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魂の器  作者: 菅 承太郎
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イタリア フィレンツェにて

 向山と畦地は、最初にレスポールの事務所を訪れ社長の黒田と秘書の渡辺に話を聴いていた。

「警視庁の警部さんですか。いや、警察がこれほど積極的に捜索願に動いていただけるとは、正直思ってもいませんでした。ありがたい限りです」

 黒田は有名タレントとは言え、いち行方不明者の捜索に警視庁の捜査員が乗り出してくるのは異例だと思った。

 向山は、事前に所轄の捜査員が聴取した報告書に目を通し、行方不明になった時系列を把握した。

「失踪する理由に心当たりはない…。との事でしたが、本当でしょうか」

「ええ、その通りです」渡辺が答えた。

「彼女は、その日仕事は休みで、いわゆるオフだったとの事ですが、休みの日は専ら何をして過ごしていたか分かりますか」

「さあ。プライベートまでは…」

「そうですか。ありがとうございます。また伺います」

 向山と畦地は、それだけ聞くと事務所を後にした。

「警部。どうして桜野翔の引き抜きの件を訊かなかったんです。それに沖中美紀のことも」

「畦地。覚えときなさい。秘密を持ったり、嘘をついたりしている人間から本当の情報は得られない。直接訊いても無駄よ。それより引き抜きの件は事務所同士でまず話を進めた筈。であればストキャスの方に当ってみるわ」

「なるほど…。さすが警部」

 覆面パトカーに乗り込んだ二人は、次にストラトキャスターへ向かった。

 受付の事務員が応対したが、社長と担当マネージャーの濱崎綾子は、現在不在であった。

「今、汐留めの帝都テレビでバラエティ番組の収録中ですから、直接そちらへ行ってみてはいかがです」と事務員が勧め、二人は帝都テレビへ向かうことにした。

 警備に警察バッジを見せ、駐車場に車を止めたとき、向山が何やらごそごそやりだした。

「警部、何やってんですか」

「ちょっとメークをね…」

「もしかして、桜野翔に会えるとか思ってます?」

「思ってないわ。必ず会うのよ。あー緊張してきた」

「……」畦地はノーコメントだったが、車の中で二十分待たされた。

 お化粧ばっちりになった向山と畦地は、収録の行なわれているスタジオに入った。

「警部、そわそわしないでください」

「あ、あ、あれ!翔君よね。本物よ、本物―」向山は職務を忘れて興奮した。

 どうにもならない向山と彼女をなだめようとする畦地の姿を見つけて、女性が一人近づいてきた。濱崎綾子だ。

「もしかして、刑事さん?」綾子は笑顔で話しかけた。

「はい、警視庁の畦地です」

「お、同じく向山です」正気に戻った向山が自己紹介した。

「事務所から連絡を受けてます」

「早速ですが、レスポールエンターテイメントについてお伺いします。あそこにいる…さ、桜野翔さんを移籍をさせたいと打診を受けたと聞いています。いつのことでしょうか」

 向山は、再び桜野翔を見て声が上ずったが、質問には抜け目無くかまを掛けた。

「二週間ほど前ですが打診を受けました。でもうちは移籍させるつもりはありませんから、丁重にお断りしましたけど」

「先方はあっさり引き下がったんでしょうか」

「翔個人に対して、直接接触してきた女性がいましたが、本人がきっぱり断ったと申しております」

「女性?」

「ええ。沖中美紀と名乗ったそうですが」

「!」向山と畦地は驚いて顔を見合わせた。

「桜野翔さんに話を伺うことはできますか。見て欲しい写真があるんです」

「次の予定がありますので、あまり時間はありませんが短時間なら構いません」

 スタジオにはステージセットが組まれ、煌びやかな照明、ムービングヘッドなどでショーアップされた中で、桜野翔が歌とダンスを笑顔で、またときにはシリアスなキメ顔で披露した。その様、まさにアイドルの中のアイドル。

