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43.うたかたの日々⑤

 互いに挑発するような言葉を吐いたくせに、アシエルとディズジェーロは、ふたり揃ってどこかぎこちなく唇を重ねていた。互いに目すら閉じていない。情緒もなければ、胸が高鳴るような純真さもない。好奇心と期待、止まるに止まれぬ奇妙な興奮に突き動かされて、重ねては離れて、そしてまた確かめるように唇を重ね合う。

 頼りないほど柔らかな感触と、正しい距離を見失った背徳感に、息の仕方も忘れていた。

 きっかり三度、探り合うように合わせた唇が離れてはじめて、アシエルは自分が息を止めていたことに気が付いた。震える息を吐けば、アシエルの緊張にとっくに気づいていただろうディズジェーロが、意地悪く唇の端をつり上げる。

 

「言い出したのはお前だろうに」

「うるせえ」

 

 焦点が合わないほど近くにあるディズジェーロの顔を一度強く睨みつけ、アシエルは声もなく目を伏せた。

 もっと深く触れ合ってみたい。

 身にまとった揃いの黒いローブに何となしに視線を落としながら、アシエルはそろりとディズジェーロの首に唇を落とした。鎖骨のあたりを軽く吸いながら、手で背をなぞるように辿る。息を震わせ、腕の中で強張ったディズジェーロの体に、アシエルは小さく苦笑した。

 

「敏感なのな。お前、肌も感覚強いもんな」

 

 言いながら耳たぶを唇で愛撫した途端に、がっと肩を掴まれ、引きはがされた。耳を片手で押さえたディズジェーロは、何が気に喰わないのか、顔を赤らめ、無言でアシエルを睨みつけてくる。

 

「……嫌だったか?」

 

 眉尻を下げて問えば、苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、ディズジェーロは「そういう問題ではない」と吐き捨てた。

 

「嫌じゃないなら、何が問題だ? 俺だってディーに触りたい。だめか?」

「何のために。大人しくしていれば、欲しいだけ良くしてやる」

 

 その物言いにむっとして、勢いまかせにアシエルは言い放つ。

 

「いらねえ。抜きたいだけならひとりで抜いてるよ。俺はディーに触りたいし、触られたいんだ。繋がりたいし、抱き合いたい」

 

 言っている途中で自分は一体何を言っているのかと後悔しながらも、半ばやけくそになりながらアシエルは言い切った。

 

「別に気持ちよくして欲しいわけじゃない。一緒に気持ちよくなりたいって言ったら、分かってくれるか?」

 

 ディズジェーロは答えなかった。はいともいいえとも言わぬ代わりに、頬の赤みがさらに増す。視線は険しいままだが、そこに怒りの色はない。照れか困惑か、はたまた別の感情なのかは分からないが、初めて見る表情が新鮮だった。数度まばたきをした後、アシエルはにんまりと笑う。元々、ディズジェーロばかりが余裕に溢れているのは気に入らなかったのだ。

 片腕をディズジェーロの腰に回しながら、アシエルはそろりとディズジェーロのローブをたくし上げた。しかし、素肌に触れた途端に、居心地悪そうにディズジェーロは体を凍り付かせてしまう。触られることが苦手なのか、あるいは単に触れられることに慣れていないのか。本気で嫌がるようなやめようと思いつつ、慎重に背を辿っていくと、不意に固い感触が手に当たった。

 

「なんだこれ」

 

 背骨を辿っていった先の、尻に近い位置に、骨の塊のような固い突起を見つけた。首を傾げながらさわさわと撫でていると、されるがままになっていたディズジェーロがぼそりと口を開く。

 

「私は……先祖返りらしい。何代前かは知らないが、魔族が血縁にいたのだろう」

「ふうん。じゃあこれ、しっぽの名残か? だからディーは、あんなに魔力量が多いのか。なるほどな」

 

 人間とは思えないほど整ったディズジェーロの顔も、規格外の魔力量も、人ならざる者の血の影響と言われれば納得できる。そう言って頷くアシエルをまじまじと見つめて、ディズジェーロは拍子抜けしたように「それだけか」と呟いた。

 

「お前は気持ち悪くはないのか。この混ざりものの血と体が」

「混ざりものねえ……何が言いたいのかよく分かんねえけど、ディーはディーだろう。テンペスタの上流階級の育ちで、馬鹿強いくせにいつも死にそうな顔したセンチネルで、やたらめったら助けてくれる良いやつだ。それだけでいい。お前の家名も役職も流れてる血も、俺には何にも関係ねえな」

