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51.知りたがりの皇帝⑧

 研究室へと繋がる道の入り口には、ひとりの騎士が立っていた。皇帝と揃いの片眼鏡をつけたアントーニ大佐は、アシエルの姿を認めるや否や胸に手を当て頭を下げる。

 

「やあ、ガイドくん」

「こんな時間に道案内か。いらねえっつったのに、ご苦労なことで」

 

 もはや口調を取り繕う気もなく返答すれば、アントーニ大佐は不快そうに片眉を上げた。職務に忠実な騎士は、恭しくアシエルを先導しながら、独り言のように呟く。

 

「本当にベイグラント准将の手を抜け出てくるとは思わなかったよ」

「来いって言ったのはあんたの主人だ」

「これは単純な好奇心なんだけど、何と言って抜け出てきたんだい。彼はべたべたに君を囲っていただろう。それこそ監禁でもしてるんじゃないかと思っていた」

「准将殿なら部屋で寝てるよ。馬鹿なやつだよな。城に潜り込むには都合がよかったけど、たかだか調律数回で絆されちまって、甘いにもほどがある」

「君が彼を騙して利用していたとでも言いたいのかい? 庇うにしたって無理がある」

 

 不自然にすり減って割れたアシエルの手の爪を一瞥して、アントーニ大佐は苦笑する。

 

「何の感情も寄せていない相手のために爪が剥がれるまで暴れられるなら、役者になった方がいい。そもそも二心あるような相手に騙されるほど、魔王閣下は甘くないし、契約を結んでいる時点で、彼が君に心を許していることも、君が彼に惚れ込んでいることも丸わかりだ」

「契約? 何の話だ」

 

 胡乱げに呟いたアシエルに対し、アントーニ大佐は気味の悪いことを聞いたとでも言うように、顔を引きつらせた。

 

「……冗談だろう? ふたり揃って知らずに繋がったとは言わないでくれよ。『契約』は、センチネルとガイドが結ぶ、特別な絆。信頼関係と力の相性、ふたつ揃った上で契約したセンチネルとガイドは、互いに制限を受けるかわりに、能力も向上する――らしい」

「らしいって何だよ」

 

 思わず口を挟めば、アントーニ大佐は決まり悪そうに、「実際に見たのは初めてなんだ」と答えた。

 

「それくらい珍しい。相性という意味でも、馬鹿げたリスクを好んで背負い込むという意味でもね。契約は互いに首輪を嵌め合うことだと聞いたことがあるけど、君たちを見ていると、ただの比喩ではなかったのだと感じるよ。実際のところ、何をしたらそうなるんだい?」

「知るか。何もしてない。あんたの目がおかしいだけじゃないのか」

 

 ディズジェーロとは体を繋いだし、わざと(シールド)を緩めて心まで繋げた。思い当たる節がないわけではないが、わざわざ馬鹿正直に伝える理由もない。口を引き結ぶアシエルを見て、アントーニ大佐は肩をすくめた。

 

「そうかい。しかし、ベイグラント准将も気の毒にね。心を捧げた相手に捨てられた挙句、最後に話をすることさえ許してもらえないだなんて」

 

 含み笑いとともに零された言葉が癇に障った。けれど、言い返そうとしたときにはもう遅い。アントーニ大佐は研究室の扉に手を掛けていた。アシエルを招き入れるように腕を室内へと伸ばして、仰々しく一礼する。


「どうぞ。陛下がお待ちだ」

 

 その声が聞こえたのか、暗い実験室の入り口で、ガラスビーカーに浮かぶ翠眼の青年を眺めていた男が、ゆっくりと振り返る。

 

「いらっしゃい、アシエルくん。待っていたよ」


 朗らかにグレゴリオは微笑んだ。

 夜中だけあって、研究室に人気はない。いるのはアシエルと、前を歩くグレゴリオ、そしてアントーニ大佐を含めた四人の護衛だけだ。

 散乱していたガラスこそ片付いているものの、ディズジェーロが先日暴れた影響は、色濃く場に残っていた。アシエルにとっては幸運なことに、部屋全体を覆っていた結界術式も綻んだままで、魔術の使用を妨げるものは何もない。

