ。
上手く言い表せないわだかまりが、警戒心を一層掻き立てる。
「実は、この学園に私のお姉さまがいるのでこっそりと様子を見に来たのですが……貴方を見つけましたので」
メイドは俺の警戒心に気づいていないのか、柔らかそうな物腰でそう言った。
「それで俺の方の様子を見に来たって訳か、成る程な」
このメイドの姉がローナスにいるってことは、そいつは生徒なのか、はたま教師として働いているんだろうか。
どちらにせよ、今は夏休みで大半の生徒や教師は帰省している筈だが……それはさておき。
「俺の様子をメルニウスに報告しようってか?
別に俺はこの通り、ゆっくりしてるだけだから大した報告はできねぇように思うけどな」
メイドは俺の正面に回り込んで来きて、その背中に夕日を受けながら、首を横にゆっくりと振った。
……正面に回られると、いざって時に地味に逃げづらそうだな。
「別段、貴方の様子をメルニウス様に報告しようという気はありませんので、ご安心ください。
私がこうしているのは、単なる興味本位です。
ですが……最強クラスであろう概念干渉使いの日常が、まさかこんなにも穏やかなものだとは思ってもみませんでした」
「……悪いかよ?」
一瞬どうしてこのメイドが俺のことを概念干渉の使い手だと知っているのか、と本格的に身構えかけたが、メルニウスから聞かされていても何もおかしくはないかと思い直す。
「いいえ。寧ろ逆にかつ、更に興味がそそられました。
それに、そこで横になっている少女も概念干渉使いの筈。
……出生が特殊な者同士、気があうのですか?」
「……何だと?」
また突然何を言い出すんだこのメイドは。
「あら、ご存知ないのですか?」
ご存知も何も、お前が何を言ってるのかよく分からねーんだよ、と思いながら黙っていたらメイドが語り出した。
「……およそ二十数年前、とある国は他国よりも優位に立つべく……どこからか、不思議な知識を持つ者達を呼び出したそうです」
「……はぁ?」
メイドの不思議発言に、思わず首を傾げた。
──オイオイ……そりゃ一体何の話だ。
メイドは俺の態度など気にせず、といったふうにしてそのまま語り続ける。
「ですが、彼らは一切の魔力を持たない不思議な存在であったそうです。
だからでしょうか……生まれてきた彼らの子供達もまた、不思議な存在となりました。
……この世の法則を捻じ狂わせるほどに強大な、この世の概念に干渉しうるほどの力を持った存在です。
その子供達が持っている力は、それぞれが既存のどの魔法にも当てはまらないことから、未だに名前すら付けられずに呼ばれています……概念干渉と」
俺はカレンをゆっくりと膝の上から降ろして、静かに立ち上がってメイドと向かい合う。
「お前……何者だよ?」
「ただのメイドですよ」
声音を低くして聞いてみても、メイドはどこ吹く風といった様子だった。
「それに、今は私のことなどどうでも良いではありませんか。
それよりも貴方が知りたいのは、概念干渉に関する情報ではないのですか?」
「……それなら洗いざらい教えろ。
他にもまだ、概念干渉について知ってることがあるって言うならよ」
知らず知らずの内に、握りしめた拳に力が篭る。
──それにこいつの言うことがデタラメじゃなきゃ……俺の親父も、その不思議な知識を持つ人間の一人だったって訳か。
言われて思い返してみれば……親父は、確かにおかしな知識をかなり知っていた。
特に俺に教えてくれた数学に関する知識だって、王都に出て来てみれば、並外れたという意味では不思議なものであるというが分かってきた。
その上、俺以外には誰も知らない……まるで世の中に存在していないかのような代物であることも、テーラ達の反応から理解できた。
何より……親父は魔力を一切持たない、確かに本当に不思議な人間でもあったのだ。
つまりこのメイドがさっき言ったことも……頭ごなしにデタラメだとは言えないってことだ。
「そうですね……叶うのであれば、概念干渉に関する真実全てを貴方には教えて差し上げたいです。
言ってしまえば、貴方に概念干渉の力の起こりについて教えた方が面白そうだから、現にこのような話をしているのですから」
メイドは何がおかしいのか、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた。
「ですが……残念ながら私も多くは知りませんし、この話について貴方に教えて差し上げることができるのは、次で最後です」
メイドはスッと真顔になって、俺に告げる。
「その不思議な力を持つ者達を呼び寄せたという国は……バーリッシュ帝国です」
「……まぁ、薄々そうだろうと思ってたところだ」
イオグレスの奴曰く、バーリッシュは概念干渉使いの待遇がこの国に比べて格段にいいって話だったしな。
自分達がわざわざ呼び寄せた連中の子供達に優しくしてるって考えれば、バーリッシュの概念干渉使いに対する態度も頷けるっつーもんだ。
──というか、元々はバーリッシュの人間だったカレンならこの件について、何か知ってるかもしれねぇな。
眠っているカレンの方をちらりと見るが、メイドは困ったように言った。
「その子に聞いても、きっと何も知ってはいないでしょう。
何せこの件を知っている者は……どういう訳か、既にあらかた消された後だそうですから。
恐らくこの話を知っている概念干渉使いは、貴方を含めてほんの一握りでしょう。
さて……長く話すぎましたね。そろそろ時間なので、私は戻らなければなりません。……それでは」
メイドは会話を半ば強引に切って、恭しく一礼をして立ち去ろうとするが……俺はその背中に言葉を投げかける。
「待てよ。
何がそれでは、だ。
概念干渉についての話は終わったことだし……もう一度聞くぜ? お前は何者だ」
メイドは滑らかな動作で、くるりとこちらに振り返る。
「先ほども申し上げました通り、ただのメイドです」
「オイオイ……そりゃあ冗談だろ。
それくらい、俺にだって分かるぜ」
──此の期に及んで、流石にその言い分はねぇだろうよ。
これまでの言動が、漂ってくるその雰囲気が。
目の前のこいつについて、只者じゃないと十分過ぎるほどに語ってやがる。
だが、メイドは瞳を細めてただ「ふふっ」と笑ってから、片手をひらひらとさせて去って行った。
そんなこれまでと比べて大分軽いその態度に「本当に……得体が知れない奴だな」と思わずにはいられなかった。
「……暗くなってきたし、俺達も部屋に帰るか。
カレン、そろそろ行くぞ」
しゃがみこんで軽く肩を揺らしてやると、カレンは目をこすりながらゆっくりと起き上がるが……そのまま俺へと寄り掛かってきた。
「うーん……眠いよぉ〜」
「仕方がねぇな……よいしょっと」
起きて部屋まで戻れなさそうなカレンを抱きかかえた俺は、カレンが持ってきていた本も持ちながら、自分の部屋へと戻って行った。
あのメイドの正体もそのうち知ることになりそうだな……なんて、そんなことを考えながら。




