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33.交差する運命②

 ――さて。

 気を取り直し、アシエルは連れてこられた場所に向き直る。

 広い部屋だった。窓はなく、入り口にはやる気のなさそうな兵士が見張りに立っている。見たところ、最下級の使用人の仕事場なのか、古着を纏った老若男女が所狭しとひしめき、手を動かしていた。

 中央には水場があり、手洗いで洗濯をしている者もいれば、洗った野菜を忙しなく運んでいる者もいる。部屋の隅に目を向ければ、裁縫らしき仕事をこなしている者もいた。

 部屋の様子を眺めていたそのとき、気の強そうな少女の声が後ろから響く。


「そこの兄ちゃん、邪魔だよ。どいて」


 振り返ると、汚れ布を大量に抱えた少女が、ふらつきながら歩いていた。慌ててアシエルは両手を差し出す。

 

「前、見えてるか? 手伝うぞ」

「どうも。水場まで頼むよ」

 

 生ぬるく湿った布を半分受け取り、アシエルは少女の背を追う。

 水場の近くに汚れ布を下ろすと、ようやく少女の顔がはっきり見えるようになった。細っこくて、背が低い。肩まで伸びた灰色の髪は、自分で切ったのか、ところどころ長さが適当だ。


「助かった。ありがとう」


 ぶっきらぼうに礼を告げつつ、少女はうんざりとした様子で手をぱたぱたと振った。

 

「汗臭いったらありゃしない。今日は洗濯が多くて困る」

「それ、兵士たちが使う布だよな? 朝から演習でもあったのか?」


 泥と血で汚れた布の山を見下ろしながら問いかけると、少女は胡乱げな目つきをアシエルに向けた。

 

「実践演習に決まってるだろ。もうすぐ戦争になるから、兵隊さんたちの訓練もここのところ回数が増えてるんだよ。汗はともかく、血は落ちにくいから嫌なんだけど、誰も洗濯女のことなんざ気にしちゃくれない」

「戦争?」

「何、まさか知らないの? 兄ちゃん、見ない顔だけど、今日から入ったとか? あたしはゾーエ。騎士団付きの洗濯女だよ。よろしく」

 

 矢継ぎ早に投げかけられる言葉に面食らいながら、アシエルは降参するように両手を上げた。何が何やら分からないが、情報通とのお喋りならば大歓迎だ。

 

「ご丁寧にどうも。俺はアシエル。村で寝てたら、いつの間にかここに来ることになってた」

「ふうん。あんたも売られてきたんだ?」

「あんた()ってことは、そっちも?」

「あたしも売られてきた。ちょうど一年前かな。うちの家、日照りのせいで作物を納められなくてさ。でもあたし、この通り痩せぎすのチビだろ? 娼館にも行けないし、ここで洗濯するしかないわけ。日照りに魔物、おまけに戦争。ああ本当、嫌な時代に生まれてきちまった」

 

 ふん、と鼻を鳴らしたゾーエは、肘まで袖を捲り上げると、どかりとその場に座り込む。手慣れた様子で汚れ布を仕分けた彼女は、早々と洗濯に取り掛かった。

 

「やることないし、手伝ってもいいか?」


 今はとにかく情報が欲しい。ゾーエの隣に座り込んだアシエルは、朗らかに話しかけた。ちらりとアシエルに視線を向けて、「物好きだね」とゾーエが口角を上げる。

 

「仕事がないなら、その辺で適当にさぼってればいいのに」

「何かをしてる方が、気が紛れるんだよ」

「あっそ。じゃあ、あたしの仕事、この後も手伝う? あんたふらふら危なっかしそうだし、教えてあげてもいいよ」

「いいのか? ありがとう。助かるよ」

「別に」

 

 とそこで、アシエルたちの会話を聞いていたのか、隣から「あらあら」とのんびりとした声が割って入ってきた。

 

「ゾーエもずいぶん大人になったね。人に教えられるほど物を知ってるだなんて」

 

 ひょこりとアシエルの隣から顔を出した年配の女性は、からかうように言葉を続ける。

 

「来たばっかりのころはぴいぴい泣いてたってのにねえ」

「いつの話? 恥ずかしいからやめて、リィおばさん」

「恥ずかしがることないじゃない。新人さんも、今は右も左も分からなくて不安だろうが、大丈夫だよ。もう少ししたら、きっと全部良くなる。そのための戦だって兵隊さんたちも言ってたからね」

「――なんだか、もう戦争が起こるって決まってるみたいに言うんだな」 

 

