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62.消せない想い④

 翌朝、渡された携帯食料を手早く腹におさめて、アシエルは一行と向き合っていた。

 

「昨日から気になってたんですが、なぜ皇帝がここに……?」

 

 本題に入る前にと、アシエルはテンペスタの面々に視線を向けつつ、ぼそりと疑問を口にした。エヴァンジェリンはまだ分かる。ユリアの友人だ。テンペスタ兵も、エヴァンジェリンの私兵と言われれば納得はできる。けれどグレゴリオはなぜここにいるのか。

 ユリアは、なんでもないことのように「捕虜だ」と短く答えた。

 

「それでは説明が不十分でしょう」

 

 苦笑しながらエヴァンジェリンが補足する。

 

「彼はすでに皇帝ではありません。公的には死亡した存在です。ディズジェーロが暴走し始めると同時に、姿を消したことになっています。正確には、首だけが残っていますが」

 

 エヴァンジェリンは明言しないが、口ぶりからしてグレゴリオを生首に変えたのはユリアではなくディズジェーロらしい。残酷な所業ではあるものの、それまで散々皇帝に好きにさせていたディズジェーロがそうしたのだと思うと、ほんの少しだけ胸がすくような思いがした。

 

「前皇帝グレゴリオの身柄を確保したのはつい先日のことです。中央の研究室に囚われていたあなたほどとは言いませんが、彼も城の奥にこもっていましたから。ディズジェーロの目が離れるまでは手出しすることが叶いませんでした」

「『目が離れるまで』って、どういうことですか」

 

 首以外を残さないほどの憎悪を向ける相手を、ディズジェーロがわざわざ庇う理由があるとは思えない。そう思って口を挟めば、エヴァンジェリンは言いづらそうに目を伏せた。

 

「もはやディズジェーロに理性はありません。縄張りを守る動物と同じです。近づく者すべてが彼の攻撃対象になります」

「……あいつはテンペスタの城を根城にしているんですか」

「ええ。二月ほど前まではほとんど籠り切りでしたし、諸国を襲うようになってからも、必ず城――というよりは塔へと戻ってきていました。……たとえ人間でなくなってしまったとしても、記憶がなくなってしまったとしても、消せない想いというものはあるのでしょうね」

 

 エヴァンジェリンはじっとアシエルを見つめ、小さく口の端を上げた。悲しみと諦めの入り混じった、泣き笑いのような表情だった。

 

「あなたはわたくしとの約束を守ってくれたのでしょう? ありがとう、アシエル。ずっとお礼を言いたかった」


 アシエルは答えることができなかった。アシエルは確かにディズジェーロの力を調律した。けれどそのせいで、グレゴリオがディズジェーロに対して行っていた人体改造を、結果として加速させてしまった。ディズジェーロを狂わせた責任の一端は、アシエルにあるのだ。

 

「疑問は解決した? ならば昨日の話の続きをしよう、アシエル」

 

 俯きかけたアシエルの頬を、凛とした声が叩いた。顔を上げれば、足を組んだユリアが、まっすぐにアシエルを見つめている。その視線の強さに、自然と背筋が伸びた。

 

「東の小国カタトルツが、昨日未明に魔王の手に落ちた。あれがテンペスタに戻るまで、数日の猶予もないだろう。――アシエル」

「はい」

 

 情だけで助けたわけではないと言ったゼークラフト中尉の言葉が脳裏をよぎる。続く言葉には予想がついていた。

 

「統制の取れた群れというものは、ただ暴れ回るだけの魔物よりも厄介だ。戦と魔物の流入で傷ついたイーリスには、これ以上の敵を相手にするだけの力がない。イーリスが壊される前に、お前には魔王を討ってもらいたい」

「……っ」

「元々、イーリスとテンペスタの兵を集めて討伐するつもりで動いていた。お前が討伐軍に加わってくれれば――」

「できません」

 

 アシエルは反射的にユリアの言葉を遮っていた。ディズジェーロを殺せと言われることはまだ耐えられた。けれど、ディズジェーロを化け物扱いされた上で、誰とも分からぬ者の手で殺されることには耐えられない。

 

「あれは俺のセンチネルで、俺はあいつのガイドです。お願いします。機会をください。センチネルの暴走はガイドが調律する。無駄に血を流すことなんてない」

「アシエル、ですが彼はもう――」

「そんなこと、やってみなけりゃ分からないじゃないですか!」

 

 制しようとしたエヴァンジェリンを睨みつけ、アシエルはユリアに向き直る。微笑みを浮かべて、ユリアは小首を傾げた。

 

「お前は見ていないから分からないのだろう。あれは狂った魔王だ。意思疎通も叶わぬ、破壊を振りまくことしかしない化け物だ」

「暴走しているだけかもしれません」

「親交があったのであればなおさら、親しい者の、意に沿わぬ振る舞いを続ける姿など、見ていられないはずだ。楽にしてやろうとは思わないのか、アシエル」

「俺を助けてくださったのは、そのためですか」

 

