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3.勇者と呼ばれた凡人③

 アシエルが戦場から転移したのは、ねぐらとして使っている、下町の宿の一室だった。

 裏庭の一角を借りて身を清めたアシエルは、簡素な普段着に着替えた後で、仕上げに戦場でも着けていたヘッドバンドを額につける。洗ったばかりで湿ってはいたが、幸いにして色が黒であるため、血がしみ込んでいたとしても傍目には分かるまい。

 いつも通りに額を覆う感触にほっと息をつき、アシエルは宿の一階にある食堂へと足を向ける。カウンターにはひとりの女性が立ち、熱心に開店の準備をしていた。


「マリーさん、水浴び終わった。ありがとよ」


 アシエルが声を掛けると、宿の女将――マリーが顔を上げる。エプロン姿のマリーは、溌剌とした印象が強い細身の女性だ。艶やかな黒髪をきっちりと結い上げた姿には、清潔感と、ひとりで宿を切り盛りするにふさわしい迫力があった。今年で四十後半に差し掛かるはずだが、きっちりと化粧が施された外見は、まるで年齢というものを感じさせない。

 アシエルの姿を認めたマリーは、きりりと眉をつり上げた。


「髪くらいきちんと拭きな、アシエル! 風邪をひきたいのかい」


 さながら息子をどやしつける母親のように遠慮のない蓮っ葉な口調に、アシエルはひくりと頬を歪める。


「ちゃんと拭いたって。子どもじゃないんだからそうそう体調なんて崩すかよ」

「そんなこと言って、あんた、子どものころはすぐ寝込んでいただろう」

「何年前の話だよ。勘弁してくれって、マリーさん」


 母の友人であったというマリーとは、アシエルが軍に入隊する以前からの知り合いだ。何かと気をかけてくれることには感謝しているが、折に触れてアシエルを子ども扱いしてくることだけは難点だった。二十三になる男にそれはないだろうと文句を言っても、一向に取り合ってくれる気配がない。

 カウンターの一席を顎で示したマリーは、アシエルを座らせると、すかさず湯気を立てるホットミルクを差し出した。


「お飲み。体を冷やすもんじゃないよ」

「ありがとう。酒もある?」


 カウンターに肘をつき、ねだるように流し目を送ってみたが、マリーは「すきっ腹に酒を入れたら潰れるよ」とつれなく返す。


「まずは食事におし。あれだけ血で汚れていたんだ。今日も大変だったんだろう?」

「まあね」

「あんた、勝ったって言ってなかった? その割には萎れた顔をしてるじゃないの」

「お貴族様に囲まれてると疲れるんだよ」


 カップを手に取ったアシエルは、ちびちびとミルクを喉に流し込みながら、ため息をついた。


「貴族しかいねえんだもんよ、俺の部隊。それもセンチネルばっかり。肩身が狭いったらありゃしねえ」

「王女様直属の部隊だっけ。少尉? 少佐? どっちになったんだったかしら。軍の階級はややこしくって分からないよ」

「少尉だよ。この年で少佐になるようなやつは、お貴族様のエリートか、二階級特進したやつくらい」


 ふうん、と興味もなさそうに聞きながら、マリーは「じゃああんたの階級、大したことはないんだね」などと胸に刺さることを言ってくる。


「ひでえなあ。軍学校も出てない平民にしたら、これでも破格の昇進だよ」

「あらそう、すごいじゃない。じゃあ何? 元気がないと思えば、あんたもしかしてそれが原因でいじめられているのかい」

「そういうんじゃないけどさあ……」


 つらつらと会話をしながら、マリーは手際よく調理を進めていく。ぱちぱちと油が跳ねる音が心地よい。肉が焼ける香ばしい匂いに、自然と唾液が湧き上がってくる。腹が鳴る頃合いを見計らったかのように、マリーはつまみの乗った皿を次々とアシエルの前に並べていった。


「居心地が悪いだなんて、今さらじゃない。貴族が平民を対等に見るわけがないよ。魔力を使える平民なんて、余計当たりも強くなるってもんさね。ましてやあんた、派手な戦績ばっかり立てているんだろう? 魔物の群れをひとりで倒したとか、よその軍隊を吹っ飛ばしたとか、あたしでも知ってるくらいだもの。やっかみがついて回っても仕方がないよ」

