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エピローグ ハリボテ勇者の命日

 澄んだ鐘の音が、街中に響き渡る。状況だけを考えれば重々しい鐘の音の方が相応しいのだろうけれど、誰もが争いに疲れ切った中、この上さらに重苦しい音を響かせる理由もない。いつも通りの祈りの鐘の音と、滅多に聞かない祝いの鐘の音。あえてこれらの鐘の音を使おうと発案した人間に、アシエルは感謝したかった。

 もっとも、アシエルの隣に座る男はそうは思わないらしい。

 

「……うるさい」

「そうか? 俺は好きだけどな、この音」

「必要以上に鳴らす理由があるのか? 理解できない」


 深く被ったフードの下で、ディズジェーロはこれ以上なく顔を顰めているのだろうと、容易に想像できた。繋いだ手を通じて聴覚をほんの少しだけ弱めてやりながら、アシエルはけらけらと笑う。

 雲一つない快晴の日だった。

 目を凝らせば薄らと見える結界は、大地を覆う、新しい人工結界だ。もっとも、そうと知らなければ以前のものと何も変わらないように見えるのだから、いけすかないグレゴリオが開発した技術は確かなものだったのだろう。

 ちちち、とどこかで鳥が鳴く声がした。空気はまだ肌寒いけれど、青さを増した枝葉の間から落ちる日差しはあたたかい。

 冬を終えたイーリスは、雪解けの季節を迎えていた。

 

「見ろよ。勇者の葬式だ」

 

 繋いでいる手とは逆の手をまっすぐに掲げて、アシエルは言う。

 街から遠く離れた街道の木の上に、アシエルとディズジェーロは並んで座っていた。人目を忍ぶように、森の木々の中でも目立たぬ木を選んでこっそりと。

 アシエルの目では何も見えないが、繋いだディズジェーロの視界をのぞき見させてもらえば、イーリスの王都でたった今行われている儀式がはっきりと見える。広間の中央では、花に飾られた棺が、ゆっくりと運びこまれていた。中身のない、からっぽの棺だ。

 あの日、テスの町へとアシエルたちが赴いた日から、ひと月が経っていた。

 ふたりで操った空魚に喰われて死んだふりをして、アシエルとディズジェーロは、イーリスからもテンペスタからも見つかることなく逃げ延びていた。混乱しきった世界において、顔を隠しながら逃げ隠れることは、ふたりにとっては難しいことではなかった。

 下町の人間相手にはアシエルが対応し、横柄な権力者に出くわすことがあれば、ディズジェーロが丸め込む。

 時折魔物を狩る手伝いをしながら路銀を稼ぎ、各地を点々とする生活は、今までになく自由で、楽しかった。冬の野宿は身に染みたが、ふたりでいれば、寒ささえ大した脅威には感じない。

 アシエルとディズジェーロがふたりで人目を避けて逃げ延びている間、世界は大変だったらしい。結界は魔物の数を減らしはしたけれど、従来の結界ほどの効果はないらしく、兵士は相変わらず出ずっぱりだという。

 皇帝グレゴリオを失い、戦後処理で多額の賠償金を支払うことになったテンペスタは荒れていると聞くし、イーリスは各国から結界の管理不行き届きを責められたとも聞くけれど、詳しい事情は分からない。

 各国が様々な処理に終われながらも迎えた今日、イーリスの大神殿の前で行われているのは、平和のために身を捧げたとされる『勇者』の葬式と、テンペスタとイーリスの間で結ばれる平和条約の調印式だ。

 

「本当に良かったのか」

 

 ぽつりとディズジェーロが口を開いた。

 

「何が」

「これでお前は公式には本当に死んだことになる。国を捨てることと同義ではないのか」

 

 淡々と発せられた言葉に、アシエルは顔をしかめる。不満を示すように繋いだ手に爪を立て、アシエルは鼻を鳴らした。

 

「良いに決まってる。戦争は終わった。魔物も、きっともう大丈夫だ。前よりはもちろん増えただろうけど、必要なのは兵士だ。勇者じゃない。イーリスにも、ユリア様にも、俺はもう必要ないよ」

「だが、お前はなろうと思えば英雄になれた。誰より戦果を立てて、女王を守り、結界を再構築する立役者となった。勇者として、名声を得ることもできたのに」

「いい加減怒るぞ、ディー」

 

 声を低めて言葉を遮る。怯んだようにディズジェーロは口を閉ざした。

 

「誰が英雄になんてなりたいもんかよ。もともと勇者なんて偽物の称号だったんだ。ハリボテの勇者はあの日死んだ。それでいいんだ。それともなんだ? お前、ただのアシエルじゃ不満だって今さら言うのか、嘘つき野郎」

 

 脅しつけるように言えば、「まさか」と鼻で笑うような声音が返ってきた。

 

「嘘などつかない。私はずっと、アシエルが欲しかった。勇者でも何でもないお前が欲しかった。不満になど、思うはずもない」

 

 ひどく大切なものを見るように赤い目を細めて、ディズジェーロはアシエルをじっと見つめた。ここ最近ずっとそのような目を向けられるものだから、見られるたびに落ち着かなくなる。