 研究室を横断したグレゴリオは、古びた机の前で足を止めた。棚からくたびれたノートを取り出し、丁寧に埃を払った後で、アシエルに差し出してくる。

 

「君のお母上――ファヴィオラの実験記録だよ。読んでみるといい」

 

 渡された冊子をぺらぺらとめくる。内容こそ理解できないけれど、びっしりと几帳面にノートを埋める字は、アシエルの記憶に朧げに残る母の字と確かに似ているように思えた。 

    

「ファヴィオラは私の古い同僚で、友人だった。君が生まれるより何年も前の話だけどね」

「……母は平民でした。それが、皇族と同僚で友人? 信じられない」

「どうしてだい?」


 グレゴリオは不思議そうに首を傾げた。

 

「君だって平民だけれど、貴族のディズジェーロと親しいだろう。身分がどうだろうと、人間は所詮、人間さ。肉体を開いて調べてみても、魔力以外の違いはない。もちろん、育つ環境が違えば考え方や能力に違いは出るかもしれないけど、それだけだ。根っこの部分では何も変わりやしないよ」

 

 とても皇帝とは思えない意見だが、本気でそんな戯れ言を信じているのだと、嫌でも分かる語り口だった。この風変わりな皇帝が、貴族に嫌われ、平民に慕われる理由がよく分かる。


「よければ、君とファヴィオラがどうやって暮らしていたのか、聞かせてもらえないかな。アシエルくん」


 突拍子もない問いかけにたじろぐが、別に隠すようなことでもない。特別なことは何もないと前置きをした上で、アシエルは記憶を辿り、母が亡くなるまでの日々を端的に語った。

 

「母は、イーリスの下町で倒れていたところを親切な女性に助けられて、しばらくは給仕をしながら、住み込みで働いていたと聞いています。流行り病で死ぬまでの間は、農村で手仕事をしながら小さな畑を貸りて、俺とふたりで暮らしていました」


 でも、とアシエルは口ごもる。

 

「テンペスタにいたなんて、聞いたことがない」

「話したくなかったのだろう。彼女は己の携わっていた研究を罪だと言っていたから。お母上は、信心深かっただろう?」

 

 頷くと、グレゴリオは懐かしそうに目を細めた。

 

「ファヴィオラは商家の出でね。貴族と平民の差を生む魔力に、非常に興味を持っていた。『皆が魔力を使えれば、もっと便利で平和な世の中になるのに』とよく言っていたよ。彼女が君のお父上と出会ったのも、私の研究室がきっかけだった。二人とも、優秀な研究者だったよ」

 

 在りし日を思い出しているのか、グレゴリオは並べられた机に視線を落とす。

 

「君がお腹に宿ったと聞いたときは、我が事のように嬉しかった。ファヴィオラたちの子が生まれたら、こうして研究室を案内してあげたいと思っていたんだ。古い日の夢が、思いがけず叶ってしまったな」


 返す言葉に悩むアシエルに気づいたのか、グレゴリオは「話が逸れたね」と照れたように頬をかき、先を続けた。

 

「さっきも言った通り、ファヴィオラは、魔力を持たない平民でも魔力を扱える方法を開発したがっていた。私も私で、αを作るために、魔力を外付けで貯蓄できる道具が必要だった。ディズジェーロのように、生来の魔力に恵まれた個体は稀だからね。だから私たちは、魔力を溜め込み、必要なときに必要なだけ引き出せる性質を持つ道具を開発したんだ。私たちは成果物を『賢者の石』と名付けた」


 魔力を溜め込み、引き出す性質。嫌と言うほど心当たりがあった。思わず首元のペンダントを掴むと、グレゴリオは正解だというように軽く頷く。

 