「……俺の力じゃない。どれもこれも、運が良かっただけだ」


 返す言葉は、アシエルが思ったよりも固く響いた。けれど、幸いにもマリーはただの謙遜だと受け取ってくれたらしい。変なところで謙虚なんだから、と苦笑している。


「ま、妬み嫉みなんて気にするだけ時間の無駄さ。今日くらいは忘れてゆっくり休みなよ、アシエル」

「そうするよ。食べていい?」

「もちろん。冷める前に召し上がれ」

「神の恵みと、美人の女将の思いやりに感謝を」


 両手を組んで手短に祈りを捧げた後で、アシエルはいそいそと皿に手を付ける。

 ふかし芋に、炙りたてのベーコン。鳥肉と野菜を炒めて塩を振っただけのシンプルな野菜炒め。どれもこれも素朴な料理だが、今はその食べ慣れた味が何より嬉しかった。戦場で口にする保存食はもちろん、時折王城で振る舞われる豪勢な食事と比べても、よほど温かくて身に染みる。

 今日も戻って来られたのだと、じわじわと安堵が込み上げてきた。

 アシエルに帰る家はない。天涯孤独の身となって久しいし、人生をともにする伴侶もいない。思い入れのある物も、子どものころから過ごしてきた下町と、母の形見の首飾りぐらいだ。馴染みの宿で馴染みの味を口にした瞬間だけが、アシエルにとっての安らぎを感じられる時間だった。

 かき込むように食事を終えると、食べ終わるのを待っていたかのようなタイミングで、マリーは麦色の発泡酒をなみなみとグラスに注いでくれた。


「我らが勇者殿の勝利を称えて。どうぞ?」

「やめてくれよ、マリーさん」


 冷えたエールをぐいと飲み干す。取り立てて酒が好きなわけではないが、死線を超えたばかりの興奮は、酔いに変えてごまかすのが一番だ。いつからかアシエルが身につけた、任務の後の習慣だった。

 ――本当に、どうしてこうなってしまったのだろう。


「何遠い目をしてるのよ」

「世の中優しくねえなと思って」

「勇者様が何を言ってるのさ」

「『勇者』様だから言ってるのさ」


 アシエルを死線に送る忌々しい『勇者』というハリボテは、皮肉にもアシエルの命を繋ぐ称号でもあった。

 アシエルが竜を殺したのは、今回が初めてではない。

 一度目の竜殺しは、ちょうど十年前のことだった。

 訓練課程を終えたアシエルが正式な職業軍人となった修了式の日、何を間違ったのか、手負いの竜が空から落ちてきたのだ。


『そっちだ! 回れ! 絶対に竜を通すな!』

『二等兵どもは前へ出ろ! 魔術も使えぬ貴様らは、せめて上級兵の盾になれ!』


 見たこともない竜種を相手に、アシエルたち平民出身の軍人たちは、肉の壁を作らされていた。


『なんでこんなところに竜がいるんだよ……!』


 迫り来る竜の(あぎと)を前に、その日二等兵となったばかりのアシエルは、ひたすらに天を呪っていた。逃げ惑う下町の民を背に庇い、同僚とともに剣を構えて突進する。


『行け! 死ぬ気で竜に突撃しろ!』


 上級兵の無慈悲な言葉に、アシエルは顔を顰める。馴染みの下町ひとつ守れぬまま、貴族の捨て駒にされて終わるのかと思うと、ふざけるなと叫びたくてたまらなかった。

 魔術が使えたなら、肉壁以外の何かになれたのだろうか。

 血を吐くような悔しさとともに母の形見を握りしめた瞬間、()()がぶわりとアシエルの中へ流れ込んできた。

 熱くて熱くてたまらない。竜の牙が今にもアシエルに突き刺さらんとしたその瞬間、アシエルの体を伝って噴き出た魔力の塊は、魔術ですらない不格好な矢の形になって、竜の喉元を内側から貫いた。

