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44.知りたがりの皇帝①

「研究棟ってことは、塔に行くのか。こういう呼び出し、よくあんの?」

 

 窓越しに空を見上げながら、アシエルは隣を歩くディズジェーロに問う。

 何日ぶりかも忘れた青空が目に眩しかった。雲に隠された弱々しい陽光でさえ、新鮮なものに感じられる。転移で行くと言ったディズジェーロに対して、使うほどの距離ではない、外が見たいとひたすらごねて、しまいにはプライドも捨ててねだったかいがあったというものだ。

 ちらりとアシエルに視線を向けたディズジェーロは、無言で頷いた。仕事中だからか、今日は軍服姿だ。対して、ディズジェーロのローブを借りているアシエルは、先ほどから踏みそうになる長い裾に四苦八苦していた。部屋に引きこもっているときには気にならなかったが、歩くとなると、身長差の分、余った丈が邪魔で仕方がない。


「軍部に所属するセンチネルは、研究への協力が義務付けられている」

「ふうん」


 つまりは、塔への呼び出しは珍しくないということだろう。

 

「テンペスタでは、古くからセンチネルの持つ超感覚を研究している。皇帝グレゴリオが即位してからは、さらに力を入れるようになった」

 

 不機嫌を隠そうともせず、ディズジェーロが呟いた。ただでさえきつく見える目元が、今日はさらに険しさを増している。皇帝命令でアシエル共々呼び出されたことが気に入らないのはもちろんのこと、耳の良いディズジェーロにとっては、廊下に響く轟音がつらいのだろう。

 そうこうしている間にも、腹に重く響く砲音がまたひとつ窓を震わせる。訓練場で演習をしているらしく、目を凝らさずとも、広域魔術の名残だろう魔術光と土煙が伺えた。


「あまり顔を上げるな、アシエル」

「変に気にしてる方が怪しいだろ。姿変えの魔術、かけてくれたじゃねえか」

  

 『勇者』の顔を知る者の存在を危惧したディズジェーロは、アシエルに深くフードを被せるだけでは飽き足らず、頭のてっぺんからつま先まで、姿変えの魔術で変装させた。結果、今のアシエルは茶髪茶目の、どこにでもいそうな男に変わっている。鏡に映る顔は実年齢の倍程度には老けていたし、気弱そうな顔立ちは、元のアシエルとは似ても似つかない。額の傷跡さえもきれいに消えた今、下町を歩けば二、三人は似た人間を見かけるだろう。ゼークラフト中尉から見つけてもらいたいアシエルとしては不本意ではあったが、この顔を見てアシエルをアシエルだと認識できる人間はいないはずだ。


「至れり尽くせりだよな。別に、首輪くらいつけてくれても良かったんだぜ? ご主人様」

 

 茶化すように声を掛けると、ディズジェーロはため息とともに足を止め、気だるげな艶を滲ませながらアシエルを見下ろした。

 

「お前に被虐趣味があることは理解しているが、生憎私には人前で見せつける趣味はない。お望みなら、寝台の上であればいくらでも付き合おう」

「俺にだってそんな趣味はねえよ!」

「うるさい。この先は人の目がある。許可なく口を開くな」

「へいへい。ご命令通りに、ご主人様。……ん? あれ――」

 

 知り合いの姿を見つけたアシエルは、言い合いをしていた口をぱっと閉ざして、窓の外を見下ろした。騎士団の訓練場へと続く渡り廊下の角で、三人の兵士たちが、性別も分からぬほどやせ細った子どもを壁に追い詰め、囲んでいた。遠目にも、何やら言い争っている様子が見て取れる。ドジばかりする使えない洗濯女、臭い貧民、などと、聞くに堪えない暴言が風に乗って途切れ途切れに聞こえてきた。

 詰られているのは、テンペスタに来た初日、アシエルに親切にしてくれたゾーエではなかろうか。

 下卑た笑いを浮かべた男たちが、ゾーエを小突く。倒れたゾーエにのしかかるようにして、男たちのひとりが彼女の服に手を掛けた。その光景を目にした瞬間、考える間もなくアシエルの足は動いていた。

 

「悪い、行かせてくれ。知り合いなんだ」

「……お人好し。だからお前に外を歩かせたくなかったんだ、アシエル」

  

