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49.知りたがりの皇帝⑥

「少し話をしないかい、ガイドくん」

「……ディズジェーロは」

「強い負荷をかけたからね、治癒術師に検査だけさせてほしい。問題なければ、今日は帰ってもらって構わないよ。心配しなくても、これ以上、君の大事なセンチネルを傷つけやしない」

 

 どの口がそれを言うのか。そう言いたくはなったものの、グレゴリオを囲むアントーニ大佐たちの視線を受けて、アシエルは口を噤んだ。担架に乗せられるディズジェーロの気配の乱れは、暴走(ゾーンアウト)していたのかと疑うほど荒れていた先ほどと比べると、随分と落ち着いている。少しの間離れても、命に関わるようなことは起こらないだろう。

 逡巡の末、アシエルはグレゴリオの誘いを受けることにした。

 グレゴリオは、アシエルを連れて研究室の中を歩いていく。時折研究員に声を掛けては、ガラスビーカーを見つめて難しい顔をしているところを見ると、どうやら被害の確認をしているらしい。

 思いついたように足を止めたグレゴリオは、近くの装置に魔力を流し込む。ごうん、ごうんと重苦しい轟音を立てながら、薬液が入れ替えられているようだった。


「なんで、こんな研究をしてるんですか」

 

 傷をつけられては瞬く間に回復していく、歩く死体を想起させる動物の実験槽を眺めながら、アシエルは問いかけた。

 皇帝の目的を探ろうにも、アシエルは諜報の訓練など受けたこともない。交渉術に長けているわけでもない。アシエルにできることは、ただ話をすることだけだった。


「必要だからさ」

 

 愛おしげにガラスビーカーを撫でながら、グレゴリオは答えた。

 

「こんな歩く死体のような生き物を作ることも?」

「君の目には、これが死体に見えるのかい」

 

 静かな目で、グレゴリオはアシエルを見据えた。ユリア女王を思い起こさせる理性的な瞳は、真っ向から向き合うと自然と気圧(けお)される迫力がある。

 

「死体とはなんだろう。首が取れたら死体? 首がついていたって死ぬときは死ぬよ。心臓が止まったら死体? 殴りつけて息を吹き込めば、もう一度動き出すことだってあるよね。逆に、心臓が動いていたとしたって、意識がなくなって、精神も壊れて、二度とその先目覚めない人間は、生きていると言えるのか? ……死の定義とはどこにある? なぜ君は、これを歩く死体だと感じるんだい、ガイドくん」

「おぞましいと思うから。普通の生き物なら死ぬような傷を与えても死なないし、すぐ再生する。肌も肉も腐り落ちていくのが、不気味だ」

 

 かつてイーリスの地下で出くわした、化け物と成り果てたモーガンの姿を思い出しながら、アシエルは答えた。「たしかに少し不気味には見えるかもしれないね」とグレゴリオが頷く。

 

「けれど君がこれを恐ろしく感じるのは、知らないからさ」

 

 人差し指の節で、グレゴリオはこつりとビーカーを叩いた。


「不死化施術……まあ、厳密にいえば不死ではないから、あくまで便宜上そう呼んでいるだけだけど……ある施術を行って、生き物の心臓を止めるんだ。血液の代わりに魔力を巡らせる。すると、死の定義をほんの少し歪めることができるんだ。血や肉体の欠損ではなく、魔力の欠乏が、その生き物にとっての死に変わる。病気や怪我で、血が十分に巡らなくなれば、末端から腐り落ちるのは知っているかな? これの肌が腐っているように見えるのも、同じことだよ。生きるための魔力が不足しているから、こうなっている。これでもまだ、おぞましく思うかい」

「……思います」

「神の教えを破っているから?」

 

 困ったように頭をかいて、グレゴリオは苦笑した。「みんなそう言うね」と悲しげに眉尻を下げる。

 

「天より生まれながらに授かった運命を受け入れろ、だったかな? なんとも曖昧な言葉だ。私の研究が禁を破っているというのなら、治癒魔術はなぜ禁忌ではないのかな。医療は? 薬は? 体の一部を作り替え、死すべき運命を塗り替えていると言う意味では、本質的には何も変わらないと思うがね。程度が大きいか小さいかだけの差だ」

「それは……」

 

 返す言葉をアシエルは持たなかった。グレゴリオの言葉を聞いていると、そうなのかもしれないと思えてしまう。

 

「禁忌かそうでないかは、俺が決めることじゃありません」

「分かり合えないね」

「歩く死体が何に必要なのかも、分かりません」

「耐久性を上げるためだよ。百年に一度しか生まれないような、希少な生き物がいるとするだろう? その個体にしかできないことがあるとき、そう簡単に死なれては困るんだ」

 

 ディズジェーロが入れられていたガラスビーカーを眺めながら、グレゴリオが呟く。その言葉には、不穏さしか感じなかった。けれど、どういう意味だと問うより先に、グレゴリオが振り返る。

 

「私からも聞いていいかな。ガイドくん。……いや、アシエルくん」

 

 名乗った覚えもない名を呼ばれて、思わず足を止める。グレゴリオは苦笑を深めて、「ディズジェーロが呼んでいただろう」と付け加えた。


「変装するのが趣味なのかい? きれいな麦穂の色の金髪じゃないか。そんな平凡な茶色に変えるなんてもったいないよ」

 

 思わず額を押さえる。実験で切り刻まれた拍子に、当然のようにフードも切り落とされていた。まっすぐにアシエルを射抜く視線に、心臓が嫌な音を立てる。

 首飾りに言及された時から、違和感はあった。この男には、アシエルの本当の顔が見えているのだ。

 