 ユリアは無言で唇の端を上げた。笑みを崩さない主君の顔を睨みつけ、半ば叫ぶようにアシエルは宣言する。

 

「俺は嫌です。試しもせずにあいつを諦めるなんて嫌です!」

「試して、意味がなかったら?」

「殺します」

 

 考えるより先に言葉が口をついて出た。


「俺があいつを殺します。他の誰にも手出しはさせない。あいつがこれ以上誰かを殺す前に、俺が必ず止めます。だから――!」

 

 どの道一度アシエルは死んだのだ。今生きているのはディズジェーロがアシエルを生かしたからだ。ディズジェーロが壊れきっていたその時は、相討ちになろうともディズジェーロを止めて見せる。

 

「……お前の意志はよく分かった」

 

 ため息をつくような声音でユリアが答える。同時に、くつくつとくぐもった笑い声がどこからか聞こえてきた。声の方向に視線を向ければ、グレゴリオがおかしそうにこちらを眺めていた。

 

「何がおかしい」

 

 冷たい視線を向けながら、ユリアは護衛の兵士に命じて猿ぐつわをはずさせる。自由になった途端に、グレゴリオは弾けるように口を開いた。

 

「君も飼い犬に手を噛まれた。私と同じだね、若き女王」

 

 空気が凍りつく。周囲の視線に気付いていないはずがないというのに、グレゴリオは口を閉じようとはしなかった。

 

「私は君の意見を支持するよ、アシエルくん。せっかくのαを殺すなんてもったいない。ついでに結界の代替術式の有用性についても彼女たちに言い聞かせてやってくれないかい。話そうとするたび、短期な女王がいつも口を封じるものでね」

「……結界を直せるのか」

「直せるわけではないけれど、代替にはなる。永久に保つ類のものではないし、かつての結界ほどの効果はないが、少なくとも流入する魔物の量は今より劇的に減るはずだ」

 

 言葉だけを聞けば試す価値はあるようにも思えるが、アシエルに言われても正直困る。決めるのはアシエルではない。ちらりとアシエルはユリアを見た。

 冷たい視線を生首に向けたまま、ユリアは穏やかに問いかける。

 

「真偽は? エヴァンジェリン」

「事実です。これまでの神事と同頻度で魔力を継ぎ足せば、数年は保つでしょう。ただ、魔物が好んで集まる神殿付近に魔法陣を設置する必要がある点と、発動するまでの時間が長くかかる点で、現実的かどうかは判断致しかねます」

 

 エヴァンジェリンの言葉に被せるように、ここぞとばかりにグレゴリオは声を上げた。

 

「もちろん現実的だよ! 君たちから奪った地に、すでに術式の種を設置してある。発動するなら、テスの町の神殿がいいだろう。αを使って魔物を外へ誘導すれば、底を尽きかけた戦力でも時間は稼げるはずだ」

「そなたには聞いていない」

 

 冷たく言い放ったユリアは、再びアシエルに視線を戻すと、気だるげに口を開いた。

 

「……いいだろう。魔王を止められるならば手段は問うまい。どの道実行するのはお前だ、アシエル」

「ありがとうございます」

「代替術式とやらも、試すだけ試してみよう。そこの生首の言いなりになるのは癪だが、今この状況に至っては、少しでも魔物の流入を減らせる可能性があるならば検討する価値がある」

 

 その後、各地の状況についての報告を受けたユリアは、ひとりひとりに細かな指示を与えつつ、最後にこう締めくくった。

 

「魔王が戻るまでの時間は暫定二日。じきに近衛も合流する。各自全力を尽くしてくれ」


 * * *


 テンペスタの町を歩きながら、兵舎の周りの魔獣を魔術で一掃する。敬礼を向けて恐縮するイーリス兵に、アシエルは苦笑しながら敬礼を返した。

 名乗る前から勇者と呼ばれて兵舎に通されるのだから、己も偉くなったものだ。望まぬ戦で高まった知名度に顔を引きつらせながらも、アシエルは続々と到着する兵士たちの寝床を確保するため、魔獣を倒して回った。

 ひとつ終わればまた次の場所へ。魔術を使うたびに体を襲う虚脱感には、もう慣れた。

 虚脱感とともに腹に広がっていく無視しようのない違和感にも、気付いていた。

 

「なあ。あんたも不死化施術ってやつ、受けてるのか」

 

 塔の周りを偵察しながら、アシエルは同行するアントーニ大佐に声を掛けた。「いや」と訝しげに否定するアントーニ大佐を見て、アシエルは落胆とともに舌打ちをする。


「ああ、そう。じゃあいいや」

 

 と、そこで、アントーニ大佐が抱える袋がもぞもぞと動き出す。

 

「何か聞きたいことでもあるのかい、アシエルくん」


 袋の中から、好奇心を隠さぬ声が聞こえてきた。生首を持って歩くわけにもいかないため、グレゴリオの首は布で完全に包まれているのだ。

 

「……あんたの首さ、黒かったよな。断面から崩れてるみたいに見えた。あれ、何だ」

「君は分かりやすいね。アシエルくんの体にも同じことが起こっているんじゃないかい。腹か胸か、大穴が空いていたあたりかな」

 

