54.血だまりに降る細雪②
後世の歴史書に、この戦いは何と記されるのだろう。
弓矢を引きながら、エドガーは考える。
エドガーはただのしがない兵士だ。頭も悪く、人に誇れる特技もない。けれども体は丈夫で、愛しい女房と子宝にも恵まれた。大切な家族と、生まれ育ったイーリスの下町を守りたくて、兵士になった。自らが生きる時代にこんな戦が起きたことを不運だとは思うが、特別不幸だとは思っていない。戦争は、歴史を振り返れば一定の周期を空けて何度も繰り返されてきたと聞いたことがあるからだ。
「……でも、こんな化け物どもと戦ったのは、俺らが初めてだろうなあ」
「ああ⁉ ぶつぶつ言ってる暇があったら弓引けよ、おっさん! 化け物どもが来てるぞ!」
何本当てても倒れやしねえ、と悪態をつく声が隣で響く。彼らの目の前には、不気味なほどに統率の取れた実験生物の群れがいた。狼に似たものもいれば、鳥型のものもいる。腐りかけた人型の生き物すらいた。
共通しているのは、急所を射抜こうが、剣で切り伏せようが、止まらないということだ。
「くそ! 倒れねえ!」
「焼かないと埒があかないねえ。まさに歩く死体だ」
焼いても殺せるわけではないが、弓矢よりは効果的だ。化け物たちは治癒魔術もなしに再生するけれど、火傷を治すには時間がかかるから。
「のんきなこと言ってるなよ! 火矢はねえのか。火薬は?」
「使い切ったよ」
「テンペスタのいかれ頭どもが!」
攻撃の甲斐なく、敵はどんどんと距離を詰めてくる。自分たちが化け物たちの爪と牙の間合いに入るまで、数分とかからないだろう。
この戦が終わり、戦を肌で知る者もいなくなったころ、歴史はこの戦いを何と表すだろうか。
イーリスが勝てば聖戦。テンペスタが勝てば宗教戦争あたりだろうか。いずれにせよ、勝って生き残った側にとって都合のいい名前になるのは間違いない。見届けられないのが、残念でならない。
「……ここまでかね」
迫りくる化け物を眺め、エドガーは力なく笑う。
口うるさくも優しい妻のミザリー。自分に似たのか、歴史の話や昔話を好む息子のウィル。なかなか遊んでやれないからか、すっかりお兄ちゃん子になった娘のクレア。帰れなくてごめんと愛しい家族たちに詫びながら、エドガーは目を閉じようとした。
その瞬間、ぴかりと視界の右側に光が瞬いた。音よりも早くエドガーの前を走った光の砲弾は、圧倒的な質量で化け物たちを消し尽くし、視界を真っ白に染めていく。
「うおおぉ!」
咄嗟に頭を抱えて地面に伏せる。光が消えたときには、化け物は影ひとつ残さず消えていた。
「な、なんだ? 光? 魔術?」
「雷でも落ちたのか?」
同僚たちは皆一様にぽかんと口を開け、的外れなことを言っている。一足早く落ち着きを取り戻したエドガーは、わたわたと混乱している同僚の肩を叩き、「あっちだよ」と光の発生元を指で示してやった。
「勇者の光の大砲さ」
金色の髪と真っ黒な軍服を着た青年が、隊列から外れた戦場のど真ん中で魔法陣を描いていた。日の光と魔術光に照らされながら、馬鹿でかい魔法陣を空中に生み出す姿はどこか現実離れしていて、ある種の神々しさがある。
「敵さんに取ったら死神の鎌だろうが、俺らにとっては砲弾よりも心強い。勇者を見た日は、生きて帰れることが決まったようなものだ。ありがたい話だよ」
無表情で次々と魔術を放つ勇者を眺めて、エドガーは誇らしさを滲ませながら呟いた。
あの青年が勇者と呼ばれ始めた頃から、エドガーは彼のことを知っていた。見目こそ二つ名に相応しい華やかさがあるし、戦果も申し分ないというのに、真に英雄と呼ぶにはどこか自信に欠ける若者だ。与えられた地位に慢心するにはいささか歳を重ねすぎ、かといって戦果を利用して軍部で立ち回るには、あまりに経験が足りない若造だった。それだけに、同じ平民として、あるいは年長者として、応援したくなる。
と、そこで、急に勇者の様子が変わった。
あくまで機械的に力を振るっていた勇者の顔に、唐突に生気が宿ったように見えた。前方を食い入るように見つめ、今にも駆け出していきそうな体勢を取っている。視線の先に何がいるのかと興味は引かれたけれど、残念ながら悠長に観察していられる余裕はない。
