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35.交差する運命④

「……うわっ!」

 

 雑と言っていい扱いで放り投げられた先には、柔らかく弾力のある感触が広がっていた。顔から落とされた反動で、フードは剥がれ、中途半端に目隠しが外れる。半分だけ解放されたアシエルの視界には、見た目からして質の良さそうな白いシーツと、見慣れない部屋が映っていた。

 ここはどこだろうと考える間もなく、背後から肩を押さえつけられる。抵抗しようにも後ろ手は拘束されているし、足は体重をかけられていて動かせない。目を白黒とさせている間にも、ディズジェーロの手はアシエルのローブの中に潜りこみ、腰に隠していたナイフを取り去ってしまった。

 取り上げたナイフを静かにベッドサイドの机に置きながら、ディズジェーロはアシエルの肩を引き、半身に振り返らせる。

 真正面から目が合った。

 気まずさに堪えかねて、アシエルはへらりと笑顔を作る。

 

「見なかったことにしてくれねえ?」

「見ないふり? 凶器を持った他国の軍人が、あからさまな方法で入り込んでいると知った上で?」

 

 嫌味ったらしくひと言ずつ区切られた言い方をされても、引きつった笑いを返すことしかできない。

 ディズジェーロの視線が一層険しさを増した。

 

「ここがどこか理解しているのか。それともまた、以前のように連れてこられたとでも?」

「お姫さまじゃあるまいし、そうそう何度も攫われねえなあ」

「状況を理解した上で、己の意志で、ここに――テンペスタの城にいるのだな」

「まあ、うん」

「出て行け。帰れ。帰り道も分からない無能なら送り返してやる」

「んん……できることならそうしたいんだけど、そうもいかねえかな」

 

 会話の間にも突き刺さる視線が痛くてたまらない。目を逸らそうとしたが、それすら許さないと言わんばかりに片手で両頬を掴まれてしまった。

 乱暴な手つきで、ディズジェーロがアシエルの目尻をなぞる。どれだけ怒りが深いのか、ディズジェーロの指先は細かく震えていた。

 

「目元の紅に白の装束。ご丁寧にテンペスタの死出の衣装まで身にまとって、何をしに来た……!」

「へ?」

 

 白のローブも目元の紅も、イーリスならば年に数回は見る、ありふれた儀式用の装いだ。死出の衣装だと言われても、ひどい言いがかりだとしか返しようがなかった。

 

「ひ、ふぉ、と」

 

 ――仕事だよ。

 頬を掴まれ、まともに口も動かせない中、四苦八苦しながら言葉を紡ぐ。途端に、ディズジェーロは怒りにまみれた嘲笑を浮かべた。

 

「……仕事? 本気でそう思っているのか。帰らなくとも損はない。捨て駒にしても惜しくない。そう判断されたからこそ、今この状況で、こんな場所に送り込まれている。そんなことも理解できないのか」

 

 棘のある言葉に、アシエルはぴくりと眉を跳ね上げる。脈拍が上がったな、と優しげにディズジェーロは囁いた。

 

「逃げない。裏切らない。死ねと言われて死ににくる。従順なだけの馬鹿な犬。何と言われてここに来た? 頼りにしている? 信じている? それともお前がやらなければ最悪の事態になるとでも言いくるめられたか? お前の主はただお前の忠誠を利用しているだけだ」

 

 かちんと来た。

 アシエルは平民だ。家族もなければ背負う家もない。いなくなっても誰も困らない。だから危険な任務を与えられたのかもしれない。そう考えなかったといえば嘘になる。

 だが、たとえそうだとしても、アシエルにとっては恩人でもある主君を、悪く言われる筋合いはなかった。

 動かぬ体を強引に捻ったアシエルは、ディズジェーロの手を肩で弾くように振り払う。そのまま腹筋だけで身を起こし、アシエルはきつくディズジェーロを睨みつけた。

 

「ユリア様にはユリア様の考えがある。俺に回すのがいいと判断されたから、俺に仕事が回ってきたってだけの話だ」

「真面目に言っているのだとしたら、随分とおめでたい頭をしているものだ」

 

 唇の端だけをつり上げるディズジェーロの笑い方が、癪に障った。


「さっきから聞いてりゃ何なんだよ!」


 顎だけをつんと上げたアシエルは、煽るように吐き捨てる。

 

「あんたがあんたの仕事をするっていうなら、警備に突き出せばいい。別に恨みやしねえよ。それともご親切に知り合いだからって情けをかけてくれるなら、その辺に捨ててくれ。ねちねちねちねち感じ悪ぃな」

「突き出す? 捨てる? よりにもよってガイドの奴隷として連れてこられておいて、その後お前はどうするつもりだ」

「そんなもの、どうとでもなるさ!」

 

 売り言葉に買い言葉としか言いようがなかった。ディズジェーロが何に対してそんなにも怒っているのか、アシエルには分からない。分からないまま、ディズジェーロに引きずられるようにして、ぐらぐらと感情だけが波立っていく。

 あるいはそれは、任務を告げられたときからひとり押し殺し続けてきた感情を、言葉によって暴かれただけかもしれなかった。

 

