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魂の器  作者: 菅 承太郎
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怪文書

 ストラトキャスタープロダクションの事務所には、一通の手紙が届いていた。差出人の名前は無い。事務員が開封して確認すると、そこには次のように書いてあった。

 『人気アイドル桜野翔は宮田一也の元恋人石原美里と交際していた』

 寝耳に水の事務所は騒然となり、マスコミに漏れないように事務所のスタッフ全員にかん口令を敷いた。

 当然このことは濱崎綾子にも知らされた。すでに承知してた彼女は特に何か対応するということは無かったが、宮田一也に知られたら面倒なことになると考えていた。綾子は社長に呼ばれて社長室にいた。

「これは本当のことか」

「石原美里が一也の元恋人だったことは本当です。ですが翔とのことは事実無根です」

 綾子は桜野翔の引き抜きの目的で、沖中美紀が仕掛けた罠であることを含めて否定した。記憶を消したこともあって、話がややこしい。

「とにかく、マスコミに知られないようにしてくれ」

「分かりました」

「ところでそろそろストキャス祭りだ。準備は進んでいるか」

「はい。順調です」

 ストキャス祭りとは、所属する人気アイドル全員が出演する、日本武道館での年に一度のコンサートだ。二万人のファンが殺到する。

「チケットはすでに完売です」

「そうか。わが社の目玉企画だからな。くれぐれもスキャンダルなどでケチが付くことが無いようにしてくれよ」

「はい」綾子はそう言うと社長室を後にした。

 一方、宮田一也のマンションには、事務所に届いた怪文書と同じものが届き、中を見た一也は顔色を変えて飛び出していった。行き先はスペイン坂スタジオでラジオ番組の生放送中の桜野翔のところだ。間もなく番組が終わる。タクシーで乗りつけた一也は、顔パスでスタジオへ入り翔が楽屋に来るのを待った。

 五分後、ドアを開けて入ってきた翔の前に一也が立った。

「宮田…。お前なんでここに?」

「美里の相手ってお前だったんだな」一也が俯いた表情で訊いた。

「何のことだ」

「とぼけるな!じゃあこれは何だ」

 一也は、怪文書が送られてきた封筒に同封されていた写真を取り出して翔に見せた。そこには部屋でソファーに並んで座っている桜野翔と石原美里が写っていた。マンションの窓を望遠で盗撮したものらしかったが、ゆえにリアルな一枚だと言えた。

「俺はこんなもの知らない。本当なんだ」

 翔はマネージャーの綾子に一部の記憶を消されている。

「美里は、俺と付き合ってたとき、他に好きな奴が出来たと言って俺から去っていった。でもそれがこんな身近な奴だったなんて。その後美里は行方不明だ。一体彼女はどこにいるんだ!」

「知らない!映画で共演しただけだ。それ以外は何も無かった」

「この」

 一也は翔の胸倉を掴んで締め上げようとした。

「そこまでよ」濱崎綾子が楽屋に入ってきて、二人の間に割って入った。

「一也。この写真は手の込んだ悪戯だと思うわ。石原美里と翔が映画で共演したときも私はずっと翔に付いていたし、恋人になった雰囲気なんてなかったもの」

「じゃあ、この写真は一体誰が…」一也は問い詰めるのを諦めて、手を離した。

「一也。お前今でも彼女のことを…」

 聞こえたか聞こえてないのか、一也はふらふらとドアのほうに向かって歩き出した。

「俺はお前を信じたわけじゃない」と呟いてスタジオを後にした。

「綾子さん、宮田の奴大丈夫かな」

「今はそっとしておいてあげましょう。彼はきっと立ち直るわ。それよりもうすぐストキャス祭りよ。リハーサルしなくちゃ」綾子はそう言うと事務所の送迎車を呼び、翔を乗せて武道館へ向かった。


 武道館の会場には、一つのメインステージを中央に、四つのサテライトステージが設置されていた。それぞれに花道が設けられ移動できるようになっている。照明やスピーカーの位置、演者の立ち位置などをスタッフが入念に確認する。メインステージにはディズニーランドを彷彿させるLEDをふんだんに使ったセットを組み立て、仕掛けも動作確認に余念がない。