 

 つらつらと思いのままに吐き出せば、アシエルの体を抱きしめるディズジェーロの腕の力が、痛いほどに強まった。

 宥めるようにディズジェーロの背を軽く叩きながら、「続き」と急かすように囁いたアシエルは、たくし上げたローブを脱がせようとした。アシエルが何を望んでいるのか察したらしいディズジェーロは、身を起こし、潔く服を脱ぎ捨てる。

 

「……きれいだな」

 

 知らず感嘆の息を漏らしながら、アシエルは眼前にさらされたディズジェーロの体をうっとりと見つめた。見惚れている間にも、己もすっかりと一糸まとわぬ状態にされていたが、どうでもよかった。

 首筋から腕へ。胸から腹へ。不健康なほど真っ白な肌を、アシエルは手のひらで確かめるように辿っていく。全身古傷だらけのアシエルとは違って、本人が治癒魔術の使い手であるためか、ディズジェーロの体に傷跡はほとんど残っていない。アシエルは己の上に覆いかぶさるディズジェーロの背に手を回し、互いの体を重ねるように抱き寄せる。

 

「……っ」

「あったけー」

 

 髪が触れ合い、肌が触れ合う。むき出しの、何も覆いのない肌をぴたりと合わせて、アシエルは声を出さずに笑った。あたたかくて、心地よい。ずっとこうしてみたかった。

 のんびりと体に触れ合いながら、アシエルは「よかった」と独り言のように呟く。

 

「お前、俺で興奮できんのな。ディーの目には全部見えてるだろうに。傷跡ばっかで見れたもんじゃない」

「美しいと前にも言った。傷跡は、生きるために足掻いて来た証だ。お前の場合には、他人に情けをかけたためかもしれないが……。どちらにせよ、体も心も、好ましく思う」

「……そりゃ、どうも」

 

 相変わらず、恥ずかしげもなく言葉を吐くものだ。軽く目を泳がせながら、アシエルは身じろぎした。

 ディズジェーロの触れ方は丁寧で、けれど容赦がなかった。

 体を繋げるときも、変わらずに。

 息を弾ませ、耐えるように眉を寄せるディズジェーロの表情に目を奪われた。アシエルの視線に気付いたのか、どこか無防備に唇を緩めたディズジェーロは、赤らんだ目元をそっと和らげた。

 

(ああ、これだ)

 

 この顔が見たかった。無防備に内側をさらす、その表情が見たかった。ぞくりと体の内側から這い出るような興奮を感じる。たかだか体のでっぱりの一部を無理やり体におさめただけだ。それなのに、決定的な何かを差し出され、自身もまた何を差し出したのだと直感する。

 

「アシエル?」

「なあ、ディー。繋げていいか」

「何を」

 

 心。精神。力。どれもしっくりと来なかったから、言葉では答えない。代わりに、アシエルは繋いだ手を強く握りこんだ。ディズジェーロが眉を寄せる。

 

「調律なら、昨日してもらったばかりだ。お前の負担になる」

「今日は調律しない。繋ぐだけ。な、いいだろ? ディーと繋がりたい。全部、繋がりたいんだ」

 

 アシエルの意図するところをどこまでディズジェーロが理解したのかは分からない。けれど確かに、ディズジェーロはアシエルの手を握り返した。理由も分からず笑い出したい気持ちになりながら、アシエルはディズジェーロと己を『繋いだ』。


 かちりと何かが噛み合う。

 

「あ」

 

 声を出したのは、ディズジェーロかアシエルか、それともふたり揃ってのことなのか、それさえ定かではなかった。いつかのように緩く表層を繋いだまま、ほんの少しだけ己の心を守る(シールド)を緩める。それだけで、目の回りそうな心地よさが全身を満たした。

 

 体を撫でられる感覚に身をすくませたのはディズジェーロで、乞うように名前を呼ばれて体を震わせたのはアシエルだった。背に爪を立てたのは多分アシエルだが、興奮に堪えかねて深く肩に歯を立てたのは、多分ディズジェーロだ。

 きっとそうだとは思うが、違うかもしれない。それくらい自他の境界があいまいで、それくらい頭が浮かされていた。

 唯一自分たちを分けてくれるものは、名前だけだ。

 

