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閑話 国家と隣人

 静まり返った部屋の中、エヴァンジェリンはユリアとふたり、茶を囲む。茶器を置くわずかな音でさえ響くような静けさは、ここが王女の私室であることだけが理由ではないだろう。

 国主の訃報に王城中が動揺している今、国を跨いだ友人どうしの会話を妨げる者は誰もいない。自由の多かった学生時代とは異なり、互いに責任ある立場にある今、何気ない会話を交わすことさえままならないのだから、寂しいものだ。

 あるいはこれがユリアという女と個人として話せる最後の時間かもしれない。そう思いつつ、エヴァンジェリンは慎重に口を開いた。


「お悔やみを申し上げるべきでしょうか、ユリア様」

「今さらだ。随分前から父の意識は戻らなかった。本人に意識があったならば譲位という手段も取れただろうが……遅かれ早かれ天に導かれる定めならば、せめて安楽のうちに眠っていただくことが私個人の望みでもあった。王にしかできないことを為せない者が、王でいてはいけない。今の危うい状況ではなおのこと。これで良かったと思っている」

 

 美しい微笑みを貼り付けたまま、極めて冷静にユリアは言った。とても、数刻前に親を手に掛けたばかりの者の言葉とは思えない。

 けれど、とエヴァンジェリンは心の中で呟いた。決して良い関係とは言いがたい隣国からエヴァンジェリンを呼んだのは、そうでもして自身の逃げ道を塞がなければ、父王を安楽死させる踏ん切りがつかなかったからではないのか。

 ユリアは感情よりも合理性を重んじる。時に冷酷な女ではあるけれど、決して情がない人間ではない。動揺していないはずがないのだ。それでも、本人が慰めを望まないと言うのなら、ユリアの友人としてエヴァンジェリンにできることは、彼女の意思を尊重することだけだった。

 

「では、おめでとうと申し上げましょう。国に生涯を捧げた友人が、それに見合う地位を手にしたことを、喜ばしく思います」

「ありがとう、エヴァンジェリン」

 

 顔を見合わせ、しばし深い紅の色をした茶に視線を落とす。ふたりきりでいられる時間は限られている。何から話せばいいだろう、と考えているうちに、ユリアが先に口を開いた。

 

「観光は楽しめたか」

「ええ。アシエルが張り切って案内してくれましたから」

 

 別の意味でのガイドとして働かせてしまった青年を思い出しながら、エヴァンジェリンは苦笑する。アシエルの名を聞いて、ユリアはからかうように片眉を上げた。

 

「アシエルを指名したときは驚いた。何がそんなに気に入ったのだ」

「同じガイドとして、思うところがございました」

「本当に? それだけとは思えないな」

「それを申しましたら、平民の青年に勇者などという大層な称号を与えるあなたもあなたではありませんか」

「力に見合う呼び名を与えただけだ」

「使いやすい駒に仕立て上げるために?」

「親切心だよ」

「どうでしょう。ユリア様が冷たい方だとは申しませんが、意味のない慈善事業をなさる方だとは思いません」

 

 一対一でお茶をすることなど十数年ぶりだというのに、話し始めてしまえば、言葉は口から飛び出て止まらない。

 

「優しい子だろう、アシエルは。責任感が強く、腕も立つ。勇者にふさわしい人材だ。彼のことは気に入っているよ」

「ユリア様のものでなければ、弟子として国に連れて帰りましたのに」

 

 エヴァンジェリンにとってはただの冗談だ。義弟はどうだか知らないが。

 

「それは困るな。イーリスの勇者には、まだ働いてもらわなければ」


 苦笑したユリアは、間を取るように茶に口をつけると、「そちらのお国(テンペスタ)の様子はどう?」と探るように尋ねてきた。

 

