四百四病の外の病
「病気って奴は、全部が全部悪って訳じゃない」
もっともらしく剛が言った。
彼は両手を塞いでいた二人分の鞄を、そろりと床の上に降ろした。放課後の保健室の中には、剛の他には目の前にいる同級生しかいない。養護教諭は剛の登場をきに、さっさと後を頼み会議へと消えていた。
「誰かが病気になるから医学の進歩があるんだろ? 過去に不治の病と言われた難病が、現在では完治も可能となっているものがいくつもある。人類のたゆまぬ努力の結果だ」
「私のは単なる腹痛だよ……。そんなだいそれた……」
そう言って布団の中に潜り込むのは、剛の幼なじみーー光代だ。
布団の中から覗く光代の目がうっすらと赤い。
またグズグズ泣いていたんだ。
剛は感情を面に出さないようにして、光代の伏せるベッドの上にドスンと腰を下ろした。
「もう、女子が寝てるのよ。図々しいなあ、タカちゃんはっ……」
くぐもった声が布団の中から、弱々しい抗議をしてくる。泣いていたって気丈なところは健在らしい。
剛は口元に浮かびそうになる笑みを押しとどめて、当てつけのように反対側へと寝返りを打った彼女を見下ろした。
光代は小さい頃からよく体調を崩す子供だった。
熱が出たり、腹痛を起こしたり、風邪を引いたり、元気でいる時の少ない子だった。幼稚園の頃など、満足に園に通えたのも数えるほどだ。
大きくなるにつれ、丈夫になるだろうと楽観視されていたが、小学生の頃も、中学に上がっても、高校生になった現在に至るまで、保健室のお世話になる進歩のない体を抱えていた。
幼なじみの剛はそんな光代の面倒をいつしか見るようになっており、今では双方の親ばかりではなく、学校側からも信頼を勝ち得ている。
そう、二人は気の置けない間柄だった。だから、彼女のベッドに遠慮会釈もなく剛が座ることぐらい、実はなんてことはない日常の一部だったのだ。
体の弱い光代が、自分の体に悲観してメソメソするのは、何も今に始まったことではない。
何と言っても中学の時など、風邪をこじらせ肺炎にまでなってしまい、修学旅行に行けなかったのだ。多感な年頃の、二度とはこない一大イベントである。光代はたいそう悔しがった。
旅行から戻った剛が土産を携え彼女を訪ねても、拗ねて会おうとしなかったぐらいだ。光代の悲しみようが分かると言うものだろう。
やっと機嫌を直し、顔を見せるようになってもしばらくは、会いに来た剛にグチグチと愚痴り続けた。
弱い体とは違い、案外頑固で強気な性格をしている少女だった。
「腹痛だってバカにできないぞ。赤痢にコレラ、過去には多くの人命が奪われた、恐ろしい病気だってあるんだ」
「だから、私のは、いつものだって言ってるじゃない……」
光代の涙混じりの声を剛は無視する。
「だが、人類は果敢にそれらの病気に闘いを挑んできた。勿論、世界中のどこかには、今なお苦しんでいる人達がいることは知っている。だけど、少なくとも、歴史の中で猛威を振るった不治の病ではなくなっているんだ」
「私だって、頑張ってるもん……、すぐにフニャフニャになっちゃう情けない体だけど一生懸命……」
熱弁を振るう剛の横で、光代はブチブチと不満を漏らす。甘えることが出来るのは、長年の付き合いから育まれた関係ゆえだ。光代が軽口をきくのは、家族の他には剛ぐらいなのだから。
剛は背中を向ける光代に手を伸ばしかけて、やめた。彼は頭をぐしゃぐしゃとかき回すと、布団から覗く光代の黒髪に声をかける。
「お前さ、『甲斐なき星が夜を明かす』ってことわざ知ってるか?」
生真面目な口調に光代は振り向きもしない。
「知らない、そんなことわざなんか」
光代の素っ気なさも気にせず剛は続けた。
「甲斐なき星、つまり今にも消えそうな弱い光り方の星ってことだ」
「それって私のこと?」
ムッとして光代は布団から顔を上げた。涙はとっくに消えている。
剛は笑いをかみ殺して、睨みつけてくる赤い顔を見返した。
「まあ、聞けよ。このことわざの意味はな、強く輝く星よりも、弱い輝きの星ほど朝まで光り続けるっていう意味なんだよ。つまるところ、体の弱い人ほど長生きするってことなんだ」
「ええっ?」
「お前はそうとう長生きしそうだな」
光代は赤い顔を更に赤く染めてむくれた。
「じゃあ、タカちゃんはどうなのよ? 美人薄命だとでも言いたいの?」
「俺か? 俺はそうだな……、四百四病の外だからな。長生き出来ないかもしれないね。なんせ薬がないときてるし……」
「なあに、それ?」
目をパチパチと瞬かせる光代に、剛は強引に手を出した。
「何でもいいだろ。それより手を出せ、寒いんだろう」
「何で分かるの?」
「だって鞄持って来てやったのに、一向に布団から出て来ないからさ。寒いからだろ。このままじゃいつまでたっても帰れやしないし、らちがあかない」
えー、いやだー、と尻込みする光代の両手を、剛は無理やりひっつかんで自分のそれで包んでやった。
手を奪われた光代は、恥ずかしげに唇を噛みしめている。
剛はわざとぶっきらぼうに宣言した。光代と触れ合う自らの手が、彼女を何よりも温めることを祈って。
「手が冷たい人は心が温かいって言うけどあれは絶対嘘。証拠は俺、だね」
「なによ、それ」
「俺の手はめっちゃあったかいだろ? だが俺はこの通り、心まで温かい」
「ひどーい。その論理だと、手が冷たい私は心まで冷たいってことじゃない」
「フランスでは手が冷たい=愛情だそうだ。お前は愛が深いってことでいいだろ」
「ちょっ!」
光代は真っ赤になって反論してきた。
「ちょっと、変なこと言うのやめてよ。べっ、別に私は……、タカちゃんなんか好きじゃないもん!」
光代の興奮した叫び声に、剛は「へーへー」と耳を押さえながらのんびりと返した。
「じゃ、愛情も俺のもんだ。だって俺は『誰かさん』が好きだからな」
四百四病の外ーー四百四ある病気以外の体調不良のこと。と言うか心理面での不調、つまり恋煩いのことです。
さて、私がいただいたセリフは「手が冷たい人は心が温かいって言うけどあれは絶対嘘。証拠は俺」でした!!
素敵なセリフをくださった沼田様、本当にありがとうございました。