 

「こうしてお前が私の隣にいてくれることに、実感が湧かないだけだ」

「いつまでそれを言ってんだよ。俺とお前は一蓮托生だ。当たり前だろうが。……でも、ディーは――魔王は本当に悪名になっちゃったな」

「もともと悪名だ。構わない。それに、勇者が死んだのなら、魔王も死んだ。違うか」

「そりゃそうだ。今のお前は、ただのディズジェーロだな。俺が欲しかった、魔王でも何でもないただのディーだ」

 

 小さく笑みを交わして、また広間へと視線を戻す。葬送の言葉がひと段落したあとは、講和の調印にうつるらしい。広間の中央には、ふたりの女性が何人もの文官に囲まれながら、向き合って立っていた。

 

「ユリア様もエヴァンジェリン様も、きれいだな」

 

 堂々と立つかつての主君の顔を眺めて、アシエルは目を細める。

 

「エヴァンジェリンさまも女王になったのかな」

「さあ。次代の皇帝は知らない。だが、あり得るとしても皇后ではないのか。なぜこの場に立っているのかは知らないが」

「友だちだからじゃねえの」

「関係ないだろう。国家間の話なのだから」

 

 ぽつりぽつりと話していたそのとき、大神殿の外を守る兵士が、ふとこちらを見た気がした。目を凝らせば、同じように向こう側の兵士も目を凝らす様子が見える。頼み通りにアシエルとディズジェーロの死を偽装する口裏合わせをしてくれたゼークラフト中尉は、今日も元気にこき使われているらしい。

 小さく手を振れば、苦笑する様子が見えた。

 

「マリーさん、いねえかな」

 

 戦が始まる前に顔を合わせたきりの宿の女将も、ここに来ているのだろうか。ふと思い立って広間を見渡していると、ディズジェーロが視線を誘導するように指を掲げた。

 

「いる。端だ」

 

 ディズジェーロが指し示した方角に目を凝らせば、涙を浮かべて儀式を見守るマリーの顔が見えた。苦境のせいか痩せたようには見えるが、以前と変わらず元気そうだ。

 

「……無事で良かった」

「会いたいか」

「まあな。色々世話になったのに、別れの挨拶もせずに来ちまったから。でも無理だろ。俺たち死んでることになってるんだから」

「また来ればいい。お前だけならどうとでもなる」

「馬鹿言え。お前も来るんだよ。何年か経てば、顔を覚えてるやつも減ってくるはずだ。女将さんのシチュー、食べに来ようぜ。ついでに幽霊のふりして礼も言いたい」

「……そうだな」

 

 長ったらしい口上がようやく終わり、イーリスとテンペスタの代表者がそれぞれ書類に何かを書き込んでいく。最後に、ユリア女王とエヴァンジェリンが握手をするようだ。彼女たちの手が触れ合う直前、アシエルは悪だくみをするように笑った。

 

「旅の門出は派手に行きたいよな?」

 

 アシエルたちは、この日イーリスを出ると決めていた。諸国からも多くの人が集まる儀式の日ならば、人の波に紛れやすくなるからだ。国にとっても、アシエルとディズジェーロにとっても特別な日ならば、それにふさわしい演出くらい、残していってもいいのではないだろうか。

 

「……アシエル」

 

 ディズジェーロが顔を引きつらせているが、気にしない。

 

「虹にしようかな。細かい制御はディーに任せる」

「自分でできるように訓練しろと言って――ちっ」

 

 小言を聞き流しつつ光の魔法陣を宙に描けば、舌打ちをしながらディズジェーロが細かな魔法陣を周囲に加えてくれた。水を生み出す魔法陣と、光の角度を調節するための魔法陣だ。

 条約締結の握手に合わせて、ふたりは魔術を放った。

 鮮やかな虹が、平和を祝福するように青空を駆けていく。空にかかった大きな虹を見上げて、遠く離れた広間で、大人も子どもも、皆が嬉しそうに歓声を上げていた。

 人々の笑顔を見守ったあと、手を放したアシエルは、ぱっと木から飛び降りた。続いて降りてきたディズジェーロと並んで、歩き出す。街に背を向けて街道を進みながら、アシエルはぽつりと呟いた。

 

「とりあえずマーレに出るとして、まずはどこに行こうか。ああ、海はそこまで遠くないって言ってたか?」

「徒歩なら七日もあれば着く」

「じゃあとりあえずそこ行こうぜ。魚がうまいんだろ? 楽しみだ」 

「……そうだな。楽しみだ。好きなだけ食べるといい。明け方にお前の腹の音で起こされるのにはもう嫌気がさした」

「うるせえほっとけ。お前だって腹減ってる日は寝られなくて機嫌悪くなってるだろうが」

「覚えがない」

「自覚ねえのかよ。余計に悪いよ」

 

 明日を語れる幸せを笑みに滲ませながら、アシエルはディズジェーロの手を取った。

 指を絡めて笑い合う。

 雪解けの水が、かすかな音を立てて枝から落ちた。

 勇者でも魔王でもなくなったふたりは、春の訪れを告げる日差しの元、ひっそりと歩き続けていくのだった。

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