「……いつから?」

「君に会う前から、かな。皇帝なんてものをしていると、敵が多いものでね。姿変えの魔術でびっくりさせられないよう、開発したんだ」

 

 片眼鏡を意味ありげに指で弾きながら、グレゴリオは微笑んだ。アントーニ大佐も、同じ片眼鏡をつけていたはずだ。あの男には、フードの下を見られた記憶があった。

 

「はるばるイーリスからようこそ、勇者殿」

 

 にこにこと微笑むグレゴリオが、今まで以上に得体の知れない人間に見えた。

 身を強張らせるアシエルに構わず、グレゴリオは問いかけを重ねる。

 

「君の親族に、ファヴィオラという名の女性がいないかい」

「……母です。随分前に亡くなりましたが」

「亡くなった……そうか、惜しい人を亡くしたものだ。彼女も君と同じ、美しい色の髪をしていたよ。瞳の色と顔つきは、お父上譲りだね。よく似ている。君の顔を見ていると、過ぎた月日の長さを感じるよ」

 

 まるで両親を知っているかのような口ぶりに困惑し、アシエルは黙り込む。物心つく前に父は他界したと聞かされたし、母は自分の来歴を語らないまま病で死んだ。テンペスタの皇帝に(ゆかり)があるとは聞いていない。

 

「その反応を見ると、ファヴィオラから昔話は聞いていないのかな」


 ほんの少し寂しそうに、グレゴリオは頬をかいた。


「でも、それならちょうどいい。明日の夜、ここに来てくれないかい、アシエルくん。できたら、ディズジェーロの目を盗んで来てくれると嬉しい」

「……俺を殺さないんですか」

 

 イーリスからの侵入者だと知りながら、なぜ。強張った声で問いかけるが、グレゴリオは穏やかに首を横に振るだけだった。

 

「まだ話したいことがあるんだ。君もそうではないかな。……ディズジェーロのことが大切だろう?」

 

 それが本題なのだと、すぐに分かった。話など名ばかりで、ディズジェーロに何かをさせるために、この男はアシエルを使いたいのだろう。だからわざわざディズジェーロから離れた上で、センチネルの耳をごまかせる轟音の中、会話をしている。笑みの形に歪められたグレゴリオの目の奥には、冷たい合理性の光しか宿っていなかった。


「俺が必要なら、今ここで拘束すればいいだけでは?」 

「無理に取り上げたくはないんだ。ろくに褒賞さえ要求しない無欲なあの子が大事に隠しておくくらい、大切にしているみたいだからね。勝手に取り上げて、臍を曲げられても困る。だから、君の方から来てほしい。アシエルくん、できるかな?」

 

 罠としか思えない。けれどこれは、グレゴリオを殺す絶好の機会でもある。アシエルが頷くと、「いい子だね」とグレゴリオは目尻を下げた。


「これを君に」

 

 白衣のポケットから筆記具を取り出したグレゴリオは、アシエルの手を取ると、そっとそれを握らせた。何のつもりかと目で問えば、「注射型の鎮静剤だよ」とグレゴリオは肩をすくめた。


「今しがた、ディズジェーロに投与した薬と同じものだ。垂直に下ろせば針が出る。腕か腿に打てば、数分と経たずに動けなくなるはずだ」


 こんな男から渡されたものをどうして信用できるというのか。アシエルの心を読んだかのように、グレゴリオは言葉を足してくる。


「あの子は私にとってもこの国にとっても得難い人材だ。無意味に害したくはない。君に手荒な真似をされると困るんだ。もちろん、使うかどうかは、君に任せるよ。もしも君がひとりでは来られないというのなら、部屋まで迎えを寄越してもいいし」

「……迎えは必要ありません」

 

 短く答えたアシエルは、ペン型の注射剤を懐にしまい込む。満足そうに頷いたグレゴリオは、腕を伸ばして轟音を立てる装置を切った。

 

「さて、そろそろ検査も終わるころだろう。ディズジェーロを迎えに行っておやり。君たちふたりには、苦しい思いをさせたね。協力に感謝するよ」

 

 白々しくも協力と言ってのけたグレゴリオを睨みつけ、アシエルはくるりと踵を返す。

 グレゴリオの告げた通り、研究員ふたりに両脇から抱えられるようにして、ディズジェーロはちょうど長椅子へと戻ってくるところだった。ブルーノ曰く、身体的な異常はないものの、鎮静剤の効果が抜けるまではもうしばらくかかるらしい。視線を彷徨わせているディズジェーロの隣に膝をつき、アシエルは「ディー」と呼びかけた。


「大丈夫か」

「アシ、エル……? 傷、を」


 焦点もろくに合わないほど朦朧としているくせに、第一声がそれなのかと苦笑する。

 

「ディーが治してくれただろう。どこも痛くないよ」


 冷え切った体を以前と同じく背に乗せて、アシエルはゆっくりと歩き出す。皇帝グレゴリオも、その護衛たちも、すでに研究室からは引き上げたらしく、姿は見当たらなかった。

 薄暗い塔の廊下を歩きながら、アシエルはディズジェーロに語りかける。

 

「今日は本当に魔王みたいだったな。ディー」

 

 背からは細く苦しげなディズジェーロの息だけが聞こえてくる。アシエルの声は聞こえていないのかもしれない。それでも、構わなかった。

 

「あの野郎が何を考えてるのかなんて、俺には分からねえけど……、お前を人形みたいな魔王になんて、させやしないよ。ディズジェーロ」

 

 己に誓うように、アシエルは囁いた。

 だから許せよと、声には出せなかった懺悔を心の中で呟きながら、暗く静かな道を、アシエルは振り返らずに歩いて行った。


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