 ディズジェーロの返事を聞き終えぬまま、アシエルは渡り廊下を目指して一直線に駆け出した。



 一番近くにあった階段を駆け下りた後、開きっぱなしだった窓枠を乗り越え、少々強引に外へ出る。

 辿り着いた先では、頬を腫らしたゾーエを囲んで、男たちがげらげらと囃し立てるような笑い声をあげていた。


「こんな子供でも、胸はあるんだな」 

「幼女趣味かよ、引くわ」

「演習続きの上に、これから戦場に送られるんだぞ。これくらいの息抜きくらい、許されるだろう?」

 

 立ち振る舞いや装備を見る限り、貴族出身の兵士だろうか。がたがたと震える少女を多数で囲む男たちが、同業だと思うだけで吐き気がした。あろうことかそのうちのひとりは、ナイフまで持ち出している。フードの下で顔を顰めたアシエルは、ゾーエの服を切り刻もうとしている兵士の背後にそろりと近づき、腕を力づくで捻り上げた。

 

「痛っ! なんだ、お前は!」

「失礼、すみません。気になっちゃいまして」 


 呻き声を上げた男の腕をぱっと放して、アシエルは敵意がないことを示そうと両手を掲げて見せた。目立たず場を収めるためには、相手が自分から逃げたくなる状況を作ってやるのが一番だ。にんまりと笑みを作って、アシエルは中央の男の肘を指さした。

 

「蜘蛛がついてるみたいですよ」

「はあ?」

「腕です。腕! それ、もしかして猛毒の赤蜘蛛じゃないですか? 早く落とさないと、嚙まれたら大変だ!」

 

 ぺらぺらと言葉を吐きながら、アシエルは慌てたふりをして、左右の兵士たちを押しのける。猛毒という単語に怯んだのか、中央の兵士は慌てて自分の肘を見ようとした。すかさずアシエルは、「尻に行きました!」と声を上げる。


「毒液でしょうか。尻に穴が空いてますよ。大変だ!」

「おっ、本当だ。お前、尻が丸出しだぞ。気づかなかった」

「なっ! そんな、まさか。こんな穴、さっきまでなかったはずだ!」

 

 弾かれたように男が尻を押さえる。そこにはたった今炎で焼かれたかのように、不自然なほど大きな穴が空いていた。指先をそっと握って、アシエルはこっそりと火の魔術を消火する。

 

「着替えた方がよろしいのでは? こちらに指揮官が向かっておられるのを見ましたよ」

「……くそっ! 貧民なんかに構ったせいだ。この疫病神が!」

 

 やけになったようにゾーエを睨みつけた男は、手に抱えていた汚れ布をゾーエに向かって投げつけようとした。ゾーエが頭をかばうように身を縮める。さっと身を滑り込ませたアシエルは、汚れ布を自らの体で受け止めた。

 

「ああ、布が」

 

 落ちた布を拾うふりをして、アシエルは真っ青な顔をしたゾーエの前にそっとしゃがみ込む。気の毒なほど震えている少女を少しでも安心させようと、口の動きだけで「大丈夫」と語りかけた。

 姿は変わっていても、アシエルの声は以前と変わらない。目の前にいるのがアシエルだと気づいたのか、ゾーエは驚いたように目を見開いた。か細い声を上げるゾーエを宥めるように、アシエルは口の前に人差し指を立てた。意図を察したらしいゾーエは、瞬時に口を噤む。


「こちら、どういたしましょう」


 汚れ布を両手に載せて見せると、疲れたように男は「捨てておけ!」と喚いた。

 

「はっ、失礼しました!」

「さっさと仕事に戻れ、目障りな下働きどもめ」

「――なんだなんだ。騒がしいな?」

  

 捨て台詞を吐いた男を、あとは見送るばかりと思ったたところで、知らぬ爽やかな声が割って入ってきた。

 通路の向こう側から歩いて来た若い男は、見た目からして一般の兵士とは違っていた。銀髪を後ろで緩くまとめて片眼鏡をつけた姿は、歩いているだけでも周囲を威圧するような迫力がある。繊細な意匠が施された鎧は純白で、心なしか全身が発光して見えるほど派手だった。

 見るからに貴族だ。それも多分、かなり高位の。慌てて平伏したゾーエが、焦った様子でアシエルの手を引っ張る。しかし、アシエルは銀髪の男をじっと見つめたまま、動かなかった。正確には、動けなかった。