 同時にTV中継のためのクルーが入り、カメラの位置や動作をチェックしていた。

 濱崎綾子が自分の担当するタレント五名中三名を連れて到着すると、早速ステージに上がってそれぞれがリハーサルを始めた。

「あれ?綾子さん、松木くんと宮田くんは来てないんですか」スタッフが綾子に訊いた。

「ええ。遅れるけど必ず来るわ」

 綾子は自分が手の回らない宮田に対して、弟の松木潤一にフォローに頼んでいた。

 その頃、潤一は宮田一也と事務所にいた。引きこもりになっていた一也を潤一が電話で呼び出したのだった。

「松木、お前からの電話なんて珍しいな。いつもはクールで人と関わるのも嫌がるのに」

「姉貴から頼まれただけだ。それより武道館でのライブ、もうリハ始まってるぜ」

「…」一也は無言だ。

「石原美里のことは姉貴から聞いてる。今行方不明なんだってな。だったら尚更ステージに立ってお前の顔を見せてやれば、もしかしたら姿を現すかもしれない。TV中継は全国ネットだ」

 潤一は、更に囁くように一也に言った。

「宮田、彼女はお前の次の相手との仲が上手く行かなかったんだ。だから姿を消したと思う。であれば今の彼女に手を差し伸べてやれるのは…、お前しかいない。彼女がお前の事を忘れていたとしても、顔を見せてやればきっとお前との幸せだった日々を思い出すだろう。そうすればきっと帰ってくる。お前の元に…」

 これぞ悪魔の囁きか。一也は暫く考えていたが、ようやく決心したようだ。

「そうだな、松木。お前の言うとおりかもしれない。俺ステージに立つよ」

 説得が上手く行った松木潤一は、結果を思念で伝えようとしたが、人間らしく電話をかけた。

「姉貴か?俺だ。こっちは上手く行ったぜ」

 松木潤一は、事務所に車を頼み宮田一也を連れて武道館へ向かった。


 宮田一也と松木潤一を待ちわびたかのようなリハーサルは、二人の到着をきっかけに一気に加速した。宮田が本番の衣装でリハしたいと願い出ると、他のアイドルたちも呼応するかのように同じく衣装に着替えて歌い、そして踊った。その様はまるで本番さながらであり、アイドルのエネルギーが一気に爆発した瞬間だった。

 一曲終わるごとに、アイドル自らモニターの前に集まり、リハの画を確認する。照明の位置、色、光の強さ、カメラワークまで細かく修正が行なわれた。

 マネージャーの濱崎綾子は彼らの情熱を客席から眺めて、うっとりとしていた。

「これだから面白い。何かに情熱というものを燃やす性質は人間しか持ち得ないもの。他の悪魔には理解出来ないでしょうがね…」

 綾子はそう呟くと、スタッフに声を掛け「あまり飛ばし過ぎないように彼らに伝えて」と伝言を残して踵を返した。

「姉貴。どこへ行く」松木潤一が呼び止めた。

「潤一。ちょっとおじゃま虫を退治にね」

「あいつだな…。ただ気をつけろ。あいつは何かおかしい」

「…まさか私たちと同じ存在だとでも言うの?」

「分からない。あの工事現場で見た限りでは普通の人間だったのは間違いない」

「そうね。それは私も同じ。でも事務所に届いた怪文書に付いていた臭いは彼女のものだったわ」

「俺は今回は傍観させてもらおう。本来俺は姉貴の監視役だしな」

「厳格で有名なあなたにしては、私のわがままに目をつむってくれるなんて、お礼を言うべきかしら」

「傍観するが、相手が何者かに興味がある」

「ふふん…。そういうことか」

 綾子は、暗がりの奥の扉を開け放ち「人間らしく」出て行った。


 一九九九年の十二月、世界がミレニアムの到来を歓迎し、同時にコンピュータシステムのいわゆる二千年問題を懸念する中、イタリア・ローマでも法王庁では特別な新年を迎える準備を進めていた。

