2話 鱗が生え変わる時期が来たらしかった
メルニウスがやって来た翌日。
竜舎の陰で、俺とソラヒメはあることをしていた。
なんてことはない、これは時たまある話だ。
ただ……今回は前触れもなくソラヒメが言い出して、少しばかり驚いてるところはあるけどな。
『うっ……シムル、もう少し優しくしてくれませんか? 少々痛いのですが……』
ソラヒメは不満を漏らしながら、小さく身じろぎした。
「わ、悪い。久しぶりで力加減がな……」
俺の方もできる限り優しくしようと思ってやっているんだが……やっぱり難しいなこりゃ。
力加減は……こんな感じならどうだ。
『……ふむ。中々心地が良いですね。ううっ……すいません、そこは弱いので、もう少し優しく……』
ソラヒメの出した珍しく気弱そうな声に、思わず手が止まる。
「お、おう。すまねぇ……」
優しく、もっと優しくだ……!
それでいて、力は当然弱すぎないように!
集中力を高めようと意識を研ぎ澄ませていたら、駆け寄って来る誰かの足音がしてそっちに意識がいった。
……一体誰だ? と思わず顔を上げていると。
「し、シムル! 今ソラヒメ様のおかしな声がしたんだけど!? アンタ一体こんなところで何を……して……って、人じゃなくて竜の姿?」
「テーラおねーちゃん、待っ……て……」
テーラとカレンが肩で息をしながら走って来たかと思えば、こっちを見た途端にぽかんとした表情を晒し出した。
「おう。見ての通り、ソラヒメの鱗取りだ」
俺はソラヒメの体表から剥がしていた古い鱗を、ひょいと掲げてみせる。
そう、ソラヒメは今……脱皮というか、鱗が生え変わる時期に差し掛かっているのだ。
今朝突然、身体中がムズムズするとかソラヒメに言われた時はまさかとは思ったけど……まさか本当にこうして鱗取りをすることになるとはな。
今朝からずっとやっていたお陰で俺の横には、大量の鱗が山のように積んであった。
ソラヒメの鱗の大半は、時期が来ると勝手に抜け落ちて魔力となって消失し、代わりに新しい鱗が瞬時に形成される。
だけど、一部の古い鱗は何故か中々抜け落ちない上に消失もしない。
しかもそれらの鱗を放置しておくと、ソラヒメが痒がって中々辛そうにする。
だから古い鱗を、俺がこうして定期的に抜いているという訳だ。
『……二人とも。あまり、じろじろ見ないで欲しいのですが……』
「す、すいません!」
「あ、あっち向くね!」
テーラとカレンは揃って回れ右をした。
ソラヒメ曰く、鱗が生え変わるところを見られるのは……結構恥ずかしい? らしい。
ともかく、ソラヒメが竜舎の陰にいるのはそんな理由があったからだ。
「さーて、とっとと進めるぞ……よいしょっと」
ソラヒメの尻尾を掴んで、胴体と比べると小さな、それでも俺の握り拳くらいはある光沢のない鱗を引き抜いていく。
……生えたてツヤツヤの新しい鱗を抜くと、ソラヒメが猛烈に痛がるからそこは要注意なんだけどな。
『うっ……ふう。やはり尻尾の鱗を上手く抜かれると、すっきりとしますね。ありがとうございます』
「礼を言うのはまだ早えよ。尻尾が終わったら腹の方だからな」
ソラヒメの尻尾がぴくりと跳ね上がった。
『……シムル、お腹の方は後日にしませんか? 少し心の準備がですね……』
そういえばソラヒメはいつも、腹側の鱗を抜くとおかしな声を出す。
それが痛いのかくすぐったいのか何なのかは、毎度のことながらイマイチ判別がつかないんだけどな。
……とはいえ。
「オイオイ、今日中に終わらせちまおうって話だっただろ? また夜中じゅう痒いって騒がれても困るしな。我慢しろって」
『……むぅ。……分かりました』
珍しく駄々をこねたソラヒメに、テーラがこちらに背中を向けながらも反応した。
「ソラヒメ様、お腹の鱗って確か……」
『テーラ。それ以上言えば、いくら貴方でも許しませんよ?』
テーラは「は、はい……」と静かになった。
テーラに対して声を強めるソラヒメの姿は、結構稀だ。
……ソラヒメの腹の鱗には、何か秘密でもあるんだろうか。
俺もソラヒメに……遠回しに聞いてみようと思った途端、ソラヒメが首をもたげて俺の方へと向いてきた。
『……ところでシムル。貴方もこうして私の鱗を抜くだけでは退屈だと思うので、少し話をしませんか? そうですね……例えば貴方やテーラの昔の話、などはどうでしょうか?』
……こいつ、無理矢理に話を逸らして来やがったな。
「あ、私も聞きたいー」
カレンもあぁ言っていることだし……それなら少し話してやるか。
「うーんと……まずテーラはだな。昔から泣き虫で世話焼きだったけど、あの頃はもっとお淑やかで可愛かった」
「シムル!? アンタ喧嘩売っているでしょ!?」
テーラは背中を向けたまま怒り出した。
「今の聞いたかソラヒメ。昔のテーラはこんなこと言わなかったぜ」
「もう、何よ!!」
ぷりぷりとおかんむりなテーラに、思わず小さく吹き出す。
──そうそう。昔から、からかうと可愛い反応をするよな。
「あ、今笑ったでしょ!? アンタの方を向いていなくてもしっかり分かるわよ!!」
俺達のやり取りを眺めていたソラヒメは、何故だかふふっと笑い出した。
……何かおかしなことでもあったのか?