 ぽつりとアシエルは呟いた。途端に、ふたりはきょとんと目を見開く。

「だって、ねえ」と困ったように、リィと呼ばれた女性は頬に手を当てた。

 

「神の教えだか何だか知らないけど、結界がおかしいせいで大陸中がおかしくなってるんでしょ? なのにイーリスは、結界を調べることさえ認めないっていうじゃない。後ろ暗いところがあるんじゃないの? ただでさえ隣国は、いつも難癖をつけて突っかかってくるし、いつだってうちの国を叩く機会を狙ってるんだよ。黙って壊されるのを待つくらいなら、たとえ戦になったとしても、自分たちで暮らしを守らなくちゃ。皇帝陛下が日和見しないお方で良かったよ」


 後ろ暗いところ。叩く機会を狙っている。

 テンペスタの方こそ、そうではないのか。フードの下で、アシエルはひっそりと唇を噛んだ。

 けれど、アシエルとて女王の語る言葉と下町での噂以外には、確実なことなど何も知らない。その意味では、アシエルが言えることなど何もなかった。

 

「どうした。気分でも悪い?」

 

 言い淀んだことを悟ったのか、アシエルを気遣うようにゾーエが声を掛けてくれる。彼女に続くように、周囲の女たちもアシエルに同情混じりの目を向けた。

 

「まだ混乱してるんだよ。あんたのときを思い出してごらん、ゾーエ。いっぱいいっぱいなときに色々聞いたって、わけが分からなかったでしょう」

「それに、その人の首、見てごらん。首輪付きだ」

「ああ、本当だ。それなら、あんまり色々話さないほうがいいね。話しても、どうせすぐいなくなる」

「しっ。聞こえるよ」

 

 空気がにわかによそよそしくなる。気まずそうに目を伏せたゾーエは、ひそひそと交わされる会話からアシエルを遠ざけるように、「手!」と声をあげた。

 

「手伝ってくれるなら口より手を動かして、アシエル。この後も行く場所があるんだから」

「ああ、ごめん。……それに、ありがとう。優しいな、ゾーエ」

 

 不器用な気遣いに礼を言う。「別に!」と頬に朱を上らせるゾーエの姿が、わずかにアシエルの緊張をほぐしてくれた。


 

 洗濯をひと通り済ませたゾーエは、次は塔の洗濯物を集めに行くと言ってアシエルを連れ出した。下級使用人たちの仕事場は塔と地下通路で繋がっており、移動はすべて地下道を使うらしい。


「なあゾーエ、塔ってどんな感じなんだ?」

「知らないの? あたしより田舎から来たんだね」


 ふふん、と得意げに鼻を鳴らして、ゾーエは塔について教えてくれた。

 ゾーエ曰く、塔は教育機関と研究機関が融合した、テンペスタが誇る英知の頂点らしい。塔に入るのに必要なのは頭脳と才能。身分も血筋も関係なく、純粋に能力だけが評価される場所だという。


「グレゴリオ陛下が即位してから、すごく塔は強くなったし、色んな技術が発展したんだって。あそこは貴族も平民も混ざっているから、上級使用人じゃなくても入っていいの。あたしもこうやって仕事で行くけど、色んなものがあって面白いよ」

「へえ。見てみたいな」

「階段を上がれば窓があるから、見える。ほら」

 

 あっち、と幼さを残した仕草で、ゾーエが窓を指さした。

 イーリスでは見たことのない形式で造られたその建物は、まさに塔としか呼びようのない円柱型をしていた。無駄のないつるりとした見た目を不気味と取るか機能美と取るかは、見る者によって評価が分かれそうだが、記憶に残ることは間違いない。

 

「でかいな」

「興味があるのか、アシエル」

「ん? んー……」

 

 興味はある。けれどアシエルのそれは、ゾーエが想像するような純粋な意味ではなく、仕事としての興味だ。答えを渋るアシエルを見て何を思ったのか、ゾーエは大きくうなずき、わずかに声の調子を上げた。

 

「あたしも好き。人がいなければ中も見て回れる。今の時間なら多分大丈夫だから、見て行こう」

「本当か? ありがとう」

「う、うん」

 

 フードに隠されたアシエルの顔などほとんど見えないだろうに、感謝の言葉ひとつで、ゾーエは照れたように真っ赤に頬を染めた。逃げるように歩く速度を上げる様が微笑ましい。