 ――強い。

 前に立つだけで身が竦みそうになる。目を離さぬまま、アシエルは無意識のうちに半身に構えていた。


「こ、これは、アントーニ大佐!」


 緊張した様子で敬礼をして、兵士たちが背筋を伸ばす。

 

「どうかしたのかい」

「い、いえ。何も……! 汚れた服の洗濯を、使用人に申し付けていただけです」

「そうかい。それならいいんだけど。ああ、君たちはもう行っていいよ。その見苦しい服をどうにかした方がいい」

「はっ、失礼します」

 

 許可を出されるなり、泡を食ったように兵士たちは駆け出していく。入れ替わりに、アントーニ大佐と呼ばれた貴族は、無遠慮にアシエルとの距離を詰めてきた。

 

「その垢抜けないローブ、見覚えがあるなあ。ベイグラント准将の旅装じゃないか? じゃあ、君が噂のガイドか? 彼、ようやく外に出したのか。へえ……」

 

 すん、と鼻を鳴らしながら、アントーニ大佐は「彼の香りしかしない。寵愛が眩しいねえ」と皮肉気に呟いた。センチネルの気配がするとは思っていたが、嗅覚に優れたタイプなのかもしれない。しげしげと視線を走らせたアントーニ大佐は、物を掴むような乱雑さでアシエルの顎を掴んで上向かせる。ディズジェーロが掛けてくれた姿変えの魔術があるとはいえ、顔をじろじろと眺められて、いい気はしなかった。

 

「ふうん。魔王閣下は、こういう顔がお好みか。造りは悪くないから、磨けばそれなりに光るだろうが……。それにしても、()()()()だな」

「……お目汚しを」

「別に君が謝ることじゃないさ。――ねえ、ベイグラント准将?」

 

 面白がるようにアントーニ大佐が呟いた直後、「気分が悪い」とその場の空気を凍りつかせるような冷たい声が響いた。こつりと足音を立てて、アシエルの後を追ってきたのだろうディズジェーロが場に踏み入る。

 

「人のものに勝手に触るな」

「そんなに怒らないでくれよ。ガイド嫌いの君が初めて側に置くガイドだぞ? 気になるに決まってるじゃないか」


 知り合いなのだろうか。アントーニ大佐は、妙に親しげにディズジェーロに微笑みかけた。


「そんなに具合がいいのかい」

「下種の勘繰りはやめろ」

「そんなこと言って、手は出しているくせに。ガイドなんて複数使える方がいいに決まってるのに、わざわざ『繋ぐ』なんて酔狂なことだ。ああ、それとも君の場合は、もともと誰とも合わなかったから、関係ないのかな?」

「何を言っている?」

  

 奇しくもディズジェーロが発した言葉は、アシエルが心の中で思ったことと一言一句同じ言葉だった。驚いたように目を見開いたアントーニ大佐は、次の瞬間、吹き出すように笑いだす。


「知らないのか。それとも、気付いていないだけ? いや、君は交友関係が狭いから、こういう知識には疎いのかな。よく聞こえる耳も、よく見える目も、君はぜーんぶ仕事のためにしか使っていないものな。頭は切れるくせに、愚かなことだ」

「……付き合っていられない」


 アントーニ大佐の声をまるきり聞き流したディズジェーロは、我関せずといった様子でアシエルの腕を掴み、踵を返そうとした。しかし、アントーニ大佐は有無を言わさぬ笑顔でディズジェーロの肩を掴んで、それを阻止しようとする。


「せっかく会ったんだから、世間話くらい付き合ってくれたっていいじゃないか。ここのところの君といったら、暇があれば私室に籠ってばかりで、ろくに食事も付き合ってくれやしないんだから」

「貴殿と食事をともにしたことはないし、皇帝の側近と話すべきこともない」

「まあまあ、いいじゃない。――ねえ、そこの使用人。そのガイドの服を、綺麗にしてやってくれる? うちの部下が汚してしまったみたいだから。頼むよ」

 

 唐突に声を掛けられたゾーエは、気の毒なほど身を縮めながら頭を下げる。射殺さんばかりの眼差しをアントーニ大佐に向けるディズジェーロを尻目に、アシエルはゾーエに導かれるがまま、廊下の隅に身を寄せた。

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