『本当に二人は……仲が良いのですね』
あぁ、そういうことか……まぁ、それについては。
「……そこそこな」
「……そこそこですけどね」
俺とテーラがそう言ったタイミングは全くの同時で、思わず閉口する。
本当に、こういうところとかは妙に息がぴったりだと思った。
……それにしても、昔の俺達……か。
「なぁテーラ。俺達昔、何やってたっけ?」
「何ってそれは……追いかけっことか。他には木の実を採ったりして……色々していたじゃない」
色々、なぁ。
……確かに二人揃ってモンスターに追われたり川に落ちかけたりとか、色々あったな。
「それにしても、アンタは昔から落ち着きがなかったわよね。いつも私を置いて好き勝手なところに行っちゃって……」
「それでお前が泣き出して俺が迎えに行くまでが、いつもの流れだったな」
「そ、それはアンタがどんどん先に行っちゃうのがいけなかったのよ!」
今だからこうやって茶化せるけど、あの時は正直肝が冷えた。
何せ、モンスターだらけの森の中、大声で泣かれたんだ。
本当に、当時は焦った焦った。
……と、そんなこんなで俺は腕を動かして鱗を抜きながらも、テーラと当時の話で盛り上がっていく。
そして話が、テーラがセプト村から王都に引っ越す手前まで進んだところで……カレンの腹が小さく鳴った。
「あ……鳴っちゃった〜」
カレンは腹を押さえて俯いていた。
「カレン、腹が減っているならそう言えって。というか、昼飯はテーラと一緒に食ったもんだと思ってたけどよ……そうじゃなかったのか」
テーラは首を横に振った。
「ううん、まだよ。それに実はさっきまで、お昼だからっていうことでアンタを探していたのよね。寧ろアンタはもうお昼ご飯を食べたの?」
「いや、全くだ。見ての通りこうやってちまちまと鱗を抜いてるから、食堂に行ってゆっくり昼飯食ってる暇もねぇな」
ソラヒメの体が大きいこともあって、抜いても抜いても中々終わりが見えない。
でも、急いで日の出ているうちに終わらせねーと。
夜になってソラヒメが痒がったら、それこそ見落とした古い鱗を探すのに手間取って困っちまう。
「それなら、私がお昼ご飯を持って来てあげるわ。それならいいでしょ?」
テーラの思わぬ提案に、俺は即座に返事を返す。
「おお、その手があったか! 悪い、頼んだ」
『シムルだけでなくテーラまで、すみませんね』
テーラは「カレンちゃん、行きましょ?」と、カレンと共に駆けて行った。
『こうして気を利かせてくれるところは、彼女の美点ですね』
「そりゃあ言えてるかもな。頼めば何だかんだで助けてくれる以外にも、こうやって気を利かせて助けてくれたりとかな。……今も昔も、そこはそのまんまだ」
言っちまえば、テーラは昔からお人好しみたいなところがある。
……こっちにきたばかりの俺に逐一駆け寄って来て、手取足取り色々と教えてくれたりとかな。
それはあいつの……悪いところじゃないんだろうけどよ。
『……テーラが心配ですか? ああやって人がいい彼女はその性格上、いつか不幸を被るかもしれない、と。……すいませんシムル、もう少し優しめにお願いします』
「おう、それならおかしなことを言うんじゃねーよ。……俺がそんな細かい心配、逐一する訳がだな……」
さて、ひとまずソラヒメの鱗を少し強めに引っ張って誤魔化してみた訳だが……テーラが心配じゃない、とは言い切れねぇところは正直ある。
気が利いて世話焼きで結構優しい、とかよ。
「何だそりゃ、損しやすい要素しかないじゃねーかよ」とは少しばかり、ほんの少しばかり思ったりもするんだよなぁ。
ただしこんなこと、前の俺なら絶対に考えなかったけどな……とかそんな物思いにふけっていたら。
『いいえ、貴方はテーラのことを気にかけている筈です。貴方はそういう人ですから』
ソラヒメは俺の考えなど見透かしているかのように、そう言った。
「……へっ、そうかよ」
ソラヒメに隠し事をするのは結構難しいな、とか思う俺であった。
調整の都合で飯続きとなってしまいましたがご容赦くださいm(_ _)m