 収録を終えた桜野翔を綾子が呼び、スタジオの隅で向山らに引き合わせた。

「翔。こちら警視庁の刑事さん。あなたに聞きたいことがあるんですって」

「へえ。刑事さん。どうも桜野翔です」翔は最高の笑顔で挨拶した。

「は、初めまして。警視庁『警部』の向山です。独身です」

「…。畦地です」

 自己紹介で、握手までしている向山を横目に畦地も挨拶した。

「桜野さん、お願いが二つあります。まずこの写真を見てください。あたなを引き抜こうと接触してきた人物はこの女性でしょうか」

 向山は、ポケットから沖中美紀の写真を出して桜野翔に見せた。

「はい。この人です」

「名前を知っていますか?」

「確か、おきなかみきと言っていました」

「最後に会ったのはいつです?」

「十日ほど前だったと思います」

「……。分かりました。どうもありがとうございます」

 向山はやっぱりと思い、沖中美紀三つ子説がいよいよ有力となりつつも、同じ名前を名乗って暗躍する目的は何だろうと考えた。

「あの、警部さん。それでもう一つのお願いと言うのは…」

「あ、はい。あの、その…、一緒に写真撮ってください」

 向山はずうずうしくも桜野翔とのツーショット写真をスマホで撮り、上機嫌でスタジオを後にした。


 レスポールの事務所に戻った向山と畦地は、再び渡辺に話を聴いていた。渡辺は向山の厳しい質問に汗をかいている。

「ストキャスのマネージャーと、桜野翔本人に確認を取りました。あなたは桜野翔を引き抜く目的で、事務所同士の交渉が決裂したため、ヘッドハンターを雇いましたね」

「そ、それは…」

「しかもそのヘッドハンターは沖中美紀、この女性です」

 向山は写真を見せて断定した。

「渡辺さん。中目黒で起こった殺人事件、ニュースで見て知っているでしょう。私たちはそっちの事件の捜査との関連で、あなたに詳しく話を聴く必要があります。署まで来ていただけますか」向山は渡辺に任意同行を求めた。

「わ、分かりました。警察に行くのは勘弁してください。全て話しますから」

 渡辺の自供を全て聞いた向山は、ショックを受けていた。覆面パトカーを運転しているのは向山に代わって畦地だった。

「桜野君が石原美里と…。何てこと」向山は車の窓を全開にして、外の景色を見ながら途方に暮れていた。

「警部。気持ちは分かりますが職務です。捜査に集中してください」

「分かってるわよー」マスカラはすっかりと落ちている。

「でも何で沖中美紀は、仮に三つ子だとして同じ名前を名乗るんですかね」

「…しかも殺された遺体を誰かが持ち去った。その理由も解からない」

「どうします?」

「渡辺が知っていた沖中美紀の携帯の番号にかけてみたけど、留守電だった。ヘッドハントが何らかの理由で失敗したのなら、彼女は次の手段を考えるため、どこかに息を潜めている可能性が高い。再び沖中美紀が渡辺に連絡をしてくるのを待つと同時に、彼女を探す。必然的に石原美里の消息も判明する筈」

 二人を乗せた覆面パトカーは、一路警視庁へ向かった。


 沖中美紀は、香港への密航を経由してイタリアはローマの地を踏んでいた。

 ローマ・テルミニ駅から列車に乗り、北上してフィレンツェへ向かい、所要時間一時間半程度でかの地へ到着した。

 フィレンツェの町はもともと毛織物業と金融業が盛んで、十五世紀からメディチ家の支配の下、ルネッサンス文化の中心的な存在だ。

 タクシーで走ること四十分、片田舎に足を踏み入れた美紀は、古い小さなカトリック教会に入った。

「デルフィーノ神父に会いたいのですが」美紀は礼拝堂に出てきた修道女に、現地の人よりも美しいイタリア語で言った。

「お待ちください」修道女はそう言うと再び奥へ行き、程無く神父が現れた。

 見た目は伸長百八十センチ、痩せていてイタリア人独特の彫りの深い顔に瞳は青く、頬はこけていた。年齢は四十台後半か。

「デルフィーノです。ご用件は?」

「日本から来たミキ=オキナカです。神父様、あなたはローマ法王庁の中でも屈指の悪魔祓い師と聞いてきました。私に本物の悪魔を祓う方法を教えてください」

「本物の悪魔ですと?何を馬鹿な」デルフィーノは苦笑して答えた。

「ローマの教会で、悪魔祓いの資格を持つジャンパウロ神父にも同じ事を言われたわ」

「悪魔祓い師の中でもジャンパウロ神父は、最も優れた実力者です」

「ジャンパウロ神父によれば、悪魔とは人間の持つ負の感情や、心の病気によって引き起こされる奇怪な行いや外傷を発することを指すのであって、実体を持つものは存在しないと…」

「その通りです…」

「しかし、ジャンパウロ神父はこうも言っていたわ。本物の悪魔なる者がいるとしたら、それを唯一退けたとされる人物がいると。それがデルフィーノ神父、あなたです。それとも唯の噂?」