「知っていらっしゃるでしょう。皇帝陛下はもはや我々の声には耳を傾けてくださいません。民衆の支持がある手前、暴君とは呼べませんが……抑えがききません」

「イーリスを潰そうと民を扇動している?」

「ええ。気候の変動、魔獣の増加。自然災害が年々悪化する中、不満を外に逸らすのは古くからの常套(じょうとう)手段でございましょう? 自然災害は結界の綻びのせいであり、神が人に与えた結界をイーリスが己の利益のために私物化しているせいなのだと、噂が広まっております」

「上手い言い方をする。正義を主張するには十分に聞こえのいい理由だ。ない事実をないと証明することはできないものね」

 

 悪魔の証明と言うんだったかな、と涼しい顔でユリアは言う。彼女の笑顔は崩れない。目の奥だけで、理性的な怒りが冷たく燃えていた。

 

「わたくしどもも全力を尽くしてはいますが、おそらく残された時間は長くありません。平和的な方法を取れる段階は、間もなく終わるでしょう。皇帝陛下は、着々と侵攻の準備を整えていらっしゃいます」

「そう」

 

 淡々と返事をしたユリアは、腕組みをして椅子にもたれかかる。邪魔っけにドレスの裾を蹴り上げて足を組む様子は、王女らしい優雅さとはかけ離れていた。

 

「淑女の皮が剝がれていますよ」

「見逃せ。今だけだ」

 

 たおやかな声で紡がれる短い言葉を聞きながら、エヴァンジェリンはティーカップに視線を落とす。なめらかで控えめな光沢のある陶器は、質素でありながらも上品な造りをしていた。ユリアやエヴァンジェリンがまとうドレスも、このティーカップと性質は同じだ。華やかさよりも、生地の質と形の機能性に重点を置いている。

 エヴァンジェリンが飾り気のないドレスを好む理由は、例えば暴走(ゾーンアウト)を起こしたセンチネルを見つけたときや興味深い事象に出くわしたとき、余計な飾りに邪魔されずに膝を折ることができるからだ。ユリアもまた、四六時中王女としてのふるまいを求められる生活の中で、せめて身に纏うものから受ける堅苦しさだけでも軽減したいのかもしれない。


「テンペスタ皇帝は何がしたいのだろう」


 ユリアはぽつりと呟いた。

  

「大陸宗教を破壊したいのでは?」

「それは手段だ。イーリスを潰すことも、神の教えを壊すこともね。私が知りたいのは、彼の目的だ。死なない生き物を作り上げたあげく、自然の魔獣の行動を制御するなど、意図が読めない。結界の綻びも、本当にすべて自然に起こったものなのか、正直なところ疑わしい」


 ぎくりと跳ねそうになる肩を、エヴァンジェリンは理性で抑えた。確証はないが、下町神殿へ巧妙に敷かれていた魔法陣には、テンペスタで研究されていた技術が一部使われていた。ほかの場所で同じことが起こっていないとは言い切れない。

 ひらひらと足先を揺らしながら、ユリアは冷笑交じりに続ける。


「結界を壊して、外から魔物を呼び込んで、魔物の王にでもなろうというのかな。死なない兵は、さぞ使い勝手の良い軍勢になるだろうね。それとも不老不死の独裁者でも目指す気かな」

「皇帝陛下は、即位前にはもともと研究の道を志しておられた方です。そのような野心に溢れた方だとは思いませんけれど……」

「権力を持って人が変わるなど、ありふれたことだ」

 

 吐き捨てるように言ったユリアは、次いで自嘲するように笑みを浮かべた。

 

「私も他人のことを言えないか」

「あなたがそんな顔をするなんて珍しいこと」

 

 あえて茶化すようにエヴァンジェリンは言った。いくら完璧な笑顔を貼り付けようが、父王を看取り、国の頂点に立つことになる重圧を、目の前の女が感じていないはずがないのだ。

 

「『成人と同時に私はイーリスと結婚した。書類上の伴侶として迎えるならば、イーリスにとって最も利益をもたらす者だ。その者を心から慈しもう』……でしたか? 心に想う方はいないのかと昔聞いたとき、返ってきた言葉の夢のなさに驚いたものですよ。今もお変わりないのではなくて?」