 このときのローマ法王はヨハネ・パウロ二世で、即位は七十八年であった。歴代の法王は任期が短い職業と言われる中、彼は二十七年間もその地位にいた法王だ。

 全世界に広まる一神主義の宗教の長は、法王またはときに教皇と呼ばれ、通常コンクラーヴェと言われる投票選挙によって選ばれる。コンクラーヴェとは「鍵がかかった」というラテン語が発祥で、カトリック教会は常に秘密主義にて物事を進めてきたとされる。

 ローマの教会サンタマリア・イン・コスメディン教会は、世界的に有名な教会で、あの真実の口がある。その教会の執務室に豪奢な椅子に座る人影と、側に立つ人影があった。

 椅子に腰掛けているのはピウス十三世枢機卿、彼の父十二世は一九三九年から十九年間、法王を務めた。側に立つ人影はデルフィーノ神父だった。

「デルフィーノ神父。知っての通り我がカトリック教会は何事も秘密主義でやってきた。従ってその分、闇の部分が生じ易くゆえに教皇の任期も短い」

「…暗殺ですね」

「そうだ。神の名の下バチカンに所蔵される絵画や美術などの資産やその他の不動産、銀行、なにより世界中の信徒が、教皇の呼びかけによって一リラ余計に寄付をすれば、その額はとてつもないものになる。そのような利権の象徴とも呼べる座に着くことによってもたらされる恩恵は、教皇を取り巻く枢機卿連中にこそ旨味がある」

「教皇自身、即位することには利権とは無縁です」デルフィーノが答えた。

「その通りだ。しかし今、ヨハネ・パウロ二世現教皇を更迭し、自らが容認する人物を次の教皇へ即位させる動きがある」

「何ですって?しかし教皇が任期中更迭されたというのは聞いたことがありません」

「当然だ。教皇の交代は死によって退くしかない」

ピウス十三世は一つのファイルを取り出し、デルフィーノに渡した。

「そのファイルにある人物、ベネディクト枢機卿を秘密裏に処理して欲しい。これはかつて裏十字軍にいた君にしか出来ない任務だよ」

「ベネディクト枢機卿ですって?」デルフィーノは他の理由で驚いた。

「…私に暗殺をしろとおっしゃるのですか」

「ベネディクト枢機卿はやや高齢でな。現教皇とその座をコンクラーヴェで争った人物だ。性格は崇高で温厚、さすがに候補になっただけのことはある。ただし、取り巻きの枢機卿連中はあきらめておらず暗躍しているとの情報がある」

「しかし…」

「デルフィーノ、知っているぞ。ベネディクトの娘リアーナとの事」

「それは!」

 デルフィーノは、ベネディクト枢機卿の娘リアーナを愛していたが、すでに婚約者がいることを理由にベネディクトから結婚の申し出を断られていた。だが本当の理由はデルフィーノが元裏十字軍であることだった。

 中世の時代よりその存在は忘れ去られていた教会の軍隊である十字軍は、その姿を地下に隠し裏十字軍として今も脈々と受け継がれている。その活動は専ら重要人物の警護などの汚れ役だった。

「この任務が成功すれば、君に終身助祭の位を約束しよう。リアーナと結婚するがいい」

 カトリックの聖職位階には、司教、司祭、助祭があるが、ローマ典礼においてはその身は独身でなくてはならない。ただし例外として終身助祭には結婚が認められることがある。

「やられる前にやれだ。返事は?」

「……かしこまりました」


 向山は単身、武道館から出てくる濱崎綾子を監視していた。沖中美紀の行方が分からない以上、接触を待つしかない。濱崎綾子も人外の者と承知していたため、気配を絶ちながら尾行する。古武道の奥義を身につけた向山にしか出来ない芸当だ。

「やっと動きだしたわね」

 タクシーに乗った濱崎綾子は新宿方面に向かい、その後を覆面パトカーが追っていった。

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