「奴隷扱い上等じゃねえか。調律しろっていうならしてやるよ!」

「先ほどお前がしたように? 無防備にすり寄って、誰とも分からぬ者の力を受け入れて、慈しみ深い言葉を向けてやるのか? 玩具にされて、壊されるだけかもしれないのに?」

「壊されるほどやわじゃない。最悪、力でどうとでもなるさ!」

 

 言い放った瞬間、ディズジェーロは骨が砕けそうなそうなほどの力でアシエルの肩を掴み、容赦なくアシエルの体を組み敷いた。


「ぐ……っ」

「今組み敷かれて動けもしないのはどこの誰だ? 犯す。嬲る。殺す。調律の道具にする。ガイドの奴隷に待つ未来など決まっている。お望みならばすべてやってやろうか、間抜けな勇者殿」

「好き勝手言いやがって……! てめえには借りがあるから、わざわざ話を聞いてやってるんだよ! 調子に乗るのも大概にしろ、嫌味な魔王様!」

 

 体格で勝る相手に上を取られて抜け出そうと思うと、素の力だけではとても足りない。挑発されるがまま、アシエルは使い慣れた身体強化魔術を起動しようとした。――はずだった。

 

「――っ?」

 

 魔術が使えない。屈服させられた体勢のまま、体を動かすことができない。ペンダントの感触は確かに胸にあるというのに、何かに妨害されて魔力を動かせない。


「……何をした」

「魔力の移動を阻害した」

 

 予想もしていなかった事態に、アシエルは絶句する。


「使わせない」


 嘲笑うように呟いて、ディズジェーロはアシエルの首にするりと手をかけた。冷たい手袋の感触が、圧倒的な力の差を誇示するように、ゆっくりと血管を締めつけ、喉仏を撫でていく。いつでも殺せるのだと言わんばかりに急所に触れた指先は、アシエルの胸に下げられた真っ赤な石を、恭しく掬い上げた。

 

「魔術が使えなければ、お前はほんのわずか剣が達者なだけの、ただの凡人ではないか」

 

 そう言って苦しげに顔を歪めるディズジェーロを、アシエルは呆然と見上げた。アシエルの力が本物でないとは知られていたが、ペンダントの性質まで話した覚えはない。けれどもディズジェーロは、すべて知っているのだ。

 理解した瞬間、一気に体の芯から凍えるような心地がした。

 

「てめえ」

 

 虚勢だと分かっていても、アシエルはディズジェーロを睨みつけずにはいられなかった。

 

「お前は強い。アシエル。けれどそれは、お前が力を発揮できる場所に限られる。ここはお前の生きてきた世界ではない。センチネルでもないお前が、たったひとりで危険をどう避ける? 薬ひとつ、魔術ひとつで、物知らぬガイドひとり、意に沿わぬ調律を強要させた挙句に壊すことなど簡単にできる。その美しい姿も、優しい性根も、得難い忠誠も覚悟も力も命でさえも、くだらない人間のくだらない悪意ひとつで容易く踏みにじられると、なぜ分からない?」

 

 苛立ちが声に滲んでいた。怒りを堪え切れないのか、ディズジェーロの声は掠れて冷静さを失い、上擦っていく。

 

「尽くしても何も返さない相手になぜ尽くす? 己の命を軽視され、利用されることをなぜ許す? 化け物じみた力など、持っていないくせに! 死ぬ可能性が高いと知りながら、なぜここに来た、アシエル……!」

 

 昂った感情が、乱れた気配を余計に荒らし、部屋中の空気を揺らしていた。間近に見えるディズジェーロの瞳孔は開き、真っ赤な瞳の色は、激情に色を濃く深めている。ついには刃物のような視線を受け止めていられなくなって、アシエルはふいと視線を逸らした。

 

「言う必要がない」

「言え」

「言わねえっつってんだ! 俺がどこで何をしようが、てめえに関係あんのか、ディズジェーロ」

 

 半ばヤケになりながら、アシエルは声を張る。

 力で負けて、わけの分からない怒りをぶつけられて、挙句の果てには、ふつふつと湧き上がる自分自身の感情でさえ持て余していた。せめて口先だけでもディズジェーロに歯向かう以外、どうしようもなかったのだ。

 けれどもそのたった一言が、何かの引き金を引いてしまった。

 

「――そうか。ならばいい。もう聞かない」

 

 静かな声が耳に届くと同時に、全身に鳥肌が立った。

 おそるおそる視線を上げる。

 ディズジェーロの赤い瞳が、ぎらぎらと燃えていた。氷のように冷たい視線だというのに、そのくせ一枚膜を隔てた中には、隠しようもない激情が押し込められている。

 目が合った瞬間、暴かれる、と直感した。嘘も本音も何もかも、アシエルがたったひとりでひた隠しにしてきたものを、無理やりに腹の奥まで手を突き入れられて、引きずり出される。予感というより確信に近かった。それが怖いのか、気に入らないのか、悔しいのかすら、今のアシエルにはもう分からない。

 

「お前が言わないのなら、言わせるだけだ。アシエル」

 

 毒と分かっていても耳を傾けずにはいられない、甘く艶やかな声だった。乾いた唾をごくりと飲み込む。

 伸ばされる手を拒む手段は、アシエルには残されていなかった。

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