「アシ、エル、アシエル、アシエル……!」

「ディ、ズ……ジェーロ。ディー……なあ、きもちいい、な」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑う。繋いだ心から伝わるどろどろとした執着が心地いい。己の心から伝わる何かも、ディズジェーロを満たしていたらいいとぼんやりと思った。


 事を終えて、ようやく呼吸が整ってきたころ、ぴくりとディズジェーロが耳をそばだてる。

 

「何だ? どうかしたのか」

 

 首を傾げた後、幾ばくもしないうちに扉が叩かれる音が響いた。ふわふわと浮き立っていた思考が、一気に冷えていく。

 脱ぎ落としたローブを羽織り、髪をかき上げたディズジェーロが、警戒する動物のように寝台を離れていく。続くようにそろりと立ち上がろうとした瞬間、四肢を氷で固められ、寝台に繋ぎとめられた。アシエルが魔術を紡ぐより早く、魔力の流れを封じられる。

 ぎろりと冷たく、ディズジェーロはアシエルを睨みつけた。

 

「動くな。おとなしくしていろ」

「へいへい」

 

 顔を歪めながら、アシエルは大人しく力を抜いた。扉が閉じられる音を聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。

 肌を重ねたら、わけの分からない衝動も落ち着くかと思っていたが、そんなことはなかった。知れば知るほどさらに知りたくなるのだから、心というものは厄介なものだ。

 腰の感覚がない。しびれるような鈍い快感だけが、情交の名残を色濃く残していた。

 うとうとと微睡み掛けた矢先に、扉が開く音がした。部屋に戻ってきたディズジェーロは、苛立ちを隠そうともせず、眉間に皺を寄せている。

 

「機嫌悪いな。どうしたよ」

「呼び出された」

「今から?」

「明日」

 

 憎らしげに吐き捨てたディズジェーロは、寝台の端に腰を下ろすと、ついとアシエルに視線を向けて指を振った。手首を包んだ温かい炎が、一瞬で氷の枷を溶かしていく。腕を振ったアシエルは、身を起こしながら興味津々で問いかけた。

 

「呼び出しって、どこに?」


 苛立たしげに額を押さえたディズジェーロは、「研究棟」と吐き捨てるように答える。

 

「皇帝直下の集団が、センチネルの力を研究している場所だ」

「ふうん。つまるところ、皇帝命令か。逃げられねえな」

 

 五感に優れたセンチネルなど、それはもちろん国を挙げて保護と観察をしたがるに決まっている。そこまで考えた瞬間、ピンとくるものがあった。

 膝立ちになってにじり寄り、アシエルは後ろからのしかかるようにディズジェーロを抱きしめる。触れると伝わってくるのは、以前までの乱れ切った力とは異なる、凪いで整った心地よい力だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()、精神状態の劇的な改善を、己がもたらしたのだと思うと、暗い喜びが湧いてくる。

 

「呼び出し食らったのは、お前だけか? ……違うよな。センチネルには、ガイドがつきものだ。そうだよなあ?」


 語尾をわざと品なく上げて尋ねたアシエルは、ディズジェーロが答えぬのをいいことに、つらつらと言葉を続けた。

 ディズジェーロにとって都合の悪いこと。それはつまり、アシエルにとっては都合のいいことだ。

 

「俺も連れてこいって言われてるんだろ? どれだけ人を避けたって、噂は勝手に広まるもんな。国で有名なセンチネルの、いつも死にそうだった気配がマシになってたら、近くにガイドがいるって、そりゃ気付くよな」

 

 ゆっくりとディズジェーロが顔を上げ、アシエルを振り返る。その目は腹立たしげに歪んでいた。

 

「わざとか、アシエル」


 まさか、とアシエルは朗らかに笑う。

 

「俺がお前に、何かしたかったってだけだよ。ひどい気配の横じゃ気になって眠れないからさ。それだけは嘘じゃない」

「……逃がすつもりはない。余計なことを考えるなよ」

 

 肩を掴まれ、引き倒される。柔らかな寝台の感触を頭に感じながら、アシエルは挑発的に唇の端をつり上げた。

 

「約束はできねえなあ。俺は俺のしたいようにする。……でもまあ、ディーの目があるのに何ができるとも思ってないよ」

 

 嘘だ。外に出れば、ゼークラフト中尉と連絡を取る機会は必ず巡ってくるはずだ。

 

「楽しみだな、ディー」

 

 両腕をディズジェーロの首に回しながら、アシエルはそっと微笑んだ。

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