「……」デルフィーノは目を閉じている。

「神父様。私は日本で本物の悪魔と称する人間に会いました。私にはどんな定義を以ってそれを悪魔とするのかは解からない。教えて、悪魔とは?」

「ミキ。今から話すことは誰にも言わないと誓えますか」

「OK」

「では、懺悔室にお入りください。逆になりますが、話をする私の顔を他の人に見られたくないのです」

 神父は、懺悔室の向こう側から小窓を通して、自らが体験した忌まわしい記憶を呼び起こし、ゆっくりと話し始めた。

「今から十年前、私が悪魔祓い師の資格を教会から与えられてしばらくたった頃、フィレンツェのこの村で、悪魔祓いの儀式をやって欲しいと依頼がありました。通常悪魔憑きとは、ジャンパウロ神父が言ったように、奇怪な行動や外的症状を発症することによる人間の心の病のことです。それを崇高なる聖書の祈りによって心に安寧をもたらし、心の病を治すのです。この村の依頼も、最初は同じような悪魔憑きの村人に対処する任務だと思っていました。ところがこの村にやって来てみると状況はまるで違っていました」

デルフィーノはここまで話すと、手に持っていた聖書を開いて置いた。

「当事、この村は農作物が豊富に獲れ、緑が豊かな土地だったのです。私が訪れたときもそれは同じで、今もその光景が目に焼きついています」

「ここへ来る途中、村の様子を見たけどそんな感じじゃなかったわ」

 美紀は、涸れた田畑や、枯れ枝ばかりの樹木を思い出した。

「悪魔祓いの儀式は通例では二ヶ月ほどの時間が掛かります。だから私はこの村に妻と一人息子を連れて来ていました。私はこの村の緑の中にひっそりと建つ教会に行き、依頼人である修道女に会いました。悪魔祓いの依頼をしたのが何故、当事の教会の神父ではなく修道女だったのか。それもその筈、悪魔にとり憑かれていたのは、神父自身だったからです」

「私は神父のいる執務室へ行きました。そして神父は私に告白したのです。『私の横には常に悪魔がいて魂を差し出せと囁く』のだと。普通この話を聞いた者は悪魔といっても、その姿は人の目には見えないと思い込みます。その筈です。実際に悪魔を見た者などいないのですから。ところが…私には見えてしまったのです。神父の横に立つ悪魔の姿が。山羊のような大きな角を二本頭から生やし、そのくせ顔は彫刻のように整って美しく、上半身は人間のようで何も身につけておらず、腰から下は黒い布を纏っていました」

 美紀はデルフィーノが、両手で目を覆っているのが判った。

「私は直接、悪魔の姿に見える人影に話しかけました。『お前は本当に悪魔なのか』と。そうすると、『私の姿が見えるなら、お前も七つの大罪のいずれかを犯した者』と言いました。私は驚きました。聖書の伝承によれば、悪魔の姿を見る者は罪を犯したものとあります。七つの大罪とは、虚栄、貪欲、色欲、暴食、憤り、嫉妬、怠惰の七つであり、これを犯す者には悪魔の姿が見えてしまうのです」

「その神父とあなたが犯した罪とは?」美紀が冷ややかな目をして、無情な質問をした。

「言わなければなりませんか…」

「…。いえ、どうでもいいわ。続けて頂戴」

「その神父にとり憑いた悪魔は、その後どんな事をしても消えませんでした。私と神父は来る日も来る日も聖書の祈りを捧げましたし、正式な悪魔祓いの手順や、聖水、道具は意味を成しませんでした。万策尽き疲れ果てたその神父は、ある日とうとう目的の魂を差し出してしまったのです。神父が関係を持った修道女の魂を…。彼は修道女の心臓にナイフを突きたて、私が止める間も無く彼女の命を奪ってしまいました…」

「彼女が絶命する様子を見ていた悪魔は、何とも言えない笑みを浮かべ、次の瞬間黒い風に包まれて姿を消しました。悪魔は目的の魂を手に入れてようやく去って行ったんでしょう。黒い風はその後村中に吹き荒れ、作物や木々を枯らしました。今はご覧の通りの寒村です」

「悪夢の体験をした神父と私は、村の人たちや家族からは狂人扱いを受け、私の妻と子供はこの村を去り、罪の意識に苛まれた神父は自殺しました」

 デルフィーノ神父は話を終えると、左腕をまくり美紀に差し出した。腕には何かしるしが浮かんでいる。

「これは?」美紀が訊いた。

くだんの神父が自殺した次の日から、私の腕に現れたしるしです。自殺した神父の腕にも同じものがありました。おそらくもうじき私にも同じことが起きると思っています」

「なるほど…。ターゲットの予約と言う訳ね」

「神父様。いくつか確認したいことがあるわ」

 美紀はそう言うと、時間を掛けてデルフィーノに聖書や文献を調べさせた。そして答えにたどり着いた彼女は「これだ」と呟いた。

「神父様、やっぱりあなたが犯した罪を聞く必要があるようね。そして私と一緒に日本へ来てもらうわ」

 美紀は、窓からイタリアの寒村を眺め、人外の者と対決する覚悟を決めた。

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