辺りに嫌な影が落ちていた。
「おいおい。空が……!」
数秒前まで戦場を照らしていた陽光が消えていた。最近には珍しい冬晴れの空だったというのに、今や見る影もない。異様なほど厚く黒い雲が、上空で不穏に渦巻いていた。さながら雷雨が訪れる直前のようだ。
「お次はなんだ? とうとうテンペスタのやつら、天気まで操るようになったのか?」
疲れたように同僚が呟く。エドガーも同じ気持ちだった。
「空に魔法陣が見える。魔術じゃないかな」
「冗談よせよ、おっさん」
「冗談だったら良かったんだけど」
ごろごろと不穏な音が響き、雲の合間に紫色の鋭い光が走りはじめる。瞼の裏に焼き付くような激しい雷光が、狙いすましたようにイーリス軍の上空に広がっていた。
いや、実際に狙っているのだろう。テンペスタ軍にいるという一騎当千の魔術師の噂は、エドガーの耳にも届いている。
見たこともないような幻想的な光景ではあったが、その美しさがもたらすものは恐怖以外の何物でもなかった。
――ごめんよ、ミザリー。子どもたちを頼む。
本日二度目となる謝罪を胸の中で繰り返し、エドガーは諦めとともに天を見上げた。
冷たい雨が全身を濡らしていく。重々しい雨音と雷の音が辺りを埋め尽くしていく。上空に重なったいくつもの魔法陣の中心に、雷が集まる様子が見えた。
「落ちる」
誰かがぽつりと呟いた。
次の瞬間、地面から網膜を焼く白い光が立ち上り、轟音とともに大地が揺れた。耳が馬鹿になりそうなほどの音が体を叩き、地面がぐにゃりと揺れているかのような強いめまいに襲われる。たたらを踏んだエドガーは、無意識に頭を庇った後で、ぱちぱちとまばたきをした。
生きている。
神罰のような雷が降り注いだはずだったのに、どこへ行ってしまったのか。
首を傾げる間もなく、雲間から白い陽光が差し込んできた。
「あれ、雲に穴開いてない?」
そういえば先ほど見えた白い光は、落ちてきたのではなく、地面から立ち上っていたような気がする。もはや口を開けて空を見上げることしかできないエドガーの背を、同僚がばしばしと興奮したように叩いた。
「おっさん、あっち」
「わあ」
光の柱が立っていた。空の中ほどまで登った光の砲弾は、あらかじめ定められていたように途中で数百に枝分かれすると、加速しながら雷雲を貫き、散らしていく。ぽかんと口を開けて眺める以外、魔術のひとつも使えぬ一般兵に何ができようか。
「雷雲って殺せるんだな」
「そうみたいだね」
大地に影を落としていた雲は取り払われ、冬特有の透き通るような青紫色の空が広がっていた。立ち尽くす彼らを置き去りにして、雷雲を殺したばかりの勇者は、人とは思えない勢いで走り出す。
それは、舞台の一幕のような光景だった。
翼があるのではないかと錯覚するほど高く跳んだ勇者は、空中で剣を握った腕を大きく掲げ、全身を使って剣を振る。示し合わせたかのようなタイミングで、テンペスタの軍隊の中からは、ゆるりと漆黒の刃が現れた。
耳をつんざくような高音が、戦場に響き渡った。
魔術の余波か、あるいは剣を受け止められた余波なのか、エドガーの目には、合わさった刃を中心に、空気の歪みが広がったように見えた。衝撃はまたたく間に周囲に広がり、土埃を巻き上げながら空気を揺らしていく。砂ぼこりが目に入らぬよう手で庇いながら、エドガーは歴史の一幕に刻まれるであろう瞬間を、自らの目で見つめていた。
白い光を纏った勇者の剣を受け止めたのは、見るだけで体がすくむような、恐ろしく美しい男の黒い剣。あれが神の御業のような恐ろしい魔術を組んだであろう、テンペスタの『魔王』なのだと、一目で分かった。
黒髪に黒い軍服、血のように濃い赤色の瞳に、敵だと分かっていても目を惹かれずにはいられない冷たく整った顔立ち。伝承に消えた魔族とは、きっとこういう存在だったのではなかろうか。顔の右半分を覆う白い包帯がどうにも痛々しいが、怪我のひとつふたつ、負っていない者の方が戦場では珍しい。
泣き笑いのような表情を浮かべた勇者が、口を開く。
「よう、魔王様。お手柔らかに」
「手加減は無用だ、勇者」
戦場の中心で刃を合わせるふたりは、誰にも手出しを許さないとでもいうように、互いだけをまっすぐに見つめていた。