「美しい色をしているだろう? 魔力は血に宿るんだ。いわばそれは、命の色だね。使った生き物の命は万でも足りない。人間を使うのが一番精製効率が良かったんだけど、集めるのには骨が折れたなあ。あの時ばかりは、権力があって良かったと思ったものだよ」

 

 何でもないことのように続けられた言葉に、アシエルは凍りつく。肌身離さずつけていた母の形見が、無数の命の上に作られた道具だと思うと、途端にひどくおぞましいもののように感じられた。アシエルの表情を見て取ったグレゴリオは、困ったように苦笑する。

 

「ファヴィオラも、テンペスタを出て行く前にはそういう顔をしていたよ。被験体の死は、私にとっては()()()()()だったけれど、彼女はそうは思わなかったらしい。この研究自体を罪と呼んで、『賢者の石』を隠してしまった。君の首に首飾りを見つけたときはびっくりしたよ。古い友人たちの面影がある子が、消えたはずの研究成果を持って帰ってきてくれたんだから。イーリス流に言うなら、これぞ神のお導きってやつだね」

 

 グレゴリオがぺらぺらと楽しげに語る言葉は、アシエルの耳には入っていなかった。

 狂わされた竜。紛い物の不死を得て暴走したモーガン。生まれ持った姿を歪められ、命を弄ばれた動物たち。狭い実験室の中で、声なき悲鳴を上げる無数のセンチネル。

 そして、ガラスビーカーの中で人形のような顔をしていたディズジェーロ。

 それらすべてを、仕方がなかったの一言で片付けていいはずがない。

 

「必要な犠牲って、何だよ……!」

 

 戦慄く声で、アシエルは呻く。きょとんとアシエルを見返しながら、グレゴリオは困惑したように答えた。

 

「何かを得るためには対価がいる。得るものと失うものを天秤にかけたとき、得るものの方が重いなら、そのために失う命は必要な犠牲だ。君がここにいるのだって、イーリスの若き女王がそう判断したからではないのかい」

「……っ」


 黙り込むアシエルに肩をすくめて見せたグレゴリオは、実験室の別の区画へと進んでいく。

 

「昔話はこれくらいにしようか。もうひとつ、君に見せたいものがあるんだ。アシエルくん」


 グレゴリオが足を止めた先には、塔の地下でゾーエが見せてくれたものとよく似た、巨大な魔道具が設置されていた。


「投影装置?」


 ゾーエが言っていた装置の名前をアシエルが口に出すと、グレゴリオは誇らしげに頷いた。

 

「目のセンチネルの能力を参考に、我が国が誇る科学者と魔術師たちが作り上げてくれた、最新の魔道具だ。少々場所を取ってしまうのが難点だけれど、これからの戦でもきっと役に立ってくれる。……こんな風に」

 

 見上げるほどに大きな魔道具は、グレゴリオが魔力を注ぎ込むなり、くるくると回りながら何かの映像を壁に映し始める。

 雪に覆われた木々と、小さな町。古びた神殿と、暗い崖。空を駆ける鳥の目を借りて世界を覗いたら、こんな風に見えるのかもしれない。絵で風景や人の風貌を切り取っているイーリスと比べたら、遥かに進んだ技術だ。けれどその圧倒的な技術力以上に、映されている光景の方が問題だった。


「これ……イーリス? 国境の……テスの町?」

 

 ぼやけていた映像の焦点が合うにつれて、アシエルは驚愕に目を見開いていく。


「……おい……これ、なんだよ……! なんで、()()()()()()!」

 

 掠れた声で呟いて、アシエルは食い入るように映像を見つめる。

 小さな町が燃えていた。イーリスの兵が必死に町人を避難させている。国境を守るように、軍団規模のイーリス兵が立ち並んでいた。魔法陣から飛び交う魔術の光が、次々に打ち出される。けれど、それらすべてを嘲笑うように、魔銃を構えたテンペスタの軍隊が、イーリスの国境線を踏み越え、町を蹂躙していた。

 これまでの小競り合いとはまるで規模が違う。

 聞きかじった歴史の中でしか知らない、戦争が始まっていた。

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