 

 せめて少しでも友人を元気づけたくて、わざと関係のない昔話を振った。エヴァンジェリンをじっと見たユリアは、姿勢を正して苦笑する。

 

「……そうだな。王女として生まれたその日から、この身はすべてイーリスのためにある。今なら……同盟の証として他国の者を迎えてもいいし、友好の証としてテンペスタの者を迎えたっていい。平和が崩れた先、力で戦を終わらせる以外に方法がなくなったとしたら、それを為した勇者に求婚するのも面白いかもしれないね」

「あら。それは困ります」

「困る?」

 

 不思議そうな顔をしたユリアには笑顔を返して、エヴァンジェリンは答えをはぐらかす。本気で想っているというならまだしも、面白いからという理由なら、エヴァンジェリンは重々しい想いを勇者に向ける義弟の味方につきたいのだ。

 笑顔の名残を残して、会話は途切れた。冷めた紅茶を飲みながら、ユリアは寂しげにエヴァンジェリンを見る。

 

「本当は、私がエヴァンジェリンを案内したかった」

「それも楽しかったでしょうね。ですが今やあなたはユリア女王陛下となられました。周りがそれを許しません。戴冠式……いえ、イーリスとテンペスタが友好条約を結ぶときにでも、また招いてくださいませ。観光はできなくとも、一緒にお茶会をいたしましょう」

「そうだな。そうしよう。楽しみにしている。……いつになるかは分からないが」

 

 ふわりと微笑んで答えたユリアは、しかし次の瞬間、美しい笑みを唇に刻んだまま、こちらが凍り付くようなことを口にした。

 

「ねえ、エヴァンジェリン。狂人が上に立っていることが今の状況の原因だというのなら、首をすげ変えてしまえば問題の大半は片付く。そうは思わないか」

「……冗談と言ってくださいませ。あなたの立場でそれをしてしまうと、取り返しのつかないことになりますよ、ユリア()()

「手は尽くした。届かなかった。もう、テンペスタの毒牙はイーリスの喉元に掛かっている」


 ああ、と思った。この方はとうに気づいているのだろう。皇帝グレゴリオはイーリスの民草へと武器を流し、軍事利用するための技術を蓄え、結界を支える術式にさえ手を伸ばしている。エヴァンジェリンたち貴族派でさえ、もはや彼らを止めきれない。

 

「戦を回避できる手段がほかにない。どの道行き着く先が謂れのない戦だと言うのであれば――」

「いいえ。わたくしたちの国の問題は、わたくしたちで解決します。軍部の半数以上は貴族派です。夫が中心となって、すでに手も回しています。だから、どうか早まらないで」


 ユリアの目をじっと覗き込む。けれど彼女は、エヴァンジェリンの視線から逃げるように目を伏せた。もう本音で語り合うことさえできないのかと思うと、ひどく悲しい気持ちになった。

 

「……ヴァレンティーノ公爵に伝えてくれ。イーリスはいつでも支援すると」

「承りました」

 

 頭を下げつつ、心の中だけでため息をつく。和やかなお茶会になるとは思っていなかったけれど、随分と殺伐とした話題に行き着いたことだ。

 控えめに扉を叩くノックの音が、張り詰めた空気を破る。

――時間だ。 

 静かに顔を上げたユリアは、「ねえ、エヴァンジェリン」と縋るように呟いた。

 

「私たちは友人だ。たとえ国どうしが対立しようと、私はエヴァンジェリンの友だ。どうか、覚えていて」

「当たり前のことを言わないでくださいませ、ユリア様」 

 

 そっと手を重ねる。ユリアはセンチネルではない。ガイドでもない。精神を繋ぐことはできないけれど、それでも、重ねた温度を通じて、言葉では伝えきれない思いが少しでも伝わって欲しいと思った。

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