 笑い交じりの指摘は、まさに図星だ。そっと自身の腹に手を当てて、止まぬ痛みを耐えるように、アシエルは浅く息をついた。冷や汗が一筋、こめかみを流れていく。

 

「痛いかい」

 

 見えてもいないだろうに、布の中のグレゴリオは見透かしたように声を掛けてきた。

 

「このままにしておくと、死ぬのか」

「死ぬよ。前にも教えただろう。今の私たちの体にはね、血の代わりに魔力が巡っているんだ。命が惜しいなら魔術を控えなさい。君の体は魔力を作り出せない。君の命は今、ディズジェーロが注いだ魔力で辛うじて繋がれているだけなのだから」

 

 魔力という言葉に、アシエルはぴくりと肩を揺らす。


「俺のペンダント、どこにやった?」

「君の左胸に」

 

 それもまた、アシエルが考えていた通りだった。アシエルには魔術は使えない。使えるとしたら、母の形見が体のどこかに埋め込まれているからだ。


「あとどれだけ保つ」

「さあねえ。今の調子で魔術を使えば、三日も保たないと思うがね。君が死んだときと同じだけ傷穴が広がれば、体ごと溶け落ちるよ」

 

 恐怖で引きつる息を、アシエルは飲み込んで隠した。

 歩く死体の末路は記憶に焼き付いている。黒い液体と化すものもいれば、砂塵に変わるものもいた。ペンダントがアシエルを生かす心臓の代わりになっているというのなら、魔物や人間の死体から魔力を吸えば、生きながらえることはできるのだろう。けれど、他者の命を啜ってまでアシエルは不自然な生を生きたくはなかった。

 どの道アシエルは、一度すでに死んだのだ。ならば二度目の死を恐れる理由もない。

 

「あいつを止めるまで保つなら、それでいい」

「気が合うね。私も結界の術式が起動するところまでは見届けたいと思っているよ」

「あんた、殺しても死ななさそうだけど」

「光栄だね。でも死ぬよ。人間だから」

「人間か? そんな風になっても?」

 

 生首になってまで生き続けるグレゴリオへの嘲りの言葉でもあったし、死んだはずなのに生きている己に対しての自虐でもあった。アントーニ大佐が、主君を庇うように腕の力を強める様子が視界の端に映る。

 

「定義は満たしていると思うがね。足がなかろうが腕がなかろうが、人間は人間だ。知性も理性も、私を私たらしめるものは、何一つとして失われていない」

「あんたの言葉はいちいちややこしいんだよ。分かりやすく言ってくれ」

「馬鹿にも分かるように言えば、自分がそう思えばそうだということだよ」

「聞いて損した」

「失礼な小僧だ」

 

 空洞となった腹を押さえながら、アシエルは意味もない会話を続けた。そうでもしていなければ、動けなくなりそうだったからだ。グレゴリオが言葉を止めないのも、あるいはそういうことなのかもしれない。

 その後も、道連れを変えつつ、アシエルは命じられた任務を淡々とこなした。

 

 

 魔王と彼が率いる魔物の群れが確認されたのは、ユリアの予測通り、アシエルが目を覚ましてから三日目の夕暮れ時のことだった。

 

『数はおよそ一万。空を飛ぶ魔獣に注意してください』

 

 部隊の目として働くゼークラフト中尉の声が、通信越しに聞こえてくる。今日のために集められたテンペスタとイーリスのなけなしの軍勢は、辛うじて共闘という体を取りつつ、テンペスタの首都を背後に守り、向かいくる魔物の大群に対峙していた。

 

『魔王は最後方にいる。アシエル少尉は作戦通りに動いてくれ』

「了解。速さ勝負だな」

 

 アシエルは軍の先頭に立っていた。アシエルが指揮を取ることは今までもこれからもないけれど、いつだってここが戦場でのアシエルの定位置だった。

 腹の傷口がじくじくと痛んだ。けれど、壊れかけた体からは目を逸らし、努めていつも通りに、アシエルは飾り気のない言葉を機械的に宣言する。

 

「広域攻性術式を起動」

 

 祈るように掲げた剣を中心として、薄く光を放つ魔法陣が宙へと現れる。

 アシエルは英雄ではない。声を張り、背後の兵を鼓舞できるような器ではない。それでもアシエルは勇者と呼ばれた。望まずとも勇者と呼ばれたからこそ、今こうして魔王と向き合える。そう思えば、後ろめたさしか生まない称号も、悪くないものに思えた。

 アシエルにできることがあるとすれば、それは派手な魔術と目に見える結果で以って、戦場を同じくする者たちをせめて勇気付けることくらいだろう。

 

『武運を祈る』

「任せろ」

  

 耳元に聞こえた同期の声に短く答えて、アシエルは剣を振り下ろす。

 光が大地を駆け抜ける。地面を削り、魔物の群勢を貫く大砲代わりの術式が、戦いの始まりを告げた。

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