 ゾーエの背を見守りながら、アシエルはフードの下でそっと笑みを消した。親切心につけ込むようで気が引けるものの、合法的な手段で研究所の内部に入れるならば、それに越したことはないのだ。




 人に何かを教えることが好きなのか、あるいは塔そのものが好きなのか、ゾーエは上擦った声で、道中も塔についての知識を披露してくれた。

 

「医者や治癒術師は地階にいる。怪我人や病人をお貴族様は嫌がるけど、地階ならすぐに運べるし、目につきにくいからね。魔術師は上層。空に向けて魔術を打てるのが良いらしい。研究棟は地下。見るならここが一番面白い」

 

 そう言って地下への階段を下りるや否や、ゾーエはきょろきょろと辺りを見回した。人がいないことを確認すると、ゾーエは嬉しそうにアシエルを振り返る。

 

「ほら、見ろ! アシエル」

「おお……綺麗だな。なんだあれ」

「面白いだろ。色んな景色が見られるんだ」

 

 意気揚々とゾーエが指で示した先には、身の丈ほどの大きな機械があった。中に光の魔術でも仕込まれているのか、機械は壁に向かって色とりどりの光を放っては、記憶をそのまま切り取ったかのように、色鮮やかな景色を映し出している。

 時に雪の降り積もった景色が現れ、時に大規模な魔術が展開される様子が滑らかに映される。アシエルに見覚えのある景色が混ざっていることを考えると、イーリスの風景も混ざっているらしい。今現在の光景なのか、過去の光景なのか知らないが、小型化できれば偵察の役に立ちそうだ。

 

「投影装置、って学者さんは呼んでた。あたしはこの城と、もともと住んでいた村以外に行ったことがない。でもこれを見ると、どこかに出かけた気分になれる。すごいだろ!」

 

 ゾーエはきらきらと目を輝かせながらそう言った。真っ先に軍事利用を考えたアシエルとは、見ているものが違う。少女の純粋さが心に痛かった。

 

「ああ、すごいな」

「……気に入らなかったか?」

 

 心からのものではないアシエルの笑みに何かを感じ取ったのか、ゾーエは表情を曇らせた。次いで、辺りを見渡したかと思うと、何かを思いついたように彼女はぐいぐいとアシエルの袖を引く。

 

「もうひとつ面白いもの、見せてやる。きっと驚く」

 

 引っ張られるがまま、ゾーエについて通路を進む。何度か真がった先には、隠れ家のように秘された部屋があった。

 

「こっそり覗け。見つかると怒られる」

「どれどれ、……っ⁉︎」

 

 いたずらっぽく囁くゾーエに苦笑を返しつつ、アシエルはわずかに開いた扉の間を覗き込む。

 次の瞬間、アシエルはひゅっと息を呑み込んだ。

 真っ白な廊下とは打って変わった薄暗い部屋は、淡い光で埋め尽くされていた。緑、青、赤、黄――魔術を使うときに現れる魔力光と似ているけれど、それよりももっと無機質で、温度がない。

 光の出所は、巨大なガラスビーカーの中に満ちた毒々しい色の液体だった。真っ白な部屋の中には、人ひとりが入れそうなほどの大きさのガラスビーカーが立ち並んでいる。それぞれの容器の中には、動物や魔物の標本と思わしきものが閉じ込められているようだった。

 鳥肌が立ちそうなほど不気味な光景なのに、規則正しく色とりどりの物体が並べられた整然さには、一種の美しさがあった。

 

「綺麗だな。ぞっとするくらい」

「だろ? あたしもびっくりした」

 

 部屋の内部を凝視するアシエルを見て、ゾーエは嬉しそうに頬を緩める。まだまだ見せたいものがあるのか、ゾーエは落ち着きなく辺りを見回していたが、足音が聞こえてくると、彼女は残念そうに唇を尖らせた。

 

「……残念、人が来た。行こう、アシエル。布を回収しなくちゃ」

「ああ。色々教えてくれてありがとうな」

「うん」

 

 足早にその場を立ち去るゾーエを追いかけながら、アシエルはちらりと研究室を振り返る。ローブに隠されたアシエルの肌は、ひどくおぞましいものを見た後のように、粟立っていた。

 これまでの任務でも、似たような研究室を何度か目にしたことがある。けれどもこれは、過去見たものとは決定的に何かが違っていた。


(テンペスタは、()を作っているんだ――?)

 

 ビーカーの中身が動物か魔獣か、はたまた人間かは分からない。ひとつ確かなのは、能力の大小はあれど、すべてが何らかのセンチネルだということだった。

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