 ――かくして、当たり所が悪かったらしい手負いの竜は、呆気なくもそのまま死んだというわけだ。

 問題だったのは、アシエルが使った魔力は、平民どころか一般的な貴族と比較しても、あまりにも強大すぎたということだった。

 魔力は尊い血を受けつぐ貴族だけが持つもので、平民には普通、発現しない。貴族の火遊びの結果、魔力を宿す子が下町に生まれぬわけではないが、扱える魔力の量は、正当な貴族とは比べるべくもない。

 一方で、この首飾りは、竜一匹分の魔力さえ軽々と飲み込んでみせるのだ。それをありったけ引き出そうものなら、その魔力量が異端と称されようとも、何ら不思議ではなかった。

 首飾りの力に気付いたときには時すでに遅く、アシエルはその場に居合わせた第一王女ユリアによって召し抱えられ、所属を移され、地位を引き上げられていた。「あれは実は自分の力ではなくて夢のような道具のおかげでした」と言い出せる状況ではとっくになくなっていたのだ。言ったとして、そんな怪しげな道具をどこで手に入れたのだと聞かれるだけならまだいいが、首飾りを奪われ殺されるのが関の山だ。平民ひとりの未来など、生きるも死ぬも貴族の指先ひとつで決まってしまうのだから。

 勇者という御大層な呼び名と、特例による昇進は、アシエルを国に縛り付けるための枷であり、救いでもあった。少なくとも、王女の庇護のもと、勇者として国に貢献し続ける限りは、危険視されて始末されることはない。


(でも、死ぬまでこんな生活が続くのか……?)


 項垂れるアシエルに、マリーは不思議そうな目を向けた。


「何だい、頭を抱えちゃって。まさかエール一杯で酔ったわけじゃないだろうね」

「まさか。ちょっと考え事してただけ。この後どの娼館に行こうかなって」

「あらまあ。客引きに声を掛けられただけで真っ赤になってたあの坊やが、立派な女好きに育ったもんだ。口説き文句くらいは噛まずに言えるようになったのかい」

「だから、いつの話だって!」


 話を煙に巻こうとしたつもりが、逆にからかい返されてしまった。口元をひきつらせながらアシエルが顔を上げると、マリーはにやりと微笑み返してきた。


「あたしをやり込めようなんて百年早いよ。さ、他にも腹にたまるものを出してやる。どんどんお食べ」


 マリーが追加の料理に取り掛かろうとしたその時、ちりんと来客を知らせる鈴が鳴る。


「あら、お客さんかしら」


 中に入ってきたのは、ローブを纏った長身の男だった。深く下ろされたフードのせいで顔立ちはうかがえないが、全体的に地味な印象を受ける。

 しかし、男の姿を目にした途端、なぜこの距離に至るまで気づかなかったのかと思うほど、強烈に空気がざわめくのを感じた。アシエルが無言で男を凝視している間に、にこりとマリーが客向けの笑顔を浮かべる。


「ごめんなさいね、お客さま。今日は開店、遅らせているんですよ。扉に書いておいたらよかったですね」

「ああ、そうなのか。それは失礼」


 (きびす)を返そうとした男を見て、慌ててアシエルはマリーへと顔を向ける。開店を遅らせているとマリーが言ったのは、おそらくは血まみれで戻ったアシエルを気遣ってのことだ。


「マリーさん、俺だったら大丈夫。気ぃ遣ってくれてありがとう」

「あら、そうかい? じゃあ、旦那さま、こちらへどうぞ。本日はお食事? お酒?」

「酒と、つまみを頼む」 


 男から注文を受けると、マリーは厨房で調理を始めた。酒を一気に喉へと流し込みつつ、アシエルは横目に男の姿を伺う。カウンターの端と端に離れて座っているというのに、ぴりぴりと肌がざわついてならなかった。かなり力の強いセンチネルなのだろう。しかも、ガイドの調律を長期間受けていないのか、気配の乱れが相当酷い。

 よくもあの状態で涼しい顔をしていられるものだと見つめていると、不意に男が顔を上げた。


「……何か?」


 険のある問いかけを受けて初めて、自身の行動が随分と礼を欠くものだったことに、アシエルは思い至った。動揺した拍子に、グラスを掴んでいた指先がつるりと滑る。


「やべ……っ」


 がちゃりと音を立ててグラスが落ちる。中身を飲み干していたことだけは幸いだったが、落ちたグラスは、よりにもよって男の足